神様には、アダムとエバを万物の主人公として立てて願われた目標がありました。彼らに神様の愛の感情が宿り、万物を造られた神様の創造の感情が宿ることを願われたのです。思春期に差し掛かると、万物に接するときに神秘的な感覚を感じるようになります。皆さんも情熱が最高潮に燃え上がるときに詩を書けば、驚くべき詩を書くことができます。同じように神様は、大宇宙の心情を備えた人間として完成することを目標に設定し、人間を造られました。そして、人間がその目標どおりに成熟することを待ち望まれました。時を待ったのです。彼らが成熟すれば成熟するほど、男性が女性に、女性が男性に接するとき、それぞれ互いを大宇宙全体の実体として感じるように願われたというのです。彼らの感情世界に神様も入り、万物も入ることができる程度にまで人間が成熟するように願ったのです。
第1節 思春期の変化と男女の愛
思春期の変化と成長
思春期の時期には、天下の王者になった気持ちになります。自分を中心としてあらゆることを考える時期です。このように思春期の時代は反発する時代なので、自分を分かってくれなければ、いくらでもほかの道に行きかねません。ですから、今日、青少年たちの問題が世界的な問題になったのです。思春期の時は、どんなことでも自分を中心にしなければ喜びません。しかし、自分と関係を結んだときは、それがいくら微小なものだとしてもうれしくなります。二十歳前後になる娘たちをよく見ると、訳もなく笑います。秋に葉がみな落ちた柿の木から、熟した柿がぼとりと落ちるのを見ても笑います。それは訳もなく通じるというのです。すべてのものが自分と関係を結んでいるので、最高の感情が誘発されるのです。したがって、思春期というものは、あらゆるものに接して縁を結ぶことができる転換点です。神様の愛を中心として、男性と女性を一〇〇パーセント一つにするための神様の創造本性が土台になっているからです。
思春期の時、未婚の男性と女性が互いに出会って会話を交わすときは、胸がどきどきします。そして、興奮するようになれば、心臓に変化をもたらします。しかし、その心が神様を中心とせずに反対の立場に立てば、悪になります。心は神様を中心にしなければなりません。その神様を中心とした心と心情が一つになる立場に上げてくれるのが愛です。このような立場において一生涯を過ごすべき人間なので、人間は愛を中心とした理想と希望をもたなければならないというのです。
男性を完成させ、女性を完成させるときには、主体と対象の関係を結ぶための愛の力が存在します。愛の力は、男性が完成し、女性が完成して思春期時代を過ごして生じます。愛の力は、男性よりも強く、女性よりも強いので、統一させることができるのです。ですから、男性も女性も、互いに夫婦にならなければならないのです。愛の道においては、自分の生命までも捨てます。それは生命よりも強いのです。男性や女性が成熟すれば、思春期の時代に必ず立体的な力によって、相対を慕わしく思うのです。
人間にとって最高に幸せな所は、人倫と人情、天倫と天情が一つに一致する場所です。神様が人間を対象として造られたとすれば、神様が主体者として、その対象としての完全な価値を認めることができる時は、成熟した時です。愛を中心として与え合える時です。相対者が主体者を見分けることができる時は、成熟した時だというのです。男女が成熟すれば、思春期に入るのです。
思春期に、女性たちが男性たちを考えるとき、「その男性は世界を代表した男性だ」と考えようとします。その時は、すべて詩人になったり、作家になったりします。天下を引き込んで自分の胸に詰め込みたいと思い、大海を抱いて歩きたいと思うのです。それゆえに、青春時代は良い時代です。横的な立場で主体と対象が相まみえるに伴って、互いに距離が近くなり、縦的な立場で神様と人間が近づくからです。男性と女性が成熟して真の愛で結ばれるとき、神様が創造される時に、投入して消耗したあらゆるものが結実し、初めて返ってくるというのです。
