私たちは、神様が人間世界を造る前に、天使世界を造ったことを知っています。それでは、天使世界とはどういう世界でしょうか。人間が一つの結実のために、花のような存在としての美を備え、香りを放って現れるときに、初めて愛の巣が完成します。すべての生命力はそこから出発するようになり、すべての生命をもった存在がそこから和動できるようになります。このように和動できるようになる起源が、正に人間です。そのような人間を中心として、天にいる天軍天使たちが人間と、蝶や蜂のように互いに与え合える和動の主体圏を形成するようになれば、それこそ神様が喜ばれ、人間が喜び、天使が喜び、全被造万物が愛に浸る和動の花園になったはずであり、春の宴が始まっていたはずです。
第3節 天使と天使世界
エデンの園には、アダムとエバがいて、天使長がいて、神様がいました。天使長は、アダムとエバが祝福を受けるまで、責任をもって養育していかなければなりませんでした。それが天使長の使命です。ところが、堕落してしまいました。それは自分を考えたのです。神様の創造は、神様の理想を中心とするのであって、天使長とは関係がありません。神様のみ旨によって創造したので、神様の考えどおりに造られたというのです。そのすべての価値と内容と目的は、神様が喜ぶためです。天使長が喜ぶためではありません。何と言おうと、目的の中心は神様でした。ところが、その目的の中心価値を完成させるには、神様お一人ではできません。神様は、アダムとエバを中心として創造目的を完成することを願っていました。それで、それによって、神様は、天使長よりアダムとエバに心が向かわざるを得なかったのです。赤ん坊の時を見れば、子女は母親の懐にほかの子が抱かれている場合、すべて押しのけたいと思います。何も知らない赤ん坊の時でもそうなのです。それと同じように、その時も、天使長にそのような嫉妬心があったことは否定できません。アダムとエバは、完成して神様の目的、神様が喜ぶ目的を完成しなければなりません。それは、天使長とは何の関係もありません。単に保護し、育て、祝福を受けさせて家庭をもつように協助することが天使長の使命だったのです。
エデンの園において、天使長が堕落することによってサタンになったので、天の前に天使長がいなくなった立場になりました。天使長を身代わりすることができ、その使命を担うことができる存在、霊界と肉界にわたってサタン世界の、その何よりも強い存在を探し立てるために、天は苦労してこられました。まず天使長を探さなければなりません。この天使長は、サタンになった天使長より劣った使命を果たす存在であってはいけません。堕落したサタンを退け、屈服させて、天の前により忠誠を誓う中心天使長のような存在を立てなければなりません。この天使長のような世界的な代表、サタンを凌駕できる中心的な代表を立てるには、天と関係を結べる基盤を通じて立てなければなりません。これは一度に現れるのではなく、多くの受難の道と悪の環境をかき分け、一切の悪を分立した勝利の決定権を備えなければなりません。個人的圏内を超えて家庭、氏族、民族、国家、少なくとも一つの国家を中心とする基盤の中で、天は天使長的勝利圏を見つめて摂理してこざるを得ないのです。
天使長がエバを誘惑しました。この天使長圏で歴史的摂理の使命を担おうとすれば、天使長だけが完成しても駄目です。天使長がエバを奪って堕落させたので、言い換えれば、悪の天使長圏を中心として引っ張っていったので、善の天使長圏でエバを再びお返しする準備をしなければなりません。サタンがエバを奪って人類始祖の立場で出発したので、これを否定できる天的天使長の立場で使命を担い、一人の新婦を準備しなければなりません。天のみ旨を裏切ったエバではなく、天のみ旨を受け継ぐ一人の新婦を準備しなければなりません。このような新婦を準備すると同時に、新郎が現れるようになれば、その新婦と共に天使長圏内のすべてのものをお返ししなければならないのです。サタンがエバを誘惑することによって、アダムから、神様からすべてのものを奪っていったので、天側の天使長圏では、この全体をお返ししなければならない立場にいるのです。
本来は、神様を中心として、アダムとエバが天使を主管しなければなりませんでしたが、天使がアダムとエバを支配することによって逆になりました。それで、アダム側であり神側にいる二番目の息子を通じて、天使長側でありサタン側にいるカインを屈服させて蕩減しようというのです。アベルがそのような立場に立ったので、神様は、アベルの祭物を喜んで受けるようになりました。喜びを返すアベルに対して、カインは自分の祭物を神様が受けなかったと寂しく思うのではなく、そのようなアベルを愛し、そのアベルを通じて神様のみ前に進まなければなりませんでした。そのようにしていれば、そこで救援摂理の基台は成立していたはずです。ところが、カインは神様に愛されるアベルを、恨みながらその命を奪いました。結局、天使長がアダムを支配したのと同じように、サタン側の天使長の立場に立ったカインが天側のアダムの立場に立ったアベルの命を奪ったのです。ここで霊肉の罪悪が結実するようになったのです。
