天聖経訓読室

第2節 主要記念日

この節の音声は準備中です。
1

イエス様は家庭を探しましたが、探し出せずに十字架で亡くなりました。イエス様は「私は新郎であり、あなたたちは新婦だ」という立場で語られながら、再び訪ねてこなければならない家庭理想を残し、十字架で亡くなりました。そのため、その方が再びよみがえる再臨の日を求めてきたのが、二千年のキリスト教の受難の道です。イエス様は、準備された新婦を探し出さなければなりません。それでこそ、家庭を中心として成し遂げようとする三つの愛の目的を結論づけることができるのです。その場がヨハネの黙示録に預言された小羊の婚宴です。人間始祖が堕落したので、人類は、偽りの父母、偽りの先祖に侍りました。神様のみ旨に一致した真の父母が現れなかったのです。神様は、アルファであり、オメガなので、最初に構想したことを最後に、創世記で失敗したことをヨハネの黙示録で合わせようとするのです。

真の父母様の御聖婚

2

一九六〇年に行われた先生の聖婚式の背後には、アダム以降、イエス様のときまで四千年、イエス様から今日に至るまで二千年の歴史過程で引っ掛かったすべてのものを、蕩減条件を立てて解決しなければならない内容がありました。その行事は、世界的で天宙的な意味をもっているにもかかわらず、現実的には少数の人々によって行われたのであり、それに対する迫害は想像できないほど大きかったのです。それを準備するための一九五三年から一九六〇年までの期間は、迫害の時期でした。

3

統一教会の群れを集めて、一九六〇年には、全国に少なくても百二十ヵ所以上の教会の基盤を築きました。それは、世界百二十カ国を代表しています。その基盤を築いたのち、そこにおいて、いくら国家的な試練を受けても倒れず、滅びない基盤を築いてきたのです。そのような基盤のもとで、一九六〇年に新しい聖婚式をしました。そうして、一つの統一氏族を編成したその基盤を中心として、民族的使命を完遂し、このような祝福の日を立てたのです。それは歴史的起点です。

4

聖婚式は、一個人のものではありません。世界史的なものです。このような世界史的な神様の摂理に対して、このような心情的起源を総合した場で、誰よりも愛する一つの家庭的起源を宣布するというとき、その家庭的起源を中心として、天倫と天地の運勢は動かざるを得ないのです。

5

統一教会は、一九六〇年に家庭という基盤をもったので、滅びません。家庭基盤をもてなければ滅びるのです。一九六〇年の先生の聖婚式が、どれほど歴史的な事件だったでしょうか!今まで六千年の摂理歴史時代において、アダム一人を探し出すために苦労されたその基盤の上に、アダムが地上に基準を築き、エバを完成したエバとして迎え入れられるということは、霊界と肉界に分かれたものが、初めて地上世界で連結されるということです。男性は天の代身であり、女性は地の代身です。分かれた霊界と肉界が連結されるのです。アダムとエバが怨讐だったその塀が崩れるのです。アダムとエバと神様が出会えなかったこの塀が崩れるのです。サタンが抜け出していくというのです。

6

お母様になるためには、三代が一人で暮らさなければなりません。お母様は、幼いときも誰の援助も受けずに独り育った一人娘でした。そのような一人娘にしたのは、サタンの血統を残さないためです。そして、お母様の母親も一人娘であり、その母親も一人娘です。三代が巻き込まれていくのです。それで、お母様は三大受難を受けました。祖母と母親は信仰に夢中になって歩き回ったので、おむつをきちんと替えてあげ、御飯をしっかり食べさせてくれたでしょうか。人間世界の情を知らず、天上の道理を受け継がせるために、一片丹心、身と骨が溶けるのも意に介さず、神様のみ前に絶対服従し、絶対従順する道を歩んだのです。

7

み旨がなければ、先生は、お母様と出会うことはできません。み旨がそのようになっているので、出会ったのです。お母様になる人は、二十代を超えてはいけません。本来は十八歳を超えてはいけないのです。十八歳を一日でも過ぎてはいけません。エバが十六歳で堕落したので、三年を経て、十九歳まで連結されるのです。

8

お母様自身が、愛を中心として羊のように従順でなければなりません。すべての面で絶対従順できる条件を探さなければなりません。そうして、全面的に夫のために犠牲にならなければなりません。夫を愛するとき、絶対的でなければなりません。「私の父にも劣る。私のお兄さんにも劣る」という比較の基準を置いてはいけません。なぜでしょうか。エデンの園で、エバは男性というものを目にすることができませんでした。男性に対して他の考えをもつ余地がなかったのです。

9

お母様を選ぶときには、すべての条件が合わなければなりません。前後に合わなければならず、左右に合わなければならず、上下に合わなければなりません。第一の条件とは何かといえば、どのような血統をもって生まれたかということです。サタン世界において讒訴を受ける血統の因縁をもって生まれたのか、それともそれを越える血統の内容をもって生まれたのかが重要です。

10

お母様を見れば、非常に端正です。お母様が慎ましくじっとしているときは、誰にも負けない、尊敬する内的な性稟をもっているのです。そのため、西洋人も、「東洋の女性美があのようなものであるなら、自分も東洋の女性と結婚したい」と言えるように教育させるのです。西洋の男性の中には、「東洋の女性はお母様のような人だろうから、結婚の対象を東洋の女性に決めた」という人がたくさんいるのです。そのような面で、東洋の女性像を世界の食口に教えてあげることに、偉大な功績を積んだお母様であると考えられます。そのような意味で、お母様としての資格は十分だというのです。

11

解放直後の七年と七年で、満十四年を過ごしてから聖婚式をしたのです。蘇生旧約時代、長成新約時代の基準を越えて、アダムとエバが長成期完成級で結婚するようになっていたので、蘇生、長成の各七年期間を越えていき、連結できる位置に進まなければなりません。完成期蘇生級を国家基準を越えなければならないのです。

世界基督教統一神霊協会創立日

12

統一教会は、歴史的な関係に従って、「基督教」という名称をつけました。神様は、統一教会の神様としてのみ存在することを願わず、キリスト教の神様としてのみ存在することも願いません。統一教会は、統一教会だけのためにできたのではなく、キリスト教もキリスト教だけのためにあるのではありません。この二つは共同目的を中心として縁と関係を結び、より大きな世界的一念を中心として進んでいかなければなりません。

