「家庭盟誓」は、一九九四年五月一日、「世界平和統一家庭連合」の創設とともに天が人類に下さった、祝福の中の祝福です。旧約時代と新約時代を完成、完結する成約時代を宣布し、先天時代の暗闇を貫き、明るい後天時代の新天新地、すなわち天宙平和統一王国天地開闢の時代を開いていく、道案内として下さった里程標です。
第5節 天一国主人の生活と「家庭盟誓」
一九五四年に「世界基督教統一神霊協会」を創設して以来、四十年の長い蕩減路程を真の父母が直接闘って勝利し、越えられた基台の上で、これからは個人的な次元の「私の誓い」ではなく、天国入城の基本単位になる真の家庭が共に唱え、実践すべき「家庭盟誓」です。涙なくしては唱えられない、天と真の父母様の恨が込められた誓いです。堕落した宗教の仮面を脱ぎ、解放の場で千年、万年、唱えることのできる人類の表題です。家庭は、天国に入城する基本単位になるからです。
「家庭盟誓」宣布の背景
摂理的な観点から、復帰摂理の時代は終わったと見るのです。復帰摂理時代が終われば、本然の創造理想の世界に越えていくようになります。復帰摂理時代が終わるという話は、堕落した世界のサタンが権限をもつ世界が終わり、神様が地上世界と天上世界を直接管理する時代に越えていくということです。このような時が来るので、統一教会では「家庭盟誓」を宣布しました。「家庭盟誓」は、一般の人が唱えるものではありません。「家庭盟誓」は、誰もが唱えられるようにはなっていません。「家庭盟誓」の八つの項目の冒頭では、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として」ということが前提になっています。それは、サタン世界と関係のない基盤において語る言葉です。堕落することによって、偽りの愛を中心として、偽りの生命、偽りの血統が連結された世の中になったので、これを克服して越えるためには、真の愛と真の生命と真の血統の位置を占有しなければなりません。そのようにしなければ、これを克服できません。なぜ「家庭盟誓」は真の愛を前提条件としたのでしょうか。エデンの園において、堕落のなかった本然の世界に入っていることを示すためなのです。
復帰された家庭は、個人の心身が統され、夫婦が統一され、子女が統一された家庭にならなければなりません。このような家庭が唱えなければならないのが「家庭盟誓」です。「家庭盟誓」は、心身が闘っているところでは唱えることができません。夫婦でけんかしていてもできず、また子女を生んでいなくてもできません。真の愛の一体圏を成し遂げた人たちが唱えるのが「家庭盟誓」です。天国は、心身統一、夫婦統一、子女統一を完成した真の息子、娘が入っていく所であり、神様の愛を中心として一つになり、「家和万事成(いえわしてばんじなる)」を成し得る家庭が入っていく所だからです。
「家庭盟誓」は、本然的な家庭の一切の権限を賦与するというのです。ですから、堕落したのですが、堕落していない本然の位置に帰り、永遠に原則的な基盤の上で氏族が連結され、民族、国家、世界が連結されなければなりません。このようになってこそ、地上天国になるのです。そのため、「家庭盟誓」は、体と心が一つになっていない人には唱えられません。夫婦が一つにならず、息子、娘と一つになっていない人には唱えられません。これを知らなければ、「家庭盟誓」全体がばらばらになるのです。
「家庭盟誓」は、すべてのものを清算する意味があります。そのため、「家庭盟誓」の三節を見れば、四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成しなければならないとあります。「家庭盟誓」は、どのような人が唱えることができるのでしょうか。サタン世界の偽りの父母による偽りの愛と、偽りの生命の因縁をもった人は、唱えることができません。本然の世界に帰り、神様と、堕落していない真の父母と一つになって、真の愛で自分個人の体と心が一つになり、夫婦が一つになり、親子が一つになれる基準に立った人だけが、この「家庭盟誓」を唱えるようになっているのです。
「家庭盟誓」は、すべての原理の内容を中心として、家庭編成に適した核心的内容を抜粋して記録したものです。ですから、皆さんが祈る前には、必ず「家庭盟誓」を唱えなければなりません。そして、自分自身の現在の状態と自分の家庭状態がどのようになっているかを確認し、誤っていれば、それを是正していかなければなりません。「家庭盟誓」のとおりにしなければなりません。今後は「国家盟誓」、「世界盟誓」まで出てこなければならないのです。
「家庭盟誓」は、成約時代を越え、天宙平和統一王国を成し遂げる絶対基準であり、憲法と同じです。万人が認め、尊敬する真のモデル家庭であってこそ、世界を率いていく指導者的家庭の位置に立つようになるという意味です。このように家庭は、天の最大、最高の祝福であり、驚くべき現実です。天一国を創建する礎石になるのです。真の家庭を築くことが、天一国の市民権を獲得する近道になるということです。
「家庭盟誓」は、真の父母様の戦勝記録です。侍義時代である成約時代の教えを授ける法度です。「家庭盟誓」は、真の愛を骨とし、真の家庭を心臓として立て、皆さんの人生を神様と連結させてくれる橋です。神様を占領する真の愛の核爆弾のようなものです。「家庭盟誓」は、縦と横、南と北、前と後ろを連結する中心に真の愛を迎え、永遠の球形運動を出発させてくれるエネルギーであり、知恵です。「家庭盟誓」は、天国の門を開いてくれる鍵です。天国の門は、金や銀で作った鍵で開けられる門ではなく、真の愛で完成した真の家庭の鍵で開けてこそ、開かれる門です。
統一教会の骨のような思想が「家庭盟誓」です。「家庭盟誓」だけでも、天国の民になって余りあるのです。「家庭盟誓」の八節のように、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって神人愛一体理想を成し遂げるとき、地上天国と天上天国の解放が始まるのです。天上世界の解放は、神様お一人ではできず、救世主一人ではできません。神様と救世主が合わさり、統一教会全体が合わさって、各国の主権を越え、彼らを祝福してあげて、初めて終わるのです。
「家庭盟誓」が教えてくれる教訓は、天宙主義です。個人主義ではありません。現実の様々な困難を避けていては、生きていけないのです。現実を果敢に撃破して、勝利を勝ち取らなければなりません。その武器が正に「家庭盟誓」の伝統で武装された皆さんの家庭です。皆さん一代だけを中心とした家庭ではありません。少なくとも三代圏を形成し、確固不動たる天の伝統を立てなければなりません。子々孫々、選民の真の血統が流れる家門を定着させなければならない使命があるという意味です。
神様が初めて、真の父母の実体をまとい、実体世界の父母になるためのすべての過程が終わりました。真の父母が勝利の覇権的基準を備え、天と地の食い違ったすべてのものを収拾したのち、神様の国を探し出して結婚し、出生届を出せるようにしたのです。第三代まで復活させ、国を創建したのと同じです。そうして、皆さんがその全権を相続したので、「家庭盟誓」に「天一国主人」という言葉が現れたのです。
