これから、皆さんが天の王子であり、天の国の群れであることを知って、自分のすべての環境に対する礼法を備え、自分の本分を遂行しなければなりません。祝福を受けたという人々が、そのようなことも知らずにいます。それでは、統一教会の教会員は、これからどのようにすべきでしょうか。「神の日」を中心として、家庭の伝統を樹立しなければなりません。また「父母の日」を中心として、家法を立てなければなりません。「子女の日」を中心としては、一つの秩序を立てなければなりません。これらの日を記念するにおいては、世の中のいかなる名節よりも精誠を尽くし、喜びながら迎えなければなりません。そうして、その家庭の伝統の起源が「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」、「神の日」にならなければなりません。またこれらの日を祝う伝統を立て、自分の千秋万代の子孫に至るよう、天的家法をつくっておかなければなりません。これを中心として、「父母の日」から「子女の日」に直行し、ここから「万物の日」に直行して「神の日」まで直行しなければならないのです。
第1節 主要名節
真の神の日
今までサタン世界によって侵犯を受けていない高次元的な基準で、神様の心情を中心とした一つの回路を造成しなければなりません。このような伝統の最初の基礎の足場が、統一教会で守っている名節です。この日を迎えて記念するためには、自分の生活全体を、この日を中心として結びつけることができなければなりません。また忠誠と精誠をすべて集め、この日と連結させなければなりません。このようにしてこの日を祝うことができてこそ、天が立てた名分と礼法を守る子女になるのです。六千年目に初めて探し出された日が、正に「神の日」です。この日は神様が喜ぶことができ、天地の運勢が総集結する日です。歴史上、前にもあとにもない日です。そのため、精誠を尽くしてこの日を迎え、記念しなければなりません。
人間が最も願う祝いの日、希望の日があるとすれば、その日は自分が生まれた日でもなく、自分が結婚した日でもありません。自分の国を失った国民の一人として国を取り戻した、もしくは国家が独立した日でもありません。人間が最も希望する日、願う日があるとすれば、「神の日」と「父母の日」です。その日が地上に生じることこそが、私たちの全体の願いになったというのです。「神の日」と「父母の日」が始まれば、「子女の日」も「万物の日」も、自然に連結されるのです。
今日、この地上に暮らす人で、「神の日」を見た人は誰もいません。「父母の日」を見た人もなく、被造世界のいかなる万物も見ることもできませんでした。一年三百六十五日が連結されるすべての日の中で最も重要な日が、すべてのものが解決される「神の日」と「父母の日」だというのです。その日は、日の中でも王のような日であり、そのような年があれば、その年は年の中の王のような年だというのです。
真の父母を復帰する前には、すなわち堕落していないアダムとエバの家庭を探し出す前には、堕落していない子孫ももつことができず、堕落していない万物世界ももつことができません。人間が万物世界を思いのままに主管できる立場に立たなければ、神様も神様としての振る舞いができません。それで、一九六〇年を中心として「父母の日」を策定し、「子女の日」と「万物の日」を策定したのです。父母がいてこそ子女がいることができ、子女がいてこそ万物を主管できるのです。万物を主管するためには生育して繁殖し、地に満ちなければならないのであって、アダムとエバ、二人だけで主管するようにはなっていません。子女は横的な基盤であり、父母は縦的な基盤です。そのため、父母は地上において神様の代身です。このような縦的な基台を備え、万物を主管するようになっているのです。それで、統一教会では「父母の日」を立てたあとに「子女の日」を立て、「子女の日」を立てたあとに「万物の日」を立てました。「父母の日」と「万物の日」、そして「子女の日」は、堕落圏にあるのではなく、神様の主管圏内にあります。すなわち、サタンの讒訴圏を抜け出した位置にあるというのです。そのため、神様と直接的な関係を結ぶことができるのです。
一九六〇年は、アダムとエバが堕落した長成期完成級の基準に上がった年でした。長成期完成級の基準を中心に完成圏まで上がっていくには、七年期間が必要です。それが第一次七年路程でした。完成基準に立てば、神様の直接主管圏に入ります。そこは内外共に直接なので、心情生活圏もやはり直接主管できるのです。その完成基準を残したまま祝福した年が一九六〇年でした。アダムの堕落によって堕落圏、すなわちサタンの主管圏にいたのですが、このサタンの主管圏を破壊する家庭が現れたので、この家庭に対してサタンは総攻撃をしてきました。しかし、サタンと闘い、ぶつかって追い出し、蕩減して「神の日」、「子女の日」、「万物の日」、「父母の日」、この四大名節をこの七年間に探し立てたのです。
「神の日」の決定と同時に、地上に神様が臨在できる基準を立てることができました。ですから、これから統一教会の発展は、地上において急速に促進されるでしょう。そのような基準を成し遂げたので、統一教会は真理を中心として、霊界解放とともに地上解放、そして地獄解放へと発展していくのです。なぜなら、「神の日」を迎えたそのときから地獄が壊滅し、サタンも滅亡するしかない立場に行き着くからです。それで、「神の日」の決定と同時に、先生の使命は完成したのです。