13

世界基督教統一神霊協会は、神霊によって統一するのですが、父子関係の神霊によって統一するというのです。愛を中心とした霊的世界と人間世界を調和させるものを神霊と言います。神霊は、目の見えない人の目が開くことが問題ではありません。塞がっていた耳が開くことが問題ではありません。神様は、それを必要としません。聖書にも、「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」(ヨハネ四・二四)とありますが、それは何の真理でしょうか。愛の真理です。その愛の最高の真理とは何でしょうか。父と息子、娘のことを言うのです。神様は、お金や権力、知識が必要なのではありません。愛が必要なのです。

14

統一は、二つが一つになることです。「統」の字は、従える「統」の字です。主体性があるのです。連合ではありません。統一です。統一はどこまでも主体性をもっているのです。統一教会は、連合教会ではありません。統一教会です。主体性をもっているということです。その主体の根源はどこでしょうか。永遠に残るべき絶対的な神の心情の起源から出発したのです。

15

先生は、教派をつくろうとはしませんでした。名前を「世界基督教統一神霊協会」と言うのですが、教派をつくろうとはしなかったのです。教派を超越した超教派的な面において運動をしようとしたのですが、できなかったというのです。それで、仕方なく統一教会をつくったのです。

16

受難と試練の中で統一教会が創立されたというのは、ある意味では、天の全体的なみ旨を中心として見るとき、悲しいことですが、私たちが歴史的伝統を回想するとき、そのように困難な環境で創立されたことが、より印象的なのです。統一教会は、皆が歓迎する立場で創立されたのではなく、寂しい立場で何人かが集まり、涙とともにこの日を宣布したのです。このように悲しい事情がありましたが、それがかえって歴史上において追憶の中心になりました。往々にして人々は良いものを願いますが、良いものだけが良いのではありません。良いものは日常的に過ぎ去っていくことがありますが、その良いものを探し出すために困難を克服した歴史は、いつでも良いものを迎えることのできる、新しい日の約束を刺激する力の母体として残されるというのです。

17

統一教会とは、どのような教団でしょうか。反対していたキリスト教の代わりに、その前に新しいアベル的宗教の形態として登場したのが統一教会です。言い換えれば、反対するキリスト教によってみ旨を成し遂げられないため、そのキリスト教を身代わりして復帰してきたのが統一教会です。キリスト教がカインであれば、統一教会はアベルの立場です。私たちがアベル教団だとすれば、何から復帰してアベルにしないといけないのでしょうか。キリスト教から復帰しなければなりません。これは、カインを復帰する原則と同じです。

18

世界基督教統一神霊協会を創設することになった動機は、人意、すなわち人による志よりも、神意、すなわち神様によるみ旨があって出発したのです。この社会や歴史は、人意だけで構成されていくのではありません。ここには、必ず神意を中心とする大いなるみ旨を中心として、一つの目的を指向してきているのです。そのような意味で、人の志だけで協会が創立されては、歴史の流れや、これから来たる新しい世界に貢献できないということを考え、神意に立脚した新しい宗教を創設したのです。人意と神意が合わさることのできる一つの組織体が宗教であると考えたので、宗教は必ず、神意を中心として人類全体が願う人意的なすべてのものを結束しなければならないと考えたのです。

19

統一教会が神様によって始まったとすれば、この統一教会が経ていくべき道は、多くの道ではありません。出発も一つであり、行くべき道の方向も一つであり、帰着すべき目的地も必ず一つに違いないのです。神様から始まったので、行く道も「私」自ら行くことはできません。神様が動機になっているので、その動機に従って私たちが集合したので、その動機と一つになって、一つの方向を経ていく途上に立っているのです。その方向は、どこまでも私たちが自ら思いどおりにできるものではありません。

20

統一教会は、宗教の中で、最も長い歴史をもっていると見ることができます。最も長い歴史をもっているというのは、神様の愛の歴史を中心として、誰も知らない世界まで発掘したということです。愛の世界は、時間と空間を超越します。歴史はそこから出発し、過程ではそこを慕いながら行き、終着点であるそこを顕現させて、生活舞台で受け継ぐために行くのです。したがって、それは過去にもなければならず、現在にもなければならず、未来にもなければならないのです。

21

これから統一教会の名前を、「世界平和統一家庭連合」という名称に変更して使用します。「世界平和統一家庭連合」が中心となって先頭に立っていくのです。今までは、統一教会が先頭に立ちましたが、これからは家庭連合が先頭に立ち、統一教会は徐々になくなっていく時が来るのです。統一教会の「世界基督教統一」という言葉はなくなるのです。キリスト教が責任を果たせませんでした。それで、その次元を超えて、キリスト教の祝福が万民にすべて委譲される時代に入っていくというのです。「世界基督教統一神霊協会」の神霊も、結局、真の父母様を中心として地上に家庭的メシヤの基準が定着するときには終わるのです。神霊の実体をこの地上に侍って暮らすべき人々が真の父母の継承者たちなので、その真の父母は、霊的完成と地上完成を代表した家庭の出発から、国家出発、世界出発、天宙出発を身代わりできる一つのモデル的な基台になるのです。そのため、「世界基督教統一神霊協会」時代は過ぎ去っていくというのです。

22

今日、団体の集まりは、一つの家庭を中心として結束できる代表的な核です。「女性連合」は母親の立場です。その次に、「青年連合」はカインの立場です。そして、「学生連合」はアベルの立場です。エバと共にこの三つが一つにならなければなりません。これから団体活動をするときは、すべて別々にするのではなく、一つになってしなければなりません。今までは、縦的な時代であり、サタンが上から反対するので、仕方なく縦的な関係を結びながら、横的関係は結びませんでした。先生は、多くの団体をつくりましたが、これは、世界的基準まで縦的蕩減を越えるためのものでした。今や縦的蕩減を終結させるときになったので、横的に展開できるのです。それで、すべての団体は、「世界平和統一家庭連合」に結束するのです。家庭が着地しなければなりません。そうでなければ、蕩減復帰になりません。公式になっているのです。

