天聖経訓読室

第2節 家庭は天国の教本

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家庭は一つの教本です。家庭は、一つの理想郷、理想国家を形成できる一つの教本であり、その国は、理想世界を形成できる教本です。その教本には、家庭教本、国家教本、世界教本、宇宙教本の四つがあります。この教本は、家庭で教育しなければなりません。家庭で基本教育をしなければならないのです。

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家庭とは、天国と関係を結ぶための教材です。教育の教材です。それを国に適用すれば愛国者になるのであり、世界に適用すれば聖人になるのであり、天地を中心として適用すれば神様の息子、娘、聖子になります。人間はみな、そのような欲望をもっているというのです。

家庭は愛の学校

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家庭では、父母を中心としなければならず、社会を代表する教育機関では、先生を中心としなければなりません。父母は、自分にお乳を飲ませて育て、すなわち生理的な発達を助け、惰緒的な面を助けてくれます。学校は、社会生活、未来の生活舞台を中心として訓練させる所です。家庭が情緒的な訓練場だとすれば、学校は社会での実験的な訓練場です。家庭は心情的な訓練場所だというのです。ですから、学校において情をもって兄弟のように生活しなければならず、国においても情をもって兄弟のように生活しなければなりません。父母のそのような教育は、学校のための教育になり、社会のための教育になり、国のための教育になります。父母は、情緒的なあらゆるものを子女たち、後継者たちの前に伝授してあげなければなりません。父母が生きたのと同じように、家庭ではこのように生きなければならず、社会ではこのように生きなければならず、国のためにはこのように生きなければならないということを中心として、情緒的土台を築いてあげなければならないのです。

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悪が行く道は、教育が必要ありません。教育を受けなくても、誰でも行くことができるのです。悪から始まった歴史なので、教育を受けなくても誰でも行くことができます。悪の道を行くように教育する必要性がありますか。自らそのようになったので、今日、人倫道徳を中心として、良心の標準をわきまえていきなさいと教育するのです。何を中心とした教育でしょうか。善を中心として、良心を中心として教育したにもかかわらず、その教育の標準に立脚した人がどれほどいますか。悪は習わなくても、誰でもみなすることができます。誰でもみな、満点になるのです。

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子女を愛するにおいて夜も寝ないそのような父母たちは、天の近くに行くのです。ですから、家庭を絶対基盤として立てておき、「この家庭は、天国の家庭を生産するための工場だ。生産基地だ」と考えなさいというのです。したがって皆さんは、息子、娘を生んでそのような幸福な家庭をつくることができるように教育しなければならず、そのようにすることができるように保護してあげなければなりません。

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天国を築く一つのモデル的な地上の基盤が家庭です。今まで神様の恨は、人間を真の息子、娘になるように教育できる教本を作ることができなかったことです。なぜなら、人間が堕落したからです。神様が人間にすることができなかった真実の息子、娘の教育を、いつするのでしょうか。これが歴史を通した願いです。その次には、人間が愛の世界を築けるように教育する教材を作れなかったことが恨です。兄弟の中には、女性の兄弟もいて、男性の兄弟もいます。それは二人だけではありません。十人にも、二十人にもなり得ます。その兄弟たちに、どのように生きるべきかを教える教本を作れませんでした。アダムとエバが息子、娘として生まれ、兄弟として育って兄弟の教本を作り、その次には夫婦の教本を作らなければならないのですが、それを作ることができませんでした。今、そのようなものがありません。それから、夫婦になれば父親と母親になりますが、その父母はどうあるべきかという伝統的な教材を作れなかったのです。

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理想世界の体制は家庭単位です。家庭が天国の基盤であり、天国創建の礎石です。どれほど民がたくさんいても、家庭を拡大した愛をもって国家に対する人は、天国のどこに行こうと通過します。ですから、家庭において教本どおりに教育を受けた、そのような心をもたなければなりません。家庭には、祖父母、父母、夫婦、息子、娘がいます。四代です。これを拡大すれば、世界のどこに行こうと、祖父や祖母の年齢の人がいて、父や母の年齢の人がいて、自分たち夫婦の年齢の人がいて、自分の息子、娘の年齢の人がいます。ですから、家庭において教本のとおりに愛の内容を体験した人は、世界のどこに行こうと何の問題もありません。教本どおりに生きることができるフォームをもっているので、合格者になります。このように生きる人は、今後、どこの家に行ったとしても食事を与えてあげなければならず、泊めてあげなければなりません。そのような時が来ます。この教育さえできていればよいのです。したがって、家庭が絶対基本教本です。家庭で教育されたとおりに生きれば、どこに行こうと国境がなく、遮るものがありません。