皆さんは、父母様の結婚式に参席しました。一緒に祝福を受けたのです。そして、父母様が婚姻届を出し、出生届を出す場に参席しました。ですから、婚姻届を出した立場、出生した立場の代を継ぎ、一度に天国に越えていくというのです。ですから、驚くべきことです。皆さんは、アダム家庭の個人として天国に入っていくのではなく、天一国を中心として、天地が一つになって峠を越えていくのです。父母と一緒に越えていくのです。同位圏に立ったので、「天一国主人、私たちの家庭」という言葉を言えるのです。それが特権です。
天一国の民は、天地を身代わりした民です。そのため、天でも地でも、どこであっても、この地球星全体のために生きなければなりません。北極に何か問題があれば、北極に対して全体が関心をもって解決しなければならず、南極であれば南極、東洋であれば東洋、西洋であれば西洋、全体が「私の責任だ」と思わなければなりません。「天一国主人」というとき、責任者と主人は違います。責任者はその時々によって離れていけますが、主人は永遠なのです。この地の家庭を中心として主人になるためには、一人ではなく、夫婦で主人にならなければなりません。夫婦だけではありません。四位基台を完成し、三代が主人にならなければなりません。三代が主人になれなければならないのです。祖父、祖母、父、母、その次に自分たち夫婦、そしてその息子、娘まで、代数としては三代ですが、段階としては四段階になります。それが天一国主人です。
女性解放を宣言した日が一九九二年四月十日です。二〇一二年まで、二十年です。父母様が女性解放を宣布したその日から、相対が地上に現れたことを知らなければなりません。アダムが祝福を受けられる、二十一歳になるそのときと同じです。そのときまでは、お母様が先生の前に相対に立てる土台がありませんでした。国がなかったというのです。女性解放のときから天一国十二年まで、アダムとエバが二十歳を超えて二十一歳になるときに祝福を受け、天の国を成し遂げなければならなかったのと同じ立場に、すべての祝福家庭が立つようになるのです。それで、「家庭盟誓」に出てくる「天一国主人、私たちの家庭」という言葉が成立するのです。
一九六〇年の父母様の結婚式は、サタン圏内で行われ、アダム家庭を代表する基準だったのですが、氏族、民族、国家、世界を越えた勝利の基盤の上に、神様の祖国が生じました。そうして、二〇〇一年一月十三日を中心として、神様の王権即位式をしてさしあげたのです。そして、二〇〇三年二月、お母様が満六十歳になった日を中心として、神様と真の父母様が一体となり、神様の祖国で聖婚式を行いました。そのようにすることによって、全宇宙の中心権限が転換されたのです。サタン中心の世界が神様中心に転換されたのです。蕩減復帰歴史を神様中心に転換させたのが二〇〇三年七月十三日です。そのような土台の上で、「家庭盟誓」において皆さん夫婦を「天一国主人」としたのです。
「家庭盟誓」の第一節
「家庭盟誓」の第一節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、本郷の地を求め、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します」です。「家庭盟誓」を唱えられるということが、歴史上どれほど良い福音の中の福音か分かりません。ここにおいて創造理想とは、神様を中心とした創造理想を意味します。地上天国と天上天国をつくることが神様の創造理想でした。ところが、堕落によってそれを成し遂げることができなかったので、復帰しなければなりません。本郷の地を中心として、創造理想である地上天国と天上天国を創建しなければならないという意味です。
真の愛は、体と心が一つになり、夫婦同士が一つになり、子女と一つになる基準の上で広がる愛です。このような基準の真の愛を実践できずに皆さんが霊界に行くようになれば、間違いなく引っ掛かります。「家庭盟誓」は、そのように恐ろしいものです。常に「家庭盟誓」に従って生きなければなりません。もし皆さんの家庭で、父親が「家庭盟誓」のどれか一つにでも引っ掛かれば、母親も共同で責任を負うようになり、子女たちの共同責任にもなり、家族全員が共同で責任を負わざるを得なくなるのです。エバが堕落することによって、アダム家庭全体が堕落した結果を招いた、そのような意味をもつというのです。
「私たちの家庭は真の愛を中心として」という言葉は、人間が堕落したために、真の愛をもてなかった人は家庭をもつことができないという意味です。真の愛をもてなかった人は、本来、神様のみ前に家庭をもてないようになっているのです。真の愛は、神様と関係を結んだ愛です。自分や世の中の習慣性、風習、国民の伝統のようなものと関係を結んだ愛ではありません。神様とだけ関係を結んだ愛です。堕落したために、サタンの愛と関係を結ぶようになったのです。サタンの家庭を越えて、氏族、民族、国家、世界、地上世界、天上世界まで拡大されているのです。神様の愛に接するためには、自分の愛という習慣性や伝統を完全に否定しなければなりません。
真の愛は、自らの生命までも投入し、また投入しようという立場、与えて、また与えて忘れてしまうことができる立場から始まります。真の愛は天地を貫くのです。死の世界も貫いて上がっていきます。どこであっても貫いていくのです。愛は通じない所がありません。愛は、秘密の部屋にも通じるのです。
本郷という所は、行きたいと思い、見たいと思い、暮らしたいと思う所です。私たちの心が行きたいと思い、心とともに体が行きたいと思う所です。心が慕うと同時に体も慕う、永遠に安息でき、幸福の基台であると誇れる本郷を、私たちは訪ねていかなければなりません。そのため、今までの歴史過程において、数多くの人々がこのような本郷を慕い、追求し、欽慕しながら死んでいきました。また数多くの宗教者や哲人も、この本郷の地を探すために今まで苦労してきているのです。ですから、本郷の地は必ず現れなければなりません。
本然の園は、理想の園です。有無相通ずる世界であり、兄弟の感情が万宇宙のどこにおいても通じる世界です。今日のように民族的な感情、あるいは国家の主権的な違いをもって論議できるような理想や主義の世界ではありません。民族の差別、あるいは国家の主権など、そのようなすべてのものを越えて論議する世界、人間の経済的な事情や文化のような条件の違いをもって論議するのではなく、心情をもって論議する世界です。
本来、人間始祖が堕落していなければ、本郷とはアダムとエバが暮らしたエデンの園であり、その村であり、その山河であることは間違いありません。今日、堕落した父母の血統を受けて生まれた人間は、「本郷」と言えば、自分たちが生まれた所を考えるのですが、そこを人類が追求し、慕っている理想的な本郷と言うには、あまりにもむなしいのです。今日の統一教会は、失ってしまった本郷を探し求めていかなければなりません。その本郷には父母がいらっしゃり、兄弟がいて、親戚がいます。彼らが悲しみの中で私たちを迎えるのではなく、永遠の喜びと幸福の中で私たちを迎えてくれる場所、そして、その喜びが一時的な喜びで終わるのではなく、永遠に続く、その本然の場所を訪ねていかなければなりません。