23

神様を中心として、真の愛の血統を受け継いでいたならば、真の生命、真の血統と真の良心をもった「真の私」になったでしょう。堕落によって「偽りの私」になったので、体と心が闘っているのです。今や本然的アダム家庭の世界型版図に加入すべき時代に入ったので、全世界の人々が家庭を中心として完成しなければなりません。完成すべきものは何でしょうか。堕落した家庭を蕩減復帰した家庭にしなければならないのですが、これは、「世界平和統一家庭連合」を通して、世界的に各自が努力して備えなければなりません。完成は、アダムとエバがしなければならないのです。神様がしてくれるのではありません。真の父母がしてくれるのではありません。これができることによって「家庭連合」が形成されるのです。これは、世界的な組織です。堕落した世界のアダムの血統を越えるのです。山を越え、坂道を越えるように、復帰過程を上がっていって失敗すれば、いつでもこれを繰り返すのです。何百万年、何千万年、繰り返すのです。

入監・出監日と愛勝日

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先生は、監獄に入って頭をそられるとき、神様のみ前に祈りました。「私が願って頭をそるのではなく、怨讐の手に引かれていって、無理やり頭をそられるのです」と言ったのです。そのとき、先生の目がどれほど鋭く光ったか分かりません。落ちていく髪の毛を見ながら、私が願った幸福を捨て、さらには怨讐の前で頭をそられることが悲痛でした。復帰の事情を綴っていく路程では、そのすべての逆境が残念で悲しいことです。しかし、過ぎてみれば、神様が私を記憶してくださったがゆえに、それに勝つことができたというのです。何日間も拷問を受け、むち打たれて倒れる場においても同じでした。私がむちを打たれるのは、私のためではなく民族のためであり、私が流す涙は、この民族の痛みを身代わりした蕩減の涙でした。先生は、すべての行路において、神様をつかんで身もだえしながら、神様の同情を受けるときまで、この蕩減路程の道を行かなければなりませんでした。私独り、この道を越えてきたのです。

25

拷問を受けて倒れる瞬間が、神様の声を開ける瞬間であり、息絶えるかどうかという場が、神様と出会える場なのです。統一教会のこの真理が出てくるまでには、皆さんの知らない深い背後があり、谷間があり、洞穴を通ってきたという事実を、皆さんは、考えることもできないでしょう。私は、「どうやってここまで来たのだろうか」と言うほどの立場だったことを知っています。先生は、監獄生活をしたことを、少しも悲しく思いません。「私が福を受けられる、天が私に財産を残してくれるための良い方法だった」と考えるのです。

26

服を脱げば、この道に歩み出たあとにできた傷跡が何カ所もあります。それを見つめるとき、この傷跡は人類と天が先生に与えた勲章だと考えるのです。それを見ながら「お前は、そのときに決意したことを、死ぬまで生命を懸けて行くと言ったその誓いを忘れたのか」と何度も誓うのです。悲惨です。これがなくなっていないのに、私が消えるわけにはいかないというのです。これを見るたびに、朝、昼、夕にそれを見つめながら誓うのです。「勝利しろ、この傷跡をもったお前は勝利しなければならない!」と激励するのです。

27

先生が興南監獄で労働するとき、冬の寒い時期に素手でアンモニアの肥料袋を運びました。肉が裂けて骨が見えるほどになり、血が出ているにもかかわらず、毎日のようにアンモニアの肥料を運びました。普通の綿の作業服では、一週間以内にすべてこすれて破れてしまいます。そのような所で半年だけでも働けば、体の細胞が死んで、つねれば水が出てくるのです。しかし、これは、問題にもならないというのです。自問自答して、「これが大変というなら、これ以上のときには天に背き、天の裏切り者になってしまうではないか!」と言うのです。

28

興南監獄で肥料を袋に入れる作業に動員されて働くとき、御飯が配給されれば、おなかがすいているので、御飯茶碗を受け取るやいなや、無意識のうちに御飯を口の中に放り込むのです。自分が御飯をもぐもぐかみながら、二つの目は他の人の御飯茶碗に釘づけになります。御飯を配り終える前に、すべて食べてしまうのです。それで、自分が食べたことも忘れてしまい、他の人が御飯をもらっているのを見て、自分の茶碗が空っぽであることに気づくのです。そうして、「お前がおれの御飯を食べただろう」と言いながら、時々横の人と争うのです。御飯を自分の口の中に放り込んで、喉が詰まって死ぬ人も多くいました。一人の囚人が、御飯をすべてのみ込む前に死ぬと、他の人たちがその死人の口からも御飯粒を取り出して食べようと争うのです。

29

先生は、精神力の重要性を知りました。それで、先生は、特別な決心をしました。食事を半分にしても生きることができると、心に確信をもちました。それで、その翌日から先生は、他の人々に先生の食事の半分を分け与え始めたのです。それを三週間続けました。食事を半分だけにしても、作業量を完遂できると確信しました。そして、三週間が過ぎてからは、先生の食事をすべて食べるようにしました。そのときから先生は、先生の食事はもともと半分で、もう半分は神様によって与えられた贈り物だと考えて食べたのです。

30

先生は、今まで監獄生活など、ありとあらゆる経験をすべてしました。今、過ぎてみれば、神様が有り難いのです。結局、先生一人を育てるために、神様がそのように苦労なさったということです。今まで経てきたその過程は、絶対に先生にとってマイナスになりませんでした。かえって、得たものが多かったのです。おなかがすくときの御飯一粒がどれほど貴いのか、今でも気が引き締まるのです。御飯一粒がそれほどまでに全神経を刺激できることを感じ、それに対する無限の価値を感じることができたのです。おなかがすいて御飯を慕いながらも、それを忘れようと努力しながら、神様をより慕おうと涙を流しました。また、かわいそうな人々を見れば、人知れず涙を流し、彼らのために祈りました。このような心には、神様が共にいらっしゃるのです。先生は、今もそのときが懐かしいのです。

