天聖経訓読室

第2節 霊界に行くための準備期間

この節の音声は準備中です。
1

私たちは、この世に生きていますが、この世だけではなく霊界があることを知っています。この世と霊界は、二つの世界ではなく、一つの世界として連結していることを知っています。私たちが行くべき所、私たちが行って住まなければならないその場所とは、どこでしょうか。私たちは肉身生活をしながらこの地にいますが、永遠の世界に向かって歩んでいます。一般の人たちは、この世に生まれて、十代、二十代、三十代を過ぎ、青春時代を過ぎて壮年時代に入っていくようになり、一つの峠を越えて老年時代に入っていき、沈む太陽のように一生を終え、そこですべて終わると考えています。しかし、、霊界があるという事実を知っている人たちは、人生というものがつかの間で、死んだのちに迎えなければならない永遠の世界があることを知っているのです。ですから、一生は、永遠の世界に行く準備をするための期間です。

肉身をもった地上生活の重要性

2

皆さんはいつ、神様のみ前に行くようになるのでしょうか。父のみ前に至るまでの道は、一人で行くべき最後の運命の道です。そのような道を行ったとしても、もし神様が歓迎してくれなかったらどうしようかと考えてみたことがありますか。世の中に生まれる時、寂しい一人息子や、何もない人の息子、娘、そのような哀れな境遇の息子、娘として生まれたいですか。そのようなことは嫌でしょう。誰もが裕福な環境、すなわち裕福な家庭、裕福な国に生まれることを願うでしょう。自分が生まれる時から、その国が自分を歓迎して迎えてくれる、裕福な環境で生まれることを願うのです。このようなことを考えてみるとき、私たちはどのような姿で、どのような国に生まれるのか、裕福な環境をもった姿で生まれるのか、あるいは天国と地上全体が歓迎できる姿で生まれるのか、この運命を決定するのがこの短い生涯路程なのです。

3

必ず、私たちは、次の世界と直面するようになります。その世界は、いずれにしても行くべき世界です。新たに誕生して、その世界に入っていかなければなりません。その時、孤独な一人息子の身の上で入っていくのか、あるいは恵まれた環境、すなわち自分が生まれるのを歓迎される環境に入っていくのかという問題が、皆さんが行く道に残っています。

4

地上の生活と永生の生活は、別々ではありません。地上の生活も重要であり、永生の生活も重要です。永遠の生活は、地上生活からつながっているという意味です。二つとも重要ですが、今日この地に生きる人たちは、永生の概念を知りません。この地の生活が重要だと思っています。問題は、統一教会員も、現在の生活が永生を保障する基盤づくりとなっていることを知らないことです。ですから、「永生は今からだ」という天国観をもって天国基盤を設定した上で、永遠の生命のために自分が生きていることの重要性をいつでも感じなさいというのです。これを知らなければ、他のことをしてしまいます。今自分がするすべてのことが、永生世界の価値決定を左右しているというのです。それは、互いに向き合って動きます。地上世界が上がれば永生世界(霊界)も上がり、地上世界が下がれば永生世界も下がります。一方が回れば、他方も同様に回ります。それで、現世においてそれを実感して、永生にプラスさせる生活をしなければなりません。永生と現世は分かれません。天国と地獄を明らかにしなければ、それが分かりません。したがって、永生と地上生活の重要性を感じながら働きなさいというのです。

5

皆さんは、肉身をもったこの期間がどれほど貴いかを知らなければなりません。宇宙も復活させることができ、すべての天下を統一させることができるのは、肉身をもっているこの期間しかありません。神様と万物を合わせても、この肉身世界と取り替えることができません。神様とこの宇宙を合わせても、肉身をもった人間がいなければ完成されないので、肉身は宇宙とも取り替えることができません。

6

この肉身世界は、短い期間です。長くありません。それを知るようになれば、寝る時間が惜しいのです。御飯を食べる時間も惜しいのです。御飯も歩きながら食べ、寝るのも歩きながら寝て、遊ぶのも歩きながら遊ぶのです。そのようにするほど、世界の誰も受けられない福を受けるのです。神様の福をすべて相続できるということは、歴史的な内容です。その国でこのようにすれば、その国に名前が残されるのです。

