天聖経訓読室

第1節 霊界の実相

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1

霊界を知らなければなりません。何千年前の先祖たちが霊界に行って何をしているかを知るようになれば、どうなるのでしょうか。必然的にその運命に引っ張られていかざるを得ないことをはっきりと知ることによって、この地上の難しい問題も越えていくことができます。先生は、その内容を知っているので、どんな迫書を受けても挫折しません。それ以上の内容を知っており、その価値に及ぶものがないので、すべてのものを否定して越えていくことができるのです。

愛の光の世界

2

霊界とは、神様の永遠の理想の園です。その園がどれほど素晴らしいでしょうか。それは形容することができません。天国の王宮の秘密を一つだけのぞいて見れば、千年見つめても良く、万年見つめても良いというのです。この世の一生は、ほんの瞬きするような一瞬です。ところが、霊界は永遠です。一生というのは、それに比べれば息を一度することにもなりません。

3

霊界は、この世界のためにあります。この世界も、永遠の世界のためにあります。霊界がないのではありません。あるので、先生がこのことをしています。「世の中に、神様がどこにいて霊界がどこにあるのか。私は知らない」と言うかもしれませんが、神様のいらっしゃるところが霊界です。神様はどのような方でしょうか。真の愛を中心としていらっしゃる方です。神様の希望は、愛を通してのみ連結されるのです。

4

霊界に行けば、そこには影がありません。永遠の朝日の光にあふれています。白い光がとても明るく、紫の光に変わり、銀色、金色に変わります。電気の光とは何かというと、愛の光です。プラス電気とマイナス電気が一つになって現れるのが、電気の光です。同じように、神様の性相と形状も一つになって稲妻のように現れるのです。永遠の真の愛の光です。それが永生の本質です。その最後の目的点に到違しなければなりません。

5

霊界とは、永遠の要素を願う永遠なところです。ここで愛を体験した霊人体は、間違いなく自動的にその世界に行くはずです。それは、自分が感じた分だけの霊界に行くのです。霊界はどのようなところでしょうか。すべてのものが愛で満ちあふれた、愛でいっぱいの調和の世界です。愛のボタンを一度押せば、この宇宙が作動するという言葉はうそではありません。ですから、すべての愛の電球に明かりがつくところが地上天国です。そして、愛の電球に明かりが完全にともるところが天上天国です。ですから、皆さんが愛の心を抱いて愛のひもさえ引けば、すべて引っ張られてくるのです。

6

霊界は、いくら優秀で、いくら立派な知識人がいるとしても、彼がもっている知識を一週間以内に凌駕できる直感の世界です。心の光を通じて見るので、そこに関連している世界は、自動的に理解されるのです。それは心情を通して見れば、「私」と相対的関係をもち、主体的関係をもつようになるからです。

7

霊界に行くようになれば、真の愛の力で、いくら遠いところにいる人でも一瞬のうちに会うことができます。いくら遠いところにいる人も、愛ゆえに訪ねていく時は、瞬く間に故郷へ帰ることができます。霊界は無限に膨大な世界ですが、何百万里、何千万里の距離も、一瞬のうちに愛を中心として行き来できる世界です。愛は最高の速度をもっています。皆さんの心と体が統一された愛の基台をもてなくなる時には、その世界とは関係がありません。ですから、統一の起源が相対世界から起こるのではなく、「私」から始まるのです。

8

霊界に行けば飛び回るのです。飛んでいくものは、あまりに速くて見ることができません。真の愛は最高のスピードをもっているので、広大なこの宇宙も、真の愛をもった神様は、一歩で飛び越え、ほかのところでも一度に行動することができるのです。皆さんも、すべて同じです。霊界では、いくら大きな宇宙があっても、そこは自分自身の活動舞台です。霊界に行けば、夢の鉱山がいくらでもあります。金銀、宝石がいくらでもあります。花も、好きな人や愛する人が来れば、眠っていても突然口を開け、目を開けて歓迎するのです。

