天聖経訓読室

第1節 家庭の法度と「家和万事成」

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1

家庭には必ず父母がいて、妻子がいなければなりません。そうであってこそ、その家庭が幸福の土台となります。神様が人類を探し求めてきた目的も、神様御自身の幸福を模索するためのものであるに違いありません。ですから、神様御自身が幸福の土台を求めていくのですが、人間から離れたところにはそのような理想はあり得ません。人間と共に関係を結んでこそ、その一致点をもたらすことができるのです。私たちが家庭において、情緒的な内容をすべて備えた立場で幸福を感じるのと同じように、神様もやはりそのような立場で幸福を感じようとするのです。

三代が共に暮らす家庭の法度

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神様の愛は、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛として現れます。この三大愛は、人間に絶対的な観念を超越させる永遠の実存的権限をもっています。ですから、この三大愛が結合するとき、人間は幸せになるのです。これが完全ならば幸福も完全なものであり、これが欠如すれば不幸が宿るのです。母がいない人が幸せですか。母がいない分、不幸なのです。また父がいないのに幸せですか。父がいない人は、父がいる人を羨ましく思うのです。幸せだと感じるには、羨ましいと思うことがあってはいけません。愛にも羨ましいと思うことがあってはいけません。羨ましいと思うことがあれば、「幸せだ」と言うことができないのです。

3

祖父母、舅と姑、小姑、孫まで一緒に住もうというのです。センターを中心として蘇生、長成、完成の三代が定着するのです。父母だけを愛するのではなく、祖父も愛せてこそ、神様を愛せるのです。父母の上に祖父を置いて愛することができてこそ、神様を愛せるというのです。それでは、なぜ夫がいなければならず、父母がいなければならず、息子、娘がいなければならないのでしょうか。彼らがいてこそ、神様に侍ることができるからです。父母がいなければならず、息子、娘がいなければならないというのは原則なのです。

4

世の中で一番経験が豊かで、経歴が豊富な神様のような存在が誰かといえば、祖父母です。年を取っているので、あまり眠れません。ですから、「私たちの家で祖父は寝ずに守ってくれる神様だなあ!私たちを守ってくれて、そのように年を取ったのだなあ!しわを見ると年を取ったなあ!」と考えなければなりません。ですから、命令に絶対順応しなければならないのです。それがどれほど美しいでしょうか。祖父母が寝ていないときは、「神様、うちの息子、娘に福を下さい」と祈るというのです。祈るので、「誰それよ!お前はきょう出歩いたら危険だ。言うことを聞きなさい」とみな教えてくれるのです。理想的な本然の形態で暮らそうとする人は、宇宙が保護してくれます。愛をもてば、祖父母も踊りを踊り、父母も踊りを踊り、兄弟同士も踊りを踊るというのです。このような形態を備えて暮らす人は、宇宙が保護します。誰かがその人の命を奪おうとすれば、自動的に宇宙が防いでくれるというのです。

5

誰でも個人完成、夫婦完成、そして息子、娘の完成によって四位基台を造成しなければ、三代を中心として結実すべき実が結ばれません。木が春に新芽を出して、夏と秋の三つの季節に連結されなければ、実を結ばないのと同じです。息子、娘として、夫婦として、父母として連結するのです。自分の息子、娘がいれば、神様と同位、同参させて、神様が抱き、キスするようになることによって、「私のすべてのものはあなたのものだ」という相続が行われるようになります。誰でも神様が願われる以上の基準を立てれば、一気に相続が行われるようになるのです。

6

無形の神様と実体の人間が一つになるところが根本です。根本が出発できる基準は家庭です。神様の家庭、真の父母の家庭です。その家庭は、四位基台を完成しなければなりません。祖父の時代、父の時代、孫の時代、この三代を経なければなりません。人間が堕落したので、神様は三代をもつことができませんでした。三代を備えることのできる基準が広がらなければならないので、一心、一体、一念を中心とした世界の最も縦的な基準があれば、三代を通して連結されなければならないのです。

7

すべての歴史的な祭物的結実体が、正に皆さんの家庭です。物質は旧約時代、息子、娘は新約時代、自分は成約時代を身代わりしたものとして、その三時代に対する負債を支払わなければなりません。歴史時代の負債を皆さんが蕩減すべき立場にいるので、自分の物を自分の物として扱わず、自分の息子、娘を自分の息子、娘として、自分の夫を自分の夫として扱ってはいけないというのです。このような公法、天理の原則に従って、理想的な考え方に一致できる基本的な姿勢を備えて、評価しながら生きようとする男女になり、祖父母、父母、夫と妻、息子、娘にならなければなりません。これを合わせれば、家庭が形成されます。このような愛によって、所有権の版図と共有権を受け継ぐことのできる基盤ができなければ、地上天国の一番の基盤となる家庭になり得ないのです。