「神の日」が現れるまで、どれほど大変だったか分かりません。「神の日」を策定した時が最も大変でした。いくら「父母の日」が立てられたとしても、その「父母の日」を支えられる「子女の日」がなければ、「父母の日」は「父母の日」としての役割を果たせないのです。また「子女の日」を立てたとしても、「万物の日」を立てなければ、「子女の日」が「子女の日」としての責任を果たせません。そのため、「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」が完全に一つになって、神様の主管を受けなければなりません。そのようにできなかったのが嘆息の要因です。これを連結させるために立てたのが、一九六八年の一月一日に世界的に宣布した「神の日」です。
アダムが長成期完成級で落ちたので、長成期完成級で家庭を率いて上がっていくしかありません。それは完成の位置ではありません。また、長成期完成級でアダムとエバが落ちたので、先生も長成期完成級から出発して七年路程を上がっていかなければなりません。それで、一九六八年の一月一日になって、ようやく「神の日」を策定したのです。七年路程を越えていかなければなりません。そうして神様の直接主管圏に入り、「神の日」が策定されたのです。「神の日」が策定されることにより、その期間に「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」、歴史時代に失ってしまったすべての悲しみの日を蕩減し、世界的に本格的な出発が始まったのです。
「神の日」が設定されることにより、今や天地の前に新しい方面で、発展段階に向かってさらに前進するでしょう。今までの歴史は蕩減の歴史だったので、私たちが苦労して汗を流しながら犠牲になったとしても、それらは蕩減のためのものだっただけで、神様が本当に喜べる苦労にはなれませんでした。しかし、これからは私たちが涙と血と汗を流しながら苦労したすべての実績は、サタン世界において蕩減条件となって流れていくのではありません。これから私たちの苦労は、自らのものとして連結され、自らの実績として収めることができるのです。そのような時代圏内に入りました。すなわち、私たちの苦労は、全面的に神様の勝利として決定される時代になったということです。このように栄光の時代圏内に入り、神様が喜べる時代的限界が設定されたので、神様が干渉できる時代を迎えたのです。それで「神の日」を設定したのです。
「神の日」が始まることにより、神様を中心として皆さんの一次七年路程と先生の二十一年路程を越え、今や第二次七年路程、その後の世界においては、天の家庭を中心として、神様が直接的に指揮できる時代になります。これを連結させて氏族を立てたのは、民族を救うためであり、これが神様の使命です。ですから、今私たちに残された使命は、民族を中心として復帰の使命を完結していくことです。私たちの段階においては、迫害が既に消えてしまいました。何度も繰り返される困難な蕩減の時代が過ぎ、今や私たちが蒔けば、刈り入れができる時代になりました。ですから、神様のみ前に感謝しなければなりません。これからは皆さんが十ほどの苦労をすれば、その十の苦労が実を結ぶ時代圏を成し遂げました。これが神様のみ前には無限な誇りとなり、サタンの前には無限に悔しい事実となりました。それにより、一九六八年一月一日、午前三時を期して、「神の日」を策定したのです。この日はすべてのものを捧げ、すべての精誠を尽くして感謝し、神様に栄光をお返ししなければなりません。この日は千秋万代の私たちの子孫が永遠に賛美するでしょう。神様がいらっしゃることを知らしめたこの日を、永遠に賛美しなければなりません。
人間は、今まで自分が生まれた日を祝い、自分たちが結婚した日を祝ってきました。また国家は国家なりに、記念する日を祝ってきました。今は、世界的に何かの日を祝う時代になってきています。しかし、今までの数多くの日の中には、神様に侍って本当に記念した一日、「神の日」がありませんでした。これがどれほど大きな悲しみであり、天地に深くしみ渡る恨であるかを、私たちは、原理を通してよく知っています。神様のみ前に堕落した世界が横たわっている限り、この「神の日」は策定できません。ですから、この日を探し立てるためには、堕落した基準を蕩減復帰しなければならないのです。この地に堕落した父母が生じたので、この堕落した父母を蕩減しなければならないのですが、この堕落した父母を蕩減し、勝利の日として立てたのが、正に「父母の日」です。
私たちが迎えた「神の日」は、すべてのものが集中した希望の日です。また、この場は、イエス様のときの使徒たちの位置とは比較にもなりません。このような途方もない内容と結実の価値をもっているのが「神の日」なので、この日を心から祝う私たちの姿勢は、どのようなものでなければならないのでしょうか。皆さん個々人の心は、どのようにあるべきでしょうか。アダムとエバのときの、アベルがこの日を祝えるようにしなければなりません。またノアが、「あなたたちの驚くべき心情を賛美いたします」と祈れるようにしなければなりません。そして、三代の信仰の先祖であるアブラハム、イサク、ヤコブから「私が苦労し、私が困難に遭ったのは、きょうこの一日を迎えるためだったので、あなたたちの驚くべき成就を賛美します」という称賛の言葉を受けられるようにしなければなりません。これだけでなく、イスラエル民族からも「私たちが国を探し立てるために、モーセを中心として砂漠を横断し、そのすべての困難を経ながらも備えることができず、収めることができなかったイスラエル圏を、このように整えてくれたので有り難い」という称賛の言葉を受けられるようにしなければなりません。これらの問題を見るとき、「私」はこの日のためにどれほど忠誠を尽くし、この日のためにどれほど苦労し、この日のためにどれほど犠牲の代価を払って、この価値ある日を迎えて祝っているのかということを考えてみてください。
