アダムとエバは、エデンの園で、霊肉を中心として神様と一体にならなければなりませんでした。ところが、アダムとエバは神様と一体になることができず、真の父母の位置を失つたので、人間は神様を中心とした真の父母から再び生まれなければなりません。聖書を見れば、イエス様がニコデモに「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」ハネ三・三)と言いました。すると、ニコデモは「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」ハネ三・四)と尋ねました。人は新しく生まれなければなりません。自分が生まれたこと自体を否定し、再び生まれなければなりません。重生するためには、自分自体を否定しなければなりません。否定しなければ、再生の動機を整えることができないのです。
第3節 祝福結婚を通じた重生
重生と血統転換
堕落した人間は、神様を中心とした直系の血縁関係をもって生まれることができませんでした。ですから、これを否定し、神様と新しい関係を結んで、本来の位置に戻らなければ、祝福の位置に進むことはできません。言い換えれば、私たちは、堕落した死亡の世界で生まれたので、神様を中心とした生命の世界に戻るためには復活しなければならないというのです。新しく誕生しなければならないのです。
重生されるには、イエス様を誰よりも愛さなければなりません。堕落圏内のサタンの愛の日陰の前に立てられた、どのような愛よりも、神様を中心として一層愛し、このサタン世界の愛を凌駕しない限り、神様と連結される道がありません。これが受難の道であり、宗教者たちが行かなければならない困難な道です。キリスト教徒たちもイエス様を思慕し、目が抜け落ちるほど、心がとろけるほど、「新郎であられる主よ、おいでください」と二千年間叫んでいます。体が裂け、胸が張り裂け、骨髄が溶け出るような路程を通過して、体の中にいるのか体の外にいるのか分からず、神様とイエス様しか存在しないという境地に入るようになるとき、初めて聖霊が臨んで、霊的な赤ん坊として再生できる霊的重生の役事が起こるというのです。
皆さんが祝福を受ける最後の目的は、どこにあるのでしょうか。真の家庭を取り戻そうということです。これが堕落した人間が探し求めてきた最高の目的です。この真の家庭を形成するためには、真の人が現れなければなりません。真の人の中でも真の男性が先に出てこなければなりません。そして、その真の男性が真の女性を探し立て、神様を中心として聖婚式をすることによって、初めて真の家庭が出現するようになります。人間が堕落することによって、このような起源をもつことができなかったので、私たちは今までのすべての家庭を否定し、新しく神様の摂理のみ旨に従って、このような家庭の基準を踏み越えていかなければなりません。もし、その基準を越えていくことができなければ、堕落した人間は本然の世界に戻ることができない、というのが原理的な見解です。堕落した人間は、誰でもこの公式的な条件を経ていかなければ、神様のみ前に立つことができないのです。
神様の心情は、理論では連結されません。血統を通してのみ連結されるのです。皆さんは、神様の心情の血統を受けましたか。今までは知らなかったというのです。ですから、皆さんが祝福を受ける前に、血統転換式があります。その時は、「私」は何もないという無の境地に入らなければなりません。私の体はないという立場に立って、父母様の血肉を再び受け継ぐ結着点が私から始まるという信念をもたなければならないのです。
神側では、サタンの偽りの愛の圏にいる人間を、より大きな神様の愛で取り戻して重生させるのです。人間が偽りの愛の父母、偽りの愛の先祖、偽りの愛の血統を通して生まれたので、真の愛の父母、真の愛の先祖、真の血統を通して再び生まれてこそ、神様の子女、神様の民になります。人間は新しく生まれなければなりません。これは堕落人間の運命の道です。私たちは、いかなる困難があっても、この道を行かなければならないのです。救援歴史が神様の血統に接ぎ木する重生の歴史なので、「私」に属した過ぎし日のすべてのもの、すなわち所有観念、伝統、意識、その一切を完全否定しなければなりません。既にもっているものは、神様にそのまま認定を受けることはできません。一旦取り消して整理したあと、新しく生まれなければなりません。これは木を接ぎ木するとき、根元の部分だけ残してみな切ってなくし、接ぎ木するのと同じなのです。