31

興南監獄にいるとき、先生に良い服があれば、食口から良いパジやチョゴリが差し入れられれば、一番かわいそうな人のところに持っていって着せてあげました。そこでは、袋に肥料を入れて縄で縛る作業をするので、手のあちこちが裂け、血が出るほどでした。そのような手で、先生は、テントの布を外して服を作りました。ズボンを作り、囚人の中で、誰も面会に来なくて着る服がない人にあげました。それは、どれほど手間がかかるでしょうか。そのようにすれば、彼らは喜びます。自分の父母が買ってくれるより、もっと喜ぶのを目にすることができました。先生は、服がすべて破れて、風が吹けばお尻が見える服を来て歩いても、監獄にいる人の中でそのような人がいれば、私の服を持っていってその人にあげたのです。

32

先生は、共産党が監獄に入れてありとあらゆることをしても、神様を最後まで愛しました。神様を信じるのですが、絶対的に信じるのです。私が約束したならば、私が約束したことは絶対的であり、その方が私に命令すれば、それを絶対的なものと考えるというのです。難しいか易しいかは問題になりません。監獄でも、孝子は孝子の務めを果たさなければなりません。忠臣は忠臣の務めを、監獄に入っても果たすべきなのです。

33

六・二五動乱のとき、国連軍が一番先に北朝鮮に上睦した所が興南でした。それは、神様が急いで救わなければならない息子がそこにいたからです。共産党は、その前々日、監房にいる人たちを、「御飯をあげる」と言っておびき出し、連れていきました。この人たちは、処刑するためにそのようにしていることも知らず、御飯をくれると言うので、それを食べようと思って先を争って行こうとしました。先生は、既にそれが分かっていました。「他の人たちは死んだとしても、私は死なない。どのような惨事の悲運が通過していく場においても、銃殺されて倒れる場においても、私は決して死なず、生き残ってみせる!」と思いました。そのように人々をおびき出して山の中に連れていき、すべて処刑してしまいました。そして、その翌日が、先生の引っ張られていく番でした。ですから、神様は、どれほど急がれたでしょうか。そのような状況で、国連軍が興南に上陸しました。このようにして、先生は、監獄から抜け出すことができました。

34

国連軍が北朝鮮の興南に上陸することによって、先生が監獄から出たそのことが、民主世界が恵沢を受けられる条件になったのです。言い換えれば、国連軍が上陸して監獄の門を開き、先生を救出したので、そこから民主世界が救いを受け、支援を受けられる関係が残されたというのです。もし、先生が監獄でもう三日だけ過ごしていたならば、霊界に行ったでしょう。共産党は、囚人の一次、二次、三次粛清を決めていたのですが、先生は、三次粛清に引っ掛かっていたのです。刑期が七年以上であれば一次、五年以上であれば二次粛清の対象だったのですが、先生は、五年刑を受けて監獄にいました。一次粛清をした日が、正に先生の出獄三日前です。結局、三次粛清を受ける前に、先生は解放されたことになります。先生は、そのようにして、ぎりぎりのところで復帰摂理をしていることを皆さんは、知らなければなりません。

35

一九五四年五月一日に世界基督教統一神霊協会を創設することによって、反対が起こりました。闘いが始まったのです。戦争の真っただ中に登場したのです。そうして、キリスト教、韓国政府、すべてが先生一人に対して闘いを仕掛けてきました。先生一人しかいませんでした。すべてが反対したのです。世界史的な主人公を最後まで反対することによって、そのような問題が生じたのです。ここから全世界の勢力を集めて、先生一人を全世界のサタン世界がたたき潰そうとするのです。そのようにすることによって、将来、サタン世界が滅びざるを得なくなるのです。不可避的にそのようなことが起こります。それで、一九五五年七月四日に事件が起きました。そのとき、「共産党だ何だ」とか言われながら、世の中の悪いものをすべて先生が背負ったのです。先生にすべてのものを頭からかぶせたのです。悪い名前であれば、すべてもってきてくっつけました。そのようにして、ありとあらゆる調査をしたにもかかわらず、何もないので、無罪釈放になったのです。

36

延世大学と梨花女子大学の事件が起こりましたが、そのすべての問題は、教育機関を中心としてキリスト教の最高基準を連結させるためのものでした。反対しましたが、天の側を形成できる条件を備えたので、一世ではなく二世を包摂できるようになりました。なぜ一世はやめたのでしょうか。一世は既に汚されたというのです。韓国でこのみ旨を立てようとするときに反対したので、北朝鮮に行き、再び訪ねてくるまでにサタンが提示する条件を立てた基盤ができたので、一世を中心とするのではなく、必ず二世を中心とした救援摂理を推進させていったのです。

37

梨花女子大学の総長が、「統一教会の内容について調べてきなさい」と言って、宗教社会事業学科の教授を送ったのですが、この方は、原理のみ言を聞き、一週間で統一教会に入ってしまいました。すると、多くの教授が訪ねてくるようになりました。そして、寄宿舎の学生がこの原理のみ言を聞き、皆訪ねてきました。梨花女子大学は当時、アメリカの宣教部から援助を受けている立場だったのですが、名もない統一教会に吸収されるかと思い、危険を感じたのです。そうして、統一教会に入った学生を相手に緊急措置を取ったのですが、それが退学事件です。二者択一をしなさいと言ったのです。「学校を選ぶのか、統一教会の文先生を選ぶのか」と言ったのです。そのような退学事件が起こることによって、先生は、監獄に行くことになりました。

38

梨花女子大学と延世大学の寄宿舎の学生たちに統一教会のブームが起き、何週間かでひっくり返してしまうので、これを放っておけば、数年の内にキリスト教が滅びると考えて、「どのようなことをしてでもたたき潰しなさい」と言ったのです。このようにして、ありとあらゆる怪しいうわさを立て、先生を調査させたのです。調査しても何もないので、のちには兵役忌避という嫌疑をかぶせました。先生は、北朝鮮で監獄生活をして出てきたので、軍隊に行く年齢は過ぎていました。それにもかかわらず、兵役忌避という嫌疑をかぶせて調査したのです。そのような嫌疑をかぶせて調査しても事実ではないので、仕方なく無罪として釈放したのです。

39

当時、自由党の政権が先生にどれほど反対したか分かりません。先生が梨花女子大学を引っ張っていき、延世大学を引っ張っていくというのです。「ああ!宣教部が率いていかなければならないのに、レバレンド・ムーンの話を聞けば、梨花女子大学も延世大学もなすすべなく、根こそぎ引っ張られていく」と言ったのです。そこに大韓民国のすべての教派があれば、その教派が引っ張られていくようになっているというのです。ですから、大騒ぎになったのです。それで、学生を退学させる事件が起きました。

