天聖経訓読室

第1節 人間の成長と責任分担

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1

アダムとエバが神様の愛を知り、神様と完全に一つになることのできる基準、神様の愛の中心基準と、アダムとエバの愛の中心基準が一点に集まらなければなりません。アダムとエバは横的な代表存在であり、神様は縦的な代表存在です。しかし、この三つが一致して、愛の球形が形成されなければなりません。内在的な核である神様の愛を中心として、外在的なアダムとエバの愛を中心に一つとなり、球形が広がらなければなりません。細胞にも核があります。核を中心として、主体と対象の幕準が授け受けしなければなりません。それが形成されなかったので、歴史時代を経て、これを再び収拾しなければならないのです。

人間の責任分担と成長期間

2

人間の責任分担は、堕落していないアダムとエバにのみありました。真の父母が生まれたあとは、地上のすべての父母が抱いてくれるため、サタンが干渉できません。サタンが讒訴する何ものもないのです。堕落前には、アダムとエバにのみ可能なことでした。今まで歴史上においてアダムとエバの完成が実現されなかったため、この原則の影響は、すべての歴史過程に、全体分野にかかっています。そのため、堕落した世界の人間が真の父母が出てくることをどれほど待ち望み、霊界に行った霊人もどれほど再臨の日を待ち望んだかを知らなければなりません。

3

アダムとエバの前に置かれた責任分担は、一度誤れば億千万年の間、人間にとって癌(がん)となる恐ろしい落とし穴となります。このような責任分担を果たすべき立場にいるアダムとエバなので、神様はサタンの攻撃があることを予想し、「取って食べてはいけない」と警告したのです。それにもかかわらず善悪の実を取って食べたので、それを見つめる神様の心はどうだったでしょうか。そのような立場から外れていく瞬間にも、神様は「お前だけはそうしないだろう」と信じたかったでしょう。

4

創造の原則から見るとき、皆さんはどんなことがあっても、皆さん自体の責任を担わなければなりません。九五パーセントの責任は神様がもつのであり、五パーセントの責任は人間がもつのです。これが合わさって一〇〇パーセントになります。これが創造原理です。そのため、創造主の権限に加担するための特権的な権限を賦与されなければなりません。このように九五パーセントの責任は神様が、五パーセントの責任は人間がもつにもかかわらず、人間はこのような基準を越えられなかったので、歴史が始まりながらも真の世界の味を知ることもできず、始まりとともに傾いてしまったのです。そうして人間は、真の世界の味を知らない世界において生きるようになったのです。

5

責任分担とは何でしょうか。第一に、真の子女になることであり、第二に、真の兄弟になることであり、第三に、真の夫婦になることであり、第四に、真の父母になることです。ですから、息子、娘が生まれて子女になり、兄弟になり、夫婦になり、父母になるのです。それで神様の代わりに創造するのです。神様がアダムとエバを造って喜んだその事実を内的、外的に体験するのです。

6

原理結果主管圏と直接主管圏を連結しなければならないのですが、それを連結するのが真の愛です。アダムとエバが連結できなかったものを連結しなければなりません。それを連結していたならば、そこから全体が一つの文化圏、一つの国民、一つの国家、一つの国土になったでしょう。しかし、それができなかったので、悪魔を中心として分裂し、複雑な多くの国々に分かれたのです。これを再び統合して本然の世界に帰らなければなりません。

7

責任分担とは、直接主管圏と間接主管圏を克服することです。思いどおりに天上世界と地上世界に通じるためには、神様の愛を中心として一体的心情圏に入らなければなりません。それが原理基準です。そこで神様の愛を中心として、縦的な父母の位置を身代わりできる横的な面さえ決定されれば、そこからはサタンがいないのです。直接主管圏です。

8

人間に責任分担の基準を立てたのは愛の理想を完成するためであり、神様が創造過程において人間に五パーセントの責任分担を賦与したのは、その対象圏が必要だったからです。一人で愛することはできません。いくら全知全能の神様でも、その対象なくしては愛が顕現できないのです。十代の子たちが自分一人でいるときは、愛があるのかないのか分からないのです。相対が現れるとき、初めて愛というものが運動し始めるのです。それと同じで、責任分担という過程を中心としてある時まで待ち、人間自体が自ら成熟期を迎えて花が咲き、香りを漂わせるときになったならば、神様の霊がアダムとエバの中に入って人類の内的な父、内的な母の位置に立ち、人類の家庭を築いたでしょう。人類の家庭だけでなく、氏族、民族、国家、世界に発展したでしょう。そうすれば、人類全体は神様の直系の血族になるのです。

