統一教会の中心思想は、「ために生きる」というものです。そのようにすると、「私」が中心になるのです。互いにために生きる過程がなければ、家庭の平和がなく、家庭の平和を形成できなければ、民族平和、国家平和、世界平和はありません。ですから、全世界の愛の圏を中心として生きなさいというのです。これは、人類平和の絶対的な要因になるのです。
第4節 世界の平和
統一教会の思想は、救援の目標を個人に置いていません。一つの国と一つの世界に置いています。国が救援されて、太平王国になれば、その国の民は太平の民になります。同様に、世界が平和の世界になれば、その世界圏内に属している数多くの民族と国々も、平和な国家圏をつくるようになります。ここでは、相反圏があって闘争をするのではありません。統一祖国の光復を世界化させ、その世界化された圏内で、普遍的な生活文化を創建できる内容をもつようになるのです。このような思想をもつことが、現在の難局に直面した世界情勢を、新しい局面において打開できる方便です。このような思想が「統一思想」なのです。
本来、人は、心を中心として体を制御し、管理し、統括し、主管して一つの目的を成し遂げる共同目標を達成していかなければなりません。心と体は、そのような相対的基準です。そのような相対的基準を除去してはいけません。心的なものを中心として体的なものを吸収し、それに同化させることができる新しい運動が、この時代の世界の前に現れなければならないのです。
今後の世界はどうなるのでしょうか。政治的形態が整えられたといって、世界が一つになるのではなく、経済的生活制度が同じだといって、世界が一つになるのではありません。政策の方向が一つになってこそ、世界は一つになります。国家間の戦いや決裂のようなものは、どこから始まるのでしょうか。政策の方向が異なることから始まります。それが異なることによって、世界がぶつかったり、分かれたりもします。結局は、考えが異なっているということです。ですから、各々の考えを統合していかなければなりません。それでは、それを統合するに当たって、人間同士の生活で統合できるのでしょうか、でなければ、神様を中心として統合できるのでしょうか。道は二つしかありません。人間自体としては理想を探し出すことはできません。人間同士の欲望で立てられた政策理念では、一つの政策方向、一つの路線を追求できる道はありません。ですから、絶対的な思想、絶対的な精神と関連した一つの思想体系を通して、人間の良心と体を通した生活舞台を再現させる道を発掘しなければ、一つの世界を模索することはできず、平和の世界をつくることはできないのです。
統一教会は、「犠牲になりなさい」と教えています。「統一教会の教会員たちは、統一教会より国のために犠牲になりなさい」と言います。国や民族に今までになかった犠牲の心をもってために生きるとすれば、今まで歴史上に現れなかった愛国精神がここから顕現するようになります。ここに国民を愛する新しい伝統が立てられるようになる時、その伝統を立てた団体は滅びません。それさえ植えておけば、万民がその愛の道を喜ぶでしょう。それは過去においても喜び、現在においても喜び、未来においても喜ぶでしょう。時間的にも観念的にも、これを凌駕するものはありません。あらゆるものがこれを標準として終着するようになっています。これが母体であり、起源なので、その愛だけが人類に必要なのです。
「共生共栄共義主義」
男性と女性が天情とともに、新しい世界へと門を開けて立ち上がれるその時が、正に私たちが希望していた天国が出発する時です。そうしてこそ、そこから天地の始まりの日が来るのであり、人類が願っていた目的と希望の一つの定着点が生じるのです。その時になれば、一人で主張する時代はすべて過ぎ去るようになります。「私が一番だ」と言えない時代です。その時からは共同世界です。すなわち、「共生共栄共義主義」の世界だというのです。ですから、統一教会で、共生共栄共義を主張するのです。その世界は、独りで成し遂げるものではありません。
