天聖経訓読室

第4節 家庭は幸福の基台

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私たちは、心情を離れては生きることができません。自分が大統領だとしても、あるいは世界的なあらゆる権威を備えているとしても、心情的な喜びを表示する所がなければ生きることができません。自分が率いる人々や閣僚たち、あるいは追従する人々からは、心情的な満足を感じることができません。それは家庭で感じなければなりません。家庭に帰ってきて、夫婦が互いを通して喜びを感じ、また子女を通して喜びを感じることができなければなりません。そうして、その喜びをほかの人々に誇ることができなければなりません。神様も同じです。この世界をすべて復帰したとしても、家庭がない神様は喜ぶことができません。結局、家庭がなければならないというのです。

幸福の基地は家庭

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家庭は良い所です。父母がいるので良い所であり、兄と姉がいるので良い所であり、弟と妹がいるので良い所です。人間ならば誰でも、自分の家庭のある本郷の地、故郷を懐かしく思う郷愁の心情をもっています。国よりも故郷を一層思うのです。大韓民国に住みながらも、懐かしく思う所は故郷です。故郷は、「私」の心情を四方に、立体的に引き上げてくれる所です。その心情は愛で結びつくものです。上には父母が結びつき、左右には夫婦が結びつき、下には息子、娘が立体的な愛でしっかりと結びついている所が本郷です。人間は愛を中心とした幸福を最高のものとして望むので、本郷を懐かしく思わざるを得ません。それでは、神様の本郷とはどこでしょうか。神様の家庭が整えられる本郷の基点とは、神様が父であることを知る息子、娘がいる所です。すなわち神様の愛を独り占めできるひとり子がいる所なのです。また、そのような娘がいる所です。その息子、娘が結婚して完全な家庭を成す所なのです。

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「統一原理」と創世記を見れば、すべての万物は人のために造られたとなっています。また、私たちが望む理想世界も、人のためにあるのです。ですから、人を愛し、人のために生きようとする世界が天国です。天国がほかにあるのではありません。人のために生き、人を愛そうとする人々が暮らす世界が天国です。それでは、人のために生き、愛そうとする、そのような所とはどこでしょうか。自分自身を中心として見てみるとき、人を愛し、自分自身を高めることができる所は家庭です。父母の目で子女を見るとき、その子が聞き分けのないいたずらっ子で、一から十まで誇るに値することが一つもなくても、父母はその子を誰よりも愛します。家庭は、愛に満ちた所であり、自分を高めることができる所です。自分の価値を無限なものとして現し得る所です。そこは幸福な所なのです。

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家庭は、万古不易(ばんこふえき)(永久に変わらないこと)の起源であり礎です。これは父も変えることができず、兄弟も変えることができず、どの国も、いかなる制度でも変えることができません。また世界的にも変えることができず、神様も変えることができません。ですから、家庭には永遠に革命という言葉が必要ありません。家庭は愛の場所なので、革命が必要ないというのです。男性が女性を、女性が男性を愛することにおいては、昔、祖父母が若かった時に互いに慕い合っていたことも、今日、現代の若者たちが互いに慕い合うことも変わりはありません。同じです。思春期の時に感じるものは同じです。しかし、家庭を築く基礎は千態万象に変わっています。愛する心は同じなのに、家庭としてのその形態は変わっています。これは結局、滅びてしまうようになっています。革命の要素を加えることのできない礎として築かれた家庭は、いかなる主義や思想にも吸収されません。むしろ主義や思想を治め、凌駕します。このような基準が立てられた家庭は、十年、百年、千年たっても永遠に変わることはなく、民族と国家の形態を維持するようになるのです。

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皆さんの幸福の基地は、国でもなく、世界でもなく、皆さんの家庭です。皆さんの理想も、世界ではなく、皆さんの家庭です。ですから、その家庭の中に理想的な人間がいなければならず、その家庭の中に理想的な愛がなければなりません。そのような家庭があるとすれば、その家庭の父は理想的な父であり、母は理想的な母です。そして、息子も理想的な息子であり、娘も理想的な娘です。また私たちは、理想的な家庭の礎だというのです。ですから、理想的な家庭をつくらなければなりません。

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人にとって幸せな環境とは、どのようなものでしょうか。幸せな環境にある人とは、父母の愛を受けられる立場に立った人です。その次には、夫婦の愛を互いに授け受けできる立場に立った人です。その次には、子女を愛せる立場に立った人です。その次には兄弟の愛が分かる立場に立った人です。そのような内容が分かってこそ、国家と世界を発展させることができます。したがって、幸福の母体になることができるのは、完全な家庭の円満な父母と夫婦、そして子女を中心とした愛の基盤なのです。

