天聖経訓読室

第5節 子女たちの行くべき道

この節の音声は準備中です。
1

皆さんが二十歳を越えるようになると、家庭をもつようになるはずですが、その時は競争するようになります。すべての家庭が競争です。兄弟同士も競争です。父母は父母なりに、自分の生計を維持していくために競争の舞台に立ちます。このようにあらゆるものが競争です。そこから脱落しないためには、自分自ら失敗することなく、一年を失うことなく、一ヵ月を失わなこを確実に行かなければなりません。それをどのように行くかというのも競争です。一年離れれば、ついて行けません。一年離れるようになれば、既に家庭には子女が生まれて、一歩遅れるようになります。弓を射るのと同じです。同じ力をもって矢を弓にかけて射るようになれば、先に射たものが先に行くようになっています。そうでなければ、何倍か速い推進力を加える力をもたなければなりません。しかし、そのような人はいません。ですから、青春時代の一年をどのように消化するかということが、最も重要です。したがって、自分の観点をもって、そこに合わせていかなければならないのです。船が航海するに当たって方向を定めて出発し、航海を始めなければなりません。もし途中で方向を変える日には、それだけ大変だというのです。

2

本性の心が向く道を行くようになれば、宇宙と一つになります。それは弾丸よりも速く、より強いのです。そのようなところに至れば、自分の心と語り合うようになります。そのような境地では心と会話をします。何かをしようと考えれば、既に返事が返ってきます。そのような境地にいる人は、自分の行くべき道が分からないでしょうか。既に行くべき道は明確で、宇宙のあらゆる作用の力が助けるようになります。手を引っ張られて試験場に入るようになれば、すぐにあらゆるものが協助します。それでこそ大きなことができるのです。そのように偉大な力の背景を中心として暮らせるのが、真の人間です。真の人間はそのように無限の力の背景があり、自分が指向する方向に無限に押してくれるというのです。方向が違えば、直ちに分かります。ですから、皆さんが努力してこのような境地を連結して上がれば、すべてのことが解決します。そのような面で、皆さんが行くべき方向を決めなければなりません。それは自分がしなければなりません。自分が一番よく分かるのです。

3

少年少女の時代は、重要な時です。この時に決心したことが、皆さんの一生のあらゆる問題を左右します。今、決心したことを四十年、五十年、六十年もち続け、夜も昼も、御飯を食べていても休んでいても、寝ても覚めても、すべての力を傾けていけば、その人は世界的な人物になるでしょう。少年少女の時代に決心したことを、一生の間、いかなる困難があっても、子女が裏切り、父母が反対し、国が裏切り、全世界が裏切り、神様が蹴飛ばしても行かなければなりません。そのようにして進んでいけば、世界的な人物として登場するのです。ですから、少年少女の時代が本当に貴いのです。

4

勉強も自分が一番好きな科目があります。価値基準で見て、どのようなものがいいのかを考えなければなりません。いつまでも好むことができる、少年、青年、壮年、老年を問わず、全体が好むことができ、また過去、現在、未来において好むことができる基準で、「どれが貴い。どれが自分に合う。またどれが自分にはおもしろい」という科目があるでしょう。その科目を中心として集中的に勉強しなければなりません。そうして過去、現在、未来のすべての偉大な人々とみな比較して、彼らに比べて足りなければ、一層努力をして最高の立場に上がらなければなりません。そのように、各分野で努力して世界の先端の道を行くようになり、世界の各分野の立派な人々を指導できる立場に進むようになれば、世界が短期間で復帰されるというのです。

5

皆さんの一生の問題において、今後、専門分野を決めるには、天と談判して深い自分の本心に尋ねてみてから決定しなければなりません。自分の素性は自分が知っているのです。「私」に何の素質があるのかがよく分かるのです。心が「私」をどこに導きたいと思うのか、ということを知らなければなりません。方向を定められない船は、誰も導いていくことができません。誰かが引っ張っていっても、途中で手を離せば、自分が訪ねるべき方向をもたなければならないのです。

6

祈って精誠を捧げることは良いことです。祈るとなぜ良いのでしょうか。精神が集中すれば、観察が早くなります。学校の先生が講義をすれば、試験に出る問題がすぐに分かります。試験に出すか、出さないか、先生の気持ちが分かるというのです。なぜかというと、それはアンテナを高く掲げているのと同じだからです。アンテナを一段高くして聞けば、小さな音も聞こえるのです。それと同じなので、精誠を尽くす人は、必ず未来の世界が連結されるというのです。それで、啓示や預言は、精誠を尽くす人から出てくるのです。そして、試験勉強のために精誠を尽くして勉強し、精誠を尽くして点数を取ることが今後の発展のためであり、人類のためであり、神様のためであり、全体のためだといえば、その試験には、あらゆる善の霊たちが、その分野の専門的な善の霊たちが来るのです。間違いなく来るというのです。