理想的な社会や国は、すべての人が国境と皮膚の色を超越、し、相互協力と調和を形成し、幸福に生きていく社会です。この社会は、人々が唯一の神様の息子、娘であることを自覚し、真の父母を中心として一つの兄弟となった大家族社会であり、そこは血統と所有権と心情を復帰した祝福家庭たちが、真の父母の言語、真の父母の文化のもと、自由と平和と統一の世界を成し遂げたところです。人々は、神様の心情文化の中で、共生共栄共義の生活をするようになります。人類は、地球環境に対する公害要因を除去し、万物に対して真の主人として愛し、保護しながら生きるようになっています。その世界における生活のための活動と作業は、他のために生きて愛する心情を土台とした喜びの奉仕であり、実践です。したがって、構成員の生活レベルは標準化されます。このような理想の実践は、真の父母の思想、すなわち、ために生きる真の愛の理念でなくては不可能なのです。
父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、このようなものは西洋思想にありません。ですから、心情的な面においては、東洋思想が西洋思想より一段階高いのです。その土台から、「共生共栄共義主義」を主張するのが統一教会です。ですから、このような観点を離れては、「私」というものは存在し得ないのです。絶対に独りでは勝利できません。皆さんに「教会のために生きなさい」と言うのは、何のためでしょうか。より大きくさせるためです。家庭で大将になろうということでよいのですか。教会のために生きるのは、私がもっと大きくなるためであり、国のために生きるのも私がもっと大きくなるためであり、世界のために生きるのも私がもっと大きくなるためであり、天地のために生きるのも私がもっと大きくなるためです。どれくらい大きくなるためでしょうか。最高に大きくなるためです。ここで大きいというのは、体積をいうのではなくて、内外に最高の円満さと円熟さを備えることをいいます。皆さんは、そのような立場で統一教会を中心として、世界水準の舞台で、万民と共に生きようという人にならなければなりません。そうしてこそ、天地を創造された神様の息子、娘になれるのです。
「頭翼思想」
「頭翼思想」とは何でしょうか。「神主義」を求めていくものです。「神主義」を求めて何をするのでしょうか。平和主義として再度出発するのです。「神主義」とは、神様と出会い、愛を中心として一つになり、平和主義として再度出発するものです。その世界において、本然の地上天国の出発基地ができるのです。そこで一生涯生きた人は、手続きもせずに永遠の世界にそのまま間違いなく入っていくのです。
復帰の道は簡単ではありません。今は左右の終末時代です。左右を中心として死んでいったイエス様は、父母の恨を残して逝きました。ですから、父母の思想をもって「頭翼思想」と神様を中心として、左翼の讒訴圏を離れた立場で統一圏を論議し、これまでとは反対に回れ右をして無限に進んでいける環境をつくらなければ、天国ができません。そのような時です。そのような意味で、先生が「神主義」、「頭翼思想」を掲げて現れ、兄弟主義をなくしていくのです。
統一教会で言う「頭翼思想」とは何ですか。頭がないので左翼と右翼が闘うのです。「頭翼思想」、左翼思想、右翼思想、この三つの思想が合わさって連合思想が現れるのです。その連合思想の主体とは誰でしょうか。どんなに考えてみても、頭がすべての神経系統、中枢神経の根なので、頭を通過しなければ現れないのです。それでは、その根の中の根とは何でしょうか。根の中の根は神様です。神様から出てくるものが「頭翼思想」なのです。ですから、私たちの正常な本然の心が満たされるのです。
統一教会は、思想的統一を中心として頭翼運動をします。左翼と右翼とは羽のことです。しかし、頭翼の頭は、羽ではありません。左と言えば左側を意味するように、「頭翼」と言えば頭のほう、頭側と考えればよいのです。イエス様が、どこから新しい世界的な分立歴史をなしたのかといえば、十字架上からです。イエス様を中心として、右側の強盗と左側の強盗、そしてバラバ圏、このように三つの世界圏に分立されたのです。終わりの日に至っては、右翼と左翼があり、イエス様のように頭が現れ、バラバがいるのです。バラバは、共産世界でもなく民主世界でもない世界で、アラブ陣営の世界なのです。