40

先生は、韓国人なので、韓国を中心として摂理の起点を出発しましたが、韓国のキリスト教は、韓国内のキリスト教としてとどまるのではありません。摂理と世界全体を代表したキリスト教の位置にあるのです。そのような立場に立った教会と国が反対すれば、全世界が引っ掛かっていくのです。先生一人をどのように潰すかということが問題でした。そのような問題の複雑な渦中を通し、イエス様が十字架で亡くなったのと同じように、最後にサタン側に引っ張っていく事件まで起きたのです。七・四事件のようなものが、その代表的な例です。

41

国が問題視していることに引っ掛かって倒れれば、問題が大きいというのです。しかし、延世大学と梨花女子大学を中心とした七・四事件によって監獄に入り、無罪釈放となったので、霊肉を中心とした新しい出発ができたのです。しかし、キリスト教と国が反対することによって基盤を失ってしまった立場にいたので、統一教会や先生自体で見れば、どのようになるのでしょうか。もちろん、分立された立場で失ってしまったものをすべて探し出した位置ではありません。今から再び探し出すべき位置だというのです。キリスト教が霊的世界の基盤を築いたので、この霊的基盤を身代わりできる基盤を先生がつくらなければならないのです。キリスト教のような基盤をもたなければなりません。それでこれを再び編成したのが、統一教会です。

42

先生は、ダンベリー刑務所に行きながら、「ダンベリーの向こう側には神様の愛の壁があるが、その愛の壁がどれほど高いか知っているか。どれほど大きいか知っているか」と言いました。そのとき集まった統一教会の教会員は涙を流しましたが、先生は、鼻歌を歌いながら、希望の行脚として、「あす、よみがえって訪ねてくる太陽の光は、さらに輝くだろう」と言いながら入りました。生活環境が一八〇度変わることが、先生にとっては研究の対象です。すべて、愛によって縫い合わせる研究材料にするのです。

43

先生がダンベリーから出てくることによって、今は西欧のキリスト教文明と東洋文明を代表した統一教会文明が位置を替え、次子が長子となり、長子が次子となって入れ替わる、潮流が変化する時になりました。四十年の峠を越えてこれを取り替えなければ、天の摂理が砕けてしまうので、先生は、監獄に行ってでもこのことをなさなければならなかったのです。

44

先生は、監獄でも、九五パーセントを他の人のために生きようとしました。それで、朝早く起きては掃除をし、汚い所をきれいに片づけてから日課を始めるのです。ダンベリーの監獄にいるとき、食堂に行っても休むことなく、何でもしなければならないというのが習慣になり、他の人たちは仕事がなければ居眠りして、ありとあらゆることをするのですが、先生は立って待つのです。習慣がそのようになっているのです。何か仕事があれば、先生がまず行って手伝ってあげます。ですから、その食堂で有名にならざるを得ないのです。

45

先生は、天のみ前に「私を助けてください」という祈りを一度もしませんでした。ダンベリーで先生は、第一に黙って働く人、第二に本を読む人、第三に瞑想をする人、第四に水泳をする人だ、というイメージが残りました。プール場が近いので、時間があれば水泳をしました。ですから、収容されていた人たちはみな、知っていました。そこは話を聞きつけるのが早いのです。先生が過ぎ去ったその足跡には、どこの誰が見ても回想する関係が残されているのです。

46

ダンベリーの壁を通過して生き残り、再び復帰して完成しなければ、天のみ旨に連結されません。中途半端な人に、完成の道は永遠にありません。いくら世界が統一され、先生が教える真理が世界の真理だとしても、大きな傷ばかりを負うことになるでしょう。しかし、先生は、そうではありません。死の道を選んでも直行するのです。そこに先生の偉大さがあります。先生は、生涯に何回も監獄に引っ張られていっても、不平を言いませんでした。先生は、それ以上のことを考えるので、どこであっても堂々としているのです。万民の苦しみを背負っても、獄中生活を天国生活のように考えているのです。

47

先生がダンベリーでしたこととは何でしょうか。父母が道をすべて塞いでしまったので、先生が地獄から霊界まで直通する高速道路を築く式をしました。そのようにすることによって、地獄にいる人々がその道を通って上がっていけるようになったのです。道が開かれたので、自分の先祖が地獄に降りてきて、蕩減してくれるようになります。教育をして、一段階一段階、引っ張り上げるのです。

48

ダンベリーで先生は、偽りの父母によって閉ざされた霊界と肉界の塀を崩し、真の父母に出会える門を開いておきました。高速道路を築いておいたのです。そのため、霊界から自分の先祖が来て、父母が子女を愛する道理として、一段階ずつ引っ張り上げるというのです。ですから、霊界の統一運動もこの愛によって展開し、地獄解放運動もこの愛の道理によってのみ可能なのです。死亡圏まで消化できる能力は、愛にだけあるのです。

49

先生は、ダンベリーでの十三ヶ月の間に、アメリカで十三年間語ったものをすべて再鑑定しました。これから学者たちがこれを掘り下げていけば、疑問が出てくるはずですが、それに対する答えを得られずに先生のところに来るので、これに対する解説を確実にしてあげるためにそのようにしたのです。責任者は、歴史的な責任を負わなければなりません。何回も耽読し、そこに対する盾をつくることができるよう、神様が私に許してくださった良い時期だったと思うのです。そのため、一般の人々が「文先生は、瞑想する先生だ。休む間もなく夜に昼に本を読んで勉強する方だ」、その次に「言葉を語っても絶対に不平を言わない方、不平を言う環境で希望の言葉を語る方だ」と思うのです。

50

「愛勝日」は、死亡圏に勝ったという意味です。神様の愛をもって勝ったということです。神様と真の父母様の創造現想を中心として、責任分担を完成した基準の愛の成立圏に入っていくので、死亡圏に勝つのです。そのため、今後、統一教会を信じる人々には、サタンが来て、近寄ることはできません。近寄ろうとすれば、即刻霊界が動員されるのです。父母様の愛の圏を受けるのと、サタンと天使長の愛の圏を受けるのとでは、異なります。父母様の愛の圏を霊界にまで連結させたのです。