私たちが本郷の地を慕うのは、そこには、誰よりも近い父母と兄弟と親戚がいて、いつでも私を導いてくれ、いつ、どのようなときに訪ねていっても、私を変わりなく迎えてくれ、私が困難に遭えば、その事情に同情しながら慰めてくれ、私を喜んで迎えてくれるからです。もしそれがなければ、本郷が懐かしくて喜んで訪ねていったとしても、切実に思い、慕った当時の心情はなくなり、かえって嘆息の条件をもって戻ってくるようになるというのです。本郷の地には、必ず迎えてくれる人がいなければなりません。
神様がこの地上に着地して家庭をもち、生活できる所があるというとき、そこは人類全体を代表した位置になるので、神様が生活を出発したその家庭基地が、人類の本郷の地になるのです。ですから、神様が暮らす根本の出発地が故郷になります。人間は、堕落したために、神様を中心として、そこから出発できませんでした。家庭がそのような場になれなかったのです。そのような故郷がありません。先生が出てきて、真の愛を中心として神様と真の父母が一つになって着地し、出発できる起源を整えたのです。そこが人類の本郷の地にならざるを得ません。その復帰された所が、本然の形態の出発基地と同じであり、そこが神様の愛を分かつことができ、真の愛の基地として出発しようとした所なので、人類の本郷の地になるのです。
神様が願う祖国はどこであり、人類の本郷はどこでしょうか。真の父母様がお生まれになった故郷が、歴史的で、宇宙的で、世界的な本郷の地になるのです。先祖の思想と伝統を受け継がなければなりません。そうでなければ、腹違いの子としての扱いを受けるのです。韓国の民は、選民にならなければなりません。そのためには、先生が内外をひっくり返しておかなければなりません。韓国が本郷であり、祖国ならば、すべての世界的な文明が韓国で結実しなければならないのです。私たちが韓国を本郷にするためには、忠誠、精誠、愛、犠牲の祭物になることを覚悟しなければなりません。そのようにしなければ、韓国は本郷としての資格を失うことになります。良い物をつくるためには実践が必要です。血と汗と涙を流しながらもそれを成し遂げなければなりません。
「家庭盟誓」の第一節は、本然の万物主管です。失ってしまったすべてのものを蕩減復帰しなければなりません。今まで宗教は出家を要求し、独身生活を要求しましたが、統一教会で初めて還故郷を命令したのです。還故国です。世界的に途方もないことが起きたのです。宗教界にとって、これ以上の幸福はありません。
本郷の地を求め、その次に地上天国と天上天国を創建しなければなりません。「私」が創造しなければならないのです。失ってしまったので、すべてつくっておかなければなりません。どろぼうに遭ったので、再びつくっておきなさいというのです。千年、万年かかってもしなければなりません。それで、統一教会では還故郷を唱えたのです。
本然の創造理想である地上天国と天上天国を、私がつくらなければなりません。家庭を失ったので、私たちの家庭がつくらなければならないのです。それで、私たちの家庭は真の愛によって、本郷の地を中心として、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建するというのです。本郷の地は、家庭を中心とした本郷の地です。国ではありません。それで、故郷に帰らなければならないのです。そのような家庭があれば、故郷の地に帰って、地上天国と天上天国を成し遂げなければなりません。今や故郷さえ探し出せば、自然に国、世界、すべてが一つになるのです。心配する必要がありません。地上天国と天上天国が自然に完成します。家庭から始まるのです。
「本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します」、ここに「創建」という言葉を使いました。これは、私たちが再びつくらなければならないということです。何もせずに成し遂げられるのではありません。再創造しなければなりません。地上地獄になり、天上地獄になっているので、私たちが再びこれを創造しなければならないのです。「私」個人にとって地上天国と天上天国になるのが家庭です。家庭でつくらなければならないので「家庭盟誓」です。これをつくられなければならないのです。私たちが、つくらなければなりません。
「家庭盟誓」の第二節
第二節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、天の父母様と真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します」です。
神様と真の父母様に侍らなければならないのですが、アダムとエバが堕落することによって、神様と真の父母様を家庭から追い出してしまいました。神様と真の父母に侍らなければ、神様のみ旨が完成しません。神様は、縦的な父母であり、完成したアダムとエバは横的な父母です。二つの父母が一つになったその上に、個人の統一も完成し、天国と神様に連結されるのです。ですから、神様と真の父母に侍らなければ、何もできません。ですから、天宙の代表的家庭は、堕落する前のアダムとエバ、それ以上の位置なのです。
アダムの位置は、世界人類の過去と現在を代表した位置であり、頂上の位置です。人類先祖です。最初は、この一つしかありませんでした。アダムとエバは、頂上で結婚し、地上の中心家庭として着地したあと、世界に拡大していくのです。そのような位置で、天の国の孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を果たさなければならないのですが、アダムは、それができなかったのです。
アダムとエバは、真の愛を通して神様に絶対的に侍る立場で、家庭から国家、世界、天に直行するようになっています。今までの歴史時代の思想がもつ観点には、そのような内容がありませんでした。すべてジグザグに上がっていくのです。いつまでも壊れることのない愛を中心として、一体的な家庭拡大理想に従っていかなければなりません。家庭のモデル形態は変わらないのです。それが代表的な家庭であり、中心的家庭です。
アダムとエバは、天地のすべての中心であり、世界人類を身代わりした中心家庭になります。ここから上がっていくのです。家庭という軸を中心として一つになり、「私」はその家庭軸の代表なので、世界に一つしかない位置に立つのです。それで、王子、王女になりたいと思うのです。最高の男性と女性として最高の神様の相対になることによって、神様が「私のもの」であると同時に、神様が造ったすべての被造世界が「私のもの」になるのです。愛によって一体になれば、所有権が決定されるというのです。
代表的な家庭とは何でしょうか。アダムとエバの二人しかいません。神様とアダムとエバしかいないのです。その位置は、天地の最高の位置であり、代表的立場です。代表的立場になって結婚することによって、地に着陸するのです。息子、娘を繁殖しなければならないからです。代表的家庭は中心的家庭です。家庭は二人です。男性が二人ではなく、女性が二人ではありません。ペアをつくるのです。一人の男性と一人の女性が神様のみ前に代表的立場に立つので、アダム家庭が種だとすれば、私たちの家庭も種です。松の木の種は、千年、万年、どこに行っても同じ価値をもっています。同じ価値、対等な価値をもつのです。これを植えれば、どこであっても松の木が出てくるのと同じです。