皆さんは、「神の日」という宴の日を迎えるために、どれほど準備しましたか。自分の一人息子の結婚式を準備する、それ以上の準備をしましたか。女性たちは、結婚して新郎がいる部屋に入る前に、垢という垢はすべて落として精誠を尽くして装った、それ以上の準備をしてみましたか。また、男性たちは、「あなたでなければ私は死んでしまう」と大騒ぎして、望みのない困難な立場から数多くの障壁を取り除き、初めて願いを成就して、男性として喜びの心で新婦を迎える、それ以上の心で参席する準備ができていますか。六千年間待ち望んできた、一つしかないこの聖なる「神の日」の行事のために、どれほど途方もない準備をしなければならないでしょうか。ここに参席した皆さんの誠心誠意が足りていないことを自ら認めなければなりません。そして、参席するときも、ただ参席するのではなく、統一教会の教会員の中で、誰よりも人知れず精誠の度数を満たし、神様のみ前に、中間ではなく最も近い立場で参席するという心をもたなければなりません。
皆さんは、誰よりもこの「神の日」に対する深い意義と高い価値を知らなければなりません。そして、この日を指標として、この日の前に栄光となる各自の生活の土台を開拓し、さらに統一教会の教会員としての責任を追及して、民族的な責任を完遂しなければなりません。そうして、民族がこの日を永遠の「神の日」として迎えるときまで、絶え間なく前進を続けなければなりません。「神の日」が策定されることにより、霊界の数多くの霊人が地上に降りてきて、神様が願われるみ旨を中心として本格的に闘うことができる時期になりました。今までは神様がサタンの讒訴条件に引っ掛かり、それを弁償し、防御する時代でした。しかし、今や神様がこのサタン世界を占領できる条件を立て、神様が攻撃できる時代になりました。霊界の数多くの予言者や烈士たちが地上に降りてきて、自由に活動できる舞台が展開されたのです。
真の父母様の御聖誕日
堕落しなければ、真の父母が現れる前に、まず真の父が現れなければなりません。今日、数多くの宗教では、自分たちの信じている教主が真の父になればと願っていますが、神様は、そうではありません。真の父という存在は、宗教の中の宗教から生まれるのです。真の父は、真の子女をつくることのできる、真の子女を生むことのできる資格をもった人です。
全世界は、新しい歴史的展開時期を迎えます。きょう、この真の父母様の御聖誕日を祝うのは、歴史的な意義をもっています。統一教会の信徒はもちろん、霊界に行った霊人、統一教会の霊人、キリスト教の霊人、すべての霊人が祝うことのできる段階に入るのです。天運によって一つの道に行けるように、地上の人間が道案内をしてあげなければなりません。今日、修行の道を信じ、宗教を信じる責任者がそれをしなければならないのですが、そのようなことは夢にも思わず、盲目的な信仰をして天国に行こうという人が多いというのです。そのような意味で、きょう祝う真の父母様の御聖誕日は、天宙史的な意義をもつ日です。今後は、父母様が生まれた日を本当に祝える人であってこそ、自分が生まれた日を祝うことができるのです。
五色人種の皆さんが、先生の誕生日を祝うためにここに集まったということは、驚くべき事実です。誰がこのようにしたのでしょうか。先生がしたのではありません。神様のみ旨がこのように導き、神様の愛がこのように導いたのです。他の人は知りませんが、統一教会の教会員の心の中にある神様のみ旨と愛を、皆さんは知っています。世界が反対し、この国が反対しても、これを知る私たちは、このみ旨を成就させるためにすべてのものを犠牲にしても、感謝しながら最後まで前進していかなければなりません。これが最高の価値あることなので、いかなるものも奪っていくことはできないのです。「私」に近づいてくる試練がいくら大きいとしても、この試練を克服していかなければなりません。この世界において、価値のないものから、これ以上一時に侵害を受けるようなことがあれば、「私」の生命を投入してでも防がなければなりません。私たちは、生命を投入して、神様の愛を訪ねていけることを誇らなければなりません。きょう、先生とお母様の生まれた日を祝ってくれることも有り難いのですが、その前に、このみ旨と愛の前にすべての五色人種が一つにならなければなりません。また、先生とお母様が一つになり、神様を賛美するその日であることを祝わなければなりません。
神様は、必ず歴史的な終末の混乱時代に、新しい歴史創建のための準備をせざるを得ません。ですから、第一次世界大戦を中心として世界的な問題が展開すると同時に、その後の歴史において、世界的問題は世界人類の興亡を分ける方向に行くことを予測せざるを得ないのです。そのようなみ旨を中心として見るとき、西欧社会が没落に向かうならば、西洋思想が傾く道に向かうならば、神様は、必ずその反対の東洋を起点として、傾くことのなこを摸索されるでしょう。地球が丸いがゆえに、太陽を中心として朝、昼、夕、夜と移り変わりながら巡っていくように、歴史も巡っていくのです。西欧社会が滅亡に向かうとすれば、神様は、必ずアジア社会を中心として、新しい朝に向かう道を模索するでしょう。このように見るとき、今日、西欧社会が探し求めているのはアジア文明です。それでは、東洋において神様は、いつからそのような準備を始めたのでしょうか。第一次世界大戦を中心として、これが始まったのです。大概、大きな事件が起きたあと、三年以内にすべてのものが現れるようになるのですが、先生は一九二〇年に生まれたというのです。
先生が母親のおなかの中にいるとき、母は松の木の内皮をむいて食べながら過ごしたという話も聞きました。神様は、先生を愛しているように見えるのですが、生まれるときは、なぜそのように歴史的に追いに追われ、一番の患難の谷間に立てて責めたてたのでしょうか。先生が生まれるときは、私の家庭、一族が困難に遭いました。先生は、蕩減法を知っているので、このようなことをすべて理解するのであって、そうでなければ、「それはすべて間違いだ」と言うでしょう。私の家門の一家、従兄弟から七親等まで、すべて蕩減を受けるのです。私の家は、先生一人が生まれることによって廃虚のようになりました。先生が十五歳になる前まで、そのような患難が家庭から離れませんでした。
