天聖経訓読室

第4節 祝福家庭と永生

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祝福結婚と永生は、真の父母から始まります。真の父母でなければできません。真の父母がこのような途方もない内容を解決し、霊界と肉界の統一、地上世界の統一をしなければなりません。世界が先生に反対しても、従ってくるようになっています。神様のみ前に行って印を受けなければ、霊界統一と地上統一ができないのです。どんなに地上が反対しても、先生が行く道を阻むことはできません。天使世界と霊界が動員され、先祖たちが動員されて、「行かない」と言えば、夢でうなされ、首を押さえつける、そのようにサタンに代わって行動を起こす時が来るというのです。

祝福家庭は天国の門の鍵

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結婚して初愛を交わす瞬間は、男性として完成する場です。すべての神様のプラス世界、すべての男性型、右弦型を代表するアンテナとして、すべての神様のマイナス世界、すべての女性型、左弦型を代表するアンテナとして君臨するのです。アンテナのてっぺんで陰電気と陽電気が出会う、正にその場と同じです。女性と男性が愛し合うその場は、男性完成と女性完成をする場なのです。天地の中心として地上に定着できる愛の王宮がそこから始まるのです。初めて愛の本源地が出発し、生命がそこから連結されるのです。血統がそこから連結されます。それと同時に、そこから国が生まれるようになります。地上天国、天上天国が、初愛の門を開くその場から、愛から始まるのです。

3

統一教会で言う祝福は、堕落した人類が、必ず行くべき道です。いくら反対したとしても、霊界と肉界をつなげて入らなければならない、非常に重大な問題になるのが祝福です。今日、一般の宗教を信じる人は、救いというと、個人の救いだけを考えます。自分がよく信じれば、天国に行くと信じるのです。しかし、本来の神様の理想について考えてみるとき、天国は一人で行くようになっていません。愛する夫婦、愛する家族が共に入るようになっています。

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天国の門の鍵は、誰がもっているのでしょうか。アダムとエバが天国の鍵をもって、個人的、家庭、氏族、民族、国家的に門を開かなければなりませんでした。既に祝福家庭を編成したので、これを世界版図で連合し、霊界と肉界の合作により一元化された統一的な祝福基盤の上で天国の門を開くことによって、アダムとエバから数千万年空いていた天国を一度に満たすのです。

5

天国は一人では行けません。天国は、必ず相対理想を決定してこそ、天国の門を通じて入っていくようになっているので、堕落人間が天国に入っていくためには、復帰の歴史、復活の歴史、再創造の歴史を経なければなりません。皆さんに祝福してあげることは、天国の門を大きく開いておくことです。皆さんの前に天国の門が閉まっていたので、祝福によって開いてあげるのです。門を開いて入っていくには、一人では入っていくことができません。家庭が入っていきます。息子、娘と入っていかなければならないという話です。家庭は、歴史的であり、そのすべての実績を備えています。神様の六千年の復帰歴史が一次アダム、二次アダム、三次アダム時代を経たので、三人の息子を経て、その三人の息子まで相対理念を立てておかなければなりません。ですから、家庭的に入っていくのです。

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天上世界と地上世界のすべてが、真の父母の愛の門を経て入っていく世界が天国です。アダムとエバが堕落せずに真の父母の愛を通して天国に入れば、万民にとって家庭のモデルになっていたはずです。一つの本然的なモデルの家庭形態が天国に入るのです。そうすることによって、その伝統的な歴史を受け継いだ天の皇族圏の愛を連結したすべての家庭は、一つの中心の幹に対して東西南北の枝のようなものになります。ですから、同じ圏内は統合されるという原則によって天国に入るのです。そうしてこそ統一世界になります。

7

宇宙の原則は、父母と夫婦と息子、娘、この三段階が一つになって四位基台を形成するようになっています。それで、この宇宙の原則に対する不合格者は、合格圏内から追放されるので、苦痛を感じるのです。三段階を中心として、神様とアダムとエバを中心として、縦的世界と横的世界が展開するのです。これが原則です。ですから、アダムとエバの息子、娘がいてこそ、横的な世界が展開するのです。これが大きくなれば、縦的な世界が自然に生まれます。それで、体の横的基準が息子、娘であり、心の横的基準が霊界です。そこで初めて、神様が霊界にも肉界にも一緒に行くことができるので、地上に天国が実現するのです。

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成約時代とは何でしょうか。家庭定着です。家庭定着から氏族、民族、国家定着です。それで、天一国安着を宣布したのです。これですべて終わりました。霊界と肉界が一つになるのです。霊界も、地獄から楽園、天国に行く道がすべて開かれました。その決定的な整備は、地上でするようになっているのであって、霊界ではできないのです。聖書の中に、王権樹立という言葉がありますか。祖国という言葉がありますか。選民圏という言葉はありますが、祝福の門を経なければなりません。選民だからといって、祝福を受けずに天国に行くのではありません。信仰の道は、すべて祝福を受けることに合わせなければならないのです。