7

終わりの日には純潔を強調します。真の家庭、真の愛を強調しなければなりません。これがなければ、世界を収拾できないというのです。これは自然なことです。純潔の血統をもつことができずに、ありとあらゆる人がたくさんいます。そのような血統を連結させ、曲折をひっくり返してきたこの血統を、誰が正すのかというのです。これを正せなければ、天の国に帰ることはできません。

8

「神様の愛が人間を代表してとどまることのできる所とはどこでしょうか」と言うとき、神様は何とおっしゃるでしょうか。神様が願う至聖所、人間世界に必要な定着基地はどこなのでしょうか。「神様も絶対的な愛の定着地、人間も絶対的な神様に対する愛の定着地を願うとすれば、何の器官を通して定着しなければならないか」と、尋ねなさいというのです。生殖器を中心として一つになるという結論が出てくるというのです。これは革命的な宣言です。世界平和、統一平和、理想世界の完成は、そこから展開されるのです。

9

愛する人のために生きなければなりません。愛する人は世の中をもらっても取り替えようとはしません。絶対的であの、唯一的であり、永遠で、不変なのです。その定着地が「私」にあります。「私」に定着してその相対を求め、その対象と一つになる、それ以上の願いはないというのです。そこに神様もいて、宇宙もそこが根になります。愛の根が生じるのです。ですから、男性と女性の動機がどこかというときには、神様を知らなくても、動機は愛だというのです。それは生理的に否定できません。あらゆる万有の存在が主体と対象、雄と雌の概念で、カップルで動くという事実を誰も否定できません。それは何のために生じたのでしょうか。愛がそのようにしたというのです。

10

神様がすべてのものを投入して、心を尽くして精誠を込めてつくったのが、皆さんの最も重要な生殖器です。それは、悪いものではありません。堕落して神様の世界を破壊するものとして使われたので、悪いのです。そこから人間の幸福が連結されます。そこから人間の歴史が連結されます。それは、本来、神聖なものです。聖書に至聖所という言葉があります。人間としての至聖所はどこでしょうか。体は聖殿であり、皆さんのそれが至聖所です。それを犯す入は、天罰を受けます。一族が引っ掛かります。この基盤を立てるために、先生がどれほど苦労したか分かりません。愛の十字架を背負わなければならないのです。引きずられて行きながら、涙の峠を越え、血まみれのむち打ちに遭う十字架の峠を越えて、その恨の洞窟を埋めるための苦労をどれほどしたのか知れません。女性は男性に、男性は女性に、近づくなというのです。そのような深刻な過程を通過しなければ、純潔な血統に戻っていくことはできないのです。

11

アダムとエバがエデンの園で非原理的な行動によって植えた愛が、世界の終末期、収穫期になって世界のどこにでも蔓延しています。女性の生殖器、男性の生殖器は、自分たちのものではありません。女性は男性のために生まれ、男性は女性のために生まれたのです。女性の生殖器の主人は女性ではありません。その主人は男性です。男性の生殖器の主人も女性です。自分勝手にする人は滅びます。神様は知恵のお方なので、その生殖器の主人を互いに取り替えておいたというのです。

12

祝福を受けた血統を、千代、万代、汚さずに保存することが。天命を受けた、召命を受けた者たちの責任です。そのようにしなければ、天国に入っていくことができません。先生が正しく教えてあげるのです。正しく、間違いなく教えてあげます。皆さん自身から天国を完成させなければなりません。真の愛を中心として、心と体を一つにしなければならないのです。

13

家庭を中心とした愛の体験を、家庭だけに限定されるように縮小することなく、それ以上に拡大しなければなりません。そのために自分の家庭が氏族のために犠牲になりなさい、というのです。また、国家のために犠牲になりなさい、というのです。さらに大きな愛のために犠牲になりなさい、というのです。そのように段階的に犠牲になり、さらに大きな愛の条件さえ立てておけば、どこでも愛の理想圏と連結されるのです。実際にはできませんでしたが、そのような愛を環境に成し遂げれば、合格者として天上世界のあの国に入ります。垣根の中で愛し、環境の一つの村で愛しましたが、その村を愛した人が、世界国家を愛し、天地を愛した人々と同じ恵沢の立場に同参できるのです。

14

統一教会の思想とは何でしょうか。個人は家庭のために犠牲にならなければならず、ために生きなければならず、愛しながら生きなければならないというものです。家庭は氏族のために、より大きなもののために生きなさいというみ旨があるので、カイン的な全体の代表、世界の代表のような心をもって、ために生きなければなりません。その一つの心をもつことによって、そこで祖父母がそのようになり、父母がそのようになり、夫婦がそのようになり、息子、娘がそのようになるときは、天上世界のいかなる忠臣の位置にも躊躇なく行くことができるという話です。そのように生きるところが地上天国なのです。