真の父母の家庭は種です。種が完全な種ならば、その種を植えて繁殖した数億万の家庭があったとしても、同じ価値をもつのです。全く同じです。神様が定着する家庭の基準は、何千代、何万代、何億万代になったとしても、同じ価値を認められるので、種は同じなのです。そのため、私たちの家庭は代表的家庭です。国を代表しているというのです。
孝子と孝女は、父母のために体と心を犠牲にしても、それを超えて父母を愛したいと思う人です。愛国者は、国家のために自らの一身を顧みずに犠牲となり、投入して忘れてしまう人です。十回投入して忘れてしまう人と、十一回投入して忘れてしまう人がいるとすれば、十一回投入して忘れてしまう人が主体になるのです。この原則に従って、すべてのものが平和に収拾されるのです。ために生きる道を抜いては、それを成し遂げる道はありません。
神様は、聖子を願います。聖人は世界が願います。国は忠臣を願います。家庭は孝子を願います。これが正に、真の真理の道です。真の父母がいるとすれば、「お前は孝子になったので、忠臣になってはいけない。忠臣の道を行ってはいけない」とは言いません。真の父母は、その孝子に、「お前は家庭を犠牲にしても、忠臣の道を求めて国に仕えるべきであり、国を犠牲にしても聖人の道理を果たすべきであり、世界を犠牲にしても天が願う聖子の道を行くべきであり、天地を犠牲にしても神様を訪ねていくべきである」と教えてあげなければなりません。今まで誰も、このような概念があることを知りませんでした。投入して犠牲にならなければなりません。そのようにしなければ、一つの世界、一つの国は永遠に現れないのです。
ために生き、またために生きる人は、中心存在になるのです。間違いありません。家庭において孝子とは、父母のために生き、さらにために生きる人です。その家庭の中心存在になり、家庭の相続を受けるのです。愛国者も同じです。国王のために生き、国のためにすべて投入して、投入して、犠牲になり、また犠牲になれば、国に責任をもつ人になるのです。必ず中心存在になります。ですから、家庭で孝子となり、国で忠臣となり、世界で聖人となり、さらには天地において聖子の道までも行きなさいと教えてあげるのです。
孝子は、父母の世話になる人ではありません。父母の世話をする人です。忠臣は、国の世話になる人ではなく、国の世話をする人です。聖人は、世界の世話になる人ではなく、世界の世話をする人です。私たちの家庭は、天の代表的家庭となり、この地上において平和と幸福と自由をもたらさなければなりません。ですから、いつでも天地に歩調を合わせなければなりません。その次に、神様と拍子を合わせたので、周辺に天運を運んであげられる家庭にならなければなりません。結局、父母様の代身家庭と天の心情的統一圏をつくり、心情文化世界が今日の世界で出発するというのです。サタン世界の孝子、サタン世界の忠臣、サタン世界の聖人、サタン世界の聖子の道理はありましたが、これからは天の国を中心とした孝子と忠臣と聖人と聖子の道理です。その標準がなかったというのです。それを私たちが創建しなければなりません。
「家庭盟誓」の第三節
第三節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成することをお誓い致します」です。四大心情圏と三大王権は、堕落する前のアダムとエバの完成を意味します。堕落する前のアダムとエバは、四大心情圏と三大王権を成し遂げ、皇族にならなければなりません。それでこの節は、堕落した人類を復帰して、皇族をつくっていくことを意味します。祝福家庭がこの使命を完遂しなければなりません。
「家庭盟誓」の第三節は、堕落していない本然の世界を意味しています。本然の世界に帰るのです。赤ん坊が育って夫婦の位置を訪ねていき、父母の位置を訪ねていくのです。神様と一つの体になるための位置を訪ねていく道です。四大心情圏は、神様の単なる空想ではありません。「私」が行くべき道です。
人は、父母、夫婦、兄弟、子女に分けられます。誰もがこのような過程を経なければなりません。誰かの娘にならなければならず、誰かの息子にならなければなりません。息子、娘が大きくなって兄弟姉妹になります。兄弟姉妹が父母のようになるのです。アダムとエバも兄妹です。彼らが夫婦になり、父母になるのです。同じです。妻というのは妹です。エバは妹です。そして、夫は兄です。神様のみ前では息子、娘です。神様の息子、娘として男性には男性の行く道があり、女性には女性の行く道があります。男性の道理、女性の道理を果たし、父母に似ていくのです。父母のように結婚するのです。
「家庭盟誓」の第三節は、天の国の教材です。アダムとエバが完成できなかったのが四大心情圏です。子女完成の終着点、兄弟完成の終着点が結婚生活です。夫婦完成の場、父母完成の場が結婚生活です。結婚生活をして、神聖な息子、娘を生まなければなりません。それが実なのです。ですから、父母が子女を愛するのは千年、万年変わりません。結婚した夫婦の位置は、このように途方もない位置です。歴史時代に人類が願っていた子女としての希望が花咲く位置であり、兄弟としての希望が花咲く位置であり、夫婦としての希望が花咲く位置なのです。
夫婦は、四大心情圏を中心として見てみるとき、お互いが自分を完成させてくれた絶対的相対者なのです。ですから、夫は、妻に理想的神様の息子を迎えさせる立場であり、天の兄を迎えさせる立場であり、天の夫を迎えさせる立場であり、天の父を迎えさせる立場です。妻も、夫にとってこれと同じ位置に立つのです。このような夫婦は、神様が体恤したのと同じく、子女を生み、自分たちが育ってきたすべてのことを、子女を通して実体的に体恤することによって、喜びを感じるようになるのです。
四大心情圏はいつ完成するのでしょうか。息子、娘はいつ完成するのでしょうか。兄弟はいつ完成するのでしょうか。夫婦はいつ完成するのでしょうか。結婚するその時間です。結婚するその時間に、子女の愛と兄弟の愛と夫婦の愛、三つの愛が結実します。この三つの愛の基盤の上に、父母が立つのです。ですから、皆さんは、赤ん坊を生まなければなりません。自分の後代を生まなければならないというのです。神様がアダムとエバを創造したのと同じように、第二創造主として息子、娘をつくるのです。そのため、父母は天を身代わりします。子女と兄弟と夫婦は地を身代わりします。夫婦を中心として一つになるとき、縦的基準が一つになるのです。そうして、アダムとエバの完成は、神様の創造理想の完成になるのです。創造理想として願っていたすべてのものが完成するというのです。
今や地上天国時代に入りながら、私たちの家庭が王の家庭になります。ですから、どれほど模範的になるべきでしょうか。王が自分勝手に生きることができますか。王と王妃、王子、王女たちは、その国の法をすべて守らなければなりません。それだけでなく、王宮法があるのです。
天の国に入れる人々は、神様の愛の直系子女として、天の国の王孫として、神様のみ前に王子、王女の門を経なければなりません。天国は、王孫として、皇族として行く所です。この地上において、模範的な兄弟の友愛をもつ直系の子女と傍系の子女となり、模範的な一つの一族と国家を形成した立場で、皇族の名誉をもって生きたのちに、そのまま移動していく所が天国なのです。
