天聖経訓読室

第2節 二重構造で創造された人間

この節の音声は準備中です。
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人間は、霊と肉、心と体の二重構造になっています。これが、いつ一つになるのでしょうか。皆さんが一人でどんなに修養をし、どんなに祈り、どんなに道理に通じても、完全に一つになることはできません。人間には五官があります。靈人体にも、五官があります。外的五官と霊的な内的五官の細胞が一〇〇パーセント飽和状態を形成して一つになり、完全に満たされて爆発する線まで戻っていけるようにする力は、ただ宇宙の共通分母となる神様の愛だけです。それ以外には不可能です。

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人間の霊人体と肉身の関係について見てみるとき、より重要なのは、肉身ではなく霊人体です。肉身は百年くらいで死ぬといいますが、霊人体は、時間と空間を超越して永生します。いくら地上界で良い服を着て、良い物を食べ、裕福に暮らしている人も、結局死ぬのです。したがって、人間は、霊的な基準と肉的な基準をよく調和させ、霊肉が一つになった完成実体を形成して暮らしてから逝かなければなりません。現象世界であり有限世界である地上界の人生で、肉身を土台として霊人体を完成させる責任があるということです。

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私たち自身には、「霊的な私」と「肉的な私」があります。「統一原理」の用語で言えば、霊人体と肉身です。本来は、霊人体と肉身が一つになるようになっています。一つにならなければなりません。そのように一つになるには、どのような位置で一つになるのでしょうか。共鳴する位置で一つになるのです。音叉の振動数が同じ時は、「タン」と打てば「ティン」と音が鳴ります。私たちの霊人体と肉身も、音叉と同じように共鳴圏を通して統一されるのです。

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霊人体と肉身は、いつ一つになるのでしょうか。これが問題です。神様の愛の作用が私たちの心に及べば、自動的に体が反応します。ですから、体と心を一〇〇パーセント共鳴させ、一つになれる圏内に追い込めるのは、神様の知恵でもなく、能力でもなく、力でもなく、ただ愛だけです。皆さんの目や鼻のような肉的五官と霊的な五官が願う一つの焦点、理想的標準点とは、神様の力でもなく、知恵でもありません。愛がすべてのものの中心であり、標準点です。

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霊人体と肉身が神様の愛を中心として調和するときは、霊的な細胞と肉的な細胞が初めて完全に作動するのです。目が完全に作動するときは、目を開けば霊界と地上界のすべてが見えます。完全作動するからです。マイクも、性能が良ければ、一〇〇パーセント響き渡ります。同じように、霊肉を中心として、体全体が愛の力に一致して、爆発する境地になれば、そこから照らし出される光によって、天上世界、地上世界、神様を問わず、すべて共鳴するようになるのです。

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この世界の創造物は、すべて相対理想のペア・システムになっています。ですから、二数が必ず必要です。極めて小さな存在から大きな存在まで、人は個人で心と体が一つになり、その次には、夫婦が一つになり、霊界と肉界が一つにならなければなりません。元から一つになっていなければなりません。

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肉身と霊人体の中で、より重要なのは、肉身ではなく霊人体です。肉身は百年の時間圏、限界圏内で生きたあとに去ってしまいますが、霊人体は時間圏を超越し、空間圏まで超越します。したがって、歴史的な責任を悟り、その責任を果たすことが人間の本意です。皆さんがいくら肉身を中心として裕福に暮らしても、結局は死ぬようになります。それでは、霊的な基準と肉的な基準のうち、どちらがより重要でしょうか。私たちは、肉的な基準を中心として生きていくのではありません。肉身は霊人体のために、霊人体は肉身のために存在します。皆さんは、世の中の人たちが生きていくのと同じ立場にしがみついてはいけません。皆さんは、肉身を救援するという立場で、霊肉が一つになった実体を備え、より生き甲斐のある立場で出発しなければなりません。

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神様が見るとき、若者、中年、老人の差がありますか。神様は霊人体を見ます。霊人体が若く活達で、人格が既に成熟していれば、それが見えます。外側の殻は見えないというのです。殻を取ってしまい、残った中身を見るのです。

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人間が霊界に行けば、どのようになりますか。神様の体になります。人間は神様の体になるのです。ヨハネによる福音書とコリント人への手紙に「あなた方は神様の聖殿である」と記録されているように、神様が臨在できる聖殿であり、家です。神様とどのように似るのですか。責任分担完成の段階に至り、神様が臨在して一つになれば、愛によって生命の一体化が成し遂げられます。生命が和合するのです。男性と女性が夫婦になって家庭をつくるということは、愛を中心として一体となり、和合するということです。それと同じように、その愛の力は神様と和合するようになります。

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人間には、心と体があり、心の上に霊があり、霊の上には神様がいらっしゃいます。ですから、人間は神様と完全に一つになってこそ、完全な人間になります。人は、たとえ小さな一つの個体であっても、全体歴史を代表した存在であり、未来のすべての関係を代表する存在なので、天宙的な価値をもっています。

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皆さんは、地上で永遠に暮らしますか、無形の愛の実体世界で永遠に暮らしますか。無形の愛の実体となる世界で永遠に暮らすと言うでしょう。神様が霊界を見せてあげたいというとき、皆さんの体で神様についていくことができますか。ですから、霊人体が必要です。これは、妄想ではなく事実です。見えない精神の中心となる神様がいて、その神様が相対的存在を必要とするならば、人間を連れてきて、自分が創造した永遠の理想圏をすべて見せてあげ、与えてあげたいと思うはずです。

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私たちは、霊眼で無形の体を見ることができます。その無形の体には霊人体の中心があり、その部分が人間の心に該当します。そこが、神様と皆さんが人に知られることなく、思う存分出会える場所です。そのような場所で、神様と皆さんが互いに愛すれば、皆さんからその愛を奪う者は誰もいません。その位置は、縦的な愛の終着点であると同時に、横的な愛の出発点です。

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生心とは、心と霊が一つになって、一つの目的に向かって新しく動くものです。神様を中心として良心と一つになった「私」、霊肉を中心とした理想的な「私」をつくり出すことができる動機的心です。ですから、その生心がなければ、霊界と真の愛と関係を結べる自らの根源を見いだすことができないという結論が出ます。生心が正しく機能すれば、体も喜んでそれに寄っていきます。自動的に一つになります。今まで、人間にとって一番の問題となることは、心と体が互いに離れていたということです。霊的な力が「私」に臨んで生心的起源さえできれば、心と体が自然に一つになります。そのような根本において革命が展開し、根本において是正する根源を発見できない限り、私たちには理想を訪ねていく道理がありません。動機があってこそ結果が出てきます。

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心は縦であり、体は横です。心は縦的な「私」であり、体は横的な「私」です。二つがあります。縦的な「私」は心であり、横的な「私」は体です。すべてのものが同じ構造になっています。公式的に同じ構造です。上がっていくものと下がっていくもの、木も二種類です。根から栄養素を吸収し、葉で栄養素を作ります。太陽の光を受けて葉緑素を中心とする栄養素を作って供給し、地からはまた地の栄養素を吸収して、お互いに交流します。「統一原理」で言えば、生力要素と生霊要素の関係と同じです。その二つの要素が授け受けするのです。

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霊的な御飯を食べなければなりません。おなかがすいている時、肉的な御飯と霊的な御飯のうち、どちらがよりおいしく感じなければならないでしょうか。「私」が生き残って神側に立つためには、霊的な御飯の味が肉的な御飯の味よりももっと良くなければなりません。霊的な力を中心として生きる生活の味が、肉的な力をもって生きる生活の味よりもっとおいしく感じなければならないのです。