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私たちは、家が絶対的に必要です。完全な幸福の根拠地である家を離れては、国も、世界も、いかなる目的も成立しません。私たちは、神様が望む家を中心とした父母、夫婦、兄弟にならなければなりません。幸福の要因や願望の要因も、家を中心として国家と世界に広がっていきます。神様が望む出発点と決着点は家です。しかし、私たちは神様が理想とする家を築くことができませんでした。むしろ破滅と不幸に近づいているのが、私たちが暮らしている家だというのです。最高の幸福の根拠地である家が絶望の根拠地になり、不信の根拠地になるとは誰も知りませんでした。神様は、これを蕩減復帰するために、今まで役事(働き)してきました。そのような家庭的な不幸は、アダムとカインの時から始まったのです。

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私たちは、良いものがあれば誇りたいと思い、宣伝したいと思います。宣伝したいというのは、関係を結びたいということです。なぜ宣伝や自慢をするのでしょうか。「あなたもこのような関係を結びなさい!」というのです。人にとって一番良いものとは何でしょうか。父母が一番良く、その次には「私」であり、その次には子女です。このようにして歴史が継承されます。このような内容が集約された所とはどこでしょうか。私たちの生命を結びつけ、生命に連結されたその環境を中心として愛が花咲く根拠地が家庭だというのです。

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家庭は、一つの代表的な人間が暮らしているモデルです。いかなる人も家庭の基盤を通して人生の道を整え、そこで生み、それを中心として東西南北を往来し、上下を往来しながら生き、そして逝くのです。このように見るとき、家庭の幸福を得ることができなかった人は、国の幸福を求めることができません。いくら国を求めたとしても、国のどこに住みますか。自分が行くべき所がなければ不幸なのです。家庭に行ってこそ、父母がいて、家庭に行ってこそ夫や妻がいて、そして家庭に行ってこそ子女がいるのです。

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ある人は、「会社に行っても愛を探すことができる」というかもしれませんが、違います。会社は物質を通して利益を得ようと連結された所です。また、政治の分野は、人同士が自分の権益を得る所です。そして、宗教も、神様を見いだすありとあらゆる方法があり、それぞれの宗教で異なる方法があります。それで神様を見いだすことはできますが、愛は見いだせません。真の愛は、家庭で探さなければならないのです。いくら会社に出ていってお金をたくさん稼いでうまくいったとしても、愛する家庭のない人は不幸な人です。また、いくら政治の分野に進出して大統領になったり、国会議員になったりしたとしても、帰ってきて愛することのできる愛の家庭がなくなるときには、不幸な人です。有名な牧師になり、立派な霊的指導者になって教会の信者から愛を受けるといっても、その愛だけでは駄目です。その愛よりも深く、さらに中心的な愛の場を求めようとすれば、それは家庭しかありません。

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世界をいくら統一したとしても、自分の家庭を統一できない人は不幸な人です。愛の理想は、家庭から実現しなければなりません。家庭は幸福の巣です。ですから、天国は家庭から始まります。この地上に天国をつくるために来られたイエス様が「私は新郎であり、あなたがたは新婦である」という立場で語られたのも、家庭を標準として語ったのです。家庭は愛で結ばれています。愛で一つにすることができます。愛は変わることがないので、祖父母の愛が一つになることができ、父母の愛が一つになることができ、夫婦の愛が一つになることができます。愛には統一性が介在しているので、一つになることができます。また、愛には生命あ動機が伴っているので、祖父母の生命が連結されるのです。また理想がここに連結されるのです。祖父母は父母に相続します。すなわち子女に相続するのです。祖父母の子女は父母であり、父母の子女は私たちです。このような愛を中心とした所が天国なのです。

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人間の生活において、ある人を幸せな人だというとき、何を基準として幸せだと言うのですか。外的な能力、権勢、権威をもっているからといって、幸せな人だということはできません。何不自由ないほどお金があるといって幸せな人ですか。違います。世界的な知識を有していて、世界を意のままにできる位置にあるといって、彼が幸せな人になることができますか。決してそれだけで人が幸せなのではありません。この地のすべての人間が、幸福の根拠地は家庭だと一般的に感じ、体験し、認めながらも、いまだに幸せな家庭の基準をもつことができずにいます。ですから、問題は家庭です。家庭には父母がいなければなりません。世の中では父母のいない子女を孤児と呼びながら、その孤児はかわいそうな人として扱われます。家庭には、父母がいると同時に夫婦がいます。父母がいないのもかわいそうなのですが、夫婦のうち一人がいないのもかわいそうなのです。いくら仲むつまじく暮らしていた夫婦であっても、愛する配偶者を失うようになるときは、この上なく悲しみにくれ、不幸になるのです。それだけでなく、夫婦が子女をもつことができなければ、それもやはり不幸にならざるを得ないのです。

