天聖経訓読室

第1節 人間の蕩減復帰

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皆さんは、一つの生命が高貴であるということを感じなければなりません。「全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」(マタイ一六・二六)と言われたイエス様のみ言をそのまま感じ、体験できる人になってこそ、宇宙を主管する資格をもった人になれるのです。皆さんは条件を立てる資格をもった人になりましたか。皆さんはいつ、サタンから賛辞を受けるほどに神様を愛し、サタンをこの上なく感動させることをしてみましたか。皆さんがそのようにできなかったので、神様は人類を愛してくださって蕩減の道を開拓し、その本然の世界に帰るまで従っていきなさいと教えてくださるのです。それが統一教会の原理です。復帰の道は探し求めていく道であり、原理の道はたどっていく道です。先生がこの蕩減復帰の道を来るとき、先生の一生は探し求めてくる路程でした。ですから、皆さんは、先生が既に探し出した道に従ってきさえすればよいのです。

なぜ蕩減復帰をしなければならないのか

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蕩減復帰はなぜ生じたのでしょうか。堕落のゆえに生じたのですが、堕落以後、何のゆえに生じたのですか。責任分担がなければ蕩減復帰という言葉は必要ありません。人は責任分担を果たしていく過程で堕落しました。このとき、堕落した人間は責任分担圏をサタンに渡してしまったのです。サタンに奪われてしまったというのです。ですから、責任分担圏を再び探してこなければなりません。

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神様が人間に責任分担を設定しなかったならば、今日、統一教会で主張する蕩減復帰という言葉は出てこなかったでしょう。ただそのまま復帰して、蕩減は必要ありません。なぜ蕩減しなければならないのでしょうか。人間には責任分担があるからです。人間が完成すべき責任分担を自ら壊してしまったので、その賦与された責任を果たしていかなければならないのです。そうするためには、サタン世界のすべてのものに勝ち、サタンを主管する立場に立ち、堂々とサタン世界の反対する環境を取り除いたその立場に立って、神様の愛を受けることのできる位置に立たなければなりません。そのようになれば、サタンは離れるのです。

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蕩減復帰は不可避です。なぜサタンを分立しなければならないのでしょうか。自然な本然の責任分担、自由な環境基盤を必要とするからです。そのようにすればサタンが讒訴できず、サタンが関係を結ぶことができない場所を、私が占めるようになるからです。それで蕩減復帰、個人の責任分担完成という基準は、論理的にも不可避です。ですから、サタンを分立しなければなりません。そのため、御飯が食べられずに座っていたとしても、サタン世界とは関係がないという考えをもっていなければなりません。ここが分水嶺です。それが境界線です。

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責任分担がどれほど重要かを、みな知らずに生きてきました。蕩減復帰は、責任分担を完成していく自由環境をつくるためのものです。サタンが侵犯するので、サタンを防がなければなりません。サタンを防ごうとすれば、サタンよりも神様をもっと愛し、人類をもっと愛さなければならないのです。サタンが、神様を憎み、人類を憎む反面、私たちは「神様をもっと愛し、人類をもっと愛する」と言わなければなりません。堕落していない人間がもっていくべき、責任分担完成圏を越えていく基準を中心として、一方通行させられる立場に立たなければ、サタンを分立することができません。

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責任分担完成のためには蕩減条件が必要です。先生が蕩減条件を立てたので、皆さんは先生が歩んできた生涯の目的観を中心として、それを受け継いだ愛の旗手として、堂々と国に現れれば愛国者になるのであり、家庭に入れば孝子、孝女になるのであり、夫婦の場に立てぱ烈男、烈女になるのであり、世界に向かっては聖人の道理の道を行くのであり、天の国の王宮法に歩調を合わせる王子の位置まで行くのです。無事に通過できるたった一つの道があるとすれば、愛のために生きようと言って、すべてのものを捧げる生活です。これは驚くべき事実です。