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家庭は、あの世に行って完全な合格者となるための一つの教育場所です。家庭の主人は誰でしょうか。家族全員を最も愛する人が主人です。この世の中の主人は誰かというと、天の国を大きな家庭として見れば、この地上に住んでいるすべての人々を愛する人が主人です。白人たちは、白人だけが一番だと考えますが、違います。そのようにはなっていません。東洋と西洋がありますが、西洋だけがあって東洋がなければ、西洋はないのと同じです。これは、相対的にみな一つになるようになっているのです。

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地上にある家庭は、天の国に連れていく民を再創造する工場です。ですから、私たちは、その工場の主人の役割を果たしたのちに霊界に行くのです。正しこさえしっかりつかんでおけば、息子、娘を教育する必要がありません。自然にそのようになるというのです。自分の神様をすべてもっています。教育は必要ありません。堕落したのでこのようになったのです。堕落して根本が分からなくなったのです。

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家庭は、個人完成の基準となり、教会完成の基準になります。個人がいくらみ旨の前によくやったとしても、家庭ができていなければ駄目です。ですから、家庭が問題です。家庭を見れば、ここには一面だけがあるのではなく、両面があります。男性がいて女性がいます。その次には、男性と女性を中心として子女がいます。このように四方性が備えられています。この四方性を中心として見るとき、家庭は人間の意志で形成されたものではありません。家庭こそ、み旨を中心として個人を完成することができる所であり、教会の出発点です。もし誤れば、教会内で収拾するのではなく、家庭自体内で収拾できる起源をもたなければなりません。そのような起源をもてない人は、教会でも収拾する道がありません。天国は個人を中心としてできるのではなく、家庭を中心として四方性と立体性を備えた土台からできるのです。

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堕落がなかった家庭の男性と女性は、神様の息子、娘として完全に愛を受ける人々です。神様と完全に一つになった人々です。そのような男性と女性が、愛を中心として完全に一つにならなければなりません。その夫婦は、夫婦としての目的だけがあるのではありません。子女のための教育が必要です。それは四方を備えなければならないからです。

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家庭は、人生において、最も重要な愛の学校です。子女たちは、家庭圏において父母だけが行うことのできる愛の教育、情緒教育を通して、心情の深さと幅を育てます。これが子女の人格をつくる礎石となります。また家庭は、子女に美徳と規範を教育する学校です。人は、このような情緒教育と規範教育を受けた土台の上で、知識教育、体育、技術教育を受けなければならないのが天道です。

胎教と子女教育の重要性

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息子を生むことを待ち望んでいた夫婦は、息子を生んだとしても、その息子を生んだことだけで喜んではいけません。その息子に喜びを感じるほど、どのように価値ある息子に育てるかという問題を中心として心配しなければなりません。このような心配をしながらその息子を愛する人であってこそ、天理を知る人です。しかし、このような心配もなく、ただ息子を生んだことだけを喜ぶとすれば、彼は出発から誤った人です。この息子をいかに国に必要な人として育てるのか、という心配ができなければならないのです。そのような息子として育てるために息子を望んだとすれば、それは出発から、国のために出発したという条件になります。これは重要な問題です。

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愛は、どこから響いてくるのでしょうか。母のおなかの中からです。先に母の愛から受けるのです。子女を中心として、相対的に先に愛する人は母です。父も愛しますが、子女がおなかの中にいる十月の間、大事に抱いて、けがをするのではないか、傷つきはしまいかと、愛する心で言葉にも気をつけ、生活にも気をつけ、すべての態度も端正にして、胎教期間を経る過程で、腹中にいる赤ん坊を自分の生命よりも愛した人が母だというのです。愛は母から始まるのです。