霊界の階層構造

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霊界を見るとき、霊界の組織はどのようになっているのでしょうか。神様と相対である人間と同じ構造になっています。神様のみ前に、人類が一人の人間のような相対的形態で造られたのと同じです。ですから、この人々をすべて神様のような形象で造っておけば、神様のような一人の人間になります。神様は今まで、宇宙を代表した人格者として人を造ってきました。ですから、そこに黄色人もいれば、白人もいれば、黒人もいますが、すべて合わせて一人です。皆さんは、神様のある一部分として構成されている細胞と同じです。それは、多くの細胞からできている私たちの体と同じなのです。私たちは、神様のみ前に一つの細胞です。神様は父であり、神様の肉体のようなものが人類です。それで、神様の実体をつくろうというのです。霊界の組織はそのようになっています。

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霊界に行ってみれば、霊界全体が一人の人間に見えます。それで、主体である神様と一つになるのです。そうすると、全霊界と肉界がすべて溶け合います。神様が走れば地も走り、神様が笑えば地も笑う、そのようになっています。霊界に行ってみれば、一人の人間のような組織ができているのです。

11

全霊界の様造は、どのようになっているのでしょうか。現在の霊界は、真の父母ではなく、堕落した偽りの父母によって生じたものなので、これがあってはならず、堕落していない世界の霊界がなければなりません。救援摂理のみ旨が終わり、来られる再臨主がこの地上でみ旨を完成し、新しい霊界に変革されてこそ、本然の霊界に戻ります。復帰されなければなりません。

12

霊界に行っても、楽園と中間霊界、それ以外のすべての宗教圏の霊界があります。そのような霊界を通して地獄と連結されています。地獄と連結されたその霊界は、結婚生活を許しません。地獄のどこかに行って、自分たちが隠れて堕落を継続したりもしますが、それをすべて否定するのです。本未、楽園圏に所属できる人々は、一人で暮らさなければなりません。

13

霊界自体が、光明な日の光が照り、正午定着の影のない霊界にならなければならないのですが、まだら模様になっています。霊界は、最高の霊界、第一次霊界、第二次霊界、第三次霊界があり、動物たちもすべて異なります。最高の霊界では、動物たちが主人を褒めたたえます。すべて友逮なのです。

14

天国は一人では入れません。人間の先祖が思春期を過ぎて、神様を中心とした愛の理想を完成して生活し、真の愛の種を残して父母になって先に入るべきところが天国です。ところが、まだ神様の愛を中心とした父母として、この地に愛の種を残した父母がなく、そのような子孫を残した基盤を形成できなかったがゆえに、天国は空いているのです。

15

神様がいらっしゃるあの天国、神様がいらっしゃるあの霊界は、どのような組織になっているのでしょうか。その組織構造は簡単です。天国に行くことができ、極楽に行くことができる人々は、自分のために生きた人々ではありません。そのような人は行けないのです。全体のために生まれ、全体のために生きた人が行くところが天国です。

天上天国と天上地獄

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アダムとエバが堕落することによって、この地球星はサタンが支配するようになり、霊界には地獄が生じました。それでサタンが支配できる版図は、地上地獄世界と天上地獄世界までです。そのため、それを解放しなければなりません。堕落がなかったなら地上地獄も生じず、一つの理想的天国にのみ行き着くはずだったのですが、堕落によって二つの世界に、サタンが支配できる世界形態が現れました。ですから、これを解消しなければなりません。

17

心と体が一つになれなければ、そこは悪魔の領土になります。地獄が別にあり、天国が別にあるのではありません。すべて「私」にあります。皆さん自身が愛を中心として体を感化させておくことができ、愛を中心として自分の生命を超えて自分の血統を否定できる運動を起こしてこそ、邪悪で淫乱な世の中をきれいに清算することができます。そのような神様の道理を教えることによって、神様の家庭倫理、神様の氏族倫理、神様の民族倫理、神様の国家倫理、神様の世界倫理が地上に展開するとき、地上天国となり、地上天国で生きた人が、そのまま入っていくところが天上天国です。