いくらきれいな娘にも、思春期はたった一時しかありません。その時は花の中の花であり、一生で最も貴い時です。それにもかかわらず、「私一人で暮らそうか」と考える女性がいますか。それは女性ではありません。また男性たちの中でも、体格が良くて立派で、とても良い若者に、自分一人で生きよう、という人がいますか。そのような時には、必ず相対を求めるようになります。誰に似てそのようになるのでしょうか。神様に似てそのようになるというのです。神様がそうではないのに、そのような人が出てくるでしょうか。神様がそうだというのです。一生の最も貴い時である若者の時、相対を求めていくのは男性も女性も同じです。
皆さんは今、愛を思いどおりにできるようになっていますか、できないようになっていますか。街頭で男性が呼ぶからといって、ついていくようにはなっていません。皆さんは、時が来るまで、自分の身をよく保護しなければなりません。純情を得体の知れない男性に任せてはいけないというのです。街頭で偉そうに振る舞い、ふらふら歩き回る男性たちは、すべて得体が知れない者たちです。自分の運命をそのような男性に任せますか。簡単な問題ではありません。一生に一度しかないので、一歩間違って踏み込んだ日には、自分の一生が左右されるのです。これは男性もそうだというのです。ですから、今までは女性に節操を守りなさいと言いましたが、これからは男性も節操を守らなければなりません。いくら世の中が不道徳で、いくら世知辛い世の中でも、皆さんは行くべき正常な道から外れる行動をしてはいけないのです。
青春時代に純情を失ってしまったアダムとエバの恨を踏み越え、蕩減できる貴い時である思春期に、純情を汚してはいけません。その純情をきれいに貴く保存して、「千代、万代、一人で行くとしても、愛が蹂躙されることは絶対にあり得ない」という志操と決意をもたなければなりません。民族を愛し、国を愛さなければ、「私」が愛することができる人に出会うことはできません。世界を愛さなければ、愛する人を得ることができないというのです。これが統一教会の伝統的な思想です。ですから、神様を愛し、世界を愛し、民族を愛したあとに、自分の妻を愛し、夫を愛することができます。これが原則なのです。
「万物之衆惟人最貴(マンムルチチュンユインチェキ)(万物の中で人が最も貴い)」という言葉があるように、最も貴いという人間においても、春の節気があり、秋の節気があります。そのように見るとき、結婚する前までの成長期間にある若い男女は、春の節気だと言うことができます。春の節気では、寒い気候がだんだんと暖かくなって、花が咲き、香りを漂わせる緑の園をつくり、生い茂る夏を迎えるためのあらゆる準備をするのです。そのように夏の節気を過ぎ、秋の節気を迎えて収穫期を迎えるのです。人間にとって春の時がいつかというと、皆さんが成長真っ盛りの思春期の時期なのです。
創造本然の男女の愛
女性として生まれ、男性として生まれたのは、真の愛の合徳(和合)のためだと考えればよいのです。女性も陰と陽から成り立っていて、男性も陰と陽から成り立っています。「統一原理」で見れば、陰と陽は性相と形状の属性だといいます。個体を見れば、「私」にも陰と陽があります。陰と陽は、性相と形状を受け継ぐための属性です。本来、これは愛のために分立されたものです。
主体と対象、すなわち陽性と陰性は何を中心として一つになるのでしょうか。愛は概念であり実在です。愛が定着できる実在とは何でしょうか。男性が男性となり、女性が女性になるようにするものが何なのか知らなかったというのです。それが正に生殖器です。すべての男性たちはそれが自分たちのものだと思い、また、すべての女性たちもそれが自分の所有だと考えるので、世の中がこのように滅びていくのです。お互いに主人を間違えています。皆さんは、愛は絶対的であり、永遠なものだといい、夢のようなものだと考えていますが、その永遠の愛の主人が入れ替わっていることがはっきり分かったとすれば、世の中がこのようにはならなかったでしょう。