7

地上人は体をもっていますが、すべてのことが限定された生活です。しかし、霊人たちには肉体がありませんが、無限の世界で活動します。また地上人は体をもっていますが、地上が永遠の場所になることはできません。霊人たちに肉体はありませんが、永遠の場所で定着しています。このように地上人と霊人との対比点を羅列すれば、無限にあります。また、地上人と霊人とを比べてみると、地上人たちは肉身を中心とした生活であり、霊人たちは霊界を中心とした生活をするので、どちらも半分の世界のことしか成し遂げることができません。それでは、体と霊人の結実は、各々どのようにしたら完全な実を結べるのでしょうか。地上生活で肉体と霊魂が分離する前に、地上での生をよく締めくくってこそ完全な実を結ぶようになります。ところが、霊魂がよく成熟できずに霊界に来るようになれば、問題が生じるのです。

8

この地上でしている生活が、どれほど重要でしょうか。一回しかありません。瞬間ですが、一回しかありません。地上生活を永生と比較すれば、これは一点にすぎません。あまりにも短い瞬間です。肉身生活を越えて、霊界のために準備しなければなりません。常にそのような主流思想をもって中心に立ち、一切をコントロールし、一切を征服することができなければなりません。そのようにしなければ、個性完成ができません。

9

水中生活で誤れば、地上生活をすべて台無しにします。実体世界、すなわちこの地で父母の前に生きる世界で誤れば、永遠の父母に侍る愛の世界が縮まり、台無しにするのです。ですから、地上世界がどれほど貴いかを知らなければなりません。ここで愛さなければなりません。父母に侍り、兄弟に侍り、国に侍り、愛しながら生きなければなりません。地上世界で和合して活動できる人とはどのような人かというと、互いにために生き、難しいことを自分がしようと、父母に代わって進み出る人です。そのような人が中心存在になるのです。あの世でも、高い天国に行く人は、そのような長子権、長女権の責任を果たした人です。

10

偶然に物事が起きるのではありません。準備するにも、たやすい準備はありません。一生について見るとき、少年時代は青年時代のための準備時代だということを知っている人は、将来性があります。壮年時代は、老年時代のために準備しており、老年時代は霊界に行く準備をするのです。一生は、大宇宙的な人格を備えるために、一つの訓練過程を経ている修練期間であり準備期間です。

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永遠の出発は、自分が死んで始まるのではありません。永遠の出発は、自分がみ旨を知った瞬間から続きます。ここに一日のうちの瞬間でも、時間の関係において飛躍があったりくぼみが生じたりすれば、永遠は中断されるのです。ですから、私たちが生涯の路程を中心として、信仰の道を行くのですが、今年行けなければ来年に行き、来年行けなければ再来年に行く、このようにしてはいけません。一生をこのように生きていけば、その人は、み旨と一つになった一日の生活をしてみることが一生できずに死ぬでしょう。もしそのように生きれば、その人は天国に行けません。いくら自分が暮らしているその国が良いといっても、一日の勝利基準をもてない人が、どうやって天国に行くことができ、一年の勝利基準をもてない人が、どうやって永遠の世界に入ることができますか。これが問題とならざるを得ません。

天国に入っていくための訓練期間

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地上生活は、永遠の故郷に合わせるための訓練場です。これは永遠ではありません。学校生活のように通過する期間です。この期間に落第生になれば、大変なことになります。落第生にならず、家庭を通過し、国を通過し、世界を通過しなければなりません。世界を通過して天国に入っていくのです。地上天国を通過した人、地上天国のすべてのものに歓迎される人は、天上天国のすべてのものに歓迎されるようになります。生涯をために生きる愛をもって投入し、投入して忘れる生活で終えた人は、高い神様のみ座の近くに行きます。神様がそのような方であり、そのような方の子女の立場になることなので、自動的に側近の位置にとどまるようになります。霊界は、神様が永遠に存在する本郷の世界です。そこから始まったので、そこに帰るのです。

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神様が創造を終えて、あの天国で安息していらっしゃるというのは、平等な愛の公式を提示したからです。それで、神様は讒訴を受けることがありません。同じ公式が適用されます。誰が愛の教材でしょうか。父として、夫として、息子として、指導者として、皆さん自身が標本です。それで、「私」の父と母を中心として、その次には家族を中心として、国家を中心として、平等な愛の公式を教育するのです。天国に行って生きることができる訓練をするというのです。それを個人、家庭、社会、国家、世界的に連結しなければなりません。

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天の国、霊界、本郷の地に帰っていく時に合格するための訓練をしなければなりません。合格するためには、個人から家庭、氏族、その一族の七代の子孫を中心として完全な一つのモデルにならなければなりません。そこでは争いがあってはいけません。自分の所有を持とうとして闘争してはいけません。