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蕩減復帰は条件復帰ではありません。先生のときまでは条件蕩減でした。先生は事実蕩減だというのです。そのようなことは『原理講論』に書いていません。条件蕩減を経て事実蕩減であるということは初めて聞くでしょう。ですから、今までの復帰路程を考えてみると、サタン世界で最も良心的な一人を立てるのです。ノアが正にそのような人でした。ノア一人の信仰を絶対信仰の基台の上に立て、ノア家庭を中心にして着陸するようになるのです。絶対信仰の男性、絶対信仰の女性、絶対信仰の四位基台が必要です。

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蕩減復帰の道は、サタンを分立するための道です。サタン分立は責任分担圏を取り戻すためです。本来、責任分担圏はサタンがいない所です。アダムの責任分担がそうです。アダムの責任分担圏は本来、サタンが侵犯できる基準ではありません。その明確な思想を注入しなければなりません。私たちは、いずれにせよ行かなければなりません。責任分担を完成し、神様の愛の中に接ぎ木しなければならないのです。神様の愛の中に接ぎ木しようとすれば、サタンを分立しなければなりません。サタンと因縁をもったすべてのものを、完全に分立しなければなりません。

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蕩減復帰はなぜ必要なのですか。それは責任分担の自由環境をつくるためです。サタン分立がなぜ必要ですか。堕落していない本然の責任分担の自由環境を復帰するためです。理論的になっているのです。先生も、その網目にかかっているのです。ですから、先生が世界的な反対を受けるのです。世界的な迫害を受け、世界的に攻撃を受けるのです。その世界的迫害を受ける中で、世界的にサタンを分立するのです。それで、ダンベリーを中心に分立してきました。そこで怨讐を愛し、怨讐の国を愛し、愛によって神様のために生き、愛によって神様のために生きるにおいて先頭の位置に立ち、愛によって人類を抱くにおいて、サタンが愛する以上の立場に立ったと宣布できる条件を掲げていくのです。それが分立されたので、責任分担完成圏が形成されるのです。

八段階の蕩減復帰

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神様は今まで、愛を中心としてアダム以後、天使長までも怨讐視せず、命令もせずに耐えてこられました。天の秘密とサタンの秘密が分からずに混乱に陥った時代に、真の父母が来て、すべて開拓したのです。ですから、復帰の道は探し求めていかなければならず、原理の道はたどっていかなければなりません。分からなかった復帰の道を先生が探し出したので、皆さんは、ただそのまま自動車に乗り、高速道路を走るのです。何十年もかけて歩んだものを、何時間かで走る時代に入るのです。それでそのような言葉が、この原則を中心として解明されるのです。

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皆さんが蕩減復帰の道を歩んでいるという事実、責任分担という運命的な道を歩んでいるという事実を、どれだけ感謝して受け止めましたか。「統一教会の原理のみ言は良いが、蕩減復帰は嫌だ!」と言うことはできません。大学に入るためには、その関門を通過するために試験を受けなければなりません。私が願う反対の道が横たわっているのです。これを解決しなければ学校に入ることができません。同じことです。統一教会の行く道は簡単ではありません。

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統一教会は蕩減復帰の道を歩んできました。蕩減復帰をするために、このような事情の多い道を経ながら、先生は今まで基盤を築きました。滅びることなく、サタンの罠にかかって釣られることなく、残りました。この基盤は、先生のために築いたものではありません。人類のために築いたものです。これを統一教会のものとして残してはならないのです。人類のためのものとして残さなければなりません。今後、統一教会はなくならなければなりません。一つの主権の中に越えてこなければなりません。それが、すべての宗教の願うところです。