祝福家庭の霊界

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祝福を受ければ、天国に行くことができる道がすべて開かれます。祝福を受けた家庭でも、堕落の行動をした人がいますが、祝福を受けた家庭の霊界の中に楽園が生まれます。祝福を受けた家庭たちの楽園、祝福を受けた家庭たちの地獄が生まれます。それは、神様の主管圏内にあり、善の天使たちが協助したのと同じように、すべての霊界が祝福を受けるようになっているので、祝福を受けた霊人たちが先祖の位置にあれば、先祖の位置でこの地を協助するのです。今後、先祖の子孫が地に出てくれば、地で祝福を受けるようにして、その直系の子女たちを保護するようになっています。そうすることによって、サタンと関係ない新たな世界に越えていくのです。

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地上で祝福を受けた夫婦は、永遠の世界である霊界に行っても一緒にいます。この世の中の夫婦、息子、娘がいかに多くても、霊界に行けば、分かれてばらばらになります。分かれて、みなどこに行ったのかも分からないというのです。相対的な関係がなければ会うこともできません。心霊状態の基準によって、みな霊界で分かれるというのです。しかし、先生が語ったように、愛を中心として一つになれば、そのまま一族が霊界に入っていくというのです。

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霊界に行っても、誰かが「地獄に行きなさい」と言うのではありません。自分が求めていくのです。自分の程度に合うところを求めていくのです。統一教会も、すべて同じ圏内に行くことが目的ですが、自分の心霊状態の基準によってとどまるようになります。それでは、祝福を受けた家庭は、どのようなところが違うのでしょうか。祝福を受けた家庭は、離れようとしても互いに離れることができません。霊界に行くようになったとき、自分の妻が責任を果たせなければ、共同責任を負って夫が解怨してあげなければなりません。妻が誤っても引っ掛かり、夫が誤っても引っ掛かり、息子、娘が誤っても引っ掛かるというのです。家庭が共に入っていくべきところが天国なので、その家庭を一つに統一しなければなりません。その家庭の一員が誤れば、その一員の誤ったことを解怨成就できるまで、蕩減されるまで待たなければなりません。ですから、いずれにせよこの地上で完成していかなければなりません。

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皆さんが及第生になれずに霊界に行けば、保護館での生活をしなければなりません。何千年も待たなければなりません。祝福を受けた人々も、息子、娘たちがみな、「お母さん、なぜ私をこのように生んだのですか。なぜここに引っ張ってきたのですか」と言わないと思いますか。皆さんの息子、娘たちが黙っていると思いますか。皆さんの家庭のレベルはみな異なっています。ですから、すべて自分のレベルに合ったところに行って、長い間とどまるのです。そのようになれば、皆さんの先祖が、息子、娘たちが、「どうしたのですか。なぜそのように良くすることができなかったのですか。何ですか、それは」と言いながら讒訴します。そうなれば、皆さんはそれに相当するだけの長い時間、そこにとどまらなければなりません。それほど簡単なことではありません。ですから、地上でしなければならないのです。先生が「やりなさい」と言うことを、みなやらなければなりません。

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私が一歩ずつ歩んで越えた道を中心として、再び先生に代わって報告し、解放・釈放圏の位置に立たなければ引っ掛かります。天国に入っていくことができません。カインとアベルが争う人たちは、霊界に入っていくことができないのです。天が制限するというのです。ですから、統一教会員がいくら祝福を受けたとしても、天国の門に入っていくことができなくなれば、自分たちが誤ったことによって霊界に祝福家庭の楽園が生まれ、地獄が生まれるのです。

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十年後、百年後に霊界に行って、「神様!私はここに来ました。父母様を知ったので、父母様がいらっしゃるところに行きます」と言ったからといって行くことができますか。氏族的メシヤの使命、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤの使命を連結させることができなければ、天国に入っていって自由に生きることができません。どれほど恐ろしく深刻な立場かというのです。現在の状況を考えれば、それをどうやって否定でき、除去できるのかというのです。

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皆さんも、祝福を受けて自分勝手に生きれば、すべて脱落です。証明書だけもっているのであって、実体がありません。実体世界が天国になるので、天国に入っていけば、実体をもたずに証明書だけでは駄目です。先生もそうです。いくら再臨主だといっても、霊界の実体圏がなければ地上の実体圏を主張することができません。ですから、霊界解放をしなければならないのです。

