本来、人間始祖のアダムとエバが堕落していなければ、どうなっていたでしょうか。アダム家庭におけるアダムは族長になります。族長になると同時に民族長になります。また、国家の代表になってアダム王になるのです。ですから、この世界は、一つのアダム主義に統一されていくのです。取るに足らない主義が出てきて世界を攪乱させているので、私たちはこのような主義を根こそぎすべて取り除かなければなりません。アダム主義、アダム言語、アダム文化、アダム伝統、アダム生活様式、アダム制度など、あらゆるものがアダム国家の理念制度にならなければなりませんでした。このような主義が「神主義」です。神様の心によって神様と一体とならなければならないので、「神主義」だというのです。
第1節 真の父母様が構想された平和世界
神様と平和世界
アダムとエバが堕落しなかったならば、祝福によって結婚式を挙げてくださり、神様が喜ぶ息子、娘を生み、神様が喜ぶ家庭を編成し、これを繁殖させ、氏族と民族を編成しようとしていました。これがさらに広がれば、その世界は「神主義」の世界であると同時に、アダム主義の世界なのです。その世界に理念があるとすれば、これはアダム主義の理念であり、そこに宇宙観があるとすればアダム主義の宇宙観であり、天宙観があるとすればアダム主義の天宙観であり、生活観があるとすればアダム主義の生活観なのです。そして、五色人種(あらゆる人種)が混じり合っても、そのようなことは問題ないのです。それは、環境によって異なったものなので、数多くの民族や皮膚の色の違いは問題ないというのです。それでは、どうして数多くの民族の言語が異なるようになったのでしょうか。人類始祖が堕落することによって、天が分立させたというのです。
本然の地とは、どのような所でしょうか。悪が宿る所ではありません。悪と絶縁し、あふれ出る本然の愛を中心として、永遠無窮に幸福を歌いながら暮らす、永遠の統一世界です。しかし、そのような所で生活した人がいたでしょうか。一人もいませんでした。歴史上で数多くの人々がそのような世界を追求しましたが、そのような世界は、この地上に立てられませんでした。「その世界はこのような世界だ」と言った人はたくさんいましたが、自らが実践して、そのような世界を成し遂げた人はいなかったというのです。
私たちが住みたい所は、天の国です。天の国で暮らしたいというのです。天の国には境界線がありません。天の国で使う言葉は二つではありません。人種の差がありません。人はみな神様の懐から生まれたので、人類は一つの兄弟です。神様を中心として見れば神様の息子、娘なので、すべてが兄弟であり、地上天国を中心として見れば民です。地上天国の国民です。民だというのです。
「共生共栄共義主義」の世界は、人類が望んできた理想天国の世界です。その世界は、絶対に独りでは成し遂げることのできない世界です。ですから、その世界は、独りだけでいる世界ではありません。「私」と言えば、必ず相対がいるのであり、また家庭があるのです。これは、観念としてのみ終わるのではなく、実際の生活において作用されなければなりません。生活舞台において、それを実際に表現できる世界が、正に天国の世界なのです。
人間は本来、堕落していなければ、神様が喜び、神様が好み、神様が楽しみ、神様が愛することのできる祖国をもっていたでしょう。本来は、そうなっていなければなりません。この地上が、この地球星が私たちの祖国でした。その祖国が地上天国なのです。そのようになっていたなら、神様を中心として始まり、神様の愛を中心として関係を結んだでしょう。神様がいらっしゃり、神様の愛がある限り、私たちが神様を知らないことはあり得ません。神様の愛を体験すると、神様の愛がどのようなものかが分かるので、万民が兄弟の関係を中心として一つの家族のように、一つの兄弟のように、一つの家庭を、大家族をつくったでしょう。この地上天国で神様の家族として暮らした人々が行く所が、霊界の天上天国です。天上天国は私たちの本郷の地です。人間が堕落して以後、今までそのような地上天国が生まれず、地上に私たちの祖国が生まれなかったために、天上天国が空いています。天上天国に入った人はいないというのです。
平和世界は大家族社会