51

「愛勝日」とは、先生の時代において、サタンが家庭圏を中心として侵犯して入ってくる、その死亡圏を防ぎ止めることです。愛によって食い止めるのです。息子が死んだのと同じですが、死ぬ前に、最後の時間が来ることを知り、処理しなければならないのです。そのため、興進君が逝く前に「統一式」をしてあげました。「父とお前は一つだ」というのです。「父とお前は一つなので、父が生きている限り、サタンはお前を思いどおりにできない」というのです。このようにして、祭物として掲げることによって、サタンが統一家に侵犯しようとしたすべてのものを防御するのです。神様がイエス様を中心として霊的世界において祭物を捧げたので、その霊的世界の勝利の版図を、地上で父母様の愛を受けた息子を祭物として捧げることと連結させるのです。そのようにすれば、それは地上世界で成し遂げたことになります。霊的世界の版図基盤の上に、肉的実体圏を中心とした父子関係の天国理念を連結させるのです。そのようにすることによって、天上世界と地上世界の橋を架けるのです。

52

霊界も愛し、地上も愛するので、父母も愛しなさいという標語を立てなければなりません。愛しなさいという標語を立てるべきだというのです。先生は、興進君が死ぬことは死にましたが、地上世界と霊界において、死なずに愛の復活圏を成し遂げるだろうと考えました。「お前は死を通して逝ったが、お前の死を通して愛を復活させる」というのです。霊界をつかんで、地上をつかんで、愛の復活圏を宣布するというのです。これにより、死亡圏と別れを告げるのです。そのため、昇華式のときも悲しんではいけません。

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興進君が地上から霊界に入っていく間、先生は、霊界と肉界を中心として特別な式をしました。それが「愛勝日」ですが、蕩減条件を越えて「愛勝日」を宣布するためには、息子が死んだと考えてはいけないのです。遺体を横に置いて、神様の愛のために闘ったというのです。母親や父親が、死んだ息子を思うよりも、神様の愛を思わなければならないのです。死亡圏に勝つ愛を思わなければならないというのです。それでお母様に、「あなたと私はこの時間、天が見るときに誇れる父母にならなければならず、霊界にいるすべての先祖と天使世界と千々万の聖徒、聖人、賢人たちが誇れる父母にならなければならない。世界人類が、『やはり死亡圏を支配できる愛の権限をもっている方に間違いない』と言って頭を下げられる雰囲気をつくらなければならない」と言ったのです。そうして、全人類が先生に、「あなたはやはり、神様の愛の中心者です」と証できるようにしなければなりません。息子を送り出しながらも、死と取り替えて、前進しながら愛の旗を掲げ、新しい世界のために出動するという起源の日が「愛勝日」です。そのようにすることによって、民族的で世界的な新しい愛の方向を立てていける基準になったので、「愛勝日」という言葉を使用することになったのです。それで、一九八四年一月三日午前四時を中心として、「愛勝日」を宣布したのです。

神様王権即位式と後天時代の記念日

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キリスト教は、ローマ圏を越えていける世界版図圏を築きました。イエス様が体を失ったので、キリスト教が霊界を代表した基準で第二次世界大戦のときに連合国と枢軸国が闘い、連合国が勝利することによって、キリスト教文化圏が世界を統一しました。キリスト教が世界を統一することによって、霊肉が合わさる時代となり、連合国と枢軸国が天の側に帰属できるようになったのです。その基盤を中心として、カトリックと新教であるプロテスタントが一つになってキリスト教文化圏を代表し、来られた再臨主を迎えていたならば、一九四五年から七年後の一九五二年に統一天下が成就され、そのときに「神様王権即位式」が終わっていたでしょう。しかし、キリスト教が統一教会を受け入れませんでした。今も彼らは、最後まで反対しています。ユダヤ教がキリスト教を最後まで反対して衰退していかざるを得なくなったのと同じように、キリスト教が統一教会に反対しながら、全く同じ道を行っています。そして、家庭から社会、国家、世界が地獄のようになってしまいました。神様が願われた愛の理想圏は、地球星において見いだせなくなったのです。

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祝福をしてあげ、血統を転換させられる存在が真の父母です。偽りの父母が現れることによって、神様とサタンが闘うようになったのですが、その闘いをやめさせるためには、真の父母が中間にさっと立ち、「神様は、このような目的で闘うのでしょう。私がそれをすべて入れ替えてさしあげます!」と言うのです。「入れ替えても良い」と言えば、終わるのです。神様の前にサタンを屈服させ、ユダヤ教とその周囲にある宗教も和解させるのです。イエス様が再び来て、家庭を中心として国家と和合し、主権さえ備えられれば、すべて終わります。第二次世界大戦以後、第二イスラエルであるアメリカが地上と天上の主人として来られた方に出会っていたならば、その方を中心として地上統一と天上統一の基盤が造成されて一体となり、第三イスラエル天国の出発と同時に第三解放圏、地上、天上天国解放が連結されていたでしょう。それが成し遂げられないまま五十六年の歳月が過ぎ、きょう「神様王権即位式」ができるというのは、夢のような話です。

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「神様王権即位式」を、誰がしてさしあげるのですか。一番初めに、誰がその即位式を台無しにしたのですか。サタンとアダムが台無しにしたのです。アダムとエバが真の父母になれないことによってサタンが入り込み、この地上に真の父母の血統的基準を立てられませんでした。堕落によってサタンの血統を残したので、これをすべて否定し、ひっくり返さなければなりません。これは、神様もできず、サタンもできません。サタンが、今までつくっておいた自分の国を自ら壊してしまうことは難しいのです。誰でも、自分がつくった物を改造するのは嫌います。また、それを神様がひっくり返すことはできません。神様がひっくり返せるならば、エデンの園でアダム家庭を失うことはなかったのです。神様が手をつけられないというのは間違いないので、それに手をつけられる方がいなければならないのですが、それが完成したアダムです。本然の愛をもった家庭は、アダム家庭以外にありません。