世界主義思想が必要です。民族主義思想、国家主義が現れましたが、今まで共産主義は国家を第一として、自分たちの主張には人種的限界があったのです。私たちは、それをすべて越えました。ですから、超宗教、超国家です。今までの国家の思想を乗り越えなければなりません。これは、世界主義ではなく「天宙主義」です。超国家、超世界です。超世界の国家、超世界の宗教だというのです。今までそのような思想はなかったのです。神様を中心とした主義、思想が現れなければなりませんが、ここに「神主義」、「頭翼思想」が台頭するようになったのです。
先生は、超宗教、超国家、超国連の理想をもって、すべてのものを結束させます。現実世界では「超」がありません。宗教圏と国家圏にも「超」はありません。「超」といえば、神様のところに帰る頂点圏を意味します。そこに立っている人間としての再臨主であり、真の父母なのですが、その真の父母は「頭翼思想」をもって左右を収拾します。「頭翼思想」とは、神様を絶対中心として、世界のあらゆるものを収拾するものです。ですから、宗教圏や国家圏は相手になりません。それを乗り越える主義が必要なのです。それを乗り越えるのは、神様のみ前に完成されて連結される心情の文化圏である、アダム統一文化世界です。それは、神様と一体圏を成し遂げる心情圏の出発基地です。
「神主義」とは何でしょうか。超国家、超宗教、超NGO。(WANGO:世界非政府機構連合)のための統一主義です。その統一を何でするのでしょうか。考えだけでは統一できません。愛が必要です。ここにおいて、宗教や社会のあらゆる伝統的思想の主流が出てきますが、それが犠牲と奉仕です。犠牲になるところには、新しい芽が出てくるのです。
今からは、神様を中心とした考えと観念で始まるのであって、人間を中心とした考えと観念で始まるのではありません。人間を中心としたところには道がありません。唯一、希望的な道は、神様が理想実現のための終着駅に向かって出発できたということです。先生は、そのような概念を宣言しているのです。頭翼を中心として、左翼と右翼が一八〇度転換して一つになり、神様の世界に帰らなければならないのです。神様の愛で一つの世界をつくることができ、世界平和を成し遂げることができるのです。
歴史を見れば、キリスト教を中心として物本主義と神本主義に分かれました。物本主義も崩れ、神本主義であるキリスト教文化圏も崩れて、世俗的な人本主義に降下しました。ですから、神様を中心とした主義がありません。唯物論者と人本主義者たちでは、世界が収拾されません。主人は神様なので、その主人の立場から見てこそ、収拾ができるのです。ある思想をもった権威者がいるとしても、彼が世界を導いていくことはできません。右翼も左翼もできません。それで、生まれてこなければならないのが「頭翼思想」なのです。「頭翼思想」は心情主義です。何の心情主義でしょうか。真の子女の心情、真の夫婦の心情です。神様を父母として侍り、その神様と血統的関係を結ぶ家庭環境でなければならないのです。
家庭的な天国基盤を準備するために、統一的主人の姿勢と家庭的姿勢を備えることができる基盤を完成しようというのが「頭翼思想」の目的です。家庭は、天国基盤の単位です。金型の機能をするモデルです。大量生産をするのです。天国をつくれる家庭のモデルが、どこにありますか。天上世界の王国と、その王権世界に対応できる地上での天国単位の家庭が、どこにあるのかという話です。それは、先生が教えたもの以外にはありません。私たちが「頭翼思想」を主張するのは、アダムとエバが衝突する要因を統一的基盤の上で解決し、本然的な家庭の基礎を準備しようということです。それが「頭翼思想」の基盤になるのです。
東洋と西洋を誰が一つにするのでしょうか。先生しかいません。キリスト教文明圏と東洋思想文明圏を中心として、仏教、儒教、イスラームを連合させた背景、その大きな背景を消化できる、世界平和のための宗教連合をつくっておきました。その次に、政治風土では「世界平和連合」をつくり、西欧社会とキリスト教社会が東洋と出会う準備をしているのです。政治的には「頭翼思想」と「神主義」を中心として、超国家的理念で世界の政治風土を一つにして、平和世界に向かうのです。