9

神様は、どうして人生の中に責任分担を立てたのでしょうか。全知全能の方なので、その全知全能の創造性までも賦与し、また永遠不変の愛の主体であられるので、その愛の主体を身代わりできる位置に立てるために、責任分担を与えざるを得なかったのです。これは福の条件となり、全体を占領できる一つの鍵のようなものなので、これを与えざるを得なかったのです。しかし、この責任分担が問題となり、堕落したのです。

10

神様は、なぜ人間の前に責任分担を与えたのでしょうか。真の愛を人間にのみ賦与したので、「お前たちだけはこの法を守りなさい」というのです。それで真の愛に到着できる責任分担を人間に与えたのです。原理結果主管圏内で神様のために生き、互いにために生きる位置に立てば、自然に育つというのです。ところが、これを悪魔が知って、自己覚醒させました。自己覚醒は、天使長から始まったのです。天使の誘惑をエバが受け、第二の自我覚醒によって堕落したのです。そのため信仰生活は、サタン世界に対して完全否定をするのです。ですから、サタン世界の血縁間係をどのように克服するかということが大きな問題です。真の愛の真の父母から皆さんの生命が始まれば、ここから心情圏が造成されるのです。

11

人間が責任分担の完成段階に進んでいれば、神様の愛の五パーセントを創造し、完成したでしょう。言い換えれば、神様の愛を完成できただろうというのです。神様の愛を完成できるという愛の理想を創造する偉業を、神様は人間に賦与しようとしました。ですから、人間の価値はどれほど高貴でしょうか。

12

天の国に入る人は、責任分担を完成して真の父母の血肉をもった子女になり、神様の蔽接的愛を受けられる位置に行かなければなりません。そのような場で、主管を受けながら暮らした人々が行く所が天国です。そのため、これを知らなければ、天国に入って入籍することができません。むやみにやってもできないのです。ですから、責任分担について知らなければなりません。なぜ責任分担を与えたのでしょうか。それは、人間に無限で高貴な価値を賦与するためであり、神様の創造の偉業に加担させるためです。もし人間に責任分担を賦与していなければ、人間は神様の愛に相対できる対象の位置に立てません。

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神様が一〇〇パーセント造ってあげてはならないのです。九五パーセントは神様が造り、五パーセントは人間自身が責任をもつのです。そのようにしてこそ、一〇〇パーセントを満たすときに、協力者として同等の位置に立つことができるのです。そのようにすれば、絶対的主体である神様のみ前に堂々と相対的な資格を備えた位置で、愛を授け受けできるのです。このようにして愛の理想を形成することができます。責任分担がなければ、私たち自体では神様の愛の理想を、対等な位置で受けるにふさわしい威信を立てることができません。それで神様は、人間に神様の愛を受けることができる威信を立てさせてあげるために責任分担を設定したのです。

14

人間は、成長期間において責任分担を果たさなければなりません。責任分担を果たすことにより、九五パーセント創造されたところに、五パーセントの創造の協助的条件を立て、創造者の権限に同参するのです。神様が愛する対象である人間をすべて造ったならば、その人間は人形と同じであり、何の権限もありません。神様は人間に対象の資格を賦与するために、神様も干渉できない特権を下さったのです。人間が、人間自身を造ることに協助したという条件を立てるために、責任分担を下さったのです。

15

人間には責任分担があります。神様が人間に責任分担を与えた目的は、神様の創造の偉業に同参させるためです。九五パーセントは神様が造り、五パーセントは人間が造ることによって、人間を創造するとき、神様だけが創造したのではなく、人間も自ら創造したという条件になるというのです。この同等な価値圏を賦与するためのものが責任分担です。これは偉大なことです。人間にのみ責任分担があります。しかし、有史以来、責任分担を完成した人がいません。責任分担というもの自体を知らなかったのです。

