男性と女性が愛し合うようになれば、その家庭は、平和の家庭になります。父母と子女の間も同様です。国も同じであり、すべてそうなります。このような原則をもった幸福の日を、人類先祖がもち、人類がもたなければならなかったのですが、今までもつことができませんでした。男性と女性が一つになるところ以外に、完成基準はありません。
第3節 家庭の平和
家庭は平和の基点
宗教の目的とは、万民が善の人になって、平和に生きていける一つの世界を成し遂げることです。平和の条件は、どこかの国際的な政治家たちの手によってできるものではありません。ですから、何かの政策や主義によって世界に平和が来る、というのは不可能です。さらに、軍事力によって世界の統一と平和が来る、というのは不可能なのです。平和の基点を発見できる根拠地、幸福の基点を発見できるその根拠地とは、皆さんが暮らしている家庭なのです。
人間は誰でも、家庭で泣いている父母よりは、笑っている父母に侍って暮らしたいと思います。笑って生きる兄弟と共に暮らしたいと思います。それでは、どのようにすれば、笑う父母に侍って暮らし、笑う兄弟と暮らせるのでしょうか。世の中でいう夫婦とその父母を中心とした家庭ではなく、全人類と全世界の父母を中心とした家庭にならなければなりません。世界を代表し、万国を代表できる家庭の軸は、どこにとどまるのでしょうか。誰でも平和な家庭を求めているのと同様に、絶対的な神様がいるならば、その方もやはり絶対的な平和の家庭的基準を求めてこられるのです。
男性と女性が一つになれば、どうなるのでしょうか。神様と縦的に一つになった男性と女性が結婚して、心と体が一つになるときは、天理大道の創造原則に適合するので、神様の愛を占領するようになります。神様の愛をもつことができるというのです。軸ができます。結婚は、なぜするのでしょうか。神様の愛を中心として神様を占領し、愛を中心として男性と女性を統一するためです。天下の起源、平和の起源がここから始まります。真の愛の本質は、父が母のために生き、母が父のために生き、兄が弟のために生き、弟が兄のために生きることです。ために生きる愛で一つになったところに、永遠の神様の愛が臨在するので、その家庭は、永遠無窮の永生的家庭になるのです。
一つの家庭において、夫婦が互いに相反する立場を固守するときは、その家庭に平和はあり得ません。必ず主体的な立場である一つの中心を基準にして、その中心と相対が一つにならなければならないのです。主体と対象の関係において、誰が中心にならなければならないのでしょうか。主体が中心にならなければなりません。対象は主体を中心にしなければならず、主体に自分を連結させなければなりません。そうしてこそ、自分が対象としての目的を成し遂げることができるのです。ところが、主体が対象の立場に立って行ったり来たりすれば、一つの目的を成就できないのです。結局、一つの家庭で目的を成し遂げようとするなら、その家庭の内外が一つにならなければならないのです。
平和の世界は、どのようにすれば訪れるのでしょうか。第一の条件とは何でしょうか。一つになる起源を探さなければなりません。それを探し出すことができなければ、統一の世界とは永久に離別です。家庭が一つになる前に「私」自身が一つになったのかと尋ねれば、一つになった「私」を発見することができないというのです。心と体が闘っているとき、個人が幸福になることはできず、夫婦が幸福になることはできません。平和ではありません。希望ではありません。終わりの日になればなるほど、心の分野と体の分野に分かれ、夫婦は四つに分かれるのです。心と体が二つずつなので、四つに分かれて互いに争うのです。心を中心として一つになろうとしても、体と闘うので、心は逃げださなければならないのであり、体を中心として一つになろうとしても、心と体が闘っているので、心はまた出てこなければなりません。どこにも根拠地を置くことができません。この地において、平和の基点を探せないのです。
家庭で父が悲しんでいるのに、息子が喜ぶことはできません。父と兄が悲しむ時、その弟と妹が喜ぶことはできません。父が悲しくても、夫が悲しくても、息子が悲しくても、すべてが同じ心、同じ心情で和合しなければなりません。子女が社長であっても、父が悲しむのを見て会社に出社したとすれば、仕事をしながらも、悲しい父を心配するのが子女の道理です。自分が家に帰る時、その父が歓迎しながら迎えることが、何よりも喜びにならなければなりません。そのような家庭の一員になってこそ、平和と理想を享受できる幸福な家庭になるのです。
愛する夫と妻が、共に一生の間、寝て起きて、働いてまた働くことが、どれほど幸せなことですか。そのような愛をもって生きれば、たとえ独りで暮らすようになっても、難しいことはありません。そのような愛は、宇宙が侵害しません。ここは、宇宙が共同歩調を取る立場なので、地上世界でも天上世界でも、いつも保護するようになっています。その愛を中心として歩む人は、現世でも来世でも不幸な人ではありません。宇宙の中で、そのような愛で一つになって生きる夫婦に与える最も大きな賞が子女なのです。その息子、娘は、何よりも貴いというのです。妻よりもっと愛したいと思い、夫よりもっと愛したいと思うのです。父と母と共に一つになって授け受けする家庭は、愛を中心とした平和の基地です。愛を中心として子女と父母が完全に一つになる家庭が、平和の家庭なのです。
