天聖経訓読室

第2節 共産主義の問題点と終焉

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今日、世界は、共産世界と民主世界、カインとアベルに分かれています。世界的に分かれています。カインとアベルが争うことによって不幸を招きましたが、その歴史的な恨の血統を清算するためには、カインとアベル、共産世界と民主世界が分かれて闘う立場に立っていてはいけません。この地上に世界平和の王国が臨むことができないというのです。平和の父母がこの地に臨むことはできません。カインとアベルと同様の立場にいる共産世界と民主世界が一つになってこそ、この地上に父母の立場にある世界統一主権が降臨するのです。

なぜ共産主義が問題なのか

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民主世界と共産世界は、反対になっています。民主世界は天を求め、共産世界は反対に向かっています。共産世界は物質世界を求めていきますが、民主世界はその反対の道に向かっています。民主世界は個人を中心にしていますが、共産世界は党が主管しているのです。民主世界は自由と愛と平和を中心としていますが、共産世界は脅しと銃剣を中心として強制的に主管しています。二つの世界が今、反対に広がっているのです。

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民主世界は心の主義です。そこには、それでも同情があり、未来があります。また、そこでは平和を論じます。しかし、共産主義の理論は、唯物弁証法による闘争を主張します。彼らは、闘争過程が発展の要因であると言っています。そこには平和があり得ません。理念が違うというのです。

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今日の世界は、体と物質のために闘う世界です。どんなに経済学、科学、思想が発達するとしても、それが人類に平和をもたらしてはくれません。それではできません。心の世界に入って、この肉体と物質を再鑑別することができる、ある主義や天的な動きが歴史的な終末時代に現れない限り、この世界は滅びてしまうでしょう。今や、天が必ず一つの中心を決定すべき最後の時代に直面しました。このような時代に暮らしている私たちは、この多くの問題をどのような立場で解決し、清算すべきなのでしょうか。この問題が世界的に起きて二つの思潮として現れたのですが、その一つは唯物史観であり、もう一つは唯心史観です。はっきりと分かれて現れたのです。物質と共に、体と共に行けば滅びます。ですから、神様と共に清算しなければなりません。ここにおいて、私たちが提唱すべきものは心ですが、この心の主体は誰でしょうか。心の主体は神様なのです。

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民主主義は民主主義なりに、共庭主義は共庭主義なりに、自分たちを中心として平和世界に到達しようとします。共産主義は、今から完全に地上から消えていく時代に入っていきます。これは、摂理的に見ても、また歴史的に見ても、そのようになるしかありません。共産主義がなくなれば、民主主義はどうなるのでしょうか。民主主義世界においても、「共産主義世界がなくなったので、今からは民主主義の時代が来る」と考えます。自分たちが主導権をもち、世界を支配し、民主主義が希望だと考えていますが、共産主義の滅亡とともに、民主主義自体も、そのあとを追いかけ、急激に落ちていくのです。

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今までの共存は、相手をお互いに否定しようとする闘争が継続する状態での共存です。互いが平和を維持しながら、互いに良い状態での共存ではありません。このような観点から、唯心史観と唯物史観の闘争は、根本から解決しなければなりません。これを解決しようとすれば、善をどの位置に立てるのでしょうか。まず原則的な基準をしっかりと立てたのちに、その基準を中心として、あとのものを処理しなければなりません。

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先生は、カイン圏である共産世界とアベル圏である民主世界を統合した基盤の上に立たなければなりません。ですから、これらが一つにならなければならないのです。心と体が拡大した世界が民主世界と共産世界です。一つは「心主義」の世界であり、一つは「体主義」の世界です。これを合わせた基盤の上に立たなければ、世界平和の扉を開けることはできません。これが原則です。これが個人の体から、家庭、社会、国家、世界にまですべて連結されるのです。

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共産主義の論理を見ると、「世界は闘争過程を経て私たちが指向する一つの理想世界に到達するのだ。それは絶対的だ。党の命令はどのような命令よりも絶対視しなければならない」と言うのです。それが善の側に立ち、自由と幸福と平和をもたらすことができる側に立ってそのように言うのであれば分かりませんが、共産主義の本質的内容を見れば、これは、とても想像できない内容をもっています。自分たちの目的を達成するためには、手段や方法を選ばないのです。自分の父母も、自分の国も、自分の同志も、その行く道に障害になれば切るのです。そうして、七十年の歴史を経た共産主義は、世界の問題として登場しているのです。