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毎日、主体的世界である霊界の事実を知らなければなりません。皆さんが御飯を食べようと、子女たちを教育しようと、先祖が残した生活の記録よりも、自分の国の伝統よりも、先に霊界の事実を知り得なかったことが恨です。それを知ったので、真の父母と共に、天地父母と共に生活する立場で、天地父母の実情と天上世界と地上世界を理解して、自分の理想的基準に障害となるものは、いかなる犠牲があっても取り除くべき責任が各家庭にあるというのです。解放された中心家庭になることができていません。自分の国と自分の世界を越えていくべき立場にいるので、これができなければ、霊界で成し遂げられなかったその段階にとどまるようになるのです。

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今までサタンの血統によって生じた楽園や地獄を完全に取り除いてしまい、最高の神様に近い理想的な祝福家庭を中心として高位層の天国が生じ、その下に家庭的楽園が生じるのです。そして、仏教や儒教の中間霊界があるのと同じように、家庭的中間霊界が生じます。数多くの階層が生じます。その次には、家庭的監獄が生じます。監獄が生じれば、それはサタン圏内の地獄の監獄ではありません。今までは、子孫たちが先祖を救うということが起きましたが、今の時は原則的長子権が生じて蕩減がないので、兄や父母たちは、地獄に息子、娘や親戚がいて、知っている人がいれば、いつでも行って助けてあげられるのです。橋を架けてあげるのです。ですから、早く復帰されるというのです。

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天国は、本来家庭が入っていけるようになっているところです。祝福家庭が霊界の最高の位置に入っていきましたか。家庭も、世の中の、堕落圏内の八段階の圏内を抜け出ることができなければ、そこにそのままいるので、祝福家庭はすべて解放されたのですが、家庭的天国と家庭的楽園と家庭的中間霊界、家庭的地獄が生じるのです。しかし、ここはサタンが主管していますが、永遠なものではなく、先祖たちが行って橋を架けてあげ、全体を引き上げてあげるのです。ですから、復帰が早いのです。今、宗教圏を中心として再び教育をしています。

霊界に行く時の最高の贈り物

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霊界の神様のみ前に行く時、もっていける贈り物は何ですか。それは、お金でもなく、学者、博士の名誉でもありません。自分の愛する夫と裕福に暮らした、そのようなものではありません。そのようなものは贈り物になりません。そこには、世界のために生き、神様のために生きた愛をもっていかなければなりません。それが残るのです。ヨハネによる福音書第三章十六節に、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」と、神様が世の中を愛すると言っています。それで、ひとり子を与えてくださいました。ひとり子は世の中を愛するために来た人です。ですから、愛を中心として信じれば滅びません。救いを受けるのです。主人が世界を愛するので、世界を共に愛さなければならないというのです。

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皆さんは、天国に行くときに贈り物としてもっていく物がありますか。霊界に行けば、殉教した功臣たちが前にずらりと並んでいるのですが、彼らの前に皆さんが持っていったふろしきを開いて見せることができると思いますか。統一教会がどのような苦労をし、皆さんがどのような苦労をしましたか。それほどの苦労もせずに、どうして国のために生き、世界のために生きたと言えるでしょうか。「苦労をするにはしましたが、私は苦労したと思いません」と言ってこそ当然なのです。まだ行くべき道が残っています。霊界に行ってふろしきを解いて、「これは一生の間、私が用意した贈り物ですので、お受け取りください」と言えなければなりません。女性たちがお嫁に行く時は、荷物をしっかりと持っていくのに、天国に行く時は霊人体だけで行くことができるでしょうか。

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この地上は、天国の民の無限の生産地です。これを誰も知りませんでした。息子、娘を天国の民として生んで完成した人間に育てていくことが、本来の夫婦としてこの地上で生きていく生涯路程です。ですから、赤ん坊が生まれれば、その赤ん坊も神様のところに行く時の贈り物になるのです。そのような贈り物がなければ、自分の面目を立てることができません。皆さんが故郷に帰っていく時、父母の前に行って何を誇りますか。その時、息子、娘をよく育てて誇るように、霊界に行く時も同じです。神様のみ前に行く時も、神様の子女であり天国の民を地上で育てて連れていくこと以上の贈り物はありません。お金と権力と知識が重要ではありません。

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多くの息子、娘をもった父母は、多くの愛の相対を迎えたので、天国に行っても四方八方、誰でも思いのままに会えます。息子、娘をたくさん生んだ女性の中で悪い女性はいません。なぜでしょうか。自らの息子、娘を愛する母の心をもって村に行けば、自分の息子、娘と比較して、少し気の毒な場合には、「少し助けてあげたいが、どうすることもできない」といつも考えるからです。ですから、生活圏内で自動的に愛の境地に高く上がっていくことができる立場に立つのです。ですから、多くの息子、娘を育てた人は、霊界の最も高いところにいます。