16

なぜ人間に責佳分担を与えたのでしょうか。創造の偉業に加担させるためであり、神様の創造性に似るようにして、万物を主管できる資格を与えるためです。その次には、原理の絶対性と完全無欠性のためです。この三つの内容です。皆さんが神様の創造の偉業に加担しなければなりません。本来、堕落しなかったとしてもそのような責任はあります。堕落したから人間の責任分担が設定されたのではなく、堕落しなくても人間は責任を負っているというのです。人として完成できる神様の九五パーセントの創造理想的形態をすべて備えたとしても、自分の五パーセントの責任を完遂しなければなりません。人間自体の完成は神様だけがさせるのではなく、自分がそこに加えて、完成しなければならない責任があるのです。

17

原理には許しがありません。いずれにせよ行かなければならないのです。死んでも行かなければなりません。永遠に行かなければなりません。神様御自身がこれを思いどおりにできるなら、神様が今まで復帰摂理路程において受難の道を行く必要もないのです。しかし、責任分担的限界線があるために、神様がその網目にかかり、今まで人間を復帰するために数多くの受難の道を歩んできたのです。その責任は神様にだけあるのではありません。人間と共同で責任を負っているのです。堕落しなかったとしてもそうなのです。

18

今日、堕落した人間はどうなっていますか。堕落した人間は、人間の責任分担だけではなく、全体創造の九七バーセントを蹂躙してしまったのです。ですから、再創造をしなければならないのですが、再創造とは、人間の責任分担を果たした境界線に進むことや、その境界線に立つこともできるものではありません。再創造することによって人間が九七パーセントに該当する責任を果たさなければ、人間の責任分担を完成する道が永遠にないというのです。ですから、再創造しなければなりません。創造過程のすべてが崩れたのですから、それはどれほど難しいでしょうか。復帰摂理は再創造歴史ですが、なぜ再創造が必要なのかというと、人間の責任分担のためなのです。人間が責任分担を果たし、その位置まで進んでいくためにも、必ず再創造の過程を経なければなりません。

責任分担とみ旨の成就

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摂理には遂行すべき主体があり、遂行すべき対象があります。主体は神様であり、対象は人間です。その主体と対象が摂理のみ旨を中心として一つになって完成しなければ、勝利の起源を探し出すことはできません。神様は、主体と対象が一つになるようにすればよいのに、なぜそうならないようにしたのでしょうか。それは人間の責任分担があるからです。人間の責任分担があるので、このような複雑な問題が延長されてきたのです。もし人間の責任分担がなかったならば、神様はいつでも勝利の歴史から、勝利の過程を経て、勝利の終着点まで進んだでしょう。

20

堕落した子孫である皆さんには、責任分担圏が残っています。個人的な責任分担を中心として見るとき、個人的な原理結果主管圏で個人完成して神様の愛と連結し、神様と直接的な愛の関係を結べる個人的な直接主管圏の基盤をもったかと言えば、もてなかったのです。蕩減復帰は、サタンを分立するために必要です。サタンを分立しなければ責任分担を果たすことができません。そのため、責任分担の道を歩んで成熟し、十七、十八歳になれば、男性に絶対に必要なのが女性であり、女性に絶対に必要なのが男性であるということを知らなければなりません。

21

神様はなぜ、人間に責任分担の期間を与えたのでしょうか。どうして神様は責任分担という過程を中心として、互いに接近しなければならないようにしたのでしょうか。なぜ、一つの共同目的である創造の偉業完成という課題を完成させるべく、一時を願いながら行かなければならないのでしょうか。それはほかでもない、愛のためなのです。青年の男女は思春期を迎えますが、霊的にも肉的にも完全に成熟し、花が咲くときが思春期です。思春期は、十八歳を前後して人間に必ず訪れます。その思春期において、霊的な人と肉的な人がいれば、それらが一つになって花を咲かせるのです。万物の中心である人間がその香りを漂わせれば、このすべての宇宙が和動できる、一つの春の季節を迎える環境になったでしょう。その春の季節は、人間の春の季節であると同時に神様の春の季節です。神様が喜ぶ中で香りを嗅ぎ、歌を歌いながら「うれしい」と言うことができれば、そこで初めて、神様の完成的理想生活圏が出発したでしょう。

22

愛の中心は人間ではなく、どこまでも神様です。そのため原理において責任分担の完成は、人間の愛と神様の愛が一つになることを意味します。神様の愛は永遠の愛なので、永遠の愛を中心として相対の位置で一つになるのは、永遠の一体を成就することなのです。そこに分立はあり得ません。