18

真の愛の本宮は生殖器です。真の愛は絶対的です。真の愛は、唯一不変なので絶対的です。ですから、歴代の先祖たちを見ても、この問題が乱れるようになれば、結局、家庭も崩壊し、社会も崩壊し、政治も崩壊します。ソドムとゴモラもそれが崩れたので、家庭が崩壊し、社会も崩壊し、国家も崩壊したのです。その結果は崩壊するのです。地獄です。ですから、天国と地獄が別々にあるのではありません。地獄のような環境で生きていくからといって地獄に行くのではありません。天国と地獄は、自分自身にかかっています。真の愛を乱す根拠地は、それ以外にはないのです。真の生命を汚し、真の血統を汚すところは、そこしかありません。他のいかなる行動でも、それを汚すことはできません。

19

地上天国は、どのようなところでしょうか。負債を負わないために努力し、お互いに負債を負わせようと努力をするところが地上に生じれば、そこが地上天国です。天上天国は、どのようなところでしょうか。天国に行く人は負債を負った人がいません。先生の知っている天国は、そのような天国ではありません。世の中で生きる間に、国の世話をして、人類の世話をして、神様のために生きようと努力した人が行くところが天国です。その国、人類、神様の世話になろうと思った人は、天国ではなく地獄に行っています。世話をしようと努力する人の位置は、常に勝利する位置です。これは過去にも勝利し、今日も勝利し、未来にも勝利するでしょう。そのように世話をして勝利した権限をもっていけるところが天国です。

20

皆さんが五十年の生涯を生きたとするとき、五十年の生涯で二十五年以上をこの宇宙のために、天倫、天理のために生きたなら、天国に行きます。そのように生きたとすれば、良い霊界にとどまる境界線を越えることができますが、五十年の生涯で自分中心に生きたことが多かったとすれば、残念ですが、善の本郷の世界に行くのではなく、悪の本郷である地獄に行きます。過去に自分を中心にして生きたことが多ければ、その生活を清算し、それを否定し、国のために、世界のために、天地のために、神様のために生きる余生を残すために努力しなければなりません。そのようにすれば、ここから地獄ではなく、天上の理想世界に行進するでしょう。

21

聖書のみ言で、「神の国は、実にあなたがたのただ中にある」(ルカ一七・二一)とあります。天国は神様の愛と一致したところなのですが、その愛があなたの心になければならないということです。「あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう」(ヨハネ一四・二〇) という言葉も、抽象的な言葉ではありません。愛を中心とすれば、すべて可能な話です。堕落した人間は、自分の心と体に神様の愛が顕現できるその日を訪ね求めていくのです。そうすれば、爆発するような神様の愛が顕現します。既に数千年間仲たがいしてきた体が、完全に一つになることができます。この日は、サタン世界では恐怖と革命の一日であり、天の世界では歓喜と勝利の一日です。その位置に立ってみれば、神様の愛がどのようなものなのかが分かります。どれほど良いことか、細胞が奮い立つようです。すべての骨と肉が一カ所に集まって固まるのを感じます。化石のようになるのです。すべての五官が完全に一つになるのを感じます。

22

祝福を受けた家庭は、国のためにすべて祭物にならなければなりません。天国か地獄かは、ここから分かれるのです。聖書をよく知って話を上手にすることで天国と地獄が決まるのではありません。実績と心情が問題になるのです。結局、天国と地獄の境界線は、心情の境界線、実績の境界線で左右されます。

23

良心を解放しなければなりません。皆さんの心は天国の監視所であり、皆さんの体は地獄の監視所です。皆さんの体が心を引っ張り回しますか、心が体を引っ張り回しますか。宗教を信じる人々は心が体を引っ張り回しやすく、宗教を信じない人は、体が心を引っ張り回しやすいのです。自分を中心として生活するのです。それが違うのです。ですから、地獄の出発地が「私」であり、天国の出発地も「私」です。心の願うとおりにすれば天国に行くのであり、体の願うとおりにすれば地獄に行くのです。人のために生きれば天国に行くのであり、自分のために生きれば地獄に行くのです。