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私たち自身を見るとき、「私」が一生の問暮らすところはどこから始まるのでしょうか。結局は父母から始まるというのです。皆さんはどこから暮らし始めたかといえば、生まれて生きる前に、父母の腹中で暮らし始めたのです。腹中にいるときは、母のすべての要素を吸い、すべてを吸収して大きくなります。腹中にいる赤ん坊が望むことがあるとすれば、母がいつもうれしく思い、喜び、歌を歌って幸せそうにすることです。それが腹中にいる赤ん坊の最高の願いでしょう。ですから、胎教というものが必要です。美しい歌を聞き、美しい景色を見て、美しいことを考えなさい、というのです。そうすれば、赤ん坊にも良いのです。

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女性が妊娠するようになれば、胎教というものをします。これは行動しながら望めば、そのようになるというものです。精神力というものは、強いものであり、神様が創造する時のその精神力が、直接連結されるものなので、今でも再生する能力を投入して忘れ、投入して忘れ、また投入して忘れながら、無限に投入するのです。投入して小さくなるのではありません。真の愛は、投入すればするほど大きくなるのです。

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神様を心に迎えなければなりません。神様を心に迎えて、子女たちを正しく教育しなければなりません。責任をもっている人は、「適当にしなさい」と言ってはいけません。それが父母です。自分の子女に問違ったことを教える父母はいません。師は弟子に間違ったことを教えることもあり得ます。怨讐の立場にいる師ならば、滅びるように教えることもあり得ます。師には二つの種類があり得るのです。兄弟も二つの種類があり得ます。しかし、父母はただ一つです。いくら悪い父母だとしても、子女には正しく教えるのです。

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神様が男性なら男性、女性なら女性、それぞれを求めてこられるとき、二重の目的をもっていらっしゃいます。すなわちアダムとエバを復帰することだけではなく、彼の息子、娘まで復帰して、四位基台を復帰することです。四位基台は、皆さん各自が復帰しなければなりません。自分がしなければならないというのです。自分自身が神様と一致し、また息子、娘と一致しなければなりません。霊の息子、娘を復帰して教育し、死の道を代わりに行くことができる信仰の息子、娘として立てておかなければなりません。そのようにして初めて一つの完全な安息の基盤がつくられるのです。

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父母ならば、誰もが子女に、「あなたは国のために、国の偉大な人物とならなければならない」と教えます。世界が目の前に迫ってきているのですから、「あなたは国家的人物になりなさい」と教える時代は、既に過ぎ去りました。今からは、「あなたは世界的な人物にならなければならない」と教育しなければなりません。世界と共に生きなさい!皆さんの心理がどうなっているのかを先生が知っているので、このように結論を下して話しているのです。

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父母は、育っていく息子、娘に、いかにして父母の思想を伝統的に植えつけなければならないのでしょうか。神様には、復帰摂理のために六千年間苦労されながら、サタン世界から御自身の子女たちをどのようにして引き抜いてくるのかということが問題になるのですが、それと同じように、皆さんには、サタン世界でどのように息子、娘たちを教育するのかということが問題です。皆さんは、このような二重の十字架を甘受しなければならないのです。

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最高の公的な生活は、天宙のために働くことです。統一教会は、天地主義ではなく、天宙主義です。天宙の「宙」は「家」という意味です。天宙主義は、人が主人ではなく、家、すなわち家庭が主人です。国家形成の起源も、人ではなく家庭です。家庭がなければ世界が形成されません。家庭が誤れば、その国は滅びます。ですから、家庭教育は、今後その国が福を受けることができるかどうか、という運命を左右するのです。国のための公的な法理に基づいて暮らしている家庭が多ければ多いほど、その国は繁栄し、私的な基準で暮らす家庭が多ければ多いほど、その国は滅びるのです。

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一つの国を探し立てるためには、一人の個人から出発しなければなりません。ですから、その一人の個人と、どれほど大切に向き合わなければならないのでしょうか。また、そのような個人が家庭を築けば、その家庭は国を身代わりし、世界を身代わりする家庭なので、その家庭を、どれほど大切に愛し、どれほど貴い立場で一つにしていかなければならないのでしょうか。今から愛する息子、娘を中心として、この世の中において、サタンから分立した新しい氏族を創設しなければなりません。父母の立場で天情の関係を鼓吹(こすい)するために努力する家庭を築かなければなりません。そのためには、あらゆる精誠を尽くして愛し、教育する生活をしなければなりません。教育的な面から見れば、「私」が生きているのは、息子、娘の行くべき道を教えてあげ、息子、娘の幸福の基盤をつくるためであり、国と民族の福地の基盤をつくるためです。そのような立場で生きるとすれば、それこそが、新しい世界の起源となる厳粛かつ高貴なものです。これを、天宙に存在するいかなるものよりも貴く思うことができる立場に立ってこそ、神様の息子、娘としての責任が始まるのです。