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一つの家庭が幸福なように、国が幸福でなければなりません。そのためには、闘争の概念ではなく和合です。和合が天国の、霊界の最高の基準に合うようにしなければなりません。霊界は時空を超越しているので、あっという間に、思いのままに地の果てから地の果てへと回ってくることができます。どれほど速いか分かりません。電波や光は、一秒間で三十万キロメートル進みます。そのような世界に拍子を合わせるために地上でこのようにしなければ、天の国に行って脱落します。今後、霊界を知らない人は、天の国の国民になれません。

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天国に行きたければ、天国に行くことができる内容をもたなければなりません。天国に入っていくとき、チケットが必要なのでもなく、そのまま無事に通過するのでもありません。すぐに分かるのです。霊界のコンピューターがあります。人間が造ったものもすごいものですが、霊界のコンピューターは、一瞬で一生のすべてが分かります。うそをつくことができません。このような息子、娘として生まれ、このような生活をしたということがすべて出てきます。

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皆さんの良心が自分の生涯をすべて知っているように、すべての内容が霊界のコンピューターに入力されます。霊界に行って名前を入力すれば、その人の生涯が一瞬にしてすべて出てきます。霊界は、時間と空間を超越しているので、その場で、あっという間にすべての生涯の記録が分かります。ですから、良心は、永遠の世界のコンピューターのボタンです。知っていることがそのまま入力されます。良心の呵責を受けることがあれば、それがそのまま入力されるのです。良心の呵責を受けない人生であれば、きれいな生涯として記録されます。霊界に行って弁解できません。自分が生きてきた一生の姿が、そのままはっきりと見られます。そのような世界があることを知って、その世界に通じることができ、その世界を迎えることができる準備をする訓練所が地上世界です。

18

天国に行くには、「私は、アダムが失敗した旧約時代までの代表であり、新約時代の中心であるイエス様の時代の代表であり、完成時代を代表する成約時代の代表である」と言えなければなりません。そのような三時代の父母圏が完成されたのちには、サタンはとどまることができません。そこには、それ以上、いかなる障害物もありません。三時代を完成した世界には、どのような問題もあり得ないのです。サタンは消え、地獄の門が開放されるようになります。天国に行く高速道路が敷かれるのです。一つの家庭が出発すれば、自動的に永遠の天国と連結されます。自由天地だというのです。

19

心と体が一つにならなければ、天国に入っていけません。原理を知ったので、何をしても、心が願うとおりに体を強制的に動かして屈服させなければなりません。「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ!」、これがどれほど難しいか分かりません。この体の主管が難しいのです。サタン世界がそうです。先生はそのように闘いました。そこでは、自分のすべてのもの、国と自分の一族を奪っていき、自分の父と母、夫と妻までもすべて捨てなければならず、自分の体まで監獄暮らしをしました。地獄に落ちなければならないというのです。神様が「開拓をしなさい」と言えば、地獄まで行って開拓して上ってきてこそ、神様が必要とする人になります。

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皆さんが熱心に伝道をして苦労しているのですが、なぜ悪口を言われて迫害されるのでしょうか。それは、心情を失ったので、心情を取り戻すためです。愛を取り戻すためです。そのような人たちを愛することができる人になるためです。皆さんがこのような訓練過程を経なければ、いくら天の人になろうとしてもなれません。言い換えれば、サタン世界の愛以上の愛を、自分が見つけなければなりません。そうでなければ、天国に行けません。愛の人になって天国に行こうとしているのです。愛の人になって天国に行こうとする人が、天国に行くのです。その時、神様が審判主になり、イエス様が審判主になり、先生が審判主になるでしょう。ですから、実践しなければなりません。これが私たちの当面の課題です。神様の法として指示された課題であり命令だというのです。

21

皆さんは、み言に対する審判を受けます。み言を誤って聞けば審判するのです。その次には、皆さんが実体を完成しなければなりません。実体を完成しなければならないのですが、実体を完成する行動ができない時は、実体審判があります。審判には、み言審判があり、実体審判があり、心情審判があります。三大審判過程を経なければなりません。まず原理のみ言が皆さんを審判するのです。