24

霊界では結婚がありません。どれほど深刻な問題か考えてみてください。腕が一本なく、足が一本ないことが問題ではありません。ですから、不平を言わなければなりませんか、言ってはいけませんか。不平を言えません。喜ばなければなりません。涙を流しながらも、喜んで行かなければなりません。涙を流しながらも、笑顔で行かなければなりません。天国に行くか、地獄に行くかは、自分が決めます。先生が決めるのではなく、神様が決めるのではなく、自分が決めるのです。不平を言えぱ地獄であり、不平を言うところで感謝しながら行けば、天国だというのです。

25

霊界はどうなのでしょうか。混乱した人間たちが霊界に行って固まっているので、霊界も混乱せざるを得ません。盗みを働いた前科者は、常に盗みを働いて食べるようになっています。ですから、地球星で盗みを働いて食べた者たちは、天上世界に行っても、ただで得ることを願うのです。それで、処置に困って地獄というものが生まれました。地獄は神様がつくられたのではなく、生まれたのです。ごみ箱を作っておいてから、家を建てますか。家を造って暮らしてみたら、ごみ箱が生まれたのです。それと同じことです。

26

自殺することは罪の中の罪です。宇宙を破綻させるための邪悪な行動です。そのような人は、地獄の中の地獄に行かなければなりません。このような事実を知るようになれば、自殺することができません。「私」は誰かというと、父母の生命の連結体です。「私」は、父と母の二つの生命が一つに結合されたものです。共に連結されています。そして、「私」は、父母の愛の同参者です。父母の愛と一体であり、愛の一致が成されているのです。

27

地獄というところは、一度はまれば脱け出すのが難しいところです。それでも、皆さんは、自分の父、母、そして親戚が地獄に行くことを実感できません。ただ「どうにかなるだろう」と思って、それで終わりです。しかし、愛する父母が本当に地獄に行くと考えてみてください。この世の監獄に入るだけでも、泣いたりわめいたりしながら、ありとあらゆることをして引っ張り出そうとするのが人情であるならば、まして天情によって結ばれた息子、娘が、自らの父母と親戚、兄弟・姉妹が永遠に出てこれない監獄に行くことを知れば、そのようなことを考えるでしょうか。皆さんは、まだ何も知りません。地獄があるのか、ないのか、あると思っていてもどのようなものかを知らずにいます。確信がなく、ぼんやりとしているでしょう。しかし、死んでみれば分かるのです。死んでみれば一度に分かりますが、その時ではもう遅いのです。

28

再臨の一日が来れば、天国でない楽園と地獄のどん底に、新しい理想圏をつくっていくのです。地獄のどん底でカインとアベルを探して、新しい神様の家庭圏を形成するのです。新しい神様の氏族圏、新しい神様の民族圏、新しい神様の国家圏、新しい神様の世界圏を形成して、地上にいる人たちをすべて蕩減復帰しなければなりません。カイン・アベルの問題を蕩減復帰して、すべてを吸収、消化し、統一した世界を地上で編成しなければ、天国を築こうとする神様の希望を解怨成就する道はありません。それでイエス様も、「あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」(マタイ一六・一九)と言いました。地で天国を築かなければ、天上世界に天国が生じません。地上に天国の主権を立てなければ、霊界で善の主権を回復することができないという、とてつもない事情が内在しているのです。

29

自分を考える立場では、天国に行ける道は生じません。自分が天国と距離が遠いことを発見するようになれば、自分というものを打破してしまわなければなりません。自分を打破するところでのみ、天国、あるいは間接的な天国が開放される道が開かれます。しかし、自分を擁護する立場で、相手を自分に適用させようとする人、自分自らを主体的立場に置いて相手を引っ張っていこうとする人は、天国とは関係を結べません。天国は自分から成し遂げられます。いくら相対的天国が完備されたとしても、その天国が呼び求めるときに、それに応えることができる自分自身になっていなければ、その天国とは関係がなくなります。天国は、サタンを克服したところです。皆さん自身だけを克服したところではありません。堕落した世界圏、習慣的な環境圏、あるいは常習化したところには、天国は臨むことができません。この常習化された環境を、サタンが凝り固まって支配し、サタンがここに寓居しているので、このサタンの環境を克服してこそ、天国が訪れるのです。