地政学的に見るとき、韓国が強大国の侵略を受けながら、どれほど多くの血を流したか分かりません。そのような恨多き歴史過程において、どれほど多くの若い男性たちが軍隊に引かれていき、また若い女性たちが引かれていったでしょうか。願わない受難の過程において、家庭と個人が犠牲になり、男性と女性がそのように犠牲になり、国土が蹂躙され、国権が踏みにじられました。どれほど多くの侮辱を受けたか分かりません。先生の一家を中心として起こった内的な出来事を見るとき、それが偶然にそのようになったのではありません。必然です。夢でもなく、どうすることもできない必然的な結果です。そのため、アベルを中心とした蕩減歴史が、ある一つの家門を中心として、前後左右にすべて清算しなければならない摂理史的運命があるので、その運命の場に呼び出されたのが、先生の家庭であることは否定できません。先生は、そのような背景をもって生まれなければならないのです。
真の父母の日
私たちの先祖、アダムとエバが堕落していなければ、私たちは、既に「父母の日」を迎えていたでしょう。しかし、アダムとエバが堕落したので、「父母の日」を迎えるためには、まずこの地上に真の父母が来なければなりません。それでこそ「父母の日」を迎えられるのであり、その日を基準として真の父母によって子女が生まれたあとに「子女の日」を迎えられるのです。そのようになれば、万物を主管できる日も迎えることができます。このような日を、神様は、堕落していない人間先祖に約束されました。しかし、人間先祖が堕落することにより、神様の創造理想だった「父母の日」、「子女の日」、そして「万物の日」を迎えることができなくなったのです。したがって神様も、天地創造の目的を完成した神様として喜ぶことのできる日と、誇ることのできる日を迎えられませんでした。もちろん、アダムとエバが神様を失った状態に落ちたのが堕落ですが、アダムとエバの堕落によって、神様もまた、「父母の日」と「子女の日」と「万物の日」を失ってしまったのです。それにより、神様は、願っていたすべての日を失ってしまわれたのです。
今日、人類は、堕落の血統をもって生まれたので、永遠に不幸な立場で苦しまなければならない運命に置かれています。しかし、人間はこの地で神様に侍り、幸福と栄光を享受できるという希望をもっています。それでは、このような希望の中で最高の希望は何でしょうか。それは、正に「父母の日」を迎えることです。「父母の日」を通じなければ、天の国に行くことができず、また神様を訪ねていくこともできません。キリスト教は、小羊の婚宴をする日を願っていますが、彼らが願っている日が、正に「父母の日」なのです。「父母の日」は全人類のためにあるのです。
世界には、神様を身代わりし、万民を解放させ、万民を幸福にしてあげられる神様の息子、娘が必要です。イエス様がこの地に来られた目的もここにあります。天地が願う日が、正に「父母の日」です。今日、全世界にキリスト教が広まっていますが、彼らが願う日は小羊の婚宴を行う日です。その日が「父母の日」です。既に十分成長したとしても、再び生まれて父母を迎えなければなりません。今までは、「父母の日」を迎えられなかったために、いくらよく信じても神様のみ前に養子としてしか立つことができませんでした。イエス様が再び来られるときは、父として、父の使命をもって来られるというのです。
世界に広がっている数多くの人種と民族は、多くの名節を迎えていますが、いまだ「父母の日」を迎えることができていません。ところが、一九六〇年を中心として、韓国で「父母の日」が設定されました。この日は、韓国が解放されたその日よりも、世界が喜べるいかなる日よりも、もっと喜ばしい日です。そのような「父母の日」が、追われ、迫害を受けている統一教会の群れによって立てられたのです。この日なくしては、天宙の恨を解けません。この日が来なければ、神様のみ旨を支えることができません。この日が立てられなければ、サタン世界であるこの地上に神様の勝利の足場を築くことができません。神様が勝利の日を決定する日もこの日であり、聖徒たちが解放される日も、正にこの日です。天宙間において、願いと理念が一つになるのもこの日であり、天地が開闢する日もこの日なのです。
私たちは、「父母の日」を迎える中で喜びを感じることができ、喜びを感じる場において、再び生まれることができる基準をもたなければなりません。また「父母の日」は、子女が生まれる日を天地の前に公布する日でもあります。神様は、子女としてアダムとエバをお造りになり、万物を主管できるように祝福されました。皆さんもこのような心情的関係によって復帰の路程に従っているので、父母に対することのできる位置に立ったのちに、万物を主管できる祝福を受ける子女の立場に立たなければなりません。このように、「父母の日」は本当に意義深い日です。「父母の日」が立てられることによって「子女の日」が立ち、「子女の日」が立つことによって「万物の日」が立つのです。「父母の日」を基準にして、三つの大きな日が出てくるのです。
「父母の日」の理念は、本来、神様の創造理念の中でも中心理念でした。神様が万物を創造されたのち、その万物を主管する人間を創造され、人間に万物を主管せよと祝福された目的も、正に真の父母を立てるためでした。本来は、アダムとエバが神様を中心として一体になり、真の父母になるべきでした。そうすれば「父母の日」が立てられるのです。そのようになれば、全宇宙が父母の名とともに頒栄を捧げるようになります。このように「父母の日」は、全宇宙が父母の名とともに頒栄を捧げる喜びの日なのです。