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ある人が社会に進出して成功できず、または社会の一員として堂々とした権威と資格をもつことができなかったとしても、真の父母、真の夫婦、真の子女を中心とした家庭を築き、誰もがその家庭を手本にしたいと思うほど平和に生きているとすれば、その家庭は幸福な家庭であることを否定できません。そのような家庭は、家庭の真の幸福に限定するのではなく、その社会、または氏族を経て民族や国家の前に影響を与えなければなりません。そのような家庭があるとすれば、民族や国家全体が欽慕すべき家庭に違いないでしょう。このように、民族を代表することができ、さらに国家を越えて世界が欽慕(きんほ)できる一つの家庭がこの地球上に顕現するとすれば、全世界の人類はその家庭をあがめるに違いありません。

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「私」個人が犠牲になって家庭を探し立てなければなりません。犠牲になって探し立てたその家庭の人たちは、「ああ、お父さん、お疲れ様です!」、「あなた、お疲れ様です!」と言うのです。夫に対すれば「ああ、あなた!本当にありがとうございます」と言いながら、感謝の涙を心から流すのです。人間の真の姿が現れるのです。個人は家庭のために犠牲になります。その家庭に夫もいて、子女もいます。このような思想で一元化された家庭は、幸せな家庭です。母も、自分の夫と子女たちのために存在し、子女は、父母と兄弟のために存在するのです。そのように互いにために生きようとする家庭は空になるので、誰が下りてくるのかといえば、神様が下りてきます。ですから、神様に侍ることのできる家庭が、永遠不滅の理想的家庭にならざるを得ないのです。

家庭は天国生活のための訓練所

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天国は「私」が父母を愛するように、年を取った人々を愛することができる世界、兄弟を愛するように世界の人類を愛する世界、そして、夫婦同士で愛し合うように自分と同年配の人々を愛する世界です。家庭的な心情を中心とした、大宇宙的な人格観を中心として生きる世界です。そのような人々の家庭が全体化した社会的形態が、天国社会だというのです。天国は、私の家庭を拡大した世界、私の兄弟を拡大した世界なのです。

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天国とは何でしょうか。自分の家族を愛するように、世界の人たちを愛することができるところが天国であり、そのような人が、天国の民です。祖父母、父母、夫婦、兄弟と子女、この四代とは何でしょうか。天の国の民として、宇宙の真の愛を体験するための教材としての家庭です。教材として「私」に教えてくれる基盤が家庭です。そのように生きた人は、霊界に行っても国境はありません。どこに行っても、思いどおりに道が開けるのです。

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天国は、神様の愛を中心として、完全に一体となった夫婦が入るところであり、そのように一体となった夫婦によって生まれる子女たちが入るところです。神様を中心として一体となった家庭と氏族、そして民族をすべて率いて入っていくところです。ですから、地上で家庭をもてなかったイエス様は、天国に入ることができず、楽園にとどまっています。神様の愛を中心として結ばれた夫婦でなければ、天国に入ることはできません。天国は相対的理念の世界です。それで、家庭が入らなければならず、自分の氏族と国が入らなければならないのです。

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皆さんの家庭は、天国の主権に代わる立場にあります。父母は主権に代わるものであり、子女は民に代わるものであり、物質はその国の国土に代わるものです。ですから、父母に孝行することが国に忠誠を尽くすことであり、父母に孝行することが聖人の道理を果たす道に通じるのです。

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父母の愛、夫婦の愛、そして子女の愛の三大愛をすべて実現するようになれば、四位基台が形成されます。その四位基台が備えられたところには、神様が間違いなく来られるのです。四位基台の愛があるところに神様が臨在されるのです。ですから、神様を迎えて千年、万年暮らしたいと考えなければなりません。その場所が天国の基盤なのです。

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無形の神様の愛の理想が実体の人間を通して実現される起点は、人間が神様の対象として完成する瞬間です。人間が神様を中心として人格が成熟し、心と体が完全に一つになることによって、神様の愛と理想と生命の永遠の対象になるのです。アダムとエバが神様の子女として理想的な個体になれば、理想的な家庭に発展し、理想的な社会、国家、世界に発展し、絶対愛に感応して得た生命の喜び、幸福の理想、そして調和統一の天国を実現するのです。

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天国生活は家庭から始まります。ほかのところから始まるのではありません。天国は、家庭を立体的に拡大させただけであって、家庭圏を離れたものではありません。ですから、自分の妻や夫をかき抱く時、これは世界の男性と女性が一つになるのだと考えなければなりません。このように、世界の人類を愛したという条件を立てられる場所が、正に家庭なのです。

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家庭の理想を拡大したものが国家の理想であり、国家の理想をそのまま拡大したものが世界の理想であり、世界の理想をそのまま拡大したものが天宙の理想です。天の国は、家庭をモデルとして拡大させたものなので、家庭で真の愛の道理を体験した人は、世界のどこに行っても歓迎されるようになり、天上世界のどこに行っても、ただそのまま自由に通じることができるのです。