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共産主義が追求するものとは何でしょうか。闘争の結果によってもたらされる平和の世界です。その平和の世界は、今日、民主世界でいう平和とは違います。平和に背くあらゆるものは粛清するのです。共産主義思想に背くあらゆるものは粛清します。反動分子だというのです。ですから、反動分子をすべて切ってしまい、反動分子がいないようにした、その世界の平和を言うのです。民主世界とは異なるのです。今日、ソ連が平和を主張しますが、その平和は、マルクス・レーニン主義を中心として、そこに背くすべての反動分子たちを粛清してしまい、マルクス主義一辺倒の立場で反対する群れがいない境地を言うのです。

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共産主義とは何でしょうか。神中心の主体も認めない、対象も認めない、方向性もない、目的性もないというのです。この中でどれか一つでも認定すれば、すべて崩れ去ってしまうのです。ここでは、主体と対象の関係を闘争関係として見ています。闘うことで一つになるというのです。そのような道理がどこにありますか。「女性と男性が闘って一つになる。心と体が闘って一つになる」というのです。彼らはまた、主体と対象においても、「物質が先であって、心が先ではない。心は物質から派生した」と言います。逆さまにひっくり返してしまいました。「発展は闘争だ」と言いながら、闘争の方向を取っています。平和の方向ではありません。「統一は血を見なければならない。血を見て統一される」と言うのです。これは、歴史発展の原則にも、宇宙の存在の原則にも違反するのです。

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唯物弁証法は、すべてのものは闘争しながら一つになるというものです。もし資本主義世界がなくなり、資本主義体制が共産主義体制になるときには、闘争目標をどこに置くのでしょうか。その時に、平和の世界がただそのまま来るのかというのです。その時、ただじっとしていて理想的な共産世界が来るとは絶対に考えることはできません。もし、これ自体が飽和状態になって理想実現が不可能になるときは、必ずそれ自体の分裂が激しくなります。もしそのような世界になるとすれば、霊界がその世界を黙って放っておくのかというのです。神様がいるとすれば、どのようにされるでしょうか。その世界になったとすれば、宗教がなくなります。宗教がない世界になるのです。そのようになった時、今まで宗教と向き合ってきた神様が、何もせずにじっとしているだろうかというのです。共産主義は、資本主義に対して閾争目標を立てると同時に、神様に対して闘争目標を立てています。宗教を闘争の目標に立てるのです。

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共産主義が語る平和は、私たちと概念が違います。語彙的戦術を活用しているのです。「平和」といえば、私たち自由世界、民主世界の人々は、互いに意見が異なり、主張が異なり、目的方向が異なる立場にあっても、互いに和合して一つになることができる基準を探していきます。それが平和です。そのように一つになったものが平和だとみなすのですが、共産世界は違います。プロレタリア独裁政権に反対するすべての反動分子は、完全に除去してしまい、そこに相対的なものが現れない基準に立った平和なのです。

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既にアメリカの行政府や軍隊や教会に、共産主義者が投入されています。ですから、無神論的キリスト教化運動を本格的に宣伝してきています。物質思想を中心とした共産主義思想の基盤のもとで、組織的な編成をしてきていますが、これを中心としては何も期待できません。行政府に期待することはできず、軍隊に期待することはできず、教会に期待することはできず、すべて期待することはできません。学者もそうであり、大学生も同じです。ですから、仕方なく共産主義に対処できる思想的な基盤のもとで、新しい宗教運動を提示して、世界問題化させて希望を存続させる道しかないという結論が出てきます。ところが、共産党は、道理にかなった理想世界を願いません。暴力的な理想世界を願うというのです。目的のためには手段、方法を選びません。そのような世界化された基盤と向き合わなければならないのが先生の立場であり、統一教会の立場であることを考えてみなければなりません。ですから、思想的に向きを変えておかなければならず、生活的な感情を変えておかなければならず、行動の方向を変えておかなければなりません。