「父母の日」は、決して統一教会のためだけの日ではありません。韓国のための「父母の日」でも満足できません。世界のための「父母の日」でも、その意味を果たせません。天上天下、全天宙が和合できる一日として、神様と共に全宇宙が喜べる日にならなければなりません。私たちには、個人的な「父母の日」はあり得ません。私たちは、個人的な「父母の日」を氏族的な「父母の日」として、氏族的な「父母の日」を民族的な「父母の日」として、民族的な「父母の日」を国家的な「父母の日」として、国家的な「父母の日」を世界的な「父母の日」として、世界的な「父母の日」を天宙的な「父母の日」として立てなければなりません。
全人類は、真の父母を迎えられる立場において、真の父母の愛を中心として全体的なものを備えなければなりません。それでこそ、父母の愛と子女の愛をもてるようになるのです。そのためには、真の父母の愛を受ける兄弟同士、この地で一つになり、すべてのものを備えていかなければなりません。真の父母を中心として恨多き歴史のすべてのものを清算できなければなりません。そうして、真の父母を迎える喜びを五色人種が賛美し、その心が愛によって弾け出ていって、この世界にある数多くの苦痛を取り除かなければなりません。そのときになってこそ、神様が安息なさるのです。
真の子女の日
神様は、天地万物を造られたのち、アダムとエバを中心として「子女の日」を迎えなければなりませんでした。もしその時に「子女の日」を迎えていらっしゃったならば、そこから「父母の日」も立てることができ、「万物の日」も立てることができ、「神の日」も策定されたはずです。それでは、この「子女の日」とはどのような日なのでしょうか。子女として勝利し、宇宙的な栄光の場に出ていけるようになる日です。しかし、人間の先祖が堕落したので、アダム以降、全人類の中でいまだに神様のみ旨の前に一致した立場で勝利し、神様が許される栄光の立場に立った人は一人もいません。それで、そのような立場に置かれている人間を復帰するための歴史、救援するための歴史、すなわち、再び以前と同じ立場に立てるための歴史が、今までの神様の復帰摂理歴史です。「子女の日」は、この日一日が他の日と特別に違うから記念するのではありません。「子女の日」とは、堕落によって神様の栄光の場に同参できなかった人間が、歴史始まって以来、初めてそのような場に参与できるようになったことを、子女として記念する日なのです。
「子女の日」を迎えるためには、過ちを犯した子女が、過ちを正すことのできる起源において、神様と一つになるようにしなければなりません。誤った子女の行動によって神様を失ってしまったことを正すことができる息子、娘が出てきて、「子女の日」を立てることによって、神様を探し出さなければならないというのです。神様を探し出せば、神様が栄光の場に進み出て喜ばれます。神様が喜ばれるので、息子、娘も喜び、万物も喜ぶのです。
「子女の日」がなぜ必要なのでしょうか。「子女の日」を必要とするのは、私たちがその日を失ってしまったからです。それでは、誰が失ったのでしょうか。アダムとエバが失ったのです。ですから、アダムとエバが探さなければならないのです。アダムとエバが失敗して穴を開けたので、アダムとエバが繕わなければなりません。それで、最初のアダムは台無しにするアダムになりましたが、二番目のアダムは立て直すアダムになりました。最初のアダムは滅びる父になりましたが、二番目のアダム、イエス様は救ってくれる父になったのです。
統一教会で「子女の日」を決定したというのは、アダムとエバが蒔いた罪悪の種を取り除いてしまい、人類を悪から解放する起源をつくったという意味です。これまで人間が「子女の日」を立てることができなかったので、万物も解放を受けられずに嘆息圏内にあり、神様も嘆息圏内にとどまっていらっしゃいました。「子女の日」を迎えられないことにより「万物の日」も探し出せず、万物が栄光の場に進むことができませんでした。それで万物の前に怨恨が残されたのです。また、神様が喜ばれる栄光の日を迎えられませんでした。そのようになったすべての原因は、「子女の日」を立てられなかったことにあるのです。
堕落した人間にとって、名節の中の一番大きい名節は、「父母の日」よりも「子女の日」です。その日は、父母の権限を再び探し出す日であり、六千年間、人類歴史を蹂躙してきたサタンを追い払い、勝利の旗を掲げて現れる日です。堕落した人間は、その日を迎えてこそ天の国に入ることができ、天の父母に侍ることができます。統一教会の教会員でも、教会員同士だけで行っては、天の父母に侍ることができないのです。橋を架けて侍らなければなりません。ですから、男性も女性も、霊界に行っている人々に橋を架けてあげなければならないのです。この日は、統一教会の教会員だけでなく、これから世界万民が永遠に守るべき日です。堕落した人間にとって最も福のある日が、「子女の日」です。
真の万物の日
「万物の日」は、万物を解怨成就させる日です。万物を解怨成就させられる人間の資格は、堕落する前のアダムとエバの立場でなければなりません。本来、万物は、真の父母の愛を中心として主管を受けるのが天理原則です。真の父母の愛がなければ、「子女の日」もあり得ないのです。子女が真の父母の愛を通してのみ出てくるように、「万物の日」も真の父母の愛を通してのみ出てくるのです。それでは、「万物の日」を迎えられる資格をもつ人は、どのような位置にいるべきでしょうか。堕落していないアダムとエバ以上の位置に立っていなければなりません。そして、その位置は、父母の愛を通してのみ形成されるのです。アダムとエバの堕落によって因縁が結ばれた位置で生まれてみると、私たちは、願わなかったサタンの主管圏内で生きるようになっていたのです。