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忍耐と克服、この言葉は、辛抱して耐え忍びなさいということです。幸抱して耐え忍ぶのを好む人は一人もいません。しかし、無理やりにでもしなければなりません。人は、辛抱して耐え忍びながら生きるようにはなっていないからです。堕落したので、辛抱して耐え忍びながら生きなければなりません。報いを受けて、越えていかなければならないからです。人間の先祖は辛抱できず、耐え忍ぶことができなかったため、堕落したのではないですか。ですから、それを蕩減復帰しようとすれば、最後まで辛抱して耐え忍ばなければなりません。これが蕩減原則です。辛抱して耐え忍ぶ所には、サタンが身動きできず屈服するのです。どこまで辛抱して耐え忍ばなければならないかというと、最後まで辛抱して耐え忍ばなければなりません。そのため、神様は六千年間、辛抱して耐え忍んでこられたのです。その方が私たちの父です。私たちは、その父の天稟と血肉を受け継いだので、その父のようにならなければなりません。そのため、堕落した世界における生活哲学は、辛抱して耐え忍ぶことでなければなりません。誰のためでしょうか。神様のためです。ここから孝の道理が始まり、忠の道理が始まります。ここから、国も世界も解放の運動が広がるのです。ここにおいては、良い世界も歓迎であり、悪い世界も歓迎なので、地獄はなくなるのです。このような原則のもとで辛抱して耐え忍ばなければなりません。

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六千年の歴史は、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界的に出てきた歴史です。統一教会は、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様の愛の復帰まで、八段階を経るのです。祈るとき、この八段階を中心として祈るのです。個人復帰完成は家庭の中にあり、家庭復帰完成は氏族の中、氏族復帰完成は民族の中、民族復帰完成は国家の中、国家復帰完成は世界の中、世界復帰完成は天宙の中、天宙復帰完成は神様の愛の中にあります。神様の愛を中心として天宙的に一つになろうというのです。

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家庭のためにも生きるのですが、家庭よりもっと大きい氏族のために生きようとする人にならなければなりません。また氏族のためにも生きるのですが、氏族より民族のために生きなければなりません。そのようにすれば、一段階さらに残るのです。ですから、世界を貫いていかなければなりません。今、私たちが生きている世界は堕落圏です。個人堕落圏、家庭堕落圏、氏族堕落圏、民族堕落圏、国家堕落圏、世界堕落圏、天宙堕落圏、堕落圏がこのようになっているのです。これを越えてこそ八段階の神様のもとに行くようになっています。それを一度に越えれば、どれほど良いでしょうか。それが理想的です。堕落していないときは、アダムを中心として二十一年、思春期を越えれば、自動的にそれを一度に越えるようになっていました。

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僕の僕から始めるのは内的蕩減分別路程です。サタン世界のすべての縦的な蕩減条件を立てれば、サタンが攻撃しようとしても攻撃する条件がありません。ですから、先生自身が僕の僕から僕に、僕から養子に、養子から庶子としての扱いを受け、このように蕩減復帰してきたのです。その次は息子の復帰、母の復帰をしなければならず、父の復帰をしなければなりません。男性として最高の位置に上がり、女性として最高の位置に上がったと言える条件になってこそ父母の位置に上がるのであって、ただ上がっていくのではありません。内的蕩減条件を確実に立てなければなりません。

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復帰していくにおいては、世界的な大迫害があります。必ず血を流すというのです。僕の僕から僕の立場に上がり、僕から養子の立場に越えていくのにも必ず迫害があります。七段階まで同じです。神様までで八段階です。人間は変わりますが、神様は変わりません。ですから、この世界の宗教の中には、僕の僕となる宗教、僕の宗教、養子の宗教、庶子の宗教、子女の宗教、母の宗教、父の宗教、真の父母の宗教があります。宗教は長い歴史を超越しながら来るので、そのような宗教形態が残っているのです。しかし、終わりの日になれば、真の父母を中心とした真の父母の宗教が出てくるのです。

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統一教会では、僕の僕から僕、養子、庶子、直系の子女、母、父、神様に帰ると言います。この八段階は縦的基準です。個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、世界復帰、天宙復帰、神様まで、これは横的基準です。この縦横を合わせるのです。この両面の蕩減基準を立てなければなりません。皆さんは、すべては分かりません。先生がこのようなことを知らなければ、世界を収拾する道理がなく、この世は滅びて悪魔の巣窟になります。東西、四方を周りながら激しく打ってくる中で生き残るためには、ありとあらゆることをすべてするのです。サタンが血統的には父の位置にいるのですが、これが怨讐の中の怨讐になっています。自分の出所を知らず、サタンの僕として振る舞っているのです。先生が来て、初めて根を明らかにするのです。今は歴史時代の根を求めています。