すべての罪は地上で清算しなければならない

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統一教会で言えば、救援摂理は復帰摂理のことですが、その復帰の道を避けていくことができるでしょうか。避けていくことはできません。ですから、堕落の運命が入った包みを背負っているのが人間です。それがどれほど大きいでしょうか。その包みは、世界的であり宇宙的です。ですから、皆さんは生活するとき、常に「私は、いずれにしろ一度は死ぬ」と考えなければなりません。生まれる時、皆さんは「私は生まれる」と考えなくても生まれました。死ぬときも、皆さんが考えようと考えまいと、「死なない」と言おうと言うまいと、「死ぬ」と言っても死ねず、また「死なない」と言っても死ぬようになるのです。それは思いどおりにできません。しかし、いずれにせよ定まった一時を中心として、必ずその時が来るのです。これは変更することができません。蕩減すべきことは死ぬ前にしなければなりません。これが問題です。地上で堕落したので、地上で清算しなければなりません。地上でこのことを蕩減していかなければならないのです。霊界に行っては不可能です。

23

人間の完全な救援を目標にする神様であれば、短刀で人間の腐った部分を切り取ってしまわなければなりません。そうしてこそ、立派な神様です。皆さんは、どのような神様だと思いますか。「体よ、罪深い世の中でここまで残るためにどんなに苦労したか。功労が多かった」と言いながら、背中をたたいてくれる神様だと思いますか、それとも無慈悲にこの体を処置する神様だと思いますか。どのような神様だと思いますか。この体を一気に片づけたいと思うのが神様の心情です。体は、堕落世界と連絡できるアンテナです。この体は、人間世界で罪の源になっています。皆さんはこのような言葉を聞けば、とても気分が悪いでしょう。しかし、気分が悪い人は悔い改めなければなりません。贖罪の役事(働き)が地上で起こるようになれば、統一は自動的に成し遂げられます。ですから、統一がそのように難しいことばかりではありません。体を打って悔い改めればよいのです。

24

霊界に行けば一〇〇パーセント表れるのです。悪いものが先に表れます。悪いものを先に清算してこそ、霊界に入っていくのです。そうでなければ霊界に入っていくことができません。目をつぶったとしても、悪いものが表れて処断を願うようになります。ですから、それがなくなる時まで教育を受けなければならないというのです。修練を受けなければならず、猛訓練を受けなければなりません。

25

自分の体が完全に勝利したということは、サタンまでも完全にその根を抜いて征服したということです。天国には、サタンを征服してこそ行くことができます。サタンに勝つことは、肉身を脱いではできません。肉身が地で事故を起こしたので、直すのも肉身をもって、地上で直さなければなりません。地上ですべきことをすべてできなければ、永遠に地獄に行きます。ですから、地上で勝利して天の側の善の立場に立つようになれば、永遠に天国に行くのです。

26

人類の先祖が真の父母になれなかったことによって、ゆがんだ罪悪の結果、真の民族と真の国家と真の世界を形成することができず、それにより神様と人類の前にゆがんだ罪状が残っています。このような罪状に対して、誰が責任を負うのかという問題が残っているのです。霊界に行った人々は、地上で犯した罪を霊界では解決できません。地上で、その誰かがこの責任を担ってくれなければ、霊界に行った人々が解放されません。地上に生きている万民が天国に行くためには、その犯した罪を清算しなければならないのです。それでは、地上人が歴史を代表してゆがめた罪を、誰が清算しなければならないのでしょうか。その誰かが、ある宗教が、ある団体がすべきこのような使命を、今日この地上の宗教と民は知らず、唯一それを知っているところは統一教会しかないので、知っている者が責任を負わなければならないというのです。

27

罪悪歴史は、皆さん自身から清算しなければなりません。皆さんが歴史にマイナスとなる立場に立てば地獄であり、プラスできる立場に立てば天国です。また、時代と皆さんを比較するとき、時代が皆さんにプラスするのであれば地獄であり、皆さんが時代にプラスできれば天国です。そのようになります。今日まで天地の運勢に従ってきた人間は、天地の運勢を調整できる日を回復しなければなりません。神様は、その一日を見つめて六千年の長い歳月を役事してこられたのです。天地の運勢に従ってきた歴史の悲しみを退けて、この運勢を主管できる一つの勇者を探してこられたのが、神様の六千年の復帰摂理路程です。