今から皆さんは、真の愛を中心とした皇族にならなければなりません。アダムが直系の子女ならば、傍系の子女であるその兄弟姉妹たちは、すべて民になるのです。ですから、天の国の王子、王女の愛を備え、その権威と威信を堂々と身につけ、生涯の路程において、足取りも堂々と威信を備えて入っていくべき所が、本郷の国、天国です。
四大心情圏と三大王権、皇族圏の生活をすることによって、初めて家庭理想、神様の創造理想が完成します。そうして、王家にならなければなりません。王家は、王を中心として一つにならなければなりません。それで、皇族圏内で暮らしたのちに行く所が天国です。そこで暮らしたのちに移っていく所が天国です。
天の国の国民、天の国の氏族と国の民は、皇族から始まります。ですから、天の国の真の愛を中心として、皇族の心情圏を体得しなければ、天の国に帰れません。それをできなかったことが神様の恨です。神様が王子、王女をもち、愛せなかったことが恨なのです。そして、王孫をもてませんでした。アダムとエバを王子、王女として、王の代を継げる位置で愛することができませんでした。原理結果主管圏内の途中で堕落したのです。神様の愛を中心として、神様と直接相談することができ、天地創造の大偉業を中心として父と息子、娘が互いに相談し、歴史を編成していける相談相手にならなかったというのです。
人間が堕落しなかったならば、天地の王権と、天地の父母権と、天地の長子権を中心とした直系の息子、娘となり、この地上の王宮、天の国の王宮に住むようになったでしょう。また、そこにおける傍系のすべての兄弟は、直系の王宮の伝統を横的に受けられるようになり、これと一つになって、すべての人々が天国に行くようになっていたはずです。天国は、愛を中心として皇族の伝統を通過した、その家庭と一族が入っていく所だということを否定できません。そのため、すべての家庭は、愛を中心とした皇族の伝統生活をしなければならないという結論が出てくるのです。
「家庭盟誓」の第四節
第四節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、天の父母様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」です。神様の理想は、世界がすべて一つの家庭です。一つの家庭だというのです。四大心情圏と三大王権を完成した人たちが唱えるものが「家庭盟誓」ならば、神様を中心として一つの家庭になるのであって、二つの家庭にはなりません。創造理想である天宙大家族を形成した「神様のもとの一つの家族」です。
神様の創造理想は、アダムとエバを中心とした四位基台を完成することです。四位基台の完成は、神様の創造の側面から見るとき、み旨の完成です。四位基台を完成しようとすれば、完成したアダムと完成したエバがいなければなりません。そのように完成した女性と男性が一つになり、完成した子女を繁殖したならば、創造理想の完成実体となり、人間完成圏が成し遂げられるのです。そうして、神様の創造理想が実現されるというのです。完成したアダムとエバ、子女が神様を中心として四位基台を造成し、神様の愛と連結されることによって、すべての創造理想が実現されるのです。
アダムとエバを真の父母として生み殖えた人類は、一つの大家族を形成し、アダム文化圏の平和世界を実現したでしょう。したがって、復帰歴史は、真の父母と真の愛を中心とした真の家庭を探し立て、これを中心にすべてのものを編成するのです。このとき、中心である真の家庭は、人類の願いであると同時に神様の願いです。この真の家庭は、真の愛と真の生命の始源となり、人類の平和と幸福の起点になります。
世界人類は兄弟です。一つの血統です。神様を愛するように保護しなければなりません。ですから、神様の王宮の座に就いて、天宙大家族を成し遂げなければなりません。天宙の大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を築かなければなりません。先生は、天宙大家族主義者です。自由と平和と統一と幸福を植えてあげなければなりません。それは、先生の歴史を表すのです。先生が追求してきた歴史の表題です。
神様が立ててきた家庭を中心として、天下が求める標準を立てようとするので、祖父母のモデル、父母のモデル、夫婦のモデル、子女のモデルがなければなりません。韓国は親族大家族主義です。七代が一つの家で暮らしていける伝統的歴史を、皆さんがつくっていかなければなりません。統一教会の氏族的メシヤの道と、どうしてこれほど合うのか分かりません。
弟の立場にいるカイン世界の人々を、皆さんが兄の立場で正しく教えてあげ、伝統を立てなければなりません。そうしてこそ、サタン側が皇族圏に復帰されるのです。私たちが失われた長子権を復帰して、彼らを救ってあげなければなりません。彼らを第二王子として立ててあげることによって、私は第一王子の権限をもって天の国に入っていくのです。二人がそのようにすることによって、皇族圏が復帰されます。それをしなければ、長子権や皇族圏が復帰されないのです。
「神様の創進理想である天宙大家族を形成し」とは、神様のみ旨である大家族を成し遂げなければならないということです。自分がいくら王権を備えたとしても、アダム家庭の王権がないので、堕落していない王権を代表しようとすれば、サタン世界を大家族として収拾し、自由と平和と統一と幸福の位置に立たせなければなりません。そこにおいて初めて、自由と平和と統一と幸福が現れるのです。私たちの理念は平和統一です。
平和は、統一の土台がなければ成し遂げられません。平和や幸福という言葉があり、自由という言葉がありますが、すべてのものが一つになっていない所には、いかなるものも存在しないのです。夫婦がけんかする所に平和がありますか。一つになる所に平和が訪れるのです。自由も同じです。男女がぶつかり合う所に自由がありますか。対立する所には平和や自由がありません。自由も統一の土台の上にあるのです。
一つになる場に自由があります。目も、一点になるときは気分が良いのです。鼻が詰まれば一大事ですが、鼻が通れば自由です。耳も自由です。手も自由です。体も何も、すべて自由です。一つにならなければ、自由がなく、平和がなく、幸福がなく、統一がありません。均衡が取れた平らな所に、すべての創造の完成があるのです。先のとがった所にはとどまることができません。
「家庭盟誓」の第五節
第五節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」です。皆さんは、まず主体的天上世界を考えなければなりません。人類の分布を見るとき、霊界に行っている人が多いでしょうか、現在のこの世界の人が多いでしょうか。地上界の人口とは比較にもならないほど、多くの人々が霊界で生きているというのです。霊界が主体です。心が体に対して主体の立場であり、プラスであるのと同じです。