「万物の日」によって万物世界が解怨され、「子女の日」によって歴史的な解怨が韓国を中心に広がりました。また「父母の日」によって歴史的な解怨が韓国を中心として広がったので、地球上でサタンが神様の勢力を追い出すことのできない、強固な土台が築かれたのです。これにより、地上摂理の出発がしっかりと固まって、サタンを防ぐ障壁として大きくなっていかなければなりません。ここでは、天の側の人々が多ければ多いほど、大きくなっていくのです。天の側の力と基準が大きくなれば天の側が勝利し、天国が成し遂げられるのです。先生は、このような観点から見つめています。そのため、一九六三年に「万物の日」を策定したのです。
本来、万物は、人間のために造られたので、人間によって主管されなければなりませんでした。しかし、人間の先祖アダムとエバが堕落することにより、万物は今まで人間の主管を受けられず、サタンに主管されてきたのです。神様が万物と関係を結べなかったのです。人間の先祖が堕落することによって、万物までもサタンの主管圏内に入ったので、この地上で万物圏まで侵害しているサタンの権限を取り除かなければ、万物が本然の位置に帰ることはできません。人間が万物を嘆息圏内に追い込んだので、万物を解放させる責任も人間にあるのです。
「万物の日」が設定されるためには、どのようにすべきでしょうか。人間の先祖の堕落によって万物がサタン圏内に入ったので、その万物を復帰するためには、人類の真の先祖が顕現しなければなりません。その次に、神様が子女の関係を中心としてアダムに祝福された主管性が復帰されなければなりません。父母と子女を中心として横的に連結させ、全被造世界を主管できる基準を立てなければなりません。それで、統一教会では「父母の日」を中心として「子女の日」を立て、そこから再び「万物の日」を立てたのです。この「万物の日」は、ある一個人だけが記念する日として残されてはいけないのです。
私たちは、「父母の日」を迎え、「子女の日」を迎えました。しかし、父母と子女だけがいるのでは、完全な復帰になりません。神様が人間を祝福されるとき、「生めよ、ふえよ、すべての被造万物を主管せよ」と言われたので、父母と繁殖した子女がいれば、彼らの前に主管を受けられる万物がなければなりません。ですから、私たちは、この「万物の日」を迎えるとともに、家庭を中心として万物をまず天と連結させて真の家庭を築き、万物と完全に一つになったあとにこそ、自分自身を天と連結させることができるのです。
私たちが「万物の日」を迎えると同時に、いつでも考えなければならないことは、私たちが「神の日」を立てることは立てましたが、いまだに万物を神様が主管できる位置に連結できていないということです。したがって今日、被造世界の万物は、誰それの物として残されてはいけません。「真の父母」の名を経て神様の物になるときまで、復帰の段階を経ていかなければならないのです。
天宙統一国開天日
きょうは、大韓民国の開天節ですが、四千三百二十一年目となる年(一九八八年)です。それで、きょうを「統一国開天節」と定めるのです。兄弟に侍ってこのようになれば、願いをかなえたということです。皆さんは、願いをすべてかなえました。堕落した人々の願いは何でしょうか。神様がいないと思ったのに、真の神様を知りました。神様を知り、神様をプレゼントとして与え、真の父母をプレゼントとして与え、真の夫と真の妻をプレゼントとして与え、真の息子、娘をもたせてあげ、その次に、真の氏族まで編成しなさいと、すべて与えたのです。真の国までつくるようにすべて成し遂げたので、今や真の世界しか残っていません。それで、きょうを真の世界統一国家出帆日と定めるのです。これは、世界万国の開天節の起源になるでしょう。
ソウルオリンピックを中心として、名実共に天理の度数を合わせる外形的なすべての規格を備えました。四位基台です。今年は、檀紀四三二一年です。この二十一数というのは、途方もない事実です。韓国において、きょうが開天節ですが、開天節というのは天が開くときという意味です。建国日といえばいいのに、なぜ開天節と言うのですか。「開」の字と「天」の字です。「天が開かれる節気」だというのです。ですから、天が開かれる節気であるこのときに乗って、国家的に開かれた個人的な門を、世界的な門まで開いてこそ、韓国の運勢は世界に向かって、内外に転がっていくのです。それで、きょうは「世界統一国開天日」です。世界統一国、統一世界、「世界統一国開天日」を宣布できるすべての摂理観的な内容を通した理論において、一致点が内外に、前後左右にぴったりと的中するのです。またこの日は、理論的にも体恤的にも、統一教会の歴史の観点において一致するため、この日を掲げて私たちの希望の日が開門するという言葉に代えても、異議がありません。ですから、世界統一天国です。世界統一国が地上天国です。地上天国開天日です。
旧約時代までは物質の犠牲時代であり、その次に、新約時代は子女の犠牲時代です。成約時代は、父母様の犠牲時代です。父母様がすべて犠牲になってきたのです。先生は、愛の十字架を背負ってきました。愛の哲学をすべて知りながら、それを夢の世界のものとして願ってきたのです。ところが、その世界に進む道を、サタンはあらゆることをして塞ぎました。橋を架けられないように、ありとあらゆることをして妨げたにもかかわらず、千辛万苦の末に、天の協助と先生のみ旨のための忠情の道によって、今日、世界的なすべての蕩減基準を中心として、「統一国開天日」を宣布できるようになったということ、これ以上に喜ばしい知らせはありません。
統一所有権を確定してこそ、心情的基準の前に一致した統一世界となり、神様の所有権に帰ったその位置でのみ、統一世界、天地の真の父母様を中心とした一つの世界に前進できるのです。このような基盤のもとで、所有権を必ず神様の所有権に返さなければなりません。父母が反対しても、すべてのものを天のみ前に捧げられる良い時が来たので、これを統一教会の誰もが、伝統的思想として受け入れなければなりません。そのような環境で一族が伝統的思想として受け入れるとき、一族の解放が完全に広がるのです。そのようにすることによって、皆さんは、地上のアダムとエバの位置に行きます。天上世界のすべての先祖は天使長の立場に立ち、皆さんが先祖のようになるのです。息子、娘を生んで暮らし、何千代の祖父母になり、同時に何千代の子孫になるのです。そうして、天国開門の役事が起こるというのです。