28

「私」ゆえに地獄も生じたのであり、「私」ゆえに天国もあるのです。その二つが分かれました。本来は、堕落していなければ、これらがあってはいけません。それで、心は右側になり、体は左側になったのです。体に従っていく人々は地獄に行き、心に従っていく人々は天国に行くのです。二つの道があります。五官は、すべて二つの性質をもっています。それでは、どのようにしなければなりませんか。一方を完全に切ってしまわなければなりません。皆さんの体にはサタンの血が入っていて、サタンの生命が入っていて、サタンの愛が入っています。それを、どのように取り除くのでしょうか。歴史を通じて蒔かれたこれらのものを、すべて取り除かなければなりません。そして、神様の愛、神様の生命、神様の血統を再び植えつけなければなりません。そこから希望に満ちた永生があり、永遠の幸福があります。他の方法はありません。これは先生の言葉ではなく、原理がそのようになっているのです。それで、真の父母が必要なのです。真の父母が根です。そこから、真の幹、枝、芽が出て、森になるのです。他の方法はありません。これは簡単なことではないのです。

29

天国は心から始まります。心のどこからでしょうか。世の中に勝った心から始まります。どんなに環境的に天国が成し遂げられたとしても、「私」の心が悪く、その天国を慕うことができず、そこに応じることができない立場にいれば、天国が来ても、その天国は何の価値もないのです。ですから、天国を迎えられる基盤になるのは、環境ではなく、「私」自身です。「私」自身の問題です。

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天国を維持できる支持点とはどこでしょうか。環境よりも「私」の心です。心の天国を慕うことができなかった人は、天国の環境ができても、その天国を動かすことができません。決心ができなければ、完全な行動ができません。完全な決心から完全な行動が起こります。ですから、「私」の心が善をどれほど憧憬し、その歴史的善と共に一つになろう、いくら血の涙が出る環境があったとしても善と同行するためにそれを克服しよう、いくら寂しい歴史的終末の環境の中で闘争の路程があったとしても、それを避けるのではなく、撃破していこうとしなければなりません。心が変わらない一路を開拓して、その心に一体となる体の生活環境を形成しようと決意して誓うところから天国が始まるのであって、心と体が別々に行動するところに天国があるのではありません。心と体が一体になったところから天国の方向に前進するのであって、心と体の行動が分かれるところに天国はできません。

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習慣性を打破することは、とても大変です。それは、今まで皆さんがサタン世界で自分を中心とした習慣性をもって生きてきましたが、その習慣性が凝り固まっているということです。そのように凝り固まってしまった習慣性は、韓国人がキムチ、味噌、トウガラシ味噌を食べる習慣性よりももっとひどいのです。これは歴史性をもっています。悪魔が出発したその日から根を張った習慣性をもっているのですが、これをどのようにして抜いてしまうのでしょうか。穴を掘って、根まで埋めようと思っても、埋めることができないほどです。深刻な問題です。天国に行くには、神様を中心とする習慣性をもたなければなりません。

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皆さんの中に水がいっぱいになっているとすれば、それは清い水ですか、泥水ですか。そこに砂がたまリ、石ころがたまっています。激しい雨が過ぎ去ったのちに見てみれば、どれほど汚れていますか。河川にありとあらゆる汚いものがすべて浮かんで流れていきます。それよりもっと汚れているでしょう。皆さん自身は違うか考えてみてください。これをかき回して、すべて取り除く必要があります。ですから、濾過装置を経ていかなければなりません。大変でも左右をよく見ながら、濾過されていかなければなりません。自分があってよいでしょうか。自分があれば、すべて引っ掛かってしまいます。水の中に汚れた砂の塊があれば、流れることもできず、そこにすべて引っ掛かるようになっています。

真の父母に絶対順従しなければならない

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真の父母は一組しかいません。霊界と地上に一組しかいません。絶対、唯一、不変、永遠なものは二つではなく、一つしかありません。全宇宙の唯一の中心です。そこから、すべてのものが連結されます。ですから、それが中心です。皆さんがその中心に対して、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の概念をもたなければなりません。その中心が真の父母です。神様を中心として完成したアダム家庭が人類の最初の先祖家庭になるべきですが、そのアダム家庭を中心として霊界と肉界が一つになって出発するのが真の父母です。

34

真の父母に、なぜ侍らなければならないのでしょうか。霊界と神様を代表しているからです。その次に、第一父母、第二父母、第三父母が心情的紐帯を結び、愛の中で束ねておいたので、これを代表できる、心情的勝利圏に同参できる資格を得るためです。堕落することによって、これがすべて分かれました。「私」が愛すべき万物の父母の前に孝子になることができず、「私」を生んでくれた父母の前に孝子になることができず、この霊界と神様のみ前に孝子になることができませんでしたが、真の父母に侍ることによって、孝子の資格を代わりに受けることができます。ですから、皆さんは粘り強く従っていかなければなりません。

