天聖経訓読室

第3節 人間の創造目的と三大祝福

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神様が天地を創造するとき、絶対信仰と絶対愛、絶対、唯一、不変、永遠のその理想から造りました。神様のみ言どおりに創造したのです。み言のとおりになるということであり、絶対信仰の上で神様と一つになるということです。そして、その創造は、神様が必要な相対者を求めることです。見えない神様、無形の神様が見える神様として現れ、神様の代わりに形状をもち、神様の愛の相対をつくろうということです。それで創造の第一の目的は、体をもつことです。無形の神様なので、今後、人間を中心として創造理想が完成すれば、体をもったアダムとエバと、体をもったアダムとエバの息子、娘が霊界に来ることにより、神様が霊界でも父になり、王になるというのです。ですから、体がなければならないのです。それでは、神様が体をまとって現れたその姿は、誰の姿でしょうか。完成した夫婦が神様の祝福を受けて一つの体になった、そのアダムとエバの顔です。そのアダムとエバは、神様の愛の相対です。

喜びの対象として創造

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神様の創造目的は喜びです。喜びを享受しようと、人間と世の中を造られました。喜びは独りで感じることはできません。喜びを享受しようとすれば、必ず対象、相対が必要です。主体と対象が互いに相対基準を造成して授け受けするとき、初めて喜びを感じられるのです。そして、最高の喜びは、愛を授け受けするときに感じることができます。それで神様は、人間を対象として造られ、その対象と共に無限の愛を授け受けしながら、永遠に喜びを享受しようとされたのです。それが正に創造目的です。このような創造目的を完成するために、人間の祖先としてアダムとエバを造られました。そのアダムとエバが神様の完全な喜びの対象となり、愛を授け受けしながら善の子女を繁殖していたならば、その家庭が拡大して社会になり、その社会が発展して国家になり、その国家は世界に発展して、この地球はアダムの一族で満たされ、この地上には神様の善と愛を完成した喜びの世界が形成されたでしょう。

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神様がアダムとエバの位置に入っていき、父母として役事することができるのです。神様には形状がありません。神様が天地創造をしたのは形状をまとい、人間と共に実体をもって愛するためです。愛するために人間を創造したというのです。神様が人間を創造された目的は三つですが、第一は愛を成立させるためであり、第二は体をまとうためであり、第三は人類の父になるためです。

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神様は、天地万物を創造され。その万物を主管できる人類の先祖を立てたあと、そこに希望をもたれました。創造理念を中心としてアダムとエバを見つめられ、希望の実体として見つめられたのです。アダムとエバが成長したあとに、神様は彼らを訪ねていきたかったのです。彼らの心の中を訪ね、入っていこうとされたのです。心だけでなく、心情の深い所にとどまろうとされました。神様が人間を創造された目的は、神様の心情を、人間の心情の深い所に植えることだったのです。

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本来、人間始祖は、神様の心情と愛を中心として、神様と完全に一つにならなければなりませんでした。神様は、心情の目的を完結するために天地を創造されたので、この心情の対象である天地万物を愛する息子、娘に、愛を中心として相続させてあげなければなりません。神様が天地万物を創造されたのは、神様のためでなく、アダムとエバのためだったので、喜びもまた神様御自身によって生じるのではなく、アダムとエバによって生じるのです。世の中の父母も子女を見て喜びます。そのように、喜びとは対象によって生じるのです。

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神様が人間を造られたのは、アダムとエバを見るためではありません。造った目的は、喜ぶためです。喜ぶのは、愛することによって喜ぶのです。その創造の出発は、愛のゆえです。すべての存在の起源は愛です。人間だけでなく、すべての動物も、すべて愛の根拠を通して生じるのです。生物は、愛のゆえに生命を受け継ぎます。人間が神様に対して拍子を合わせることもでき、相づちを打つこともできる何かがなくて、どのようにして絶対的な神様の相対になれるのかというのです。

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神様は宇宙の第一原因であられ、森羅万象の創造主です。そして、人間の愛する父であられます。神様は、特別なみ旨を成就するために万物を創造されたのであり、その目的は正に愛の具現にあります。神様は真の愛の根源ですが、いくら全能の神様でも、一人では決して愛の喜びを感じることはできません。神様には愛の対象が必要であり、その対象が自発的な愛を返してくれることを願われます。その対象として最高の被造物が、正に人間なのです。そのような理由のため、人間の生には目的があるのです。人生の目的は、成熟し、神様と永遠の真の愛の関係を実現することにあります。これが正に、神様と人間の間に平和を成し遂げる根本原理です。

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神様のみ旨は、誰において実を結ばなければならないのでしょうか。これはどこまでも、相対的関係です。相対的関係においてみ旨が成就されるのです。創造目的の完成が、結局のところ誰において結果を結ぶのかというのです。アダムとエバにおいて実を結びます。人間において実を結ぶのです。結局は、アダムとエバが完成すれば創造目的が完成されるということです。アダムとエバが完成すれば、四位基台を完成するようになります。それが原理です。創造目的の完成は、四位基台の完成から始まります。そのため、神様のみ旨は神様だけがもつみ旨ではなく、人間に絶対に必要なものなのです。結局はアダムとエバが、神様の願うとおり、どのように完成するかという問題に結びつきます。そこから神様のみ旨の戒就が始まるのです。ですから、み旨と個体完成は切り離すことができない関係だということです。

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創造理想世界は、神様の愛を中心として、神様と息子、娘であるアダムとエバが一つになり、その次に神様の愛を中心としてアダムとエバが父母となり、子女と一つになった愛の理想的家庭です。そのため、創造理想世界には、第一に、神様がいらっしゃらなければなりません。その次に、神様の愛を中心とした真の息子がいて、娘がいなければなりません。その次には、真の夫婦がいなければなりません。次に、人間を中心として真の父母が出てきて、真の息子、娘がいなければなりません。ですから、私たちが創造理想世界に入っていこうとすれば、創造理想の内容を中心とした愛をすべて探さなければなりません。そのようにしなければ入ることができないというのです。神様の愛の中で「私」が生まれなければならず、神様の愛の中で個体を完成しなければならず、神様の愛の中で夫婦にならなければなりません。その次には、神様の愛の中で息子、娘をもたなければならないのです。

神様に忠孝の道理を果たさなければならない

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人間個人はもちろん、地上に暮らしている数多くの人間の中で、善であることを願わない人はいません。今まで歴史も善を指向してきたのであり、教育者や信仰者たちも善の基準を立てるために努力し、闘ってきました。ですから、生まれるのも善のために生まれなければならず、生きるのも善のために生きなければならず、死ぬのも善のために死ななければなりません。これが人生の目的です。人生の目的だけでなく、人間の生活を続けてきた歴史の目的です。

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自分たちが豊かに生きることも重要で、何かをすることも重要ですが、まずは自分たちが縦的な天の父母のみ前に孝の道理を立てなければならず、縦的な天の父母のみ前に忠の道理を立てなければならず、縦的な天の父母のみ前に聖人以上の道理を立てなければなりません。それが人間の生まれた本来の目的です。また、そのような人に出会うために、神様が人を造ったのです。そのような目的があるというのです。次に、横的な父母の前に孝子とならなければなりません。絶対的に一つにならなければなりません。