23

アダム一人の責任分担の完成によって、個人の責任分担の完成だけでなく、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の責任分担を完成できる基盤が、その一代において築かれます。そうすれば、アダムの子孫は責任分担完成圏に立つため、天の国の直接統治を受けることのできる世界史的な基準に立つようになります。そこには世界責任分担や国家責任分担というものは残っていません。アダム完成とともに世界責任分担が完成します。責任分担を完成することにより、原理結果主管圏と直接主管圏が連結されるのです。

24

直接主管圏と原理結果主管圏が連結されたその道、その接線は愛によって始まります。それが連結されるため、愛によって連結される愛の橋が生じるのです。神様と人間の間に愛の橋が初めて生じるのです。しかし、責任分担を完成していない場所では、人間と神様の愛に本来の理想的な橋が架かりません。理想的な愛の場は、責任分担を完成するときに成されるのです。

25

直接主管圏とは何でしょうか。愛を中心として初めて主体が生じ、客体が生じて、主体の意図による客体の環境圏が連結されます。そのような世界は、アダム家庭の完成であり、全体の完成です。そこにはサタンも存在せず、今日のような堕落した世界もありません。アダムとエバを造って「責任分担を果たしなさい」と言った場には、サタンがいなかったのです。

26

原理結果主管圏と直接主管圏内でアダムが責任分担を完成することにより、アダムとエバを中心として神様が臨在し、家庭から真の愛の定着基地が始まります。その家庭は、個人的家庭ではありません。その家庭は、天宙を代表した家庭です。世界を代表した家庭です。世界国家を代表した家庭であり、世界氏族、世界家庭、世界個人を代表した家庭です。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、すべて逆さまに代表した立場です。下から天宙、世界、国、民族、氏族、家庭、夫婦になります。この代表になって、ここから愛を中心として天と一つになることにより、この全体が天の家庭に連結された王権時代に前進するはずだったのです。

27

天と地と人が分かれたのですが、どこで合わさるのでしょうか。男性が思春期まで成熟し、女性も思春期まで学んで成熟し、結局は男性を知り、女性を知るようになるのです。ここに来て初めて複数になるので、複数で連結されるのです。そのようにすることによって運動が始まります。この場が統一教会で言う五パーセントの責任分担です。この場は天と地が接する場です。世界が横的に接する場であり、天地が縦的に接する場であり、宇宙すべてが前後に合わさる所です。男性と女性が根源から分かれて出発したので、ここに帰らなければなりません。ですから、皆さんは全宇宙の中心です。最も貴い宇宙の中心をもう一度探さなければなりません。その宇宙の中心を探し求めていく道は、お金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。真の愛のほかにはないのです。

28

男性と女性は天宙の圧縮された核です。夫婦が真の愛で愛する所には、全宇宙が引っ掛かってきます。男性と女性は愛のために生まれました。ですから、直接主管圏は縦的なのです。本来、人間は縦的になっています。責任分担を完成することによって縦的な主人が設定され、次に横的な主人が設定されます。それは真の愛によって設定されるのです。

29

原理結果主管圏から直接主管圏に越えていくためには、必ず成熟した位置で夫婦の愛を完成させなければなりません。そのようにすることによって、責任分担が完成します。愛の碁準が神様と絶対的基準で連結された夫婦を通して生まれたその息子、娘は、絶対的な血縁です。その基準を目標にして、果たしておかなければならない責任が人間にあるのです。

30

原理結果主管圏と直接主管圏、地上と天上を統一し、心身を統一することは責任分担の完成です。神様と横的な真の父母は一つです。そこにおいて統一された愛、天と地を連結する愛、体と心が一つになった愛、男性と女性が一つになった愛が問題です。統一された愛の基盤を築くことにより、初めて天の愛と天の生命と天の血統が連結され、その横的な拡大が八方に展開することによって王権が生じるのです。

31

神様がアダムとエバに干渉できなかったのは、人間の責任分担があったからです。彼らが蘇生、長成の期間を経て、完成圏を通過して直接主管圏内で祝福を受け、人間の責任分担五パーセントを完成していたならば、すべて終わっていたでしょう。そこから新しい出発、個人的な人生と家庭的な人生が始まり、歴史的なすべての出発において、神様のみ旨が完成したでしょう。そのようになっていたならば、そこから真の愛を中心とした神様の血族となる真の父母が出てきて、真の家庭と真の子女が生まれ、氏族、民族、国家を編成して地上に神様の願った理想実現の国家が形成されたでしょう。それが地上天国です。