キリスト教を信じていった数多くの霊人たち、イエス様以下の数多くの霊人たちは、どのような立場にいなければならないかというと、来られる主の前に天使長の使命を果たさなければなりません。天使長の使命とは何でしょうか。イエス様が霊的にサタンと対決して、サタンを屈服させることができる道を築くことです。洗礼ヨハネがヨルダン川でイエス様を祝福してすべてのものを相続したのと同じように、霊的世界から来られる主を祝福してあげなければなりません。そのようにしなければ、地上で摂理の出発ができません。ですから、キリスト教が行く道は、肉的な世界は捨て、霊的な世界だけを見つめていく道です。彼らには肉的な世界がありません。
今まで、数多くの宗教人たちが出てきました。宗教人たちはみな、自分たちがこの世界を動かすと言います。それは、洗礼ヨハネやイエス様が「悔い改めよ、天国は近づいた」と宣布したのと全く同じです。それでは、「悔い改めよ、天国は近づいた」という言葉は、どういう言葉でしょうか。洗礼ヨハネが宣布したこととイエス様の宣布したこととは、何が違うのでしょうか。一つは外的であり、一つは内的です。一つは天使型であり、一つはアダム型です。アダムは、必ず天使長を通じて現れるようになっています。神様がアダムを造る時、天使長の協助を受けて造られたからです。また、天使長にアダムを保護して育てるべき使命があったのと同じように、その使命を果たさなければならないのが、今までキリスト教を信じてきた信徒たちであり、悟りに通じた数多くの宗教人たちです。そのような人々が世界に散らばっています。その中に世界的使命を果たせる一人の人がいるというのです。イエス様が体を失ってしまったのは天使長のためです。イエス様は天使長のゆえに死にました。ですから、世界的に天使長の使命を完結できる人は、イエス様の死を蕩減できる峠を越えなければなりません。そのような人が出てくるには、その人の家門が、必ず悲惨な歴史を経なければなりません。
イエス様以降、今まで数千年間、霊的世界の使命を担当した数多くの宗教は、アダムの代わりに侍っていける、実体的天使長をつくるための闘いをしてきました。実体的天使長、すなわち洗礼ヨハネのような人をつくるために世界が動員され、キリスト教を信じる人全体が動員されたのです。終わりの日に、水を注ぐように霊を注ぐと言いましたが、それは霊的世界の霊たちがこの地に来て、完全な霊を注いで人をつくるということではありません。未完成のアダム、すなわち堕落前のアダムのような人をつくることではないというのです。復帰した洗礼ヨハネのような人をつくるために、霊界は今まで苦労してきたのです。
再臨する時、天使世界のカイン型は、サタン世界のサタンを追放すべき使命が残っています。その次には、霊界にいるアベル型、すなわち霊人たちは地上で善の宗教を統合させる運動をすべき使命があります。地上では、次第に悪の運勢が消えるので、天使長として堕落したその一族たちをすべて撃退しなければならない責任があるので、地上世界のサタンの権勢は次第に没落していきます。
皆さんが天国に行くには、サタンの証明書をもらわなければなりません。サタンを愛したという証明書をもらわなければ、永久に天国に行けません。それで統一教会は、そのようなことをしようというのです。反対する人を怨讐として扱わなければならないにもかかわらず、愛さなければならないとは唖然とすることです。怨讐を愛しなさいというのです。彼らのために福を祈ってあげなければなりません。そのようにしてカインとアベルが一つにならなければ、復帰ができません。父母に帰ることができないのです。
堕落した天使長が神様を讒訴しても、神様は、神様が立てられた法度を遵守せざるを得ません。神様は絶対者であられます。ですから、天使長が既に堕落したとしても、神様は、神様が立てた法則、あるいは規則によって被造物を主管せざるを得ません。これは、神様が堕落以前の天使長にしようとされたことが何であろうと、堕落したのちも、そうせざるを得ないことを意味します。ですから、天使長は神様に、「神様、あなたは私を完成期まで、完成期以降も愛するようになっています」と言うのです。
サタンが神様に向かって、「あなたは永遠不滅の主体であられる神様であり、天地創造の大主宰であられることを私は知っています。真理の本体であり、愛の本体であり、原則の本体であるがゆえに、あなたはその法則、原則どおりに行われ、変わることはできません。ゆえに私は堕落したとしても、あなたはあなたの立てた原則を実行すべきではないですか。そのために、あなたは原則的な存在として、堕落した天使を愛さなければ、本然の世界に息子、娘を連れていくことはできません。あなたが私を愛し、あなたの息子までが私を愛さなければ天国に行くことができないというのが、堕落前の天使長に対してあなたが立てた計画ですから、私が堕落したとしても、あなたはその原則を守らなければなりません。ですから、私を愛さなければなりません。そうでなければ真の神様になることができず、真の息子、娘になることができません」と讒訴し、食い下がるのです。
サタンは、神様の愛を蹂躙した怨讐です。父と母が眠っているところに入ってきて父の命を奪い、母を強奪したどろぼうです。サタンとは何でしょうか。神様が愛するエバ、神様の実体的相対であるエバを強奪した愛の怨讐です。そのような姦夫に自分の愛する人を渡してあげ、祝福してあげられる心をもたなければなりません。怨讐を愛そうとすれば、赦してあげる程度では駄目です。その程度でサタンが「ありがとう」と言いますか。かけがえのない愛する人を怨讐に渡し、祝福してあげられる心までもたなければなりません。これが最後の峠です。