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「神様王権即位式」をすることによって、国が変わりました。今まで神様は、み旨の先頭に立てず、恨がありました。神様は、願いどおりにできなかった恨が深くしみ通っていらっしゃるのです。ですから、皆さんは、神様がしたいとおりにされるよう、後援部隊になりなさいというのです。今からは時が変わります。

双合十勝日

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「双合十勝日」を知らなければ、先天と後天を論議することはできず、地獄と天国を論議できないのです。ペアがすべて分かれました。心と体は一つになるものなのに、すべて分かれ、目も自分が喜ぶ目と自分が嫌がる目に分かれました。結婚するときは良いと思っていても、他の女性がもっと良いと思えば、目が変わるのです。すべて分かれました。ペアになっていません。それで「双合十勝日」の日が二〇〇四年五月五日です。縦的な面の五と五を合わせた十が勝ったという勝利の日だというのです。分かれた天地が一つになるのです。解放、釈放されるのです。

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「数」も、神様のものではなくサタンのものになっています。すべてのものがペア・システムになっていて、それが一つになる場に愛の種を植える理想的な創造原則があるので、「双合十勝日」、五月五日が上下が一つになる十勝日です。その次には、後天時代と先天時代です。先天時代は過ぎ去ったので、神様が過ぎ去った先天時代を左手でつかみ、後天時代を右手でつかんで、一回りするのですが、これをつかんだ右側と左側の五と五がそのまま一つになったので、双合十勝日です。それで、三百六十日(陰暦の一年の日数)の主人の位置に初めて立つというのです。神様が「日」を主管し、「数」を主管するので、このすべての数で解き明かせる宇宙の公法や運動の秩序、すべての段階も、相対と主体関係が連結されなければ、作用できないのです。そのため、すべてのものがペアになっている場に愛の種、愛の実、愛の本体として、愛を結実させる神様だというのです。

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最後には、神様の祖国と平和の世界創建が成し遂げられるのです。先天時代は過ぎ去り、後天時代が到来するというのです。先天時代が行き、後天時代が到来したことを発表した日が「双合十勝日」です。先天時代は過ぎ去りますが、放棄することはできません。先天時代の人たちも王孫にしなければならないので、過ぎ去っていくのを神様と真の父母は、左手でつかみ、新たに訪れてくる後天時代は右手でつかんでいるのです。時計が回るように、右側に回っていたものをひつくり返して、一八〇度方向を転換する業をなしているのです。

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堕落することによって、逆さまになったすべての万物が一つになり、時間と日と年と世紀と千年、万年がすべて、神様が蕩減した勝利の数である十勝数として勝利したので、今からは神様の王権の宝座と直結するのです。それで、先天時代から後天時代が始まり、すべてのものが解放時代、完成時代に越えていきます。神様の所有圏内に入っていくのです。

平和の王戴冠式

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先生は、平和の王戴冠式をしました。戴冠即位式と言わなければなりません。戴冠式ではなく、戴冠即位式です。戴冠式はしましたが、即位式は行われていませんでした。アダム家庭でカインがアベルの命を奪ったので、セツを中心として降りてきて、ノアからアブラハム、イサク、ヤコブとモーセを経て、イエス様まで来たのです。イエス様の時代に国の即位式をしなければならなかったのですが、そのようにできませんでした。戴冠式もできませんでしたが、即位式もできなかったのです。先生の時代には、戴冠式と即位式をするのです。イスラエルの国でイエス様の戴冠式をしたのですが、イエス様の戴冠式をするとき、イエス様一人では行けません。先生の二番目の息子である興進君が、霊界において、再臨主と同じ立場で愛の門を開く祝福をしてあげたのです。死んだ哀しい魂たち、その怨讐まで祝福してあげ、興進君がイエス様をお連れして、イスラエルの国で戴冠式をしてあげたのです。即位式ではなく戴冠式です。戴冠式をしてあげ、その次にアメリカで即位式をして、十字架を降ろしたのです。栄光の主や苦難の主のような聖書のみ言は、もうこれ以上意味がありません。

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カイン・アベルが一つにならなければなりません。エルサレムで分かれた霊界と肉界を統一したので、再臨主がこの地に来て、イエス様ができなかった国家基準と世界基準を築いておいた基台の上に、蕩減復帰した第一イスラエル圏を連結させたのです。第一イスラエルの王権、第二イスラエルの王権が成立したのです。天を身代わりしたイエス様と、地の真の父母を身代わりした興進君を中心として、分立された霊肉界を連結させ、全体の霊界と肉界、全体の国家と教会が一つになったその場において、第二イスラエル王権を中心とした基盤の上で、父母様の前にそれを捧げる戴冠式だというのです。その次に、天の国の上院と地上の下院、上下院を中心として戴冠式をしたのです。それは、イエス様がローマの元老院で宣布ができず、地上と天上の一体圏を形成できなかったことを代わりに成し遂げたことになります。霊界と肉界を中心として、初めて戴冠式を宣布したのです。そうして一つになった場で、来られる再臨主の前に戴冠式と即位式を行ったのです。

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イエス様が約二十億のキリスト教徒をもちました。自分の国で民族の反逆者として死んだとしても、世界人類を抱き、政治分野と宗教分野の最上の位置に座ったのですが、そのようなイエス様をモーセよりも劣った人物と見るのがユダヤ教です。先生にユダヤ教とキリスト教が反対し、ありとあらゆることをすべてしました。その闘いにおいて彼らが負けたのであって、先生は、負けなかったというのです。それがすべて終わったので、「平和の王即位式」をアメリカ議会で行いました。ローマの元老院にイエス様が入っていって、「私が王だ、万国の王として来た」と宣布できなかったので、亡くなったのです。白昼にアメリカの上院と下院の議員を集め、三大宗団の最高指導者を集めて行ったのです。自分たちが願って「平和の王」として迎えたというのです。

本殿聖地の起工式

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きょう、起工式をするここが本殿聖地です。それでは、本殿とは何でしょうか。神様が願う宮殿、神様が暮らすことのできる王宮であり本然の家です。それが聖地です。すべてのものに勝ったのです。「聖」という字は、「耳」と「口」と「王」を合わせたものです。耳と口が王のような人が聖人です。よく聞かなければならず、正しく話せなければなりません。それは神様しか分からず、真の父母、メシヤしか分からないというのです。