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家庭は、天国に行くことのできる訓練所です。修練所だというのです。世界には、祖父や祖母のような人々も暮らしています。家庭を拡大すれば、世界と全く同じなのです。父母の年代、夫や妻の年代、息子、娘の年代を拡大したのが世界の人類です。ですから、家庭で訓練されたことを四方に拡大させて、ために生きる愛をもって生きる人は、天国に行くことができます。家庭は、天国に直行できるようにする修練所なのです。

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人間が、見えない神様の代わりに創造の喜びを感じる所が家庭です。世界を見れば、子女のような人々がいて、自分のような人々がいて、父や母のような人々がいて、そして祖父母のような人々がいます。彼らを測ることのできる物差しがあると考えてみてください。子女の物差し、夫婦の物差し、父母の物差し、そして祖父母の物差しがあるとすれば、その一つの母体が家庭です。これを拡張すれば世界になります。そのように、自分の家庭の代わりにこれを主体とみなし、この世界を相対のようにして、プラスとマイナスのようにして回るのです。そのように回りながら暮らした人々が入る所が天国です。この世の中は、天国に入れるようにする訓練場なのです。

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家庭は、理想の国と理想の世界を愛で占領できる訓練場です。さらには、天の国と神様までも占領できる訓練場です。ここから愛を投げて力いっぱい引っ張れば、世界がつながってきて、霊界がつながってきて、そして神様までつながってきます。結局、理想的な家庭とは、宇宙を愛で釣り上げる所です。

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神様は縦的な父母です。永遠に離れることはできません。家庭で父母に侍るのは、永遠の世界で神様、すなわち縦的な真の父母に侍るための訓練です。そして、天の国は愛の世界です。愛の世界は空気が愛からなっています。そこに適応するために訓練する所が家庭です。真の愛の概念には、与えるという意味が入っています。思いどおりにするというものではありません。それは皆さんが家でするように、容易なことではありません。難しい道なのです。

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家庭において、祖父母と父母に侍る孝の道理を教材として世界に適応する人は、霊界に行っても、何億万年の拡大されたその歴史を過ぎてきたとしても、通じない所がなく、どこでも歓迎されるのです。ここに平等があり、調和があり、そして統一があります。東西南北が平等、調和、統一です。このような中心が現れれば、自由が広がります。自由は神様と共にあるのです。その位置に通じるようになれば、全被造万物が歓迎します。それが自由の本当の意味なのです。

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神様の愛を受けることのできる息子、娘として、神様の愛を受けることのできる兄弟として、そして神様の愛を行使できる夫婦として暮らしながら、神様がアダムとエバを愛したのと同じように、第二創造主の立場から、自分の息子、娘を愛し、それから逝くのが人生行路です。始まりも愛であり、過程も愛であり、終わりも愛です。愛の教科書に一致する完成品として入っていく所が天国です。そこに入っていく場合には、個人として入っていくのではありません。家庭全体が入っていかなければならないのです。

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家庭には、祖父母、父母、それから息子、娘がいます。世界も同じです。自分の祖父母よりも世界の祖父母の年齢の人々を一層愛し、自分の父母より世界の父母の年齢の人々を一層愛し、自分の息子、娘より世界の息子、娘の年齢の人々を一層愛することのできる訓練さえできていれば、天上世界で数多くの人々といつも通じることのできる完成体になるのです。

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家庭で父母を中心として、夫婦を中心として、子女を中心として、家庭の人たちが不変的な愛で一つになった家庭になっているでしょうか。家庭的宝物になっているでしょうか。宇宙が見つめるときに、失うことのできない、あらゆる人間が願うことのできる家庭をもったのでしょうか。そのような家庭を単位として、それを横的に拡大するとき、神様が愛することができ、放っておくことのできない氏族圏をもたなければなりません。それから、その基盤を拡大して民族圏をもたなければなりません。その民族圏を拡大して国家圏をもたなければなりません。その国家圏だけではいけません。世界圏をもたなければなりません。また世界圏だけではなく、霊界圏まで地上世界に連結される愛の統治の舞台と統一された権限をもたなければ、人間は完成できません。人間が解放される道がないというのです。

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本来、神様が創造理想として男性と女性を造られたのは、愛のためでした。ですから、愛の生活をした人が天国に入るのです。天国が実りを収穫して刈り入れる倉庫ならば、愛を中心として夫婦になって築いた家庭の入る所が天国です。その家庭を標榜して地上で私たちの家を完成することによって、「私」の故郷全体が自分を歓迎するようになります。その人は、神様の愛の懐に抱かれて、愛を受けることのできる代表的な息子、娘であり、孫、孫娘です。これを皆さんの家庭で実践躬行することによって、天の国に直行できる立場に立つのです。