天聖経訓読室

第1節 万物と人間の関係

この節の音声は準備中です。
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今日、見える万物世界を主管している人間、万物の霊長だと自負している人間が、自分を自分のものだと思っているとすれば、それは誤解です。皆さんの体は、皆さんのものではありません。皆さんの心もまた、皆さんのものではありません。皆さんのものだと認定できる根拠とは何かと聞き返してみれば、答えることができないでしょう。もしこの問題が解決されれば、それが歴史的な一つの基点になると同時に、すべての問題を解ける解決点になります。しかし、今日、この地上に生きている人間は、この問題を忘れたまま、何となく暮らしています。神様は、宇宙を失って悲しまれるよりも、このような人間になったという事実をもっと悲しまれるのです。ですから、そのような神様の心情を感じて体恤する人がいるとすれば、その人から根本的な宗教の摂理が出発できるのです。ここから、神様を再び探すことのできる道が開拓されるのです。この地上に存在しているすべてのものが地を父母としており、天体を父母としており、さらには創造主を父母としているのと同じように、皆さん個人も、皆さん個人で終わるのではありません。

地は人間の第二の母

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私たちの体を養育してくれるのは地です。私たちの体に必要な要素を提供してくれる地は、私たちの父母です。しかし、この地が人間の父母だということを知る人はいません。次に、私たちを生んでくれた父母がいます。体の父母は地であり、心の父母は私たちを生んでくれた父母です。しかし、人間にはこの二つの父母だけがいるのではありません。この父母を越え、理念的な価値の姿、絶対的であり永遠無窮なもう一人の父母がいるのですが、その父母を認めず、解き明かせないとすれば、人間は嘆息するしかありません。ですから、全人類は、流れゆく歴史路程において、そのような父母を解き明かす一つの瞬間、ひと時、一つの時期をもたない限り、安息の園をもつことはできません。私たちには、「心情的な父母」がいます。その父母は、地と共に滅びゆく父母ではなく、地の歴史と人類の歴史を激しく揺るがし、治めて余りある父母です。その父母が正に天上の父母、すなわち私たちを創造なさった父母です。人間には、このように三大父母がいるのです。

3

人間は、自分を生んでくれた父母だけが父母だと思っていますが、そうではありません。皆さんの体の源泉は土の塊です。皆さんは、生んでくれた父母の息子、娘として生まれましたが、生んでくれた父母だけに似たのではありません。人間は、その父母を越え、新しくより大きな何かを追求するのです。動機と縁がなければ天的な結果はあり得ないのが鉄則ですが、絶対的な価値の姿を慕うのは、そのような父母がいるからだということを否定できません。真の人間は、地に対して心情が通じる人でなければならないでしょう。自分を生んでくれた父母が地であれば、人類はその父母と共に心情的にために生きることのできる人でなければなりません。さらには天を知り、天上の父母のみ旨を心配し、そのみ旨が願う善の目的地に向かってきょうもあすも闘っていく人、そのある絶対的な関係を解き明かすために努力する人は、真の人生行路を歩んでいる人だと見ることができるのです。

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宇宙にある万物が、人間の肉体の中からそれぞれ自分たちの物をすべて探し出そうと主張すれば、人間はすべてを奪われてしまうでしょう。宇宙からすべての元素を借りてきて形成されたからです。それは、「宇宙が私を生んでくれた。宇宙が私を造った」ということです。ですから、私の体の父母が宇宙です。私は宇宙の元素を総合した実体だというのです。したがって、「私は動く宇宙である」、「私は活動する宇宙である」というのです。このような観点で宇宙を愛さなければなりません。

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自然の中に座って万物を見つめ、自然を見つめれば、神秘的なものを感じます。自然をこの上なく愛する気持ちが湧き出てくれば、人間を自動的に愛するようになるのです。花と蝶、すべての万物を見れば希望をもつようになります。「私は自然におけるひとり子であり、お前もまた自然におけるひとり子だ。だからこの宇宙は、私とお前のためにある」と考えなければなりません。これがどれほど素晴らしいかというのです。

