天聖経訓読室

第3節 真の父母と侍る生活

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1

皆さんは、今から、真の父母と一緒に暮らさなければなりません。神様は祖父母の立場であり、真の父母は父母の立揚であり、自分たちは子女の立場だというのです。三代が共に暮らさなければならないという結論が出てくるのです。神様が「私」と共にあり、真の父母が「私」と共にあることを感じて暮らさなければなりません。

真の父母様に侍る生活

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皆さんは、真の父母の本当の息子、娘ですか。子女とは何でしょうか。真の子女とは、真の血統をもっていることを意味するのです。もちろん、真の子女は真の愛を通して関係が結ばれるのですが、真の血統を通して連結されるというのです。そのため、真の血統を通して連結されたものは、父母に似るのです。皆さんは、先生に似ましたか。皆さんの目は青く、私は黒いのです。髪の毛も違います。私は東洋人で顔が平たいのです。一番の骨子に似なければなりません。サタンに勝つことと神様を絶対に愛すること、これに似なければなりません。

3

皆さんは、先生を、どれほど愛するべきでしょうか。サタン世界の愛の痕跡がある、その愛が染みついた立場で愛してはいけません。それ以上でなければなりません。サタン世界で生まれた皆さんの父母、妻子、その誰よりももっと先生を愛さなければなりません。それで聖書に、「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイ一〇・三七)とあるのです。そのような結論を下したのです。そうして、そのあとには「自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」(マタイ一六・二四)と言ったのです。十字架を背負わなければならないと言いました。反対に引っ張っていく力を押さえて越えようとするので、十字架です。ここで悲痛な涙を流さなければなりません。

4

祝福の場は、世界で最も良い立場です。その祝福の場は、誰と関係を結ばなければならないのでしょうか。皆さんは、自分自体で完成するのではありません。純粋に、父母様の愛によって完成するのです。子女が父母の懐から生まれれば、立派であってもそうでなくても、その父母の形態に似るのです。それと同じように、統一教会では、真の父母の道理を教えてくれます。それが皆さんには福の中の福なのです。人間の願いは、真の父母に会うことです。死の道を行くとしても会わなければならない人が真の父母です。歴史をすべて失い、時代をすべて失い、自分の子孫をすべて失うことがあっても、真の父母に出会うならば、歴史を取り戻すのであり、時代を取り戻すのであり、未来を取り戻すのです。このような方が、正に真の父母です。

5

すべてのものは、真の父母に出会うことに帰結します。人類の真の父母が現れるのが歴史の願いであり、国家の願いであり、思想の願いであり、摂理の願いです。ですから、そのような真の父母が現れる時は、あとにも先にもない時であり、歴史上に一度しかない頂上なのです。永遠の世界から見れば、人間の一生というものは、一度呼吸をするのと同じような期間です。

6

皆さんは、先生の写真を持ち歩かなければなりません。そうすれば、どのような苦難に遭うとしても、無事に耐え抜けるように保護してくれるでしょう。モーセがイスラエルの民をエジプトのパロのもとから脱出させ、カナンへ導くために奇跡を行うとき、エジプトの長子が患難に遭って死にましたが、羊の血を門の柱に塗ったイスラエルの民の家は、その患難がすべて避けていったのです。霊界からは、人間のすべての行動を見ることができるだけでなく、保護もしてくれるのです。

7

イスラエル民族がエジプトから出てくるとき、門の柱に羊の血を塗って災いを免れたのと同じように、先生の写真を持っていれば、それと同じようなことが起きるでしょう。先生の写真をいくらポケットに入れておいたとしても、霊界では分かるのです。皆さんの先祖たちが、これを媒介体にして連結されます。そのような良い材料だと知っているのです。これを持って歩くときは事故が起きず、故障が起きないのですが、この写真を置き忘れてしまうと、そのようなことがすぐに起き得るのです。それによって、先生の写真がどれほど貴いかということを、皆さんが悟ることが頻繁に起きるというのです。

人倫道徳と孝

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今日までの人倫道徳は、父母が子女を愛し、子女は父母に孝行し、夫婦は各々の本分を区別しなければならないというものでした。これが「三綱五倫」の礎石として、今まで受け継がれてきましたが、これもやはり変わってきています。このように、既存の慣習や規範などが自然に変化していく気勢が、社会環境と生活環境に浸透してくる日が、終わりの日です。世界的な指導者、メシヤがこの地上に現れれば、その方はこの問題を収拾しなければなりません。