今は緩衝地帯に置かれています。イデオロギー、すなわち価値観の没落によって、世界が収拾できない状態になりました。緩衝地帯に入った難しいこの混乱時代に、主体牲をもった価値観が一つもないというのです。それをもつことができ、それを成し遂げることができるのは、私たちが主張する「頭翼思想」と「神主義」しかありません。これが最後の価値観を代表できる時代に入るというのです。「神主義」は、絶対的な価値です。今まで、人間的な幸えで騒ぎ立てましたが、今からは人間中心から神様中心に移っていきます。神様は絶対者です。絶対者には絶対的な考えがあります。今まで誰も、このような内容を知りませんでした。数多くの宗教が文化的な背景になっていても、「神主義」を知らなかったのです。「神主義」というとき、主義というものは生活様式を意味します。個人的な生活様式、家庭的な生活様式、社会的な生活様式、国家的な生活様式、世界的な生活様式、天宙的な生活様式など、体系的様式において、理想的な宗教的内容はありませんでした。しかし、統一教会がこの地上に出現することによって、「頭翼思想」を宣布し、「神主義」を宣布するようになったのです。
アメリカには、ソ連の共産党に勝つことができる思想がありません。先生の「頭翼思想」を中心として「神主義」で武装するようになれば、経済基盤とともに内外が一つになり、先生の指導を受けて神様の垂直方向、直線方向に行くようになります。垂直は直線と通じます。直線方向に従って、本然的創造理想の基準に向かって、世界が一つの家庭を連結させた兄弟的版図を成就することによって、世界平和圏ができます。政治と宗教を結合させるために、宗教圏は心的世界を代表したものなので、「世界平和宗教連合」をつくり、世界の政治圏を中心としては「世界平和連合」をつくって、これを一つにするのです。
今までの数多くの主義は、不変の方向を取ることができませんでした。アメリカはアメリカだけを中心として、ソ連はソ連だけを中心として、民主主義は民主主義だけを中心として、共産主義は共産主義だけを中心として進んできたのです。宗教もそれと同じでした。それは、神様が願われる方向ではありません。一時も同じ方向を取ることができず、すべて東西南北にそれぞれ分かれたのです。今までは、どんな組織、どんな責任者、どんな国家も神様が願われる方向をつかむことができませんでした。ですから、これからは、個人、家庭、社会、国家、世界、天宙など、すべてのものは、永遠不変の方向性をつかまなければなりません。そのようなものを代表したものが「頭翼思想」であり、「神主義」なのです。
韓国の地から世界的な指導者たちを輩出して、統一の世界、平和の世界である地上楽園を成就しなければなりません。祖国の統一はもちろん、東西の文化的差異と南北の貧富の格差を「神主義」と「頭翼思想」で解消し、愛を中心とした人類大家族社会である、平和の世界を建設していかなければならないのです。
民主世界は右翼を代表し、共産世界は左翼を代表します。これらが今、崩れつつあります。両世界とも中心がありません。中心とは何ですか。これから必要なものは、「統一思想」であり、「神主義」だと、先生が宣布しました。いかなるヒューマニズムも、神様のみ前に出ることはできません。「神主義」しかありません。神様だけが絶対的であり、永遠の中心です。「頭翼思想」だけが全人類の中心になることができます。真の霊界と肉界の中心となるのは、「真の父母主義」なのです。
この世の中には、宗教文化圏と歴史的文化圏、民族文化圏が残っています。宗教文化圏は神様の生活から出発したものです。ですから、「神主義」を実現できるのが宗教文化圏です。これは、東西南北の文化背景を収拾するためのものです。その次には、左翼と右翼が闘っているので、これを収拾しようというのが「頭翼思想」です。「神主義」では宗教を統一するのであり、人間世界の哲学思潮と苦しみうめくこの世界を収拾しようというのが「頭翼思想」です。
世界主義
キリスト教は、どのようにして世界的な宗教の中の宗教になったのでしょうか。聖人の中でも、王の聖人を中心としたからです。聖人の中でも中心の聖人がいます。中心の聖人は何を教えなければならないのでしょうか。神様を中心とした人間の道理、正道を教えなければなりません。聖人は、神様に対する人間の道理、神様のみ前に行くことができる道理を教えなければなりません。聖人は、これが違います。聖人は、神様が指導されるので、世界的です。歴史を超越した平和の国を追求し、愛の心情を中心とした人類愛を追求するのが神様の道理なので、その道理に従う聖人の教えは、世界主義です。ですから、神様を第一としなければ聖人になれないのです。