家庭天国を成し遂げることが神様のみ旨です。世の中で一番恐ろしいものが息子、娘です。息子、娘は、皆さんがするとおりに学ぶのです。ですから、一番恐ろしいものが息子、娘なのです。すべてのものを受け入れてあげ、赦してあげ、平和に暮らせば、その息子、娘もそのまま学ぶのです。罪のない息子、娘の父母になるのは、簡単ではありません。
天国は、皆さんの家庭からできるのです。幸福が別の所にあり、平和が別の所にあるわけではありません。皆さんの家庭に問題が生じれば、世界ばかりでなく、何を得たとしても、みな不幸なのです。そのように愛し合う家庭は、先生が行く天国に、間違いなくあとからついてくるでしょう。
家庭は、この世界に平和の王宮を建てるための訓練道場です。真の愛を中心として、ために生きる夫とために生きる妻が天倫の中心として、永遠の愛の道を行くための夫婦として、子女は、息子、娘としての責任を果たさなければなりません。私たちの家庭は、平和の基地だというのです。
真の父母を中心とした家庭の家法が生まれなければなりません。父母を中心とした愛の法度がまだ立てられていないので、この地上に平和の基準が立てられず、愛を中心として平和の基準が立てられなかったために、平和の息子、娘がいないのであり、平和の家庭、平和の氏族、平和の民族、国家、世界がありません。父母として来られるその方に従って、愛の懐に入らなければならないのです。
統一食口の願いとは何でしょうか。復帰された家庭になることです。私たちの願いもここであり、万国の平和の起源もここであり、天上天下の幸福の基点もここであり、神様の摂理の基点もここであり、天地がひっくり返る天地開闢の基点もここであり、あらゆる人生の価値の根源もここであり、希望の出発もここなのです。それでは、復帰された家庭の中心とは誰でしょうか。真の先祖、父と母なのです。
神様の願う国が父母様の願う国であり、父母様の願う国が皆さんの国です。その国の根本は、個人と家庭から始まります。垣根を越えて、この家庭をここまで引っ張っていかなければなりません。家庭を中心としなければなりません。家庭が理想世界の基礎です。愛を中心とした家庭が希望の基礎であり、平和の基礎です。本来の真の愛を中心としなければなりません。永遠であり、変わらない真の愛を中心とした夫婦でなければならず、変わらないカップルにならなければならないのです。そして、皆さんは、終わりのない力を創出し、家庭の基盤、これを引っ張っていかなければなりません。家庭がこのような道を行かなければならないのです。
世界平和の起源は、家庭において、子女と父母がどのように平和の基盤を築くかというところにあります。これが平和の全般的な問題をすべて解決できる基礎だということを知ったので、統一教会は、個人完成と家庭完成を強調しているのです。大韓民国において、いくら南北統一がもたらされたとしても、家庭の平和をもつことができなければ、南北統一の平和も崩れてしまうのです。先進国を代表する国々が、国際会議を通してどんなに世界的平和を形成してきたとしても、世界の家庭を中心とした父母たちが、平和の基準を引き継ぐ家庭的基盤を形成できないときは、その世界の平和も崩れるようになるのです。
「世界平和家庭連合」を成し遂げることができなければ、平和世界は絶対に訪れません。家庭はそれくらい重要なのです。平和世界も家庭から始まるのです。家庭に家族が十人いれば、その家族十人がすべて一つにならなければなりません。一つになり、お互いが縦横に、前後、左右に立体的に和合するようになるときに、理想的平和の世界が訪れるのです。
家族全体が喜ぶためには、祖父と祖母が和合しなければならず、父と母が和合しなければならず、自分たち夫婦が和合しなければならず、兄弟が和合しなければなりません。和合して互いに一つにならなければなりません。それでは、どのようにすれば一つになれるのでしょうか。「自分のために生きなさい」と言う時は、すべて分かれるようになっています。八人家族が一緒に暮らす時、八人家族が一つになろうとすれば、どのようにしなければならないのでしょうか。祖父と祖母も全体のために生きなければなりません。「自分のために生きなさい」と言えば、八つに分かれます。一つになる方法は、お互いがために生きることです。祖母は祖父のために生き、祖父は祖母のために生き、父は母のために生き、母は父のために生き、夫は妻のために生き、妻は夫のために生き、また兄弟同士でも、兄は弟のために生き、弟は兄のために生きるのです。一つになれる秘法は、このように簡単です。ために生きる関係を結べば、その家には平和が訪れるのです。