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地は愛の種を植え、収めることのできる畑です。地から私たちの生命要素を吸収し、育つのです。母の体は畑と同じです。母のおなかの中から、母の体のすべての血肉と栄養素を吸収して育った赤ん坊が生まれ、地上で大きくなり、家庭を通して完成し、収穫されていく所が霊界です。ですから、霊界は、秋に刈り入れたものを積んでおく倉庫と同じであり、地上は、刈り入れをする畑のようなものです。畑でよく育ってこそ素晴らしい実ができます。地上で上下関係、左右関係、前後関係の真の愛で一体圏の愛の理想を体験していくことによって、神様の国の倉庫に入って、神様の愛を中心として生活の理想的相対圏となり、神様と永遠無窮に生きるのです。大宇宙が私たちの家です。これが天宙です。大宇宙が私たちの家なのですが、思いのままに主管しながら、神様と愛によって一緒に永遠に暮らすのが、人間の最大の幸福であり、最大の解放であり、最大の自由です。

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人の体の約三分の二は水です。見えない空気と見える水が供給され、皆さんの子女を育てるのです。それは地から供給します。ですから、地は第二の母です。ですから、皆さんの母よりも、もっと愛さなければなりません。そのように育ったのちには、霊界に飛んでいかなければなりません。子宮と空気の世界を経て霊界に入り、解放されるのです。そこが最後の目的地になります。そこが神様を中心とした天国です。

万物の中心は人間

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神様は、アダムとエバの外的で生物的な成長のための足場として、美しく繊細に準備した環境である万物世界を創造されました。このような環境の中で人間は成長し、発展します。神様のより深い関心は、人間の内的性稟と愛の人格にありました。彼らは、真の愛の経験を通し、神様の真の愛に似て完成するのです。神様は、愛の力を内的で非物質的な力の中で最も強力なものとして創造されました。

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「万物之衆惟人最貴(マンムルチチュンユインチェキ)(あらゆるものの中で人間が最も貴い)」という言葉はもっともな話です。神様も愛の相対が必要で、人間を造ったのです。中心である人間を手本として、和合し、吸収されるようにすべての万物を造ったのも、愛の理想のためです。被造世界を観察すれば、鉱物世界、植物世界、動物世界、人間世界もすべてペア・システムになっているのが分かります。鉱物世界を見ても、プラスとマイナスが作用しています。元素と元素も、どんな組み合わせでも結合するわけではありません。相対的要因に合わなければ、神様も思いどおりに命令できません。それと反対に、互いに相対的要件が合うときは、神様でも妨げることができないのです。レベルは低いのですが、鉱物世界も愛の創造理想型モデルの核に反応できるよう、そこに通じるように作用するのです。

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宇宙の存在秩序は、ために生きることを根本としています。真の理想、真の愛、真の平和の世界は、神様の創造理想であると同時に人間の願いです。ですから、理想の起源、幸福と愛の起源は、相対のために生きるところにあるのです。宇宙を見れば、いかなる存在物も、自分だけのために存在するものは一つもありません。植物界は動物界のために、鉱物界と植物界は動物界のために、またこのすべてを合わせた万物は、人間のために存在しています。それでは、人間は、誰のために存在しているのでしょうか。人間は、神様のために存在しているのです。その神様は、万物のために存在し、それらが存在し、成長し、発展するようになさるのです。

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人間は、すべての存在世界の実であり、縮小体であると同時にモデルと言えるので、鉱物と植物、動物のすべての要素をもっている最も高次元の存在です。しかし、人間も、どこまでも結果的存在なので、ある第一原因的存在があり、それに似て生まれたという結論が成立するのです。すなわち、人間を対象とする絶対主体的存在が必ず存在し、私たち人間が人格的存在であれば、その主体も明らかに人格的存在であるに違いありません。その第一原因的絶対者を哲学では存在者と言い、宗教では神様と呼ぶのです。