今日は、終わりの日です。この時代は、世界主義の時代に入っています。その世界と遠ざかるのではありません。天心があるとすれば、天心を中心とした「天宙主義」時代に入るでしょう。それでは、私たちの心は、どこに向かっていかなければならないのでしょうか。自分のために生きる時代は過ぎ去りました。家庭のために生きる時も過ぎ去りました。社会のために生き、民族のために生きる時も過ぎ去りました。一カ国のために生きる時も過ぎ去りました。今からは、世界主義時代が来ます。ある理念のもとで、世界のために生きなければならない段階に入ってきました。今からは、天の心が向き合いたいと思う個人を探さなければならず、天の心が向き合いたいと思う家庭を探さなければならず、天の心が向き合いたいと思う民族と、国家と、世界と、天宙を探さなければなりません。それが分からない限り、歴史上の偉人や聖人たちの路程を繰り返すことになるのです。
私たちの理念とは何でしょうか。人間を第一とした世界的な主義ではありません。宗教という枠を越えて神様を第一とした一つの主義、世界を標榜し、この標榜した一つの主義と、人間が世界圏内に標榜しておいた善の世界とが、矛盾なく合わなければならないのです。そのようになってこそ、天地が一つになるのです。天は心であり、人間は体と同じなので、体と同じこの世界が一つに収拾され、人間を中心とした善の世界になったとしても、それではいけません。心と同じ善の主体が、「善の世界である」と認めることができる全体的で内的な世界が現れなければなりません。これが、矛盾や衝突なく一つの主義として完結するようになる時、天地は初めて、そこから平和の世界へ向かうことができるのです。
今の時は終わりの日だと言うことができます。世界的な教団やいかなる主義、思想でも解決が難しい時代が来ました。今日まで、人間が提示してきた主義、主張では、私たちの心の世界を包括することができず、心情の世界を安息させることはできません。哲学も、宗教も、科学も、自ら降参すべき段階に入ってきています。ここで知るべき問題は、この世界が何を抱かなければならないのかということです。心の世界を越えて、天宙を越えて、無限なものを抱かなければなりません。この世界が抱いている以上のその何かを抱き、その価値を謳歌することが、地上のいかなることより貴いというのです。そうしてこそ、この世界を治めることができます。今日は、世界主義の時代です。二つの陣営が対決して、世界を分ける時です。これが闘いで終わってはいけません。どちらが心を象徴し、どちらが体を象徴するのかという内容の基準を立てて解決しない限り、この世界は混乱が広がって自滅の道を避けることができなくなるのです。
世界において、「自由のために闘争する。自由のために生命を投入する。死を得るか、自由を得るか。自由のために生命を捧げる!」と言いますが、そうではありません。自由という問題を中心として革命を起こし、何かの団体や国を得たとしても、そこでまた、闘争が起こります。そこには、永遠の主体の概念がありません。銃剣の力で強制してでも得ようとするというのです。そのような代表的な存在が共産主義です。個人主義、家庭主義、民族主義、国家主義も同様です。今は、国家主義の限界線を越えられないので、世界主義という概念の上で暮らしている人は一人もいないのです。
最後には、神様の愛を中心とした家庭主義であると同時に国家主義であり、国家主義であると同時に世界主義が現れなければなりません。ですから、「世界万民は一つの家庭の家族に、兄弟にならなければならない」と言うのです。万国が平和になり、世界が統一されるようになるとき、いかなる世界をつくるのでしょうか。兄弟の関係をもった家庭主義の世界が来なければなりません。それが理想世界です。家庭主義の世界に、兄弟だけが現れてはいけません。兄弟同士では争いが終わりません。国連の百数十カ国は、アメリカがいくら大きくても、アメリカと一対一で相手をします。兄弟の国家圏だからです。その次には、父母が現れなければならないのです。兄弟同士は争いが終わっていないので、父母が「あなたは正しく、あなたは間違っている」ということを教えなければなりません。このような時が来るので、父母が来て世界統一主義を主張するようになります。父母の懐を離れましたが、再び父母の懐を求めて、神様の愛の圏内で深い眠りにつき、春の日を迎えられる、その世界が統一の世界なのです。