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韓国の礼法では、目上の人から何かを受け取るときは、両手で受け取るようになっています。それは、水平になってこそ愛を受けられるという意味です。人心は天心であると言います。私たちのすべての規範は、良心の道理に従って、相対的に生じてきたものなので、水平にならなければなりません。男性と女性は、愛を軸として水平にならなければなりません。聖人が世界を愛する心、聖子が神様を愛する心をもって、いつでも水平にならなければならず、謙遜でなければなりません。

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道を歩くのも、東洋思想では、目上の人が先に行かなければなりません。先に生まれたからです。そのように環境を合わせようとするというのです。あとの人はあとに立ち、高いものは高いものとして、低いものは低いものとして、前のものは前のものとして、後ろのものは後ろのものとして、上のものは上のものとして、前後を備えなければなりません。そのような思想は変わるものではありません。永遠不変です。

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韓国の家庭を見れば、朝、父母が起きれば、息子の嫁が行って父母にまず挨拶し、それから布団をたたんでさしあげ、部屋の婦除もしてさしあげ、食事の用意もしてさしあげます。これが韓国の法度です。皆さんがこのような歴史時代を蕩減するためには、法の中の法、孝行する法であれば、孝行する法の中でも最高の法度を立てなければならず、国家においても最高の基準を超えられる法度を立てなければなりません。

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世の中には、父母が死んで三年の喪に服す際、毎日、朝夕に上食(喪家で朝夕霊前に供える食事)を供え、出ていくときや入ってくるときは霊座(位牌の奉安所)に告げて挨拶する法度があります。皆さんは、それ以上にしなければなりません。皆さんの今やっていることが、み旨から見るとき、天の格式にきちんと合わせた生活かといえば、違うのです。話にもなりません。夫婦が共に、その日のことを神様のみ前に報告し、出ていって仕事を始め、終えて帰ってきたときも、神様のみ前に報告をしてから御飯を食べるようになっているのです。そのようなことをすべて規範とする生活、神様を標準とした生活がどれほど厳格かを知らなければなりません。女性にも女性として守るべき家庭生活の規範があり、男性にも男性として守るべき家庭生活の規範があります。このような途方もない天的な規範を体系化させて生活するのが、皆さんが行くべき路程です。

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難しければ難しいほど、もっと熱心にやらなければなりません。すべての人が先輩家庭を天のように仰ぎ見ています。ですから、何か違う点がなければなりません。心の奥底に流れる心情が異ならなければなりません。祝福家庭の夫婦は、他の人たちの前で憧れの対象にならなければならないのです。「あのような夫をもった奥さんは、どれほど幸せだろうか」、「あのような奥さんをもった夫は、どれほど幸せだろうか」と、憧れることができなければなりません。

14

人倫道徳という言葉を聞いたことがあると思いますが、天倫道徳という言葉は聞いたことがないでしょう。人倫道徳の起源はどこですか。その起源を掘り下げていけば、良心に根拠があるのです。今日の法は、ローマ法を基礎にして作られ、それが現在、世界文化の基礎になっていると言えますが、人倫道徳は、どこまでも良心を根拠にしているのです。法よりも良心だというのです。良心の基礎は善です。善を標準とするのです。善から外れるときは、良心がその外れたものを正していくのです。そして、純粋な良心に一致する普遍的な社会体制を形成しようとするので、法令も必要なのです。ですから、結局、人倫は天倫に根拠を置くのです。

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人倫を立てようとすれば、本然の道理が必要であり、本然の道理を立てようとすれば、天倫が必要です。それでは、その天倫は何を中心として現れるのでしょうか。これは、絶対的な愛を中心として現れます。本然の道理は、何を中心として現れるのでしょうか。これは、生命の権限をもって現れるのです。今日、人倫に代わる道義は、何をもって現れるべきでしょうか。永遠の信義を中心としたものとして現れなければなりません。今日、皆さんは、天倫に向き合おうという心がありますか。そのような心があるとすれば、本当に心から、神様の代わりに信じられる友をもたなければなりません。さらに、神様の代わりに信じられる一つの兄弟、父母、夫婦をもたなければなりません。そのようにして家庭を越え、社会、国家、世界的舞台にまで伸びていかなければなりません。これが神様の願いだったのです。

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隣人を自分のように愛することより、さらに大きな愛はないと言いました。それが一番の愛です。父母を愛せなかった恨が残っているなら、父母の前に孝行する以上の愛をもって隣人を愛するようになれば、必ず孝行できる環境が展開し、孝行のような愛の環境が展開するときは、その人がたとえ父母の前では孝行できなくても、天倫は孝行した以上の価値を分かってくれるのです。