世界平和は、どこにあるのでしょうか。世界にあるのではなく、「私」にあるのです。どんなに外部が統一されて裕福になっても、私の心と体が一つになっていなければ、何の関係がありますか。その平和は、世界から来るのではありません。私から成し遂げていくようになっているのです。アダムとエバの心と体が一つになったその基準において、真の愛を中心として完全に一つになるところから平和の家庭が広がるのです。その平和の家庭というものは世界的です。平和の家庭であると同時に、統一された家庭なので、それは世界的なのです。
本来、神様のみ旨の中において、堕落せずに一つの家庭がつくられたならば、それは神様の愛の中で、平和を中心として全人類の一つの共同起源になったでしょう。その家庭は、神様が臨在し、神様を中心とした家庭になることができ、神様と一致して一つの氏族の中心となり、氏族の中心となれば、その氏族を中心として民族が一つになるのです。また、その民族を中心として国家、国家を中心として世界が一つになるのです。このように、一連の愛の理想の道を通して自然な環境に展開した世界になるので、その世界は一つの思想でつくられた世界であり、一つの血縁的関係である氏族形態が拡大した世界なのです。ですから、その世界は二つの世界にはなり得ません。一つの世界です。そのような世界が、正に理想世界なのです。
男性と女性が世の中に生まれて夫婦になり、「私は幸福だ。私は平和だ」という心で一つになったときには、神様が、一つになった場に自然にやって来て関係を結ぶのです。これが神人関係を結ぶ、一番の動機です。このように、神様と人間が関係を結んだ時、神様と人間にだけ良いのではなく、関係している動物世界、植物世界、鉱物世界も、その統一的内容を歓迎して有り難く思うのです。
家庭の中には、男性と女性を中心とした愛の舞台が組まれています。この家庭を中心として、愛国思想、聖人思想、聖子思想を綴っていかなければならないのです。このような一致した方向を中心として終着点に定着するようになる時、一致した目的の価値が世界的基準で成就されるのです。ですから、統一の世界、平和の世界は、愛の方向を備え、全世界を抱くための神様の愛の歴史的方向性を経てこそ、可能なのです。それがなければ、理想天国が顕現することはできないのです。
地球村の大家族主義
歴史は、誰が導いていくのでしょうか。追われ、追い出される人々が歴史を創造していくのです。歴史は、そのような段階を経て発展していきます。私たちが一つ肝に銘じるべきことは、世界平和主義を掲げて進んでいかなければならないということです。そうするためには、自分の民族を第一にして行くのではなく、世界万民を第一にして、「世界平等化運動に貢献しよう」と言いながら立ち上がらなければなりません。そのような民族は、絶対に滅びません。このような思想をもって、今日まで歴史を発展させることに貢献したのが、正にキリスト教です。世界万民の平等化運動、世界万民の兄弟運動、世界万民の大家族運動などの理念を中心として現れたので、歴史時代に攻撃を受けたのです。
女性国連と宗教国連、そして政治世界の国際連合、この三つが、エバとカインとアベルとして一つにならなければなりません。これが真の父、真の母と一つになれば、全人類が一つの家族圏内に入るようになります。すべての国とその指導者がすべてこの方向に従って、平和世界に入っていくのです。神様を中心とした一つの国が現れるようになります。全世界は、家庭制度で成り立っています。ですから、家庭に入って収拾しなければなりません。その次には、自動的に氏族基盤に行っても、争いがありません。そのようにして、国と世界、天宙、神様まで上がるのです。
一般宗教にも、再臨の概念があります。このようなものを見るとき、宗教を立てた一つの共通目的があるのです。その一つの自的とは、世界平和と世界統一です。なぜそうでなければならないのでしょうか。主人が一人だからです。絶対者であられる神様の思想は、絶対的に一つであって、二つではありません。その一つの思想、主義とは何でしょうか。世界を一つにして、平和の世界、統一された世界を成し遂げるというものです。愛を中心とした単一家族のように、兄弟の友愛で世界が同化され、一体圏を成し遂げるのが神様のみ旨なのです。
人類は、すべて家族です。私たちは家族だというのです。真の愛によって関係した一つの家族です。人類は一つの木です。皆さんの家庭には、何人もの家族が一緒に住むのです。そこには、赤ん坊もいて、少年もいて、青年もいて、壮年もいて、老年の人もいます。このような家庭の道場は、世界大宇宙の家庭を連結させるための模範教育の場なのです。ですから、自分の家庭を中心として関係をもっている祖父と祖母から、父と母、自分の兄、自分、このような一つの家庭で訓練された四種類の人がいます。したがって、自分の家庭を中心として訓練することが、世界の家庭に接ぎ木するための道なのです。世界の家庭に連結させるためには、自分の家庭を投入しなければなりません。より大きな目的を成し遂げるためには、投入しなければならないというのです。