「天宙主義」
「天宙主義」とは、心と体を合わせ、神様の愛の本体になる家庭をつくり、その理念を霊界と肉界に連結させる主義です。天宙の「宙」は、「家」を意味する文字です。それで「天宙主義」という言葉を使うのです。天宙は、無形世界と実体世界を合わせたものです。これが私たちとどのような関係があるのでしょうか。私たちには家庭が必要です。家庭で一つになれなければ、「天宙主義」とは関係ないのです。家庭が「天宙主義」を完結させる最終基準になります。ここで平和の歌を歌えずに、幸福をたたえることができない人は、この地上でも霊界でも不幸な人になるのです。
神様は、全天地万物を創造された方として、全天地を統治すべき主人公であって、どこか一つの地域を主管する方ではありません。ですから、皆さんが神様に対して「父」と呼べる、神様の息子、娘になろうとすれば、神様が指向する世界について、考えなければなりません。そのような時に、神様と関係を結ぶことができるのです。今まで、数多くの主義と思想は変遷しています。しかし、変遷したあとには、この宇宙の根源者であられる神様と一つになることができる「天宙主義」的な形態をもたなければなりません。これが正に、必然的な歴史的帰一点として残されなければならないのです。
今や世界主義時代が過ぎ去り、新しい「天宙主義」の理念時代が訪れてきます。この時代が来る時に、両手を挙げて歓迎しながら、その時代の中心の前に全体が屈服できなければ、すべて壊れます。これが正に大審判です。イスラエル民族が塗炭の中でも、自分たちの歴史的な観念とあらゆるものを忘れてモーセの前に頭を下げ、天が共にあるモーセに従って進んでいった時には、前を遮っている紅海も無難に渡ることができ、パロの配下での逆境と苦痛の環境も無難に越えることができました。しかし、モーセを不信するようになると、六十万の大衆は荒野でみな倒れました。なぜでしょうか。歴史を治めてきたのは、その当時の人々を導いていく思潮や主義ではありません。より高いところに向かって導いてくれる心です。そのさらに高いところは、神様の心なのです。
私たちは、民主主義でも共産主義でもありません。それでは、何主義でしょうか。「天宙主義」です。「天宙主義」という言葉は、主人を意味する民主主義の「主」の字ではありません。家を意味する「宙」の字です。神様は、この国で暮らすことができますか。暮らすことができません。この国は、天宙、すなわち神様の家にならなければなりません。これができないので大騒動が起きるのです。主人が家を離れて大騒動だというのです。
今までの歴史時代において、そのいかなる思想もついてくることができない内容をもっているのが、正に「天宙主義」です。これは、世界のいかなる思想も凌駕する新しい思想であり、この思想の特徴は「家」なのです。家を意味する「宙」の字の「天宙主義」です。結局、「私」が生きていくことのできる家、国が生きていくことのできる家、世界が生きていくことのできる家、天と地が生きていくことのできる家がなければなりません。個人の家、国の家、世界の家、天地の家に向かっていかなければならないというのです。このような家の中心は神様です。神様を中心として、個人の家から、民族、国家、世界的な家に発展していかなければなりません。サタンは、世界の型をつくっておきましたが、神様はまだそこまで位置を占めることができていません。サタンは、個人の家から氏族の家、国家の家、世界の家まで造っています。ですから、私たちは、神様を中心とした代表的な力をもって、サタンのすべての家を壊してしまい、神様のみ旨を中心として再び新しい家を建てなければならないのです。
皆さんは、神様と同じように天宙主義者です。ですから、自分の家庭のために生きるのではなく、国のために生き、世界人類を自分の兄弟のように愛さなければなりません。それでこそ、天の国の家庭と接ぎ木できる世界的足場が、そこから広がるのです。神様と人類のためにあらゆるものを犠牲にできる息子であり、娘だという立場で、「私」が結婚するのも「私」のためではなく、神様と人類のためであり、寝るのも「私」のためではなく神様と人類のためであり、食べるのも「私」のためではなく神様と人類のためでなければなりません。このように、すべてのことを神様と人類のためにするというのが、「神主義」であり「天宙主義」なのです。