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私たちは、少なくとも八段階の過程を経ていかなければなりません。統一教会で教えた僕の僕の時代が、皆さんにあったでしょうか。僕の僕の時代は、僕が主人になるのです。主人が命令する僕ではなく、僕が命令する僕の僕の立場です。その場で、僕の位置をどれほど慕わしく思うかというのです。それで僕の立場から養子の立場、庶子の立場、直系の子女の段階まで、その次に母の段階、父の段階まで行かなければなりません。そうして神様の段階まで上がらなければならないのです。神様の段階に行って一つになってこそ、愛の世界に入るのです。天国は愛の世界です。その段階を見つめながら、これを克服して超越した立場で愛の世界に入っていかなければなりません。

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八定式とは何でしょうか。僕の僕、僕、養子、庶子、直系の子女、母、父、神様までの縦的八段階と、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様までの横的八段階において完全に勝利したということを意味する式です。この縦的蕩減路程と横的蕩減路程を八段階路程として経て、定着することにより長子権復帰が起こり、この地、世界の人間の前には蕩減の路程が解消されたという式が八定式です。この八定式をすることによって、そのようになるのです。長子権が復帰され、父母様が抱くことによって父母の愛の圏内から長子権復帰のための歴史時代の戦争史、闘争史がなくなり、愛によって和合できる、蕩減する必要がないときに入ったというのです。そのようなことをするためには、八定式をしなければなりません。八定式をすることにより、その息子、娘を、長子と次子を前に立てた父母が、このような子女たちを赦してあげたので、その次には父母の赦しの時代が来るのです。

真の父母の蕩減復帰の道

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監獄を通過する人は、監獄に入るときから絶望と落胆の思いをもって行きますが、先生は、監獄生活のあとにやって来る結果は何かということに、相当な関心があります。皆さんは蕩減復帰を学んだので分かると思います。この峠を越えれば何が起こるか、今受けている苦痛が問題ではなく、その苦痛のあとに来る新しい歴史的な一つの贈り物とは何かということをいつも考えたのです。

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責任分担を完遂できなかった人間先祖の罪によって、死亡の深い底が生じました。ですから、先生は世界から反対されながら、国家基準を越えて世界的蕩減復帰路程を行くのです。アメリカが民主世界のキリスト教文化圏を中心として、本来の平衡を保って直接主管圏と完全に一つになり、先生が世界蕩減条件を立てた基台の上で、カイン・アベルを蕩減復帰しなければなりません。

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統一教会の信徒たちが国の中心の位置に立たなければならず、世界の中心の位置に立たなければなりません。原理と思想内容は国家の中心になり、世界と天地の中心になれるのですが、それが「私」と何の関係があるのかというのです。頂上に行って中心的家庭になり、それが主体的家庭になり、中心の位置に進み出なければならないのですが、そうしようとすれば、堕落して上がったものを消してしまわなければなりません。それは不可避なことです。消してしまわなければ、国を探し出すことができません。降りてきて立っているとしても、家庭から再び上がっていかなければなりません。ですから、先生は一生をかけて、家庭的七年路程を再び個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代において勝利し、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理、家庭的理想の位置に再び上がらなければならないのです。このため、家庭はありませんでしたが、家庭を探して再び上がるのです。それが四十年です。

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先生は、怨讐の名前をすべて忘れてしまいました。私が霊界に行くとき、怨讐は誰でしょうか。怨讐よりも怨讐の息子、娘、怨讐の一族を愛する思いが湧いて、その名前をまず考えなければならないのです。先生はそのように生きました。怨讐の子女たちに学費がなければ、学費を送ってあげました。食べるものがなければ、食べるものを買ってあげました。ですから、怨讐たちの呪いが、どこに行くだろうかというのです。その家庭が先生を呪うとしても、先生はその呪いを受けません。先生が愛した心の借りを返さなければならないため、自分の一族が滅びながらも、その子孫は先生の僕となって、くびきをつけて、先生のあとを痛哭しながらついてこなければならないのです。ですから、かわいそうだというのです。そのような心情が天にあったので、今日の世界を正し、神様を中心として天下を収拾できる中心、永遠の中心を決定することができたというのです。