愛を占領しようとすれば、投入して忘れ、また投入して忘れてしまわなければなりません。なぜそのような愛をもたなければならないのでしょうか。愛は、動けば動くほど小さくなるのではなく、大きくなっていくものだからです。力学世界での自然現象は、動けば動くほど、作用すれば作用するほど小さくなります。真の愛の世界は、動けば動くほど大きくなっていきます。神様がそれを御存じだったので、真の愛を中心として創造を始めることができたのです。人が成長して、初めて動き始めるとき、愛を中心として動こうとします。未婚の男女もみな大きくなったあとには、愛を中心として動こうとします。自分一人だけで考えていた、その目が変わります。横を眺めるのです。恥じらうことなく澄ました乙女たちも、思春期になれば、わき見をしながら、父母だけを見つめていた目が横に行くのです。それは悪いことではありません。自然現象です。自己保存のためであり、大きな舞台で相対世界をもつためなのです。
皆さんはどのように生きたいですか。簡単です。目が飛び出るほど見たいと思い、鼻が詰まるほどにおいを嗅ぎたいと思い、鼓膜が破れるほど聞きたいと思い、手がこわばるほど触りたいのです。そのようなものが世の中にあるでしょうか。それはお金でもなく、知識でもなくて、権力でもありません。愛です。愛は握れば握るほど、もっと握りたいと思うのです。また放せば、ただそのまま一度に完全に解放させてくれるのです。すべてのことを可能にするものが愛です。二つの目の焦点が合わなければならず、鼻も焦点が合わなければなりません。耳も焦点が合ってこそよく聞こえます。三半規管で均衡が合ってこそ、バランスが取れます。すべて焦点上において生きるのが人間です。その統合的な焦点とは何でしょうか。目の焦点、耳の焦点、鼻の焦点、口の焦点、触覚の焦点がありますが、そのすべての焦点の根とは何でしょうか。焦点の根になり、動くようにすることができるのが愛なのです。愛のほかにはないというのです。
相対がいなければ、愛の主人の位置に、永遠に立つことはできません。男性を完成させるのは女性です。女性だけが男性を愛の主人とし、男性だけが女性を愛の主人にするのです。そのほかの主人は、偽者たちです。その鍵は、一つであって、二つではありません。
神様のみ旨とは、創造目的の完成です。個人は、神様の愛の圏内に入らなければならないのです。堕落人間は、いくら努力しても、万事に通過して合格する道はありませんが、神様が絶対的な条件をもって万事がすべて百点と認定される愛の道を許諾したので、その愛の特権を受けるために宗教圏を形成し、絶対的に信仰を維持する型が生まれるようになったのです。心と体が一つになった中で、神様の愛が共にある相対的基盤を備えた男性と女性が祝福を受けて結婚してこそ、初めて火山が噴火するように爆発するのです。天地が振動するのと同時に、愛が成立するのです。
神様の愛が人間の三大愛を中心として、共に花咲く家庭を完成することが世界の願いであり、人類の願いであり、未来の願いです。これが、天地の法度の前に歴史の香りを放ち、新しい花として登場する貴く美しい夫婦の愛なのです。
統一教会でいう理想的な夫婦とは、最高の芸術を実体として展開させる夫婦であり、最高の文学を展開させる夫婦です。最高の理想、世界最高の文化世界に接する前に、最高の愛で夫婦が授け受けする甘い愛が、世界最高の芸術作品にならなければなりません。夫婦生活自体が最高の文学作品であり、それ自体が文学の実体にならなければならないのです。
結婚して夫婦が真の愛で愛し合う場は、神様と人間の愛と生命と血統の根源となる王宮の場であり、理想のための地上天国と天上天国の出発地です。このような真の愛によって結実した子女が、真の愛を中心とした夫婦一体を完成し、神様に侍って暮らす家庭を築いて、平和と理想の出発基地になるのであり、片方の男性と片方の女性が一体となって、神様の相対として神様の理想の愛を完成させるようになるのです。