30

天国は、サタン世界の内容と相反するところで完成されます。もし、そのようになっていなければ天国に成りません。天国という名前がついていても、それは環境をたぶらかすためのトリックにすぎません。天国という概念は、サタンを屈服した場所で、サタンが相対できる一切の要因を否定した場所で、否定するだけでなく清算した場所で成立するのです。サタンの否定的条件が残っている歴史的な遺物や、生活のすべての内容を否定して清算した基盤において、天国が肯定されるのであって、それを残していては天国の内容を提示することはできないのです。

31

統一教会の人たちは、どのような人になるべきでしょうか。内的世界にも入ることができ、外的世界にも出ていくことができ、また、出てから入ってくることもでき、東西南北を自由自在に訪ねていける人になるのが理想的です。内的世界が主体になって、外的世界を主管する人をつくろうというのです。外的世界は、悪が侵犯したために、その世界に行けば地獄に行き、内的な世界に行けば、善の霊界である天国に行くのです。本来、この外的世界と内的世界を自由に往来できれば、どこにでも訪ねて行くことができ、天国にも行くことができるということなのです。それを知っているがゆえに、「どこに行っても歓迎される人になってみよう」というのが先生の主張です。それが神様の主張です。

霊界と肉界は一つであり、地上で完成する

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私たちが霊界を知り、神様を知るためには、神様が生活する環境を知らなければなりません。その環境は、人間世界と変わりません。人が死んでも、霊界に行けば死んだのか死んでいないのか分かりません。別の世界に行ったと思うのです。北極の氷の中で暮らしたのちに暑い所に行けば、四六時中暑く、常に緑があり、木の葉も何もかもが違うように、死ねばそのように感じるのであって、死んだということを感じることができません。関係が連結されているので、そのように思うのです。

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私たちは結局、霊界に行かなければなりません。そこを死後の世界と言いますが、死後の世界ではありません。なぜ死後の世界ではないのでしょうか。真の愛と関係している世界なので、死後の世界ではないのです。真の愛を中心として出発したので、「私」が真の愛の位置に立っているときは、今その真の愛と共にあるところが霊界と直結するのです。ですから、真の愛が偉大なのです。天の世界と地上世界のすべての間隔が埋められ、共通の価値の生活圏で盤ゼきるので、霊界というのです。死後の世界も、行ったり来たりすることができます。

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太陽が実体世界ならば、私たちは月のように反射体となって、世の中と関係を結ぶのです。私たち個人は、鏡と同じです。実際、霊界は地上に内外で連結されているのです。ですから、霊界と肉界は一つです。それを知らなければ、あの世の合格者になれません。これが重要です。成約時代は、個人ではなく家庭完成をしなければなりません。

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統一教会で祝福したことによって、霊界と肉界をひっくり返すのです。ひっくり返る新しい転換期が準備されるので、霊界と肉界の統一が起こる時に越えていくというのです。それが霊界と肉界を連結させる、変換させる転換時代です。ひっくり返しておき、サタンを追放して地上のすべての悪の道を清算し、神様が直接主管できる時代に越えていく時です。ですから、霊界をはっきりと知らなければなりません。皆さんが霊界を知らなければ、家庭基盤を完成することができません。霊界を知ってこそ、すべてのものを完成することができます。

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霊界と肉界は、真の愛をもって一体になるのです。真の愛が現れなかったので、霊界と肉界が統一できなかったのであり、真の愛が現れなかったので、個人の心と体が分かれたのであり、真の愛が現れなかったので、宗教と政治が分かれたのです。真の愛を中心として、すべて一つにならなければなりません。そのようになってこそ、個人、家庭、社会、国家、世界、天宙がすべてつながります。私たちの手でそのようにしなければなりません。そのようにしなければ、本然の天上天国と地上天国が現れることができません。

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霊界では、神様の愛がなければ食べられません。食べる資格がありません。地獄は、見ながらも食べることができないところであり、知りながらも行うことができないところです。ですから、神様の愛を中心として、霊界と肉界が一つになる価値をもつ中心を立てて、地上で霊肉が一つになった天国生活をした人以外には、永遠の理想的世界をもてないのであり、天国を所有できないのです。