天国とは、主体的な神様の愛を中心として、すべてが一つになって和合し、互いに喜ぶことのできる家庭を世界的に展開させた所です。そこが、神様が理想とされる天国です。結局は、神様の愛を中心として大家族理念が調和する世界圏がつくられてこそ、天国になります。そうしてこそ、神様が構想された世界になるのです。今日、世界は、これを夢に見ることもありません。そのような世界を知らずにいます。神様がこのような世界まで収拾しようとしていらっしゃるのですが、このサタン世界の僕が反対して天の法度に背いたので、その僕以上の一人の男性、サタン以上に高い立場で神様のために忠誠を尽くすことができる、僕以上の真の人が現れなければ、神様が手をお付けになることはできません。これが今日、堕落世界と、悪の世界と向き合われる神様の立場なのです。
神様は父母であり、人間はその国の民であるとともに子女の立場にいます。個人もそうであり、家庭もそうであり、氏族、民族、国家、世界がそうです。このように、神様を中心とした一つの主権下において、神様の実の息子、娘として展開された個人的家庭を中心として見る時、その国の主権とは、家庭を結びつける主権です。国の主権が家庭を代表した主権だというのです。ですから、その主権は、数多くの個人から、数多くの氏族、数多くの民族がいるとしても、必ず主体的であり、相対的な立場に立っています。そのように主体と対象の関係がどこでも形成される創造理想的な世界になることによって、そのような所には神様の主権があるので、「天の国だ」と言える横的な世界が形成されなければなりません。それが神様の創造理想でした。しかし、人類始祖が堕落することによって、根本的に破綻をもたらしたのです。
理想世界の体制は、どうなっているのでしょうか。家庭の体制を拡大したものです。その家庭の教本の原則に一致する心情圏を完成した人なら、どの家庭に行っても兄弟のように接し、息子、娘のように接するようになります。そうかといって、夫婦のように接しなさいという話ではありません。また、自分の祖父と祖母の年齢のような人は、自分の祖父と祖母のように接し、自分の息子、娘のような年齢の人々は、自分の息子、娘のように接するのです。どこかに行って、自分の息子、娘のような子女たちが通り過ぎれば、「来なさい」と言って、食べ物があれば一緒に分け合って食べるのです。このような世界をつくらなければなりません。ために生きる世界でなければ、平和世界が来ることができません。ために生きる哲学の論理を、生活哲学から生涯哲学に発展させなければ、この世の中に平和の世界が来ることはできません。
すべての人間が最後に行くべき共同の目標であり、行くべき共同の関門とは何でしょうか。国でもなく、世界でもありません。共産主義世界でもなく、民主主義世界でもありません。共産主義世界の前に、本然の家庭がなければなりません。また民主主義世界の前に、真の民主主義世界を創建できる本然の家庭がなければなりません。今までこれに対する秩序がどこにあり、ここに対する教育がどこにあり、ここに対する目的基準がどこにありましたか。このような決定的な基準がこの地の上に現れなかったというのです。これが現れるまでは、平和の王国、平和の理想国家、平和の国はあり得ません。ですから、このような理想的家庭、本然の家庭、生きるべき家庭、出会うべき家庭、探すべき家庭がこの地球上に必ず現れて、人類歴史とともに運命を共にすることができる一時が来なければなりません。そうしてこそ、地に対する神様の摂理が成就されるのであり、安息の福地、安息の家庭が出発するというのです。
超国家、超民族、超宗教社会
神様が創造した世界に国境はあり得ません。白黒の人種問題は問題にならないでしょう。善悪の闘争も必要ないはずです。このような観点において、私たちが暮らす世界には、国境がないでしょうか。国ごとに国境があります。白黒の人種問題だけでなく、家庭において夫と妻、父母と子女の間で分裂が起きています。善人と悪人が闘っています。このような現在の情勢において、来られる主は、国境のない国をつくり、人種問題を超越して世界を一つにしなければなりません。分裂した家庭を統一しなければならず、善悪が闘っているこの世界に平和の王国をつくらなければなりません。ですから、個人は家庭の前に犠牲にならなければなりません。国は、一つの世界のために犠牲になり、屈服していかなければなりません。このような道を模索しなければ、今後、訪れる一つの世界まで進む道が完全に断絶するのです。