天正宮

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天正宮博物館とは、正しいものをつくる宮です。「天」の字と「正」の字に「宮」の字です。「天正宮」の意味は何でしょうか。天で一番の宮です。先生がそのように名づけました。「正」の字は、「止」の字の上に「一」の字がかぶさっています。動きなさいということです。「天正宮」の意味は、「二人が合わさって絶え間なく動きなさい!そうすればあなたの家になる」というのです。あなたの家の宮だという意味です。

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天正宮博物館には新しい国歌もあり、国花もあり、国旗もあり、国民もいて、教育する理念もあるので、いかなる思想、いかなる宗教も一つにして解放できるのです。先生は、そのような目標を定めて進んでいます。

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天正宮博物館がありますが、韓国の地は、いつ、どこであっても自然の天正宮博物館です。そのように考えるのです。神様も放浪する神様ではないですか。神様が地上に足を降ろす所がありますか。ローマ教皇庁にはありません。それで、先生が来て隅々まですべて調べました。神様を身代わりする主人になるために、すべて立ち寄ってみたのです。

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今までのすべての人類は、カイン的な血族だったので、兄の立場にいました。一番後ろにいるメシヤが出てきて、最後にすべて蕩減するのです。落ちていった二つの世界を引き上げるのです。蕩減はキリスト教がしましたが、引き上げるときは、どのようにすべきしょうか。単一民族の血族になった蒙古斑同族が、いかなる宗教よりも統一され、旗を掲げて進み出るときは、宗派の観念と国家の観念を克服できるというのです。先生が、神様も本然の位置、アダムとエバも本然の位置、カインとアベルも本然の位置、天使長も本然の位置に立ててあげるのです。ですから、天正宮博物館です。「天」の字は「二人」ですが、その二人が「正」しく造った「宮」だというのです。

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万王の王は、王の中でも王です。その王とは何かといえば、一つしかない、お一人しかいない王です。そのような言葉は韓国語にしかありません。万王の王、その方はお一人です。「神様(ハナニム)」は「お一人(ハナ)しかいない方(ニム)」というのです。神様解放権の「権」の字は、「圏」の字ではなく「権」の字を書きます。その次に戴冠式ですが、「戴冠」とは何でしょうか。「戴」の字を見れば、その中に「異」の字が入っています。「異なる冠」をかぶらなければならないのです。地獄に入っていく滅亡の冠ではなく、栄光の冠です。「解放権万歳」です。そこにはサタンも同調し、神様も同調するのです。宇宙の法が治めることに対して助けるだけで、反対することはできません、「解放権太平聖代」です。太平聖代、億万歳賛美の時代に越えていくので、良いというのです。良い神様に出会うために、神様の隠された秘密の世界、心の幸福、心の春の園、心の花の園の世界に飛んでいこうというのです。愛の世界に道が開かれるので、そこを旅行しようというのです。

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何の問題でも、解決するには霊界だけでもできず、地上だけでもできません。また、神様のみ旨を知っているからと言つて、神様が解放されるのでもありません。真の父母と一つになって、世界の国家と宗教圏を統治できる基盤まで築かなければなりません。そのようなことを一つにして解決できる方案を立てなければ、正しい判断と正しい世界的な運動ができません。そのため、先生が今まで保留してきたのです。万王の王の戴冠式とは何でしょうか。お一人しかいない神様の解放権戴冠式が終わるまでは、誰でもついてくることができます。それが終わったあとは、先生と一つになっていない者はついてくることができません。そして、国連に加入したカイン、アベルが互いに闘っています。共産主義と民主主義が闘っているのです。それを中間の立場で和合させて、一つの新しい平和世界を発表してきたのが、万王の王、お一人の神様の王権を中心とした解放権戴冠式だというのです。

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きょうをもって、万王の王、お一人しかいない神様が真の父母の位置に立つのです。真の父母は唯一です。今まで数千、数万の王がいましたが、お一人しかいない再臨主が来て、万王の王の位置に上がり、お一人しかいない神様と一体になるのです。ですから、神様の内的、外的な実体を中心として、エデンの園で見えなかった神様の実体圏がどのようになるのでしょうか。実体を中心とした真の父母の位置に立ち、その真の父母が世の中にお一人しかいない神様と一つになるのです。

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万王の王の王権を定着させて、一つの王権が成立することによって、神様が初めて主人の位置に立って統治できるのです。先生は、今まで築いてきたすべてのものを神様に奉献してさしあげ、真の父母が真の父母になれなかったすべての失敗を片づけて、神様が王の位置に初めて出動できるようにすべき責任があるのです。そこで、最後に家庭的代表十二人、その次に国家的代表。百二十人、その次に世界的代表千二百人、その次に神様を解放できる一万二千人です。それを中心として、すべての蕩減世界を完全に水平にし、神様だけが登場し、主人の権勢をもって出ていくことができる時代になったので、理想の地上・天上天国にならざるを得ないのです!アーヂュ!

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アベル国連を中心として新しい父母国連が発足したので、万王の王、王の中の王になってどのようにしなければならないのでしょうか。神様と二人が合わさって戴冠式を奉献することによって、天と地のすべてが天に定着できる核が決定したので、決定されたこの核を中心として世界的な組織編成を開門しなければならないのが、先生の責任です。いかなる人も、ここで長の立場でああだこうだと言うことはできません。万王の王、神様の王権を身代わりした実体を中心として、霊肉の一体圏を形成した基盤で先生が主張する道理の基準を中心として、どのようにしなければならないのでしょうか。世界全体を超越する立場で、一つの主権と一つの祖国、そして一つの故郷の地を創建するのです。

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アダムとエバが堕落せずに主人となり、神様の代わりに祝福の旗を掲げて進み出られる何千年目の初日となる日が、今になって成し遂げられているのです。一日ではありません。何千年ではなく、数万年です。この場をつかむためにどれほど苦労したかを知らなければなりません。誰も分からないので、神様が教えてくれて分かったのです。そのような時を開くまで、どれほど苦労したでしょうか。二〇〇一年が。二〇〇〇年の始まりです。これから訪ねてくる新千年、三〇〇〇年以降に成就されることを教えてあげたのです。先天開闢時代ではなく、後天開闢時代です。神様が責任をもち、働かれる時代になったのです。