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共産党や悪というものは、力が強いときはいつでも攻撃してきます。平和がありません。そのような意味から、先生が統一教会の若い人たちの心に火をつけ、未来において闘争という内心的な決意を誓わせるために、勝共運動をしたのです。力は力で制圧することができる基準になっていなくてはならないのです。だからといって、攻撃するということではありません。弱くなるときは、いつも侵攻しかねないのがサタンの本質です。平和だ何だと言うのは、彼らの戦略戦術です。急変する情勢が押し寄せてくるこの時に、韓国の国民たちがすべきこととは何でしょうか。生死の決断を下すことができる思想的な武装をすべき時が来たというのです。

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唯物論を中心とした共産主義がいかにして出てきたのでしょうか。それは、歴史的に物質しか分からないこの体の闘争的内縁を拡大させ、世界的に結実させておいたものです。それが唯物論的世界観です。また、今日の民主世界は、闘う心と体において、心の側として実を結び、世界的に結実したものとして現れたのです。これが今、世界問題として対峙しています。いつも体が心を打って引っ張り回すように、終わりの日には、物質主義が心の主義を侵犯して死亡のどん底に追い詰めかねない危険千万な水位を越えるようになります。このように見る時、二十一世紀に世界の統一も必要であり、一つの世界や平和の世界も必要ですが、「私」の心の中の奥深くに統一と平和をもたらすただ一つの方案を、いかにして探し出すのでしょうか。これが問題です。これが起源になっているので、ここから解決しなければ、すべてのものが水泡に帰すのです。

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今日、世界情勢の状況を探ると、共産主義者たちは、三つの形態の戦争を繰り広げています。それは、思想戦、情報戦、宣伝戦です。アメリカは、大きくて強大な国家ですが、共産主義者たちと闘って勝つことのできる確実な政策をもっていません。アメリカの為政者たちは、共産主義者たちと対抗して戦うことを敬遠し、後退と譲歩を繰り返してきました。ですから、アメリカと隣接した中南米の国々が共産主義者たちに操られ、アメリカの自由と平和を威嚇する段階にまで至ってしまいました。もし、共産主義者たちがアメリカの統治権をつかむとすれば、皆さんはどのようにしますか。彼らが今のように、皆さんに自由と平和を保障してくれると思いますか。先生は、そのような不幸な事態がアメリカでも発生する可能性があり、そのような兆候は既に、世界の至る所に現れていることを確信しています。中南米の様々な国々は、先生とその思想だけが未来の希望だと認識し始めました。今、統一教会の信徒たちは、アメリカを説得し、理解させなければなりません。

共産主義の終焉

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先生は、共産主義が七十三年を越えられないことを、天理を通して知ったので、待ち望んできたのです。金日成主席とソ連の情報当局が、一九八七年十二月までに先生を暗殺する計画を完了していました。そのような事実を、アメリカ情報局を通して通告されていました。一九八七年、日本の赤軍派二十五人がニューヨークに投入されてから、捕まって吐露した事実です。そのようなソ連が、統一教会の真理を調べてみると、これこそ素晴らしいものであり、ソ連に新しい希望を与える真理だということを知るようになったのです。

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先生は、スイスのジュネーブで開かれた「世界平和教授アカデミー」の大会を中心として、「一九八五年八月十五日になる前に、ソ連の滅亡を宣布しなさい」と言いました。三百五十人の世界の学者たちとソ連研究の専門家たちを集めて、ソ連は滅亡せざるを得ないと宣布してしまいました。そのような条件を立てなければ、ソ連が下降していくことはできないのです。

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先生は、共産主義を終息させるために「ソ連帝国の滅亡」という主題で、一九八五年に「世界平和教授アカデミー」を中心として大会を行いました。この時、ソ連は破竹の勢いのある時期でした。一九八五年にはアメリカを乗っ取ろうというのがソ連のプログラムでした。その時、カプラン博士がダンベリー刑務所に訪ねてきて、「ソ連帝国の滅亡という話を露骨にしないようにしましょう。多分(メイビー:maybe)、そうなるかもれない、という言葉を入れましょう」と言いました。それで、先生が「ソ連帝国が五年以内に滅びたらどうするのか。責任をもつのか。見ていなさい!」と言って、そのまま滅亡を宣言したのです。そうしたのですが、五年目に滅びたのです。