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地上は、どのようなところですか。天国の国民を生産する、生産工場です。天国は広大無辺です。無限大です。一人が子女を百人ずつ生んでも、天国は広いので過剰生産ということがありません。あの世は、いくらでも受け入れることができる世界です。ですから、産児制限をしてはいけません。あの世に行けば、天国の民をどれだけつくって連れてくるかということが問題になります。天国の真の息子、娘をたくさん連れてくるとき、それが自らの権益になって、天上世界で表彰を受けることができ、等級の差を設定する資料になるのです。

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今後、霊界に何をもっていかなければならないでしょうか。お金をもっていくのではありません。統一教会の名前をもっていくのでもありません。ですから、今後皆さんがしなければならないことは、神様が愛することのできる息子、娘をどれだけたくさんつくっていくかということです。人が赤ん坊を生むといっても、数人しか生むことができません。それは誰でもすることができます。今の復帰過程において、皆さんがサタン世界で神様が愛することのできる息子、娘をたくさんつくるようになるとき、その功労は先祖と連結され、先祖を解放させることのできる道が生まれるのです。これが、復帰路程において自分ができる最大の贈り物です。

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霊界に入っていく時、お金をもっていくのではありません。一人が百二十人以上収拾しなければなりません。天国の民をすべて失ってしまいました。それを接ぎ木し、失わなかったという条件に再び合わせなければなりません。霊界に行って十二の真珠門を経ていくためには、地上でサタンから、どれだけ天の民を復帰して帰ってくるかということが問題です。そのためには、涙と血と汗を流さなければなりません。再創造の真の愛の心情を中心としてサタンの父母以上、サタンの夫、妻、息子、娘以上の心情を投入して、涙とともに、血と汗とともに交差するその過程をたどることなくして、天国の自分の民を所有することはできません。この数に比例してあの世の栄光の位置、神様の近くに行く条件が成立するのです。

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霊界に行けば、誇るべきこととは何でしょうか。生命をどれほど生かしてあげたかということが誇りです。甲なら甲、乙なら乙、あるいは氏族を超越して、たくさんの民族を新しい生命と関連させて、どれほど生かしてあげたかということが財産です。財産はそれしかありません。霊界には、ないものがないので慕うものがありませんが、一番慕わしいものがあるとすれば、真の人です。ですから、真の人を養育するために功を捧げたその功臣は、当然、天上世界で栄光の息子、娘になることができます。

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御飯を食べることよりもっと重要なことが、天国の民を刈り入れることです。それが人々にはうまくできていません。それが本職なのです。この地上に生きる私たちの本業です。生涯にすべきことの中で、それ以上に貴いものはありません。世の中で就職して出世したり、お金を集めたりしたものは、すべて流れていきます。あの世では、お金を集めても何の役にも立ちません。あの世では、物質が必要なく、知識が必要ありません。習わなくても、心が先に分かります。一週間以内に、何でもすべて通じるのです。

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霊界、天国に行くときに必要なものは、信仰の息子、娘です。伝道した息子、娘が必要です。そのように伝道することによって霊人たちを復活させていくのです。ですから、皆さんが地上で活動することは、地上にだけ影響を及ぼすことではありません。堕落によって汚れた、すべてのものを整理するための活動だというのです。

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天国は無限の世界ですが、そこでは愛の心情によって連結される橋がなければなりません。ですから、自分の伝道した人が世の中に多く広がっていれば、霊界に行ったとき、それに比例して広く往来できる道が生じるのです。すべてが自分と関係を結び、縁を結ぼうとします。それは、地上で思想武装して連結させたものと同じ体制が、自分を中心として連結されるということです。教育して多くの弟子をもったのと同じように、地上で解いてあの世に行けば、霊界で解くことができる相対的関係になっているので、膨大な活動基盤になるのです。

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歳月をそのまま送ってはいけません。青春時代に息子、娘を生み、育ててこそ、後代に誇り得る基盤を残すのです。また、その子女たちが、立派な人になってこそ、歴史に誇ることができます。歴史に対して誇れる実績がなければ、自分の一家や町内ではグループに入れますが、国では入れないのです。国に入るためには、歴史の伝統に残る実績がなければなりません。ですから、誰でも国に何かを残すことを願い、世界に何かを残すことを願い、天地に何かを残すことを願うのです。同様な道理です。ですから、自分の所有版図をどのように確定するかという問題が、終生の目的だという観念をはっきりともたなければなりません。ですから、み旨の道で、嫌ならやめようと考えることはできないのです。