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神様の代わりに先祖となり、信仰の息子、娘が千人いれば、その千人を抱いて毎日のように助けてあげながら生きるのが、先祖のすべきことです。先生は生涯そのようにしてきました。ですから、人知れず涙を多く流してきました。個人のために涙を流し、家庭のために涙を流し、氏族のために涙を流し、世界人類だけでなく、天上世界にいるすべての人々と神様の解放のために涙を流したのです。ただそのままでは蕩減になりません。地の上に落ちた水滴が海に流れていくのと同じです。そのような場で、歴史的な功を立てた天地父母に感謝できる思いがないと言えば、そのような人は先生が責任をもたないのです。

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復帰摂理の完成は、蕩減復帰の完成です。そのため、父母様が責任をもたなければなりません。父母様が責任をもてないときは、神様が責任もってすべてを干渉することはできないのです。皆さんが行くべき蕩減の路程は、皆さん自ら行かなければなりません。地上において六千年の歴史を六年間に短縮させることができ、六十年以内に短縮させることができます。地上にはそれしかありません。先生がすべて教えてあげました。それを絶対に信じ、世の中に父母は多くいますが、その父母よりも真の父母様を愛さなければなりません。サタンの血と関係ない純潔な立場で生まれた息子、娘の姿で、天宙を自分の故郷の地とし、天宙を自分の理想の国とし、父母に侍る孝子、忠臣、聖人、聖子の一族を「私」がつくっていこうという結論を自分の家庭で出してこそ、一族全体が天国に入るのです。

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先生が出てきたので幸いなのです。人間の歴史的な恨、誤って絡まり、もつれたものを正すのにどれほど苦労が多かったか分かりません。際限なく転がっていくこの歴史的な悲惨さの中で、誰が天のみ前に帰ることのできる道を築くか、ということが問題です。統一教会の歴史の上に数千年の歴史が展開し、数十万年の歴史が背後にかみ合って回っていくというのです。統一教会が蕩減の悲運をもって悲しい歴史を尋ね求めてきたという事実を忘れてはいけません。

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神様の永遠の希望として待ちに待ったその瞬間、歴史上の宗教圏が待ちに待った一つの瞬間、メシヤを代表する真の父母も待ちに待った一つの瞬間、歴史の解放圏を形成する一つの瞬間を「私」の一生において迎えたのですから、それにふさわしい精誠を尽くすべき責任があるのです。「神様王権即位式」のために数多くの国家が滅び、数多くの宗教圏も興亡を繰り返し、数多くの聖人、賢人も犠牲になりました。そこに加えて、神様のひとり子として来られたイエス様が責任を果たせずに残したものを、再臨主が来て蕩減復帰し、完成しなければならなかったという悲惨さがありました。その背後で、神様が創造主としての体面を立てられず、恥ずかしい立場を抜け出せなかった事実を考えなければなりません。その方が正に私の真の父です。その方は愛の主人、生命の主人、血統の主人です。その方と私の関係は、離れることのできない一体圏を形成している、宿命的な父子の関係です。

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聖人たちもみな、神様を父として考えてみたことがありません。そのような観念をどのように消化し、体恤するかということが大きな問題です。先生も、神様を知り、霊界を知ったために、いかなる迫害の路程も何でもないと思ってついてきた結果、今は天宙を代表するようになったのです。そのように生きなければ、神様のみ前に勝利者として永遠に記憶される人になれません。そのような立場にいる人が真の父母であり、そのような路程が救世主の生涯路程だったのです。その路程に従ってこなければならないのが祝福を受けた人々です。