家和万事成

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「家和万事成」の「和」は、一和の「和」の字です。化学の「化」は、本質が変化しながら和合することですが、一和の「和」は、本質が変化しながら和合するのではありません。男性なら男性が、女性なら女性が、変わらずに和合することです。どちらが貴いでしょうか。本質が変わって和合するよりも、そのまま和合するのが貴いのです。男性と女性が一つになれば和合するのであり、大人と子女が一つになるのも和合することです。老若男女、前後、左右、上下を間わず、和合するものは「万事成」です。理想的な存在基準になるからです。そこにはあらゆるものが支持し、一つになろうとします。それを中心として一つになろうとするので、「万事成」という言葉も出てくるというのです。

9

「家和万事成」です!「家和万事成」になろうとすれば、祖父母の関係が理想的でなければならず、夫婦の関係が理想的でなければならず、姉妹関係と兄弟関係が理想的でなければなりません。だからといって、祖父母が自分たちだけで喜び、また夫婦だけで喜び、兄弟だけで喜んではいけません。祖母と息子、息子と息子、嫁と息子、縦的に横的に、前後左右ですべて和合してこそ「家和」になるというのです。「和」という字は、「穏やか」を意味します。化学の「化」は本質が変わって一つになることをいいますが、この「和」は本質が存在するのです。

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東洋には「家和万事成」という言葉があります。この言葉は、平和を成し遂げようとすれば、愛を中心にしなければならないということです。この原則は宇宙にも合い、東洋と西洋にも通じ、どこでも通じます。養老院に入っていれば幸せですか。先生はそのような所を嫌います。父母が行けば息子、娘がついていかなければならず、家族がついていかなければならないのですが、そのようになっていないので心配です。家庭で一つになれずに暮らしているのに、世界のどこに行って一つになれるでしょうか。天国のどこに行って一緒に暮らすことができるでしょうか。

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心から自分を愛してくれる人が、自分のために百万ウォンを貸してくれたというとき、その百万ウォンから少し減らして九十万ウォンだけ返そうという人はいないというのです。その何倍も返したいと思うのが本心です。これはどういうことでしょうか。愛の本性が連結された作用においては、入力よりも出力が大きいということです。そのような論理が形成されます。「家和万事成(いえわしてばんじな」といいますが、家庭が和合するためには、運動しなければなりません。運動すれば、力の理屈からすると小さくなるはずですが、和合すればどうして万事が思いどおりになるのでしょうか。愛を中心とすると、和合すれば和合するほど、投入すれば投入するほど、小さくなるのではなく大きくなるのです。

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「家和万事成」という言葉で、和を成し遂げようとすれば、忍耐しなければなりません。たくさんの困難を経験しなければならないというのです。困難にぶつかる人が中心者になり、責任者になります。真の男性は変わらず、真の女性も変わりません。真の愛を中心として絶対的に変わらない男性と絶対的に変わらない女性が現れたとすれば、宇宙全体がその前にひざまずくようになります。

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「家和万事成」というとき、金塊を中心として喜んだからといって、「家和万事成」が成就されますか。それを分けずに互いに見ているときには「家和万事成」になりますが、分け合おうとするときには争いが起こるのです。しかし、愛をもって分けようとするときには、分ければ分けるほど「万事成」が起こるのです。お金をもって分けるときには、分ければ分けるほど分裂が起きますが、愛をもって分ければ分けるほど統一が起き、和合が起き、平和が宿るのです。愛をもって「家和万事成」です。父が母を愛し、母が父を愛し、父母が子女を愛し、子女が父母を愛し、愛の交流で和合することによって、「万事成」になるのです。

14

生命の世界と死亡の世界を見れば、死亡の起源はサタンであり、生命の起源は神様です。神様を中心として見てみるときに、サタンの世界は反対になる世界です。サタン世界の家庭が平和な家庭ですか、不和な家庭ですか。不和によって出発したので、どこに行っても不和な家庭です。不和な家庭によって始まり、不和な家庭によって成り立った世界は、天の世界ではありません。

15

「家和万事成」とは、よく言ったものです。もし夫が妻と家で争ったあとに職場に行けば、その夫は職場でも争わざるを得ないことが起こります。鬱憤を晴らすようなことが起きるのです。ある社長が家で自分の妻と争って会社に出てきたとすれば、彼が社員や部長たちを見るとき、気持ちが良くありません。家庭で気分が悪かったことは、必ず社会で繁殖するようになるのです。