体は地上界を代表し、心は霊界を代表します。心はプラスと同じであり、体はマイナスと同じです。ですから、主体の心を忘れる生活、心の世界を忘れる生活をすれば、地獄に行くようになっています。体が心を主管していた人生から、今からは、心が体を主管して、屈服させる人生を営まなければならないときだというのです。私たちは、生活の中で、毎日、天上世界が主体になっているという観念をもって生きなければなりません。皆さんの日常生活が、主体的天の国に対して、その相対的な地上の完成形態を備えなければ、天上世界に行って完成基盤を形成できないのです。直接的関係です。その直接的関係が毎日、一年、一生を通して結ばれてこそ、あの世に行ってそれが第二の活動舞台となり、住居地になるのです。
天上世界は、主体の位置にあります。そこには数多くの氏族、数多くの民族がすべて入っています。天上世界を標準として、地上もそこに合わせていかなければなりません。主体的天上世界と対象的地上世界の統一のためには、分かれてはいけません。皆さんの生活において、体恤的な愛を感じなければなりません。霊界を感じられなければならないのです。神様が悲しまれることと喜ばれることを感じる、体恤的生活にならなければなりません。
霊界と肉界は、人を中心として統一されるのです。ですから、統一に向かって前進的発展を促進化するのです。後退してはいけません。前進的発展を促進化しなさいというのです。皆さんは、この世で暮らすとき、一つの地域だけで暮らすのではなく、多くの場所と関係をつくって、全体に影響を及ぼすように動かなければなりません。春夏秋冬、東西南北、四季が常に巡っていくのと同じように、皆さんも一国にだけいてはいけません。これから国境のない統一の世界になれば、思いどおりに世界を巡りながら暮らさなければなりません。
皆さんは、今まで、毎日、天上世界が主体になっているという観念をもっていませんでした。ひと月に一度も考えませんでした。毎日考えなければなりません。一日生活圏において、主体的天の国に対して相対的な地上の完成形態を備えなければ、天上世界の完成基盤が形成されないというのです。直接関係です。毎日、一年、一生を通じて関係を築いてこそ、あの世に行ったのち、自分の第二の活動舞台となり、居住地になるのです。
天上世界と地上世界を連結させる内容とは何でしょうか。それは、一時的に存在するものではできません。時空を超越したもので、きょうもそれと同じであり、過去にもそれと同じであり、未来にもそれと同じ内容にならなければならず、その内容は、私たちの日常生活において、すべてのものが拒否することなく、喜ぶことができなければなりません。夜でも昼でも喜べる内容にならなければなりません。それでこそ幸福なのです。それが愛だというのです。それは、お金では不可能です。知識でも不可能です。そのようなものは、一方的なものにしかなりません。権力も、やはり同じです。「私」という個人的権力を国家的に拡大させるためには、愛という橋がなければならないのです。
神様を中心として、地上世界と天上世界が一つになるのです。真の父母を中心として統一的立て札をもってくることによって、ここで一つになるのです。神様が創造するとき、絶対信仰、絶対愛、絶対服従により、ために生きて造ったので、私たちもこのような全体、全般、全権、全能の基盤の上に立たなければなりません。創造本然に帰るために、愛の対象を探すために、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心情をもって投入し、忘れてしまうのです。神様が造られたすべてのものを再び取り戻すため、私たち自身も神様の代わりに、この世界に対して絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。
前進的な発展というのは、絶対に止まってはいけないということです。いつでも前進しなければなりません。発展しなければなりません。前進的発展、これは東西、四方に発展しなければなりません。いたずらに「家庭盟誓」を宣布したのではありません。ですから、体と心が一つにならず、夫婦が闘っていれば、「家庭盟誓」を唱えられないのです。息子、娘を中心として一つになれなければ、唱えられないというのです。家庭がどれほど貴重かを知らなければなりません。それで、「家庭盟誓」をもったことを霊界が注視するのです。霊界に行ったすべての先祖が羨むというのです。
前進的発展の促進化です!発展するにおいても、促進化しなさいというのです。重要な言葉です。地上において、主体的天の国の相対的世界を中心として、天の国の版図のように、小さくても自分の暮らす環境に天の国の模型的基準をつくっておいてこそ、あの世に、それをそのまま移すことができるのです。それは、先生が適当に語っているのではありません。天の国と地上世界のすべてのものを総合して、天が願う道はこのように行くべき道なので、「家庭盟誓」が出てきたというのです。
毎日のように前進しなければなりません。停止すれば死亡が展開します。ですから、停止してはいけません。一歩でも、毎日毎日、前に進まなければなりません。「そのようにすることをお誓い致します!」と言うのです。ですから、天上世界で求めるすべての内容が、地上世界において寸分も違わないように、前進的発展をしなければなりません。
「家庭盟誓」の第六節
「家庭盟誓」の第六節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」です。「神様と真の父母の代身家庭として」とあるので、皆さんの家庭が、神様の家庭と真の父母の家庭の代身家庭です。神様と真の父母の代身家庭は、天運を動かす家庭です。
神様と真の父母の代身家庭にならなければなりません。真の家庭となり、天宙を動かす家庭として、神様の祝福を自分だけが受けるのではなく、周辺に連結させる家庭を完成するのです。動きながら福を分け与えられる家庭になりなさいというのです。皆さんの周辺に原理を知らない人がいれば、原理を伝えてあげながら、だんだんとさらに拡大させていかなければなりません。一人で暮らしてはいけないというのです。
神様と真の父母の代身家庭は、天運を動かす家庭です。ですから、「私」だけが祝福を受け、豊かに暮らそうと考えてはいけません。結局は、天の王族となり、全体の人々を天の民にしなければなりません。
天運が訪ねてくる道とはどこかということを知らなければなりません。天運は永遠に動くのです。天運は永遠の道を行くのですが、その道は、永遠の原則に従って、変わることなく巡り巡るのです。巡り巡って関係を整えていきながら興亡盛衰の道をつづっていくのですが、ここに立っている人間が、どのようにこれに合わせていくかということが問題です。
天理の運勢は、適当に行ったり来たりするのではありません。秩序があり、軌道があり、法則があるので、それを通して動くというのです。天運に属しているすべての存在は、ために生きる存在なのです。
天運は滅びません。私たちの人生は、一生を通じて環境に従い、偏って横道に流れてしまったりもしますが、天運は神様の経綸に従って、進む道に変動がありません。永遠だというのです。春夏秋冬、四季の順序が変わらないのと同じように、人類を動かす天運の道義も、不変の軌道に乗って個人と家庭、氏族、民族、国家、世界と向き合いながら動いていくのです。それを知らずにいるというのです。