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アダムとエバが責任分担を完遂していたならば、私たちには恨という言葉が残されていなかったでしょう。責任分担を果たせなかったがゆえに、私たちの歴史過程には恨めしい道が残っているのです。もし責任分担を完遂していたならば、人間と天使世界、全被造世界は、喜びと栄光の中で神様の主管を受けることになっていたでしょう。これが原則です。責任分摺の未完成によってサタン世界が形成され、この地がサタン主管圏内に残されたのです。この責任分担の未完成によって、神様も苦労の道を今まで選んできているのです。この責任分担は、いかなる時代にも、いかなる個人にも、いかなる民族にも、いかなる世界にも残されています。一個人を見るときも、この責任分担という課題が、自分の生涯を中心として、いつも目の前にあるのです。それが「私」に対して責任を果たすよう追及しているというのです。

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創造の偉業を経綸したあとの神様は、完成のみ旨を目にすることのできなかった神様です。その神様に侍ってきた人類は、完成を目にすることができないまま呻吟している人類です。それでは、いつ神様の解放の日が来るのでしょうか。いつ人類の解放の日が来るのでしょうか。その解放というのは、責任分担を中心として来なければなりません。そうでなくては、人間が願う理想世界、統一教会が願う地上天国実現は不可能です。責任分担を完成した位置に立った人間は、神様のように完全な人間です。神様が九五パーセント創造したのですが、人間は一〇〇パーセント完成した創造主の資格を賦与される立場に立つため、人間の完成であるとともに神様の創造の偉業の完成になるのです。創造の偉業の完成であるとともにみ旨の完成であり、み旨の完成であるとともに神様の完成になるのです。

責任分担が重要な理由

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神様は、すべての生命の中心であると同時に、愛の中心です。もちろん生命も愛の中心であり、愛も生命の中心です。神様は人類が苦痛を受けていることを知りながらも、なぜ幸福な人類になるように導けなかったのでしょうか。少し考える人は、「何らかの絶対的な神様がいらっしゃるならば、どうして全世界の人類が歴史を通して時を問わず、受難の道を行かなければならず、理解できない道をさまよいながら、手探りして行かざるを得ない運命に置かれているのだろうか」と言うでしょう。このようなことを見るとき、愛の神様は存在しないと速断しやすいのです。

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悲惨な復帰歴史は、神様御自身がいかなる権力をもってしてもどうにもできません。それは、人間の責任分担の五パーセントが残っているからです。神様がいくら涙を流しても、どうにもできません。この重大な基準は人間が立てなければならないのです。人間には責任があります。それを、今まで人間は分かりませんでした。神様は全能なので、その神様がしようとさえすればできないことはないと考える信者が多くいますが、神様にもどうすることもできないことがあるのです。

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神様は、人間が堕落するとき、なぜ干渉しなかったのでしょうか。絶対的な創造主として認定した以上、完成するまでは人間自身が責任を負うようにしなければなりません。中間で干渉すれば、絶対的な権限の基準が崩れるというのです。神様は偉大な方です。第二創造主の権限を委ねるために、そのようになされたのです。個性真理体になっているため、神様も思いどおりにできないのです。

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人間の責任分担というこの明確な思想的根拠によって、蕩減復帰という最も嫌な、「怨恨」の術語が出てきました。その蕩減復帰路程は、神様も絶対に後援することができず、一人で行かなければならないのです。助けてあげれば蕩減になりません。なぜでしょうか。人間の責任分担という原則があるので、その原則において助けてあげるのは蕩減にならないのです。助けることができたのであれば、人間が堕落するときに神様が干渉して、堕落しないようにしたはずです。責任分担があるので助けられなかったというのです。