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神様のすべての相続圏を受けられる特権を得る道は、愛の道だけです。真の愛をもった人が「私」の体をかすめて通り過ぎれば、喜ぶのであって、反抗しないのです。すべて歓迎します。天の国がそのようになっているので、地上でそのような訓練を受けなければなりません。先生がこのようなことを教えてあげるのは、天の世界に行くことができる人、天の世界で呼吸することができ、拍子を合わせることができる人をつくるためです。そうしてこそ、踊りの場で踊りを踊ることができるのです。そうしなければ、拍子が合わないというのです。先生も今後、霊界に行くべきではないですか。先生のあとにはサタンがついてくることができません。

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霊界の言葉を聞けば、精神が目覚めなければなりません。神様に侍らなければならず、神様に侍るために道を築いておいた、真の父母様のあとに従っていかなければなりません。先生が築いてきた道は途方もないものです。死に物狂いの生きた供え物の立場で、これをすべて巻き取ったのです。一つ一つ巻いて越えていくことがどれほど大変だったか知らないでしょう。ですから、神様や霊界全体が先生に対して絶対従順しなさいというのです。地上で誰もが出会える関係ではありません。特別な恩恵によって出会ったのです。これは世界を生かすためです。

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先生は、一生を苦労しながら、変わることがありませんでした。五十年前に語ったみ言も、今語っているみ言も、すべて一致しています。霊界についての話は、今語ったのではありません。五十年前から語っていることなのですが、そのままその公式に従ってきました。天の国に永遠に残らざるを得ないというのです。そのみ言を中心として、皆さんが峠を越えなければなりません。それで、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなさいというのです。サタン世界のどこに絶対信仰がありますか。絶対信仰、絶対愛、絶対服従が、神様と先生が約束した内容です。先生にしっかりつかまりなさいというのです。国も何もすべて捨てて、先生だけにしっかりつかまりなさいというのです。絶対信仰をしなさいというのです。

38

神様も真の父母が必要であり、皆さんも真の父母が必要です。それで、霊界と肉界の祝福の一族、真の愛の血統を中心とする統一された家庭から世界版図をすべてつくり、サタンが立っている位置まできれいになくなってこそ、正午定着時代に入っていくのです。二十四時間、一生の間影があってはいけません。創造理想のために「私」はこのように生きて、このように死ぬというとき、いくら客死したとしても、倒れたその位置には神様の塔が立てられるのです。

霊界を知ってそこに合わせて生きなければならない

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神様を知らなければならず、その次には霊界を知らなければなりません。そして、神様の血統によって、今までのサタンの血統のすべてのものを否定しなければなりません。完全にひっくり返しておかなければなりません。異なる世界だというのです。夜と昼が相反しているのと同じように、サタン世界の血統が夜であれば、神様の血統は昼だということをはっきりと確定して、理解した人生を生きなさいというのです。神様を知らなくても駄目であり、霊界を知らなくても駄目です。神様の息子、娘として、血統が一つになった一つの木であり、一体であることを理解して生きなさいというのです。これは重要です。ですから、霊界の事実をはっきりと知らなければなりません。その中で、「私」は霊界のどこに行くと、はっきり決めておかなければなりません。上層霊界なら上層霊界、そこに対する専門的知識をもたなければなりません。そこに拍子を合わせることができるように、生活を合わせて生きなさいというのです。

40

今後私たちは、みな霊界に行くようになります。地上で生きるのはつかの間ですが、霊界は永遠の世界であり、不変の世界です。それで、その不変の世界に行けば、変わる姿をもっては誇ることができません。今日、統一教会がどうして父母の心情を中心として人間の内情を考えるようになったのでしょうか。兄弟愛や同胞愛のようなものは、外的な環境が変わることによって変わり得るからです。父母の心情だけは変わりません。変わらない父母の心情こそ、天の国、すなわち永遠の世界に行って拍子を合わせられる相対的心情として残されます。また、そのような心情を通して愛した自然環境があれば、その自然環境もやはり変わらない心情の相対として残されます。皆さんの一生において忘れられないものは、名勝地自体ではなく、心情的に関係が結ばれた、忘れようとしても忘れられない一つの事情がこもっているところでしょう。私たちはそこを、一生を通じて慕うようになり、一生を通じて回想するようになります。変わらない真の愛の心情がそこと関係を結んでいるからです。