38

霊界は内的な世界であり、肉界は外的な世界です。心の世界は内的な世界であり、体の世界は外的な世界です。ここには境界線があります。これがどれほど深いかというと、真っ暗だというのです。皆さんの心と体の距離が、神様とこの世界の距離に相当するというのです。皆さんの心と体の世界を一つにするためのものが、六千年の復帰摂理です。心と体が一つになればなるほど、地上でこの境界線が取り除かれ、地で蒔かれたものが刈り取られるので、神様を中心として霊界と肉界が統一された世界がやって来るのです。ですから、神様が人間を訪ねてこられ、人間が神様を訪ねていくとき、世界ではなく自分がその運動の場にならなければなりません。心と体が運動の場だというのです。

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完全なマイナスは、完全なプラスを自動的に生じさせます。完全なプラスは、完全なマイナスを自動的に創造するのが原則です。それがこの宇宙の創造原則です。存在の法則です。それで、この地上で、原則的で完全な運動をすれば、霊界がつながるのです。歴史始まって以来、このようなことが初めて起こるということが、問題になります。ですから、霊界で問題となることを地上で解決して措置したならば、解かれるのです。そのためには蕩減が必要です。皆さんは、時が何なのか、世界的な時がどのようになっているのか知りませんが、先生は、このような蕩減の道を一人で、歴史と宇宙に、霊界と肉界に責任をもって歩んできました。どのような時に蕩減すべきかを知っているので、それが崩れたときには、霊界がどのようになり、地上がどのようになる、ということがはっきり分かるのです。

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地上での百年は、つかの間です。この世の中で生きる堕落した人々は、この世が一番だと思って生きています。何も知りません。それは、腹中から生まれていない胎児と同じです。神様を知るようになれば、地上から霊界に入っていって愛と一つになることができる細胞となり、愛と一つになる一体圏を備えて生きられるようにならなければなりません。

41

地上生活をするのは、霊界を完成させるためです。私たちの霊人体が行って暮らせるところが霊界ですが、霊人体が地上でモデルの型をつくることができず、霊と肉が地上で愛の体験をしなければ、霊界に行って呼吸ができません。人間は、この地で父母のお乳を飲みながら愛を受け、父母の愛、兄弟の愛を感じます。霊界に行っても同じです。靈人体が行って、本来の父母である神様の懐に抱かれて、愛を受けて神様の愛の中で育たなければなりません。そうしようとすれば、この地上において、五官をもった肉体生活において、愛を感じることができなければなりません。地上生活は、霊界の完成のための生活なのです。

42

霊界が私たちの故郷の地です。本然の故郷の地です。この地は、本然の体の故郷の地であり、霊界は本然の心の故郷の地です。この次に行くところが霊界です。ですから、地上であらかじめそこに合わせて、暮らしていける訓練をしなければなりません。そうしてこそ、そこに行っても支障がありません。

43

地上で完成するのであって、霊界でするのではありません。地上で真の父母を中心として、完成することが可能です。霊界ではありません。ですから、息子、娘を生まなければなりません。息子、娘が正に天国の民になるのです。息子、娘が、理想的な天国の民になるのです。皆さんは、息子、娘をたくさん生まなければなりません。本来は十二方向以上にならなければなりません。それで、先生が十二方向以上を願うのです。

44

愛というものは忘れることができません。生命の根になるので、仕事をする時も、眠る時も、起きている時も、常に愛と共にあるのです。生きていく時は、神様を思い、真の父母を思わなければなりません。そのようにすることにより、愛によって心身が円満で、安定し、満足する圏内に立つようになります。そのような生活をした人は、霊界に行けば、そのとおりになるのです。地上には内面的に拡大した生活がありますが、内面的に拡大したその基準は、霊界に行けば表面化されます。愛が内面化されているので、神様と人類は、一つの体とその細胞の関係と同じです。自分自身が、その細胞のうちの一つになる世界が霊界です。そのような境地に入れば、神様が間違いなく自分の心の中に入ってくるのです。神様と共に暮らしていく世界です。