宗教は、国家体制を越え、世界体制を越えなければなりません。そのような絶対的な力をもった宗教にならなければなりません。そのような真理をもった宗教は、堕落圏内でつくられたあらゆる制度やあらゆる風習やあらゆる国家やあらゆる氏族、血族までも、変化させる主体的な力をもたなければなりません。そこでは、アジアや西欧が別々にあるのではありません。そこに、国家的に分立し、民族的に分立し、氏族的に分立する現象や、不公平な現象によるサタンの起源があってはいけません。それらが望む標準は、一つの国があるだけです。一つの民がいるだけです。一つの国土をもつだけです。それでこそ、神様を中心とした永遠不滅の一つの主権が形成されるのです。その国は、神様を中心として直系の子女たちが天命に従い、神様の命を受けたその王権をもって統治する国であるに違いありません。そこには、民主主義や共産主義はあり得ないのです。
今まで世界の数多くの民族、あるいは五色人種がつくった文化圏の世界を、すべて打破してしまい、一つの文化圏にしなければならないのです。言い換えれば、「神主義」的な家庭制度、「神主義」的な社会制度、「神主義」的な国家制度、「神主義」的な内容を備えた理想社会が展開されなければなりません。そのような主義が、堕落していない完成したアダム主義です。共産主義でも民主主義でもないアダム主義です。それは、「神主義」を求めていく過程なのです。
先生は、今から国連を一つにまとめなければなりません。国連を束ねて何をするのでしょうか。けんかをしてはいけません。そのモデルは、平和の国家になることができ、統一国家になることができるのです。超民族、超宗教、超人種、超文化圏を中心として、兄弟愛によって侍られる父母が、天下の大王陛下になるのです。アダム家庭が、家庭の王として、氏族王、民族王、国家王、世界王に発展していかなければなりません。ですから、王権が伝授されて続くようにしなければならないのが神様の摂理なのです。
宗教の中心とは何でしょうか。神様です。もちろん神様に対する名前はたくさんあります。しかし、名前が問題ではありません。その神様は、二人になり得ないのです。根源は一つなので、お一人の神様です。お一人の神様について語るとき、各国の言語が違うので一つの神様を表す名詞は異なって表現されますが、その本体は一つなのです。神様が志向される目的は、宗教を通して現れます。ですから、どんなに数多くの教団があるとしても、その教団が行く道の目的は、一つの帰結点に帰着しなければなりません。その帰結点とは、平和と連結され、天国と連結される理念です。
人間がいくら平和の国をつくろうとしても、人間の世の中にある何かでは、世界的な平和の国を成し遂げることはできません。もし可能だとすれば、今よりも昔の多くの宗教人たちが精誠を捧げたことによって、既にその世界を成し遂げていたでしょう。今日、人々は発達した科学文明の中で、実存主義、現実主義に立脚して、その理想を探求しようともがいています。皆さんは、私たち人間が希望する本郷の国、理想世界を成し遂げることができるでしょうか。皆さんの心と体が一つになれずに分かれていることが問題です。ですから、外的な体と内的な心が一つになれば、問題になることはありません。心と体が統一されているかという時、この体が怨讐です。心はまっすぐに行くことを願うのに、体は反対に行くことを願っているというのです。
天地を創造された神様は、善を中心として、個人と家庭、国家、世界、天宙を立て、神様が願われた愛を中心とした平和の世界を成し遂げようとされました。しかし、人間の堕落によって、このようなものをすべて失いました。そうして、神様が創造したこの世界は、真の個人と真の家庭、国家、世界、天宙となれずに、悲しみを伴った個人と家庭、国家、世界、天宙になりました。神様は今まで、これを復帰するために苦労してこられたのです。そして、私たちの先祖も復帰のみ旨に従ってきましたが、どのようにすれば神様のみ旨に合うように個人が復帰され、家庭が復帰され、国家、世界、天宙が復帰されるのかということを知らずに来ました。先生は、真の個人から家庭、国家、世界、天宙まで、いかに復帰し、この天宙が神様の心情にいかに一致するか、という重大な問題をかけて、これを解決するために今まで苦労してきたのです。先生は原理を探し出したあとに、これがやはり人類に必要なものであることを知り、またこの原理でなければ、神様が創造理念を達成できないことを知りました。