天運は、善の人が必要とするすべてのものを供給するようになっています。ですから、欲心をもって「私がこれをどうにかする」と考えてはいけません。善であろうとすれば、必ず「私」が高い位置に行くか、低い位置に行くか、二つの道しかありません。善の人は、低い位置に行けば、すべてのものが自然に供給されるようになっているのです。
天運に乗ろうとすれば、まず天運の行く道がどこに行くのかを知らなければなりません。そこは、万民が喜ぶ所、楽しんで飲んだり食べたりする所ではありません。すべてが嫌う場です。その場は、どのようなことでも常に感謝し、責任を遂行しながら栄光を神様のみ前に返して、自分自ら感謝できる位置でなければなりません。そのような位置に立つ人が天運に乗れるのです。
「私」が祝福を受けたのは、「私」一人が良くなるためではありません。先に召されたのであれば、世界全体の兄弟の家庭を、「私の家庭」のようにしなければなりません。天運をつないで「私の家庭」のようにすると考えなければなりません。一人だけのために生きてはいけないというのです。家庭において「家和万事成(いえわしてばんじなる)」を成し遂げ、すべての家庭を和合させて統一できるようにしようと考えなければならないという意味です。
真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭にならなければなりません。そのようなときに、創造理想がすべて従っていくようになっているのです。天の祝福を周辺に連結させる家庭にならなければなりません。それをしておくことによって、心情文化世界が始まります。そして、絶対に血統を汚さない歴史を自分が何代、何千年残せるかというのです。これには、神様の祝福世界、天上世界で天の国の功臣になるかどうかという問題がかかっています。公式がそのようになっているのです。
天の祝福を周辺に運んであげなければ、霊界の皆さんの先祖が皆さん自身を蕩減させるのです。反抗するというのです。何度も道を塞ぎ、妨害するのです。「家庭盟誓にはこのようになっているのに、なぜ行動しないのか」と言います。ですから、すべて分け与えなさいというのです。それをしなければ、霊界に行って引っ掛かります。重要な一つの契約文書です。
「家庭盟誓」の第七節
「家庭盟誓」の第七節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。皆さん、統一信仰の道において最も重要なことは、どのようなことがあっても本然の血統を汚してはいけないということです。
「家庭盟誓」の第七節が重要です。私たちの家庭は、真の愛を中心とした本然の血統です。堕落と全く関係のない本然の血統を受け継いで、心情文化世界を完成するというのです。私たちの世界は、心情文化世界です。神様のたった一つの愛を中心とした統一家族です。高いも低いもなく、五色人種が一つの家族生活をしなければなりません。今後、そのような時が来るのです。
神様を中心とした本然の血統を受け継げば、本然の心情文化が始まります。本然の血統を失ってしまった所には、心情文化が生まれません。文化は、歴史性を通して連結されるのです。家庭を中心として、社会を中心として、国家と世界を中心として、これが連結されなければなりません。純潔な血統を残すことが問題です。そのようにしなければ、自分たちとの心情文化世界が中断されるのです。そのため、心情文化圏を中心とした生活をしなければなりません。
本然の血統は、堕落した血統ではありません。サタンの血統を根絶し、堕落したことを蕩減復帰した血統にならなければなりません。接ぎ木するのです。接ぎ木したならば、「私」の息子、娘、三代以降には、本然の血統の種を受けるというのです。接ぎ木した木から種を受けたものが植えられ、再び生えたときには真のオリーブの木にならなければなりません。そのためには、三代が過ぎなければなりません。母親のおなかの中に再び入って出てくることはできないので、三代が過ぎて、そこから収めた種を植えるとき、真のオリーブの木になるのです。三時代を通過しなければなりません。
本然の血統は、神様を中心とした血統です。本然の血統と連結された、「ために生きる生活」を通して、心情文化世界を成し遂げようというのです。数千代の清い血統を残さなければなりません。男女が一瞬の間に起こした堕落が、願わない世界を霊界と肉界に広げてしまったというのです。
愛を主管できなければなりません。自分の思いどおりにしてはいけないのです。ために生きる生活を通して心情文化世界をつくるというのです。心情文化世界は、神様の愛の文化世界です。根本的な文化世界を追求するのです。それは、真の愛が関係していないものがない文化世界です。
ために生きる人は滅びません。また、ために生きる人は、霊界から何度もコーチしてくれるのです。何度も、新しいものと関係を結べるようにしてくれるというのです。新しいものと関係を結ぶので、その人は自然に有名になり、世界的に知られるようになるのです。
一つになることができ、平和の起源となるその道は、どこにあるのでしょうか。神様御自身のみならず、真の人間は、ために生きる存在だという原則を立てざるを得なかったのです。ですから、真の愛は、ために生きるところから、真の理想も、ために生きるところから、真の平和と幸福も、ために生きる立場において成立するのであって、ために生きる立場を離れたところでは見いだせないのです。これが天地創造の根本原則だということを知りませんでした。
心情文化世界は、神様の本然の文化世界であり、堕落していない完成したアダム文化世界です。文化は二つではありません。一つしかありません。言語も一つであり、風習も一つであり、習慣も一つであり、伝統も一つしかない統一の世界になるのです。そこにおいてのみ、神様が個人と共に住み、家庭と共に住むのです。
心情文化世界は、私たちの理想です。文化は、二つではなく一つです。堕落した世界は、文化が複雑で雑多です。心情文化世界でなければ、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで連結できません。今まで世の中は、ジグザグに上がったり下がったりしたので、何千年かかっても、いまだ終着点にたどりつけていないというのです。心情文化世界では、あっという間に到達できるのです。それは、真の愛によってのみ可能です。
本然の血統と連結された、心情文化世界を完成しなければなりません。アダムとエバは、堕落していない純潔な神様の真の愛を中心とした、血統の関係を結ばなければなりません。ですから、私たちの文化には、サタンが存在せず、神様が喜べる文化圏を形成しなければならないのです。心情文化世界を成し遂げなければなりません。真の愛を中心として、心情文化世界のその内容も一つであり、方向も一つです。二つではありません。
本然の血統と連結された心情文化世界は、真の愛が表面化した世界です。心情を表面化させ、世界化させる時代になることによって、統一の心情文化世界、単一文化世界が訪れるのです。戦争がなく、紛争がない一つの世界、地上天国と天上天国になるのです。心情文化世界になれば、すべてのものが終わりです。私たちの家庭が天の国の皇族圏にそのまま入っていくことができる内外の内容を地上で整備し、そこに一体化できることを願って、このような「家庭盟誓」を設定したというのです。
「家庭盟誓」の第八節