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赤ん坊を生んで育ててみることによって、その家庭を通して、すべての人を愛することができる経験を経た上で愛することができます。幼い子女から年を取った人々まで、男性は女性全体を、女性は男性全体を、そのように互いに愛することができる、このような関係の世界が、より価値ある理想的な世界なのではないでしょうか!ですから、家庭というものは何かというと、理想世界を紹介するための教育の場なのです。

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天国の起源は家庭です。真の愛を中心として、家庭を転換しなければなりません。ですから、家庭の中でも、二世たちが活動しなければなりません。サタンは青少年たちをみな破壊しておきました。青少年たちを麻薬の巣窟に追い込んでいます。悪魔の矢に当たってフリーセックスの場になってしまったのです。これを青少年たちが地域ごとに団結して、その村に乱暴者の連中がいれば、全員が一つとなって警察と共に除去運動を行うのです。その村に悪事を働く一味が現れれば、二世たちが責任をもち、父母と一つとなって彼らを追い出し、地域で教育できる時代に越えていくことによって、私たちの家庭は希望的な家庭になります。そのようにして、平和の王宮的基台を自分の家庭から世界版図まで拡張できる理念的世界が展開していくのですが、それを迎える準備をする人が、知恵ある国民であり、今後、福を受けられる国民になるのです。

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自分の家庭で祖父母に侍るように、万国でそのように暮らし、侍る心情をもっている人は、天国に入るときに道が塞がりません。万国の統一的教育基盤のために、行動的な統一のために教科書が必要なのと同様です。年を取った人を見れば、自分の祖父母のように考えなさいというのです。お昼時になって食堂に入るのに、お金がなくて困った顔をしていれば、一緒に入って、自分の祖父母のようによく接待しなさいというのです。ために生きれば福を受けるようになり、創造の実績が損害を被る道理はありません。愛を中心として投入するところには、損害を被る道理はないのです。

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神様の悲しみとは何かというと、三代をもつことができなかったということです。それを横的に解かなければなりません。神様は、アダムとエバが真の夫婦になった姿、真の父母になった姿、そして真の孫になった姿を見ることができませんでした。これが三代です。これが逆さまになっているので、堕落した世界の誤った血統と愛と生命を受け継いだので、これをすべてひっくり返しておかなければなりません。祖父が孫にならなければならず、父が息子にならなければならず、兄が弟にならなければならないという論理が成立します。これを「天地開闢」というのです。天地開闢という言葉は、このときに使うのです。縦的基準から見るとき、祖父母は最初の神様の立場を身代わりし、二番目のアダムとエバは父母を身代わりし、子女は未来の王子、王女を身代わりするので、家庭に横的に現れた祖父に、神様の身代わりとして侍らなければなりません。これが家庭教育の原論です。

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家庭において厳格でなければなりません。何かの制裁をしても、サタン世界に染まらないように父母たちが責任をもち、管理し、教育しなければいけない時代です。フリーセックス、性解放、同性愛、これは悪魔の計略です。ここから一八〇度異なる方向に戻らなければならないので、天の国は、この正反対の道を行くのです。ですから、先生のような人が、この世界の反対を受けるようになっています。それで復帰路程の約束をすべて成し遂げたという宣布式をしなければ、実体完成圏に越えていくことができないというのです。永遠の祝福の基準を越えることによって、神様の創造理想である真の愛を中心とした主体の前に、真の愛の相対として一つになることができるのです。

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祖父は天国の特権大使、父母は現世の世界の大王陛下、子女は天国の王子、王女であり、地上の王子、王女です。ですから、祖父は、孫と孫娘を自分の子女よりも愛します。先生が祖父になってみると、本当にそうです。自分が教育的な基盤をつくって自分の学校に送らなければならないのに、そのような基盤をつくることができなかったときは、祖父の使命を果たすことができないのです。二重、三重の責任を追及するのが孫と孫娘です。孫と孫娘は、地上天国と天上天国を再創造するための出発の父母にならなければなりません。ですから、孫と孫娘がそのような立場に立てるように使命を全うする祖父になり、先祖にならなければならないのです。