41

皆さんは霊界を知らなければなりません。霊界を知ってこそ、険しい世の中を巧みに立ち回って生き残ることができます。興進君は、全統一家、また地上天国と天上天国の長兄のような立場にいます。興進君が今まで霊界において中間の立場で霊界と肉界に与えたすべての結果は、興進君と真の父母様によって成し遂げられたものなので、皆さんが真の父母様と興進君の言葉を生活の絶対標準として生きてこそ、天上・地上世界の解放の主人となり、天一国の主人になることができます。これを不信すれば、天の国の事実がはっきりと現れたにもかかわらず、それを信じることができなかったという事実を免れる道がありません。興進君が犠牲になって霊界に行き、解放された地上天国の天一国を完成するために責任をもって総動員しているので、皆さんが興進君を兄として侍り、父母の代わりとして、王の代わりとして、神様の代わりとして従っていかなければなりません。これを知ることによって霊界の組職を知るようになります。信じることができなければ問題が大きいのです。

42

霊界が故郷です。故郷に帰って永遠に生きられる基準を、地上で合わせていかなければなりません。地上生活で、今までの世の中の何も知らない人々のように自分勝手に生活することはできません。霊界を知って、そこに合わせて生きることによって、この世の中を離れるときに、神様のみ前に行って天国と関係を結ぶことができるのであって、そうでなければ不可能です。ですから、霊界に対する事実をはっきりと知らなければなりません。

43

自分の生涯で何をするのでしょうか。愛の墓を残していこうというのです。これが結論です。愛の墓の中で生きれば恨がありません。墓のような、いくらうんざりするような所で生きても、愛の中で生きれば恨がないのです。「愛の墓を残していこう!」と考えれば、人生は永遠に成功するのです。そのように生きて死ぬことができれば、神様が祝福してくれるはずであり、霊界では神様が息子、娘を連れて歓迎するために出てくるでしょう。その時には、指輪をはめることができなかった手だとすれば、天国のダイヤモンドをはめてくださるはずであり、服を着られなかったとすれば、天国の皇族たちが着る最高の服を着せてくださるでしょう。

44

水晶のように霊人体と肉体で清く生きてこそ、のちに霊界に行って問題がありません。そこに何かの傷があれば、天国に入っていくことができません。地上での生活が重要です。生きたとおりに霊界に行くのです。ここには誰も例外がありません。自分自身が透明のように、すべて表に現れて見えるのです。ですから、地上生活を本当に正しく生きなければなりません。精誠を尽くして、一日に何十回も原理基準を中心として反省しながら、朝、昼、夜、二十四時間、天上の法に引っ掛からないように生きなければなりません。

45

霊界は、神様のために生き、全被造世界のために生きる人々が行くところです。そこが正に天国です。その世界の異端者は、自分だけを考える人です。自分を考える人には未来がありません。世の中でも同じです。きょうの自分を考える人があすの幸福な道を歩むことができますか。成功しようとすれば、きょうこの時間の苦痛を克服し、あすのために準備しなければなりません。あすのためにきょう実践して、すべての訓練をする人だけがあすをもつのであって、きょう満足して、きょうが良ければよいという人はそれで終わるのです。あすの立場から全体を見るとき、あすが歓迎できる人は、きょうここで喜ぼうとする人ではありません。きょうここで犠牲になる人です。

46

霊界は、真の愛を中心として人のために生きるところです。自分のために生きるのではなく、全体のために生きるところです。自分の利益ばかりに酔いしれるようになるときは、すべて怨讐になるのです。霊界に行っても同じです。より大きなもののために生きようとするときは、自動的に通過します。より大きなもののために生きれば、自動的に通じるのです。ですから、世界のために生きる人は、アメリカのために生きなくてもかまいません。世界の中にアメリカが含まれます。韓国も同じです。すべての国が含まれるのです。それでは、歩んでいくときに、家庭もそのまま通り過ぎ、皆が歓迎できる方向の内容とは何でしょうか。それは、ために生きる愛の道しかありません。この二つは、地上のサタン世界でも阻むことができません。この二つは、サタン世界も絶対従順しなければならないのです。

47

なぜ結婚しなければならないのでしょうか。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛を体験するためです。なぜそれが必要なのでしょうか。そのような愛の動機が満ちあふれているのが霊界です。霊界に拍子を合わせるために、そのような訓練をするために、結婚して家庭をもたなければならないのです。「私」がもっているものは「私」のものではありません。神様のものです。息子、娘も神様の息子、娘であり、宇宙の息子、娘であると思って育てなければなりません。夫婦というのは、自分たち二人だけではありません。天と地を代表した夫婦です。「私」が行くところには息子、娘も行き、万物も行き、神様もどこへでも従っていくというのです。「私は人間として、この宇宙の前に恥ずかしくない勝利者になりました!」と言うとき、神様が「おお、そうか!お前が勝利したので、私の愛を贈り物として与えよう」とおっしゃるのです。