16

一番耐え難いこととは何でしょうか。愛し合う人同士、互いに恨が積もることです。これ以上に耐え難いことはありません。アダム家庭から不和の種が蒔かれることによって始まった家庭は、偽りの父母によって始まったので、不和が宿っている家庭はサタン世界の家庭であり、平和が宿り和合が宿っている家庭は天の世界の家庭です。このように反対だというのです。不和の固まりの家庭がサタン世界の中心になります。サタン世界の中心とは何かというと、悪です。不和の固まりは毎日のように争うのです。このような家庭を中心として見ると、父母が互いに相入れません。夫婦同士、互いに相入れないというのです。

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息子、娘から一生の間、「私たちの父母はけんかした」という声を聞かないようにしなければなりません。「私たちの父母はよくけんかした」という話を聞けば、いくらうまくやっても地獄に行くのです。息子、娘が、「私たちの父は神様の代身だ。私たちの家の神様だ。私たちの父は私たちの家の大統領だ。私たちの父は私たちの家の聖人だ。私たちの母もそうだ」と言わなければなりません。昔、聖人たちは、「家和万事成」と言いましたが、統一教会で主張するのは、「天和」です。天宙を中心として天と和合しなさいというのです。「天和万事成」です。

18

「家和万事成」といいますが、聖書にも「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイ五:九)とあります。平和をつくって一つにできる人が、神様の息子になるというのです。この世の中で、平和の使者となり、戦いの壁を崩し、統一の起源を備えて一つの主人に向かっていこうという運動があるとすれば、神様が関心をもつのです。神様は平和の王であり、平和の主人なので、平和の心をもった人を見つめています。神様は忍耐の神様です。数千数万年の歴史時代において、悲しい事情に独りでぶつかり、苦痛の道を独りで歩みました。困難なところを独りで克服されましたが、誇ろうとせず、認められることを願わず、独りで耐えてきた立場にいらっしゃいます。そのような主人の前に、そのようにできる道を堂々と行こうと思う人がいるとすれば、神様はそのような人に関心をもたざるを得ません。

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「家和万事成」という昔の言葉がありますが、「自和」ができずに「家和」になるでしょうか。「家和万事成」をする前に、自分が死にそうな境地にいるのに、「家和」になるでしょうか。初めから人間が「自和」でないのであれば、神様は存在しません。人間が誤ったために、今日まで唯物論のような思想が発展してきたのです。絶対者が構想されたその目的は、絶対に二つにはなり得ません。一つにならなければなりません。しかし、人間は未完成品です。人間はいまだに未完成品として存在しているので、絶対者は再創造という力を加えて完成品にしようとされるのです。それで神様は歴史過程を通して、人間を完成品にし得る工場に投入されるのです。ですから、人間が願わなくても新しい作用体が歴史路程に現れなければならないのですが、それが正に宗教団体なのです。

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「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ!」というのが、先生が原理の道を開拓していたときの標語でした。「宇宙主管を願う前に、この世の万事と何らかの関係をもつ前に、自己主管を完成せよ」と言ったのです。主人になることができ、師になることができ、父母になることができる心に、「私」の体が千年、万年仕えても不足だという自分自身を発見するときに、初めてここに天運が臨むのです。心は体のために生きたいと思いますが、体は心のために生きません。これが問題なのです。

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問題は自分自身にあるのであって、社会にあるのではありません。私たちの家に問題があれば、兄が悪く、姉が悪く、父が悪いのではなく、自分が悪いからです。自らを正しく立ててから、人を批判する第二、第三の基準を立てなさいというのです。自分が一つになってこそ、堂々と一つになった世界で暮らせるのであって、自分が一つになることができなかったのに、全体が一つになったところにどうやって加わりますか。自動的に後退するようになります。ですから、心を踏みにじり、心を無視し、心を疲れさせて、気をもませる体が主人になってはいけません。体を主管して心のように大切にできる「私」になったときには幸福が訪れます。ここに神様が臨在するというのです。それで「家和万事成(いえわしてばんじな」といいました。私の家、私の個人が安らかになるには、心と体が一つにならなければならないのです。

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宇宙は円形に似ています。太陽系だけでも、九個の惑星が球形に沿って回ります。太陽系のようなものが一千億個あるという大宇宙も丸いというのです。それで、「円満に生きる」という言葉も使います。「家和万事成」といいましたが、円満に和合しなければなりません。祖父母だけが和合するのではありません。祖父と孫が和合しなければならず、息子と父母が和合しなければならず、夫と妻が和合しなければならず、すべて和合しなければなりません。そのようになれば、「万事成」、すべてのことが成し遂げられるのです。円満になって球形ができなければならないというのです。円満な人でなければならないのであって、とがった人は問題が起こります。それは、宇宙が運動をするからです。