「家庭盟誓」の第八節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏と釈放圏を完成することをお誓い致します」です。家庭において体と心が一つになった夫婦となり、王家ができなければなりません。これが神様の創造理想であり、成約時代の完成であり、新しい家庭の出発です。
成約時代とは、これから始まる新しい時代のことをいうのです。家庭から氏族、民族、国家、世界まで、一つの平和世界を成就する統一された世界となる、この時のことをいうのです。これは、全体を代表します。家庭ではありません。世界を越え、全体を越えて成約時代に行くのです。四大心情圏と三大王権を中心とした新しい家庭を通して、世界版図を越えて成約時代の型を備えるようになるとき、初めて一つの世界、平和世界になるのです。
神様は、絶対信仰の上で宇宙を創造しました。神様が語られたことは、必ず成就するというのです。成就しないものがありません。また創造は、愛の対象をつくるためのものです。絶対愛です。疑う心がありません。二心がないというのです。その次に、絶対服従です。絶対服従する瞬間には、神様御自身までも存在意識がないのです。従順と服従は違います。服従には自己意識がありません。従順に従うというのは、自己意識をもって従っていくことを意味します。神様は、服従する立場、自己意識のない立場ですべて投入したというのです。神様がそのようにアダムとエバを造ったので、アダムとエバに求めることも、絶対信仰の上で絶対愛、絶対服従をすることなのです。
神様は、絶対信仰の上で万物を造り始めました。絶対愛の対象のために造り始めたというのです。絶対服従というのは、自らの意識観念がなかったということです。完全にゼロ、完全に無だというのです。無に帰ることによって、自動的な循環運動が展開します。完全に、すべて与えて何もないので、下に戻ってきます。これが宇宙の運動の起源になっているのです。完全に投入したあとには戻ってくるのです。
絶対信仰、絶対愛、絶対服従の圏内で、すべてのものが成し遂げられるのです。神様御自身が、絶対信仰をもって愛の相対を造りました。「私がこのようにすればこうなる」と考えたあとに造ったのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、自分自身を完全に投入したのです。絶対愛の上で絶対信仰であり、絶対愛の上で絶対服従です。これが、永遠の霊界の主流思想です。また、地上の主流でもあります。地上天国と天上天国、二つの世界において主流だというのです。ですから、皆さんもこのような観念をもたなければなりません。この観念さえもてば、どこでも通じるのです。
祝福家庭は、世界的であり天宙的です。先生に代わって実行できる直系の息子、娘と同じです。先生が祝福してあげるときは、「私よりもっと立派になり、私の後ろについてきなさい」と思いながら祝福してあげたのです。ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心さえもてば、先生がしてきたことを、同じようにできるのです。神様は、創造をするとき、そのような心情をもって出発しました。主体である神様が、「私が語れば、愛の実体対象が生じる」と考えたのです。絶対信仰で造ったのです。絶対愛の相対に出会うというのです。愛の主人になるためには、相対がいなければなりません。そのため、愛には神様御自身も絶対服従するというのです。絶対順応するところから循環運動が始まります。
真の愛の主体者であられる神様は、真の愛の相対者として人間を立てました。神様の愛の理想は、人間を通してのみ完成するのです。神様の創造目的は、神人愛一体の絶対的愛の理想世界です。人間は、神様の最高最善の愛の対象として造られました。ですから、人間は、創造物の中で唯一、神様の実体をまとった対象なのです。無形の神様のみ前に、見える体として生まれました。人間が完成すれば、神様の聖殿になります。神様が自由に、また平安にいつでも入ってきてお住まいになる有形の実体です。神様の絶対的な真の愛の全体的理想は、人間を通して父母と子女の縦的関係で実現、完成するのです。
神様は、愛の根であり、生命の根であり、血統の根であり、地上天国と天上天国の根です。アダムとエバが結婚するときには、神様がアダムとエバの心に入っていき、一体的愛を完成するのです。神様は縦的な真の父母であり、アダムとエバは横的な真の父母です。そのような二つの父母の血肉を受けて生まれたので、心は縦的な「私」となり、体は横的な「私」になるのです。このようにして神人愛一体圏を形成するので、心身一体愛を完成した人は、神様の息子、娘になるのです。
真の父母様は、実体世界において超民族的な祝福をしています。これが連結されることによって、地上で個人解放、家庭解放、氏族解放、民族解放、国家解放圏が成し遂げられるのです。その解放圏は、霊界で成し遂げられるのではありません。このように、天国愛の国、天宙愛の国まで連結させることができる基盤が地上にあるので、真の父母を中心としたすべての霊界と肉界が一つになり、統括的な面で総清算して、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで、祝福の完成を成し遂げなければなりません。そうして、霊界と肉界の祝福家庭一体化圏が広がることによって、堕落していないアダムを中心とした天国理念の基盤が、歴史始まって以来のすべての家庭を中心として、同一的な価値の位置で成立するのです。そのような地上天国と天上天国が顕現するところに神様が臨在するのです。
今から国家、民族的なグループが連合できる時代に入ります。そうして、地上の国と氏族、家庭が連合し、統一圏に越えていくのです。このように越えていくことによって、世界は急速に変わります。これと反対になる人々は、サタンが来て放っておかないというのです。サタンは、今まで地獄に連れていこうとしましたが、今後は、天国に連れていくというのです。このように協助し、先祖まで天国に連れていこうとするので、天国に行くことを妨害する人がいないため、解放圏となり、急速に未来の世界化時代に越えていくのです。
先生の時代は、すべてのものが解放です。解放された立場に立ったのです。その解放された価値は、とても言葉では表現できません。歴史時代において、神様は、数多くの先祖から分別された歴史の価値を積み重ねて、積み重ねて、積み重ねて解放圏をつくったのです。ですから、その価値そのものである祝福家庭は、全体が解放された立場にいるので、すべての被造世界の汚れたものから栄光のあるものを身代わりした祭物だというのです。祭物のような立場に立っているのです。
解放圏は宇宙を意味します。太陽系の数千億倍にもなる大宇宙のことを言うのです。解放圏から釈放圏が始まります。サタンが住むことがなく、私たちの思いどおりに暮らせる障害のない釈放です。罪がありません。監獄に入り、とらわれの身で服役していた立場から抜け出し、監獄の門から出てきたので、再び新しい国民に戻るのです。そうして神様が「私の父」になり、「私の家庭」と「私の国」を守るその主人と一つになることによって、サタンと関係のない永遠の釈放圏に入っていくのです。そうして、天国の中に入って暮らすようになるというのです。