人類が願うのは真の父母に侍ることです。六千年前にアダムとエバの聖婚によって、全人類が神様の子孫にならなければならなかったにもかかわらず、堕落によって人間は、サタンの子孫になってしまいました。ですから、六千年前に失った天の側である真の父母を、再びこの地上に探し立て、真の父母の愛を通して重生しなければなりません。そうしてこそ天国の民になることができるのです。
エデンの園で結婚を誤ったのが堕落なので、今、真の父母が正しく結婚させてあげることによって、再びひっくり返すのです。偽りの父母が犯したことを真の父母が清算することによって、地獄を撤廃して数百、数千億の霊界の先祖たちまで祝福をして、本然の真の愛と真の生命と真の血統を取り戻し、真の父子関係を復帰するのです。
養子は、真実の息子に接ぎ木されなければなりません。野生のオリーブの木を切って、真のオリーブの木の芽を接ぎ木しなければなりません。野生のオリーブの木を真のオリーブの木になるようにする運動をしなければなりません。重生するためには、真の父母の血統を受け継がなければならないのです。人類が願うのは真の父母であり、イエス様と聖霊が願うのは小羊の婚宴です。
サタンの血統を取り除いてしまうことは、メシヤがします。しかし、除去されるようにする行動は、自分がしなければなりません。そこに一体になって従順にしなければなりません。このような基準が成立しない以上、私たちは救援されません。それは、死ぬか生きるかという境地を通過しなければならないのです。そこを通過してこそ、悪の血統が除去されます。生死が交錯する境地に入らなければなりません。死の境地を手探りしていかなければならないのです。
血統転換は、誰もできませんでした。先生がしてきたのです。それで、先生が涙ぐましい心情的十字架を負って現れたのです。そのような偉大な基準があるので、皆さんは何の功労もなく祝福を受けました。そして、祝福を通して新しい血統を受けました。血統転換の勝利圏を立てるとき、数千年の神様の労苦を土台にして、実体を中心とした先生の労苦の生涯が付け加わって立てられたのです。その上に、神様と先生を踏み台にして立った人々が皆さんです。祝福を受けるということは、悪の血統を切ってしまい、新しく接ぎ木することです。接ぎ木することによって、血統が変わるのです。
真の父母が必要なのは何のためでしょうか。心情圏を中心としてその根を下ろすためです。今は根が違います。堕落によって幹と枝がすべて変わりました。ここで新しく統一教会が根を下ろし、真の父母から始まって、幹と枝が出てきて接ぎ木するのです。切り取って接ぎ木し、それが宇宙の大きな主流になるのです。サタン世界のすべてのものを切ってしまわなければなりません。根っこまで切ってしまわなければならないのです。
血統転換のための主要儀式
約婚式をしたあとには聖酒式があり、その次に結婚式があります。この約婚式と聖酒式、そして結婚式は、何かの前例に従つて行う式ではありません。堕落したすべての内容をもう一度、象徴的に再現させて、それを蕩減するために行う不可避な行事なのです。
堕落した人間は、サタン世界の偽りの愛によって汚された過去のすべての愛を否定して、新たに神様の愛を中心として真の父母の愛を再現させることのできる復活の実体を備えなければ、祝福の場に進むことができません。ですから、聖酒式は真の父母の愛の関門を通して、新しい生命の基準を完成することを約束する儀式です。
聖酒式は、アダムとエバが堕落したその反対のコースで行います。結婚しようとすれば、約婚式がなければなりません。その次には聖酒式です。そうしてこそ、結婚式に進むのです。皆さんは堕落したために神様の息子、娘になれませんでした。約婚式は、息子を探そうとする神様のみ前に、真の父母の前に「堕落した息子より優れたアダムとエバになりました」と御報告するものです。アダムとエバは婚約段階だったのです。
私たちは、サタンの血統を受けたので、これを取り消す式をしなければなりません。その式が聖酒式です。私たちがサタン世界の血統の跡を残していては、神様のみ前で祝福を受けるということが、原理的な観点で絶対に不可能です。ですから、サタン世界から受け継いだすべての血統、それから今までのすべての罪を清算しなければなりません。罪の中には遺伝的な罪、歴史的な罪、個人的な罪などたくさんありますが、そのすべての罪が清算される条件になるのが聖酒式です。その聖酒には二十一種類の物質が入っています。すべて聖別したものです。このすべてのものは、霊界とサタンと神様の間で対峙して、勝利的条件として立てたそのような物質です。この一杯の聖酒を飲むことは何でもないようですが、そうではありません。皆さんが信じて飲む日には、そのような勝利的条件の基盤の上に立って、サタン世界の血統を切り、皆さんの先祖たちが犯した罪、先祖たちと結ばれたすべての縁故を切るというのです。