七・一節(神様祝福永遠宣布の日)
きょうは「七・一節」です。「七・一節」は「神様祝福永遠宣布の日」です。人間が生まれたあと、神様から約束の祝福を受けたその祝福は、今まで成就されないで延長されてきました。救援摂理を通して、ある一時に神様のその祝福が成就されることを願ってきたのが、人類歴史を通した神様の願いでした。それがある一時に成就されなければ、人類の幸福、神様の理想世界は実現できないのです。そのため、神様が祝福したことを再び生かし、永遠の祝福として立てておかなければ、永遠の人類の理想世界は訪ねてこないのです。ですから、誰かがこれをなさなければなりません。「誰か」というその方は、「誰でも」ではありません。神様が選んだ、堕落していない本然的な完成したアダム理想を成就する方が来てこそ、これが可能なのです。すなわち真の父母の顕現とともに、そのようなことが可能だという結論を下せるのです。
神様の永遠の祝福が成就していないのは、何のためでしょうか。人類の偽りの父母が生じることによって、祝福を成就できなかったからです。それを蕩減復帰するためには、人類の真の父母が現れ、このすべてのものを清算できる立場に立って、「永遠の神様の祝福が、万歳(マンセ)を叫べる立場に立ちました」と宣布しておかなければなりません。そのようにしなければ、そのもとにいるすべての子女と氏族、国家、世界は、再び堂々たる立場で神様のみ前に立つことはできません。そのため、永遠の祝福を再び宣布するのです。それが「七・一節」です。
一九九二年を前にして、先生は、一九四五年から一九五二年までの七年間になすべきだったことを、四十年の再蕩減路程で受難の道に立つことによってすべて清算し、一九九一年に「七・一節」を宣布しました。これを通してお母様を世界的な母として、お母様の息子、娘を世界的な息子、娘として立てる時代が来るのです。それが「七・一節」です。第一次イスラエル選民圏を失い、第二次イスラエル選民圏であるキリスト教を失いました。その失ったものをすべて蕩減復帰しなければなりません。再び家庭を編成して、天の側の家庭と天の側の氏族と天の側の民族と天の側の国家まで取り戻してこなければならないというのです。サタン世界の国家基準まで、天の側が出てこなければなりません。
人間が堕落することによって、神様の三大祝福を失ってしまいました。この復帰過程において、実体が現れる前に、これを再開させて宣布しなければなりません。それが「七・一節」です。一九九一年を越えながら、来たるべき一九九二年を中心として、真の父母宣布と共に歴史的な転換時期を見つめながら、これを聖書歴史の中のすべてを清算しておいたのです。すべてきれいに清算しておいたというのです。神様が初めて、人間に対して最初に下さったみ言が三大祝福なので、神様のみ言のための出発の基準まできれいに清算して、投入した基準を越えた位置に立ち、真の父母宣布と共に成約時代を発表しなければなりません。ですから、全体のプログラムを摂理してきたのは、この時のためだというのです。
きょう「七・一節」の行事において、永遠の祝福を再び約束するのです。これからは堕落がないという意味です。今までアダムとエバの時代には堕落がありましたが、これからは堕落してはいけません。歴史時代に永遠の祝福の約束を宣布することによって、堕落することができないというのです。アダムとエバは、幼子として育ち、長成基準まで上がっていかなければなりません。完成するときまでは上がっていかなければなりませんが、これは、どこまでも原理結果主管圏内においてアダムとエバが行くべき五パーセントの責任です。神様と霊肉が一つになり、愛によって連結されるときは、内外が直接関係に入るので、思いどおりにできるのです。その前までは、これが散らばっています。一つになっていなかったというのです。今や一つになった基盤の上で真の父母を宣布し、成約時代を宣布したので、家庭においては原理結果主管圏と直接主管圏が統一されています。直接主管圏と原理結果主管圏を神様が直接干渉できる時代に来たというのです。
きょうは「七・一節」です。七月一日というのは、七数として七年の禧年(すべてのものが元の位置に戻る、喜びの日)に該当するのです。歴史的な解放の時代に入りました。歴史において最も哀れに拘束されている人が女性なので、女性解放という一声とともに、天下の女性を中心として統合するための「世界平和女性連合」を創設したのです。それを誰が主導していますか。お母様が主導するのです。代表はお母様です。有り難いことは、「七・一節」ができることによって、お母様が現れたということです。それで氏族的メシヤを派遣し、金日成主席と対決して金日成主席を屈服させ、その後、韓国に帰ってきて初めて先生が有名になったのです。
有史以来、世界版図をすべて制圧し、アダム家庭において「生めよ、ふえよ、地に満ちて天地を主管せよ」という祝福を成就できなかったことを、初めて世界の頂上の位置で神様の祝福を再開させ、永遠の祝福勝利を宣布したのです。その宣布の基盤の上に、お母様も初めて顔を天下に現したのです。先生が四十年、五十年なしてきたことを、お母様は九ヶ月間で同じ位置に上がってきました。今や先生を中心としてお母様が絶対服従し、一つになった基準でお母様を立てて女性解放を宣布することによって、初めて地上に男性と女性が神様の真の愛を中心として、完成した歴史的な標準の前に一体化するのです。そうして、全世界を越えて勝利的覇権を立てるのです。国家と世界が反対するすべての環境を踏み越え、永遠の神様の勝利的祝福を宣布できるということは、驚くべき事実です。