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万有は二重目的、すなわち個体のための目的と、全体の中で和合するより高い次元のための全体目的をもっています。したがって、宇宙は二重目的の連体になっている一つの大きな有機体と同じであり、個体内で主体と対象が完全に一つになって個体目的を完成した存在は、それ自体だけで孤立、単独、固定された状態でのみ存在することはありません。個体は他の存在と関連を結ぶために、主体的立場、もしくは対象的立場を取り、それと一つになることによって、より高次元の方向性と目的性を帯びた存在として発展します。このように、宇宙は、主体と対象の共通利益で連結されている共同目的体なので、その中に宇宙全体の共同目的のためのある力、宇宙力をもっているのです。主体と対象の永遠の調和合一のための最も濃い、完全な相関関係の内容とは何でしょうか。愛を中心とした授受の関係です。愛の動機は人間ではありません。愛の究極的根源は、絶対不変の原因的主体です。宗教では、この第一原因者を神様と言うのです。

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神様の創造過程を探ってみれば、神様は万物を先に創造された土台の上に、最終的に人間を造られました。人間は、最後に造られた傑作です。神様を中心としてすべてのものが始まったのです。人間の創造を終えることによって、神様と人間、そして万物が平衡を保った立場で統一されることを願われたのです。人間は、神様を中心とする霊界と肉界を接触させる媒介体の使命をもっているのです。

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万物は、神様の息子、娘を造ることのできる土台です。関係し、連結できる土台です。動物もそうであり、鉱物もそうです。鉱物世界にもプラスとマイナスがあります。植物世界にも雌しべと雄しべがあり、動物世界にも雌と雄がいます。すべてに橋を架け、すべてのものが結集して創造された最高傑作が、人間の内的な形状と外的な形状です。すべての形状を賦与し、象徴的に、形象的に、実体的にすべてを表して橋渡しするようにし、すべて連結されて関係を結ぶようにしたのです。

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世の中は、様々な組織体と関係の調和の中で運行されています。複雑で多様なこの世の中において、真の主人にならなければならないという思想は、人間と人間の関係はもちろん、人間と万物の関係にも適用される思想です。問題は、どのような人間に対して「真の主人」と呼べるかということです。より他のために配慮して献身、奉仕する「ために生きる人生」、すなわち真の愛の人生を実践躬行する人が真の主人になるのです。真の愛をもって万物を愛し、保護、育成する人が、万物に対しても真の主人になるのです。

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愛の中で組み合わさったものは一つです。一つの連体現象です。「私」の髪の毛と「私」は似ています。髪の毛を見れば、これは何でもありません。関係がないように見えますが、関係があるのです。同じように、このすべての草木は産毛と同じです。愛は不思議な作用をするのですが、このすべての万物も、自分なりの愛の表示的情緒を感じているのです。ですから、花も音楽を聞かせてあげ、情緒的な環境を造ってあげれば、満開に咲くのです。つぼみが咲きかけて、しおれることはありません。円満に咲くというのです。鶏を育てるときも、音楽を聞かせればよく育つのです。相対的な周辺環境と歩調を含わせていき、和合する環境で育つときは勢いが衰えることがないのですが、四方に和合できずに育つときは潰れてしまうのです。

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神様が環境を創造したのはなぜでしょうか。そこにすべての万物と植物が暮らすことによって、人間がそれらを吸収して栄要素を満たせるようにするからです。海の魚、山の草木、このすべてが人間に栄養素を補給するのです。次に、病気になったときに使う薬材を作れるのが万物です。一つも使えないものはありません。一番ぞんざいに扱われているものが、一番良い薬になるのです。毒蛇の毒が、薬の中で最も良い薬だというのです。