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闘って発展するものはありません。闘えば、必ず二つとも落ちて、下降していきます。闘争して発展するという共産主義は、七十三年もちませんでした。先生は、既に一九五〇年代から予言していました。「共産主義が七十三年を越えれば、私を好きなようにしなさい」と言いました。ちょうど七十三年目にきれいに滅亡しました。闘いを助長する人は、必ず現在の基準を破綻させるのです。転落させるのです。闘争概念というものは、発展的動機がありません。現在以上の基盤を築けないのです。

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先生は、思想的な体制を中心として、四十年間闘ってきました。共産党が滅びるので、共産党を捨てる時には、何を得ようとするのでしょうか。共産党に積極的に反対してきたものを得ようとするのです。それしかつかむものがありません。それが転換時代の立て札にならざるを得ないというのです。ですから、自由世界が反対し、共産世界が反対しましたが、少しも揺らぐことなく今まで闘ってきたのです。また、モスクワに行って、「共産党は滅びる」と宣言し、神様を紹介しました。ソ連が今後、神様を求めるためには、先生が話したその基準を中心として求めなければなりません。今までのギリシャ正教や既成宗教の観点とは根本的に違います。神様を現実的生活の中心に登場させておいたというのです。そのような面で、歴史的な宣言をしたのです。

超理念時代のビジョン

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一代はもちろん、十代、あるいは百代、千代、さらには人類の最初の先祖から、今後、来る数多くの子孫まで、永遠に感謝できる主義、思想がこの地に現れるとすれば、その思想によって世界は征服されるのです。過去の数多くの聖人、賢人までも感謝、感激できるその何かがあるとすれば、霊界も協助するようになります。そして、この時代の数多くの人間も、そのような思想と理念があるとすれば、感謝、感激せざるを得ないでしょう。それが、今の時代で終わるのでなく、過去から現在、未来まで連結されるに違いありません。そのような内容を私たちが探ってみる時、これが何によってそのようになるのでしょうか。このような観点から、統一教会が特に主張するのは心情なのです。

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歴史を総合して見ればローマ教皇庁を中心とした神本主義も失敗し、人本主義である民主主義も失敗し、物本主義である共産主義も失敗しました。ですから、神本主義と人本主義と物本主義をすべて合わせることのできる超国家的、超理想主義的な世界があればどうだろうか、という考えをもつようになるのです。それを総合できる思想的体系が必要であるのと同時に、宗教的体系が融合した一つの道が絶対に要求される時代圏に移りつつあります。ですから、思想も必要ですが、宗教主義も必要です。神様を中心とした、人間以上のものが必要だからです。人間では駄目です。世界の歴史のあらゆる政治的趣向がこのような方向に移っていくので、ここで統一教会がそれを統合するための道を模索して、発表するのが「頭翼思想」なのです。

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これからは、共産世界でもなく民主世界でもない、新しい世界が現れなければなりません。私たちの心を主とした、神様を尊重する世界がこの地に現れなければなりません。死亡の体を越えて、私たちの心が渇望する希望の世界がこの地に現れなければならないというのです。その時が正に私たちが渇望する平和の王国時代であり、私たち統一教会員が主張する地上天国時代なのです。

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今まで民主世界と共産世界は闘争してきました。それで、共産世界の怨讐は民主世界であり、民主世界の怨讐は共産世界だといいながら、お互いに減ぼそうとしているのです。このような世界においては、私たちが願う平和は現れることができません。ですから、ここで必然的に要求されるものとは、心と体を一つにした新しい運動です。心が絶対的に、完全に体を管理できる一つの勝利的基盤を築くための新しい運動が、この地上に展開しなければなりません。そうして、それが民主世界を抱き込んで、さらに共産世界まで抱き込むことができなければならないのです。