48

どのようにして天国に行くのですか。神様の愛に狂って生きなければなりません。アダムとエバ以上に神様を愛さなければならず、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ以上にイエス様を愛さなければなりません。そうでなければ、神様が「私」を愛する真の愛の相対圏を復帰できません。これさえ復帰すれば、万事思いどおりになります。お金がないと心配せず、息子、娘がいないと憂慮せずに、十年、二十年その道を続けていきなさいというのです。行ってみれば、大きな山や険しい峰にも登れるようになります。自分には、だんだん下っていき、苦労ばかりするように感じられるのですが、だんだん高くなります。統一教会は、打たれながら大きくなるのです。一つの家の中で、十人が暮らしているとすれば、公的目的のために九人の反対を受けながらも耐え忍ぶ人が、その家庭の主人になります。すぐ天国の主人になるのです。

49

今日、世の中に出てみれば、祖父、祖母、父と母、兄弟たちのような人が四方にあまねくいますが、その世界の人たちを、自分の家で愛したように愛して生きなければなりません。彼らは他人ではありません。おなかがすいていれば食べさせてあげ、困難なことがあれば助けてあげる、そのようにできる人にならなければなりません。この地上に生まれ、あの世界の愛の拍子に合うように準備の生活をするのが肉身生活です。

50

天国とは、人間が堕落せずに、この地上で神様の愛の懐で聖婚し、神様の喜ぶ息子、娘、神様の喜ぶ孫と孫娘を得て神様の愛を受け、その家庭がみな一緒に入っていくところです。子女は入っていけず、自分だけが入っていく天国ではありません。しかし、楽園というのは、いくら仲の良い夫婦や親子でも、別れて入っていくところです。家庭とは何の関係もありません。そのようなところが天国でしょうか。両親と共に家族全員が入っていって、神様を中心として与え合うことのできる、その世界が天国です。息子、娘は地獄で死にそうだとあがいているのに、親が天国でいい暮らしをすることができるでしょうか。そのようなところが天国ですか。統一教会が提示するのは、そのようなものではありません。地獄を解放する道を提示するのです。

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神様の摂理、地上の歴史とともに生きて動くのは、永遠の道を築くためだと考えれば、信仰を確立させやすいのです。そうでなければ、着陸させることができ、信仰化させることができる地上の基盤が曖味になります。この時代的限界性をはっきりと教えてあげることによって、地上に着陸できる信仰基盤が確定されます。神様がこのように働かれるのに対して「私」が地上で協助するので、神様のみ旨が成就され、霊界が、私たちの実際の生活と関係をもつようになり、神様と共に永生できるという信仰観をもつことができます。ですから、地上生活は永生する準備の生活です。直結するのです。それが連結しなければ信仰生活をすることはできません。

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天国に入っていける人とは、どのような人ですか。まず神様の心に合う人でなければなりません。神様が永遠の目的を中心として永遠の理想を描いていく方なら、永遠を中心として心が合わなければなりません。十年ぐらい合わせて途中で合わなくなるのではいけません。永遠であられる神様に、永遠に心を合わせなければなりません。そのようにしようとすれば、どのようにしなければなりませんか。永遠に喜べる息子、娘にならなければなりません。そのような息子、娘になろうとすれば、悲しみの対象として現れてはいけないのです。その次には、神様の体に合わなければなりません。ここで体というのは、方向性を意味します。心は四方の中心点に代わるものですが、体は方向性で現れるのです。

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私たちは、天国を望む前に、神様の心情を願うべきであり、また神様の心情を願う前に、「私」自身がどのように生きていくべきかを考えなければなりません。「私」自身が、まず侍る心情をもたなければなりません。高く貴いものについては、頭を下げて慕わしく思うのが、人間の本性です。堕落したとしても、高く貴い天の心情に対して侍りたいと思うのが、私たち、造られた人間の本然の心情です。心情に通じることができる、侍る生活をしてみることができなかった人は、天国と何の関係もないのです。侍るためには、侍ることのできる準備が必要です。その準備の過程を経てから、侍る生活をする必要があります。侍るための準備の過程を経て、侍義の生活を経て初めて行くところが天国です。侍ることのできる準備と、侍る生活を称賛し、高く掲げる世界が天国です。私たちは、このような目的の世界に向かうべき運命に置かれています。