人類の根本は父母です。ですから、皆さんは、情緒的な面において、神様の心情を中心としてあらゆる生死の起源を立てなければなりません。それが人間としての必然的で、絶対的な要件です。そのような要件を備えて世界を考え、自らの一生を生きていく人がいるならば、その人は「天宙主義」に属した人です。そのような人は、たとえ大韓民国で生きているとしても、「天宙主義」に属した人だというのです。「天宙主義」の主権が立って、世界のすべての人々が「天宙主義」の世界に属するようになる時、その主権が立つまで迫害されていたその人々は、天地が歓迎する中で賞を受けるようになるでしょう。その責を受けた人々は、新しい地上天国で生きてから、永遠の天国に入るのであり、その子孫は地上で永遠に残る天の民になるのです。そこが正に私たちが行くべき終着点です。ですから、その基準を訪ねていかなければならないのです。
統一教会は、地上の人類を救うことはもちろん、今までこの地に来てから霊界に行って地獄に捕らわれ、地獄の鎖につながれている霊人たちまで解放しようというのです。これが統一教会の理念です。ですから、「天宙主義」を論じてきたのです。それは、ある法的条件をもってできることではありません。神様を泣かせることができ、神様の心情を通して神様の中にある、歴史的なあらゆる恨を解怨成就できる孝子が現れるまでは、不可能です。そうかといって、孝子だけでできるものではありません。そのような家庭が現れて、「神様、イエス様が個人的な息子として人類を許されましたが、神様の息子、娘が夫婦となって家庭をつくり、一つになって贖罪の祭物を捧げる立場に立ちましたので、霊界に行っている霊人たちまでもお救いください」と言ってこそ、そのことが可能になります。家庭が一つになってこそ、霊界と肉界の全般的な人類を解放できるのです。
人間が求める最後の時代は、情的な主義の時代です。人情ではなく、天情に通じることのできる情的な主義の時代です。私たちは、その時代を考える必要があります。いくら優れた何かをもっているとしても、必ずそのような時代が来てこそ、歴史が解決されるのです。このような世界的終末時代が来るのですが、宗教理念をもった世界的宗教をよく見てみると、キリスト教がこれをよく看破してきました。それでは、そのキリスト教の情的な基盤は何でしょうか。「私は花婿であり、あなたがたは花嫁である」という立場で、新郎新婦の横的な関係を立てたその主義、「神様は父であり、私は息子である」といって、父子関係を結ぶことができたその主義、万民が兄弟だとして、全世界の人類を兄弟として結びつけることができたその主義は、観念主義ではなく、良心を乗り越えた情的な主義です。この時代は、天情に通じることができる「天宙主義」時代なのです。
今日のこの時代には、世界主義よりも大きな「天宙主義」の理念が現れなければなりません。「神主義」が現れなければなりません。そうして人間がこの地で生活する上で、その「神主義」を中心として、心と体が天の心情と通じることができる確固とした基準を立てなければ、私たちは幸せに暮らすことができません。ですから、私たちは、生活圏内でその理念を中心として心と体が安息し、楽しむことができると同時に、その理念を通して歴史的な神様の心情、時代的な神様の心情、未来的な神様の心情を体恤しなければなりません。そうして、世界の前に宇宙史的な最後の贈り物として立たなければならないのです。この贈り物の最後の目的は、地を治めることではありません。この世界を基盤として無限の世界を抱き、最後には神様を抱くのです。これが最後の目的です。神様を抱くこと、神様を私のものにするのです。
韓半島の葛藤は、先進国と後進国の間の葛藤だけでなく、東西文化の葛藤までもよく現しています。ですから、韓半島の統一は、世界平和と不可分の関係にあるだけでなく、未来の世界の問題を解決するのに重要な方向性を提示する指標になるでしょう。今日の世界は、霊的な大覚醒が必要な時を迎えています。個人や国家や世界のすべてが、神様の実存に対する新しい理解だけでなく、神様と人間が再び出会い、離れようとしても離れられない本然の関係を再び取り戻さなければなりません。このために提示されたものが、先生が教え導いた真の愛を中心とする「神主義」なのです。この「神主義」は、左翼でもなく右翼でもない「頭翼思想」なのです。