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なぜ左翼が現れ、なぜ右翼が現れたのでしょうか。右翼と左翼が現れるようになった起源は、どこにあるのでしょうか。それは、政治家たちがそのような名称を付けたくて付けたのではありません。歴史的蕩減路程を再現させて、これを抜け出すことができなければ、イエス様が解放されないからです。右翼と左翼、バラバまで一度にイエス様の前にひざまずき、「あなただけが栄光の勝利者であり、最後の勝利者だ」と賛美できるそのような世界になってこそ、平和の天国が開門されるのです。

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歴史の進展過程を見る時、宗教統一運動と勝共運動をせざるを得ません。宗教の統一運動と、共産世界と自由世界の統一運動をしたという証拠を残すのです。右足には「統一原理」、左足には「勝共理論」を中心として、「統一思想」の人として立って「私はここにいる!」と言うようになる時、神様の息子になり、そこから新しい理想と地上天国が始まります。先生は、地上天国を行進していくのです。神様が「どうなったのか」と尋ねれば、先生は「あらゆることを終わらせました。私たちも平和の世界を願っていました」と答えるでしょう。

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今、東西問題を中心として見たとき、民主主義が勝ったと思わないでください。民主主義は何もありません。民主主義は、政治形態の一つです。思想的基礎は何もありません。今、思想の空白期に入りました。これから、私たちの思想を教育しなければなりません。「神主義」と「頭翼思想」を掲げていかなければなりません。それをもって、制度化して引っ張っていく機関が必要です。単に統一教会だけでは駄目です。それを統一教会が引っ張っていけば、統一教会の教理になります。また、勝共連合を中心としてすれば、共産主義に反対する、偏った立場の団体理念になります。ですから、大きな枠を中心とした「世界平和連合」を中心としてするのです。第一次世界大戦以後には国際連盟ができ、第二次世界大戦以後には国際連合ができました。新しい世界を収拾するための世界機構として、政治の方向や知識層の人々を収拾することができなければなりません。それを収拾する新しい指導理念を満たしていかなければならないのです。

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統一教会は、アメリカや共産主義と何が違うのでしょうか。アメリカは、人間中心の平面的な基準の国々を中心として民主主義を主張し、共産主義も、やはり平面的な基準の世界平和を主張してきました。アメリカは、キリスト教文化圏だと言いますが、神様を絶対主体として立てるのではなく、神様をなおざりにしながら、人間が先頭に立っているというのです。しかし、統一教会は立体性をもっています。世界を一つの平和の世界につくり上げても、それが終わりではありません。それを一つの新しい宇宙平和の理念のための出発基点にするのです。これが恐ろしいのです。そこから神様の出動が可能です。そのような次元において、統一教会は、世界平和の基準を出発点と見ていますが、今日、平面理念を主張する民主主義や共産主義は、世界の平和基準を自分たちの目的にしているのです。

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共産主義や民主主義は、形状世界(地上世界)の平和や形状世界の自由というものを求めてきましたが、性相世界(天上世界)の平和と自由は知らずにいます。形状は変わっても性相は変わりません。形状的にはいつでも変化がありますが、変質する道はないのです。形状的な変化の形態を取れば発展するのです。しかし、本質的な変化はありません。性相は変わらないからです。性相と形状が一つになる基準から見るとき、統一教会は、地上の平和や地上の統一という概念を、性相世界に向かって出発する基点として見るのです。今日、この世界は、形状世界の平和と自由を論じていますが、私たちは、それを中心として性相世界を願うので、自由世界の終着点が、性相世界に向かう出発点になると見るのです。

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現在の共産世界や民主世界を見る時、二大対決時代は過ぎ去り、今は融合時代がやって来ました。しかし、平和を主張する時代は来たのですが、その平和を成し得る内容が明らかではありません。この世界は、混乱の渦中にありますが、これを克服する内容を提示できる未来像がありません。共産主義は、理想世界を実現しようとしましたが、その夢がみな崩れました。民主世界もそうです。現在の民主世界をアメリカが主導していますが、世界の平和的終着点に到達するには、あまりにも遠い立場です。むしろ、その希望の基準が坂道から滑り下りていっているのが現状です。しかも、青少年たちが腐敗して「人種之末」(人として最低の無法著)の段階に至ったので、未来像はあり得ないのです。