七・八節(天地父母天宙安息圏宣布の日)
陰暦で一九九七年七月七日七時七分七秒を中心として、三百六十万双家庭祝福を中心とした「真の父母様を誇り、愛することは、三百六十万双祝福完遂」という今年の標語のすべてのことを成就しました。ここに立っている真の父母をこの地に送られ、つらい歴史時代においてあなたの心情が分からなかった人間たちに、あなたの心情を吐露することができ、内的な事情を教育できるようになりました。青少年時代のアダムとエバを失うことによって家庭が破綻に至りました。十六歳以降にサタンの陰謀を通して、神様の血族を受け継ぐべきアダムとエバがサタンの血族に連結されることによって、悲しみの歴史を残しました。残された天使長圏の血統、サタンの血統を清算し、あなたが天の国に新しい歴史を立てるために宗教圏を立てたことを考えるとき、今まで個人救援摂理を展開してきたのは、天使長圏から長子を探し出すための歴史でした。その上に、旧約時代、新約時代、成約時代を経て、選民圏の上にメシヤ、世界的な救済の再臨時代を迎えさせ、アダムによってゆがめられた青少年倫理と家庭の破綻を世界的途上で整理すべき、途方もない時代を迎えたのです。
天の国が空いています。アダム家庭もなく、歴代のすべての先祖が誰もいなかったのですが、真の父母が世界的な先祖を完成し、再び一代、二代と編成し、空いていた天国を一度に満たすのです。これによって一八〇度ひっくり返せば、サタンはいなくなるので、自由解放天国において神様が思いどおりに活動できるのです。個人から世界の果て、天上世界、天の果てまで行ったり来たりするのに何の支障もない解放圏を宣布した日が、「七・八節」です。「天地父母天宙安息圏宣布の日」です。
一九九七年八月九日は「天地父母天宙安息圏宣布の日」です。天地父母の「天」は父を象徴するのです。父としての天は無限です。父は無限です。父はそのように気高く偉大な威厳をもたなければなりません。そのような父親になるべきだというのです。そして、母親は情にあふれ、細やかでなければなりません。ですから、父親の懐は、母親や息子、娘が家を建てたとしても、余裕があるほど大きくなければなりません。真の愛だけが無事通過です。私たちが天国に行くときにも関門がありますが、そこを通過するとき、真の愛の証票さえ見せれば無事通過です。
家庭を探し出すことによって、その上に氏族圏を編成することができ、氏族を編成することによって民族を編成することができ、民族を編成することによって国家を編成することができ、国家を編成することによって、その上に世界、地上、天上天国編成の自由圏内に越えていくのです。世界が反対できない超国家、超民族、超宗派の基準を中心として、越えていくことができる祝福をしたので、サタン世界は門を閉じ、これを歓迎しなければならないのです。これを収拾できる方は真の父母しかいません。それで、本然的神様の伝統に従って個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界完成、地上天国、天上天国の完成を決意できる時代が来たのです。これを実践躬行するときが目前に到達したので、そのような基準においては、サタンの反対があり得ないのです。この道を行くために、自由の環境で勝利の覇権を実践できる基盤を築いたので、この基盤の上に「天地父母天宙安息圏宣布」を完成しなければなりません。
私たちの理想家庭は、神様の安息所を訪ねていく家です。「私」個人の家から出発しなければなりません。その次に、夫婦の家です。「私」個人の安息所にも神様がいらっしゃることができ、妻の家にも神様がいらっしゃることができるのですが、より大きな愛を中心として、夫婦の家に訪ねてくるというのです。伝統も異なり、人格も異なり、主張も異なり、すべての姿も異なるのです。一八〇度異なる形が一つに結ばれる統一的夫婦形態を中心とするその安息所を、神様が訪ねてこられるのです。その神様に家庭で侍らなければなりません。神様の家庭的夫婦安息所をつくらなければならないというのです。無形の神様が入ってきて、愛を中心とする主体として心のようになり、アダムとエバは実体の体のようになって、体と心の統一を成し遂げた基準を、体と心が一つになった愛の安息所を連結させなければなりません。男性と女性のその基盤の上に、夫婦の安息所が展開することによって、家庭に神様の休む場所が生じるようになるのです。
安息所を探さなければなりません。個人の安息の家、夫婦の安息の家を探さなければならないのです。夫婦を中心として息子、娘を生めば、息子、娘と主体と対象の関係で安息の家になるのです。これが最も重要です。家庭でこれが蘇生、長成、完成をするという意味になるのです。ですから、あなたがいなくても、「私」がいなくても、神様が休む場所をつくることができないのです。千年、万年、神様が完成することができないというのです。それで、千々万々年一つになって、神様に侍ることのできる孝女となり、孝子にならなければなりません。この孝女、孝子を迎えられなかった神様の恨がどれほど大きかったかということを知り、その心の根まで私たち夫婦を通して拭ってしまわなければなりません。「永遠に私と共に暮らすことができ、神様を父として侍ることのできる土台をつくろう」と言わなければなりません。その次にはどこに行くのでしょうか。家庭的安息所を探しにいこうというのです。それで、蘇生、長成、完成の完成した家となるのです。息子の家にも神様が永遠にいて、夫婦の家にも神様が永遠にいて、個人の家にも神様が永遠にいるので、その家庭全体は、神様の愛の中で永遠に存続するのです。それで、ここから地上天国、天上天国の起源になる家庭の出発ができるというのです。