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今まで神学者や霊界に通じる数多くの人々が、サタンがいることは分かりましたが、全知全能の神様のみ前に反対するサタンの活動を、なぜ防御することができなかったのかという問題は分からないのです。これは霊界に通じても、問題なのです。神側に行こうとすれば、いつでも必ずサタンが妨害するようになっています。一方ではなく、四方八方から反対するようになるのですが、なぜ神様がそれに干渉できず、制裁を加えられないのでしょうか。このような問題が今も謎です。霊界に通じても、これだけは分からないのです。ですから、このようになったすべてのことを、サタンによってこのようになった悲惨な事実を、霊界がなぜこのようになり、地上がなぜこのようになったかということを解かなければなりません。それを神様が知っているからといって、教えてあげることはできないのです。それは責任分担がかかっているからです。

39

責任分担に責任をもてる人は、本来堕落せずに完成すべきアダムとエバ、真の父母になるべきアダムとエバでした。父母だけが責任をもてる責任分担だったのです。父母が責任分担を果たせずにこのような結果の世界になったため、誰にも責任分担ということを教えられないのです。父母に教えられなかった神様なので、誰にも教えることができません。「統一原理」で言う責任分担という言葉が出てこなかったならば、歴史は解く道がないというのです。

40

責任分担ということを知らなければ大変です。責任分担を中心として、ひっくり返すための蕩減路程を歩んでいるという事実を知らなければ、宗教世界の歴史が解けません。これが解けなければ、霊界に行ってもすべてが解けず、すべて残ってしまうというのです。解く道がありません。皆さんは責任分担という言葉を簡単に思うかもしれませんが、途方もない歴史的な福音なのです。

41

統一教会で人間の責任分担ということを明らかにしたという事実は、宇宙的な発見です。原子爆弾を発明したこと、アインシュタインが相対性理論を発見したこととは比較にもなりません。それが分からなければ、歴史のすべてのものが解決されないのです。神様と人間の関係、歴史のすべての出来事が曖昧です。正義の人々が歴史時代においてなぜ犠牲になり、なぜ過ぎ去ったあとになってその人々の名が現れるのかという問題は、歴史学者も哲学者も解明する方法がないというのです。

42

責任分担を完成したというときには。サタン世界が私の前に現れてはいけません。皆さんの前にサタン世界は現れませんでしたか。これが問題です。先生がこの責任分担を知らなければ、今日、復帰歴史や世界救済、「錦衣還郷」(故郷に錦を飾ること)や解放圏というものはあり得ないのです。新・旧約の歴史が探し求めて解決しなければならない問題が、責任分担圏をどのように越えるかということです。それが新・旧約の願いです。それでは、メシヤがなぜ必要でしょうか。メシヤは責任分担圏の上位にいる人です。メシヤと一つになればサタンが讒訴できません。天の権限をもって、責任分担完成圏の基盤の上に、神様の愛に一致した血統圏をもって現れるため、サタン世界が反対できないのです。それでも反対を受けるのはなぜでしょうか。サタン世界の人をつかんで、死んでも放さないというので、十字架で葬ってしまえと言って騒ぎ立てるのです。責任分担を完成できなかった人は、天国に行くことのできる権限が絶対にありません。サタンの血統を受け継いでいなかったアダムとエバも、責任分担を果たせなかったために、サタンが引っ張っていったのです。

43

蕩減復帰がなければアベル圏を探すことはできません。アベル圏を探すことができなければ、父母が出てくる道がないのです。父母を探すことができなければ、神様が理想とする本然の世界を探す道がありません。そのため、すべての人間は個人的責任分担に引っ掛かっており、家庭的責任分担に引っ掛かっています。そして、氏族的責任分担、民族的責任分担、国家的責任分担、世界的責任分担に引っ掛かっています。これを解くことができなかったので、霊界まで地獄と天国に分かれているのです。永遠の霊界までも地獄と天国に分かれているのは、責任分担の問題を解決できなかったからです。そこに人がいるとしても、サタンの人です。神様と何の関係もありません。ですから、責任分担と蕩減復帰は絶対に必要なのです。

44

皆さんは、責任分担を一日に何回ずつ考えますか。御飯を食べるときも責任分担、スプーンを握るときも責任分担、スプーンや皿を洗うときも責任分担、トイレに行って大便や小便をしながらも責任分担、歩きながらも責任分担を唱えなければなりません。アダムとエバは責任分担を考えなかったので滅びたのです。皆さんも責任分担を果たさなければ滅びます。私たちは、アダムとエバのように責任を果たせず、堕落する人になってはいけません。復帰して勝利した人になるためには、二十四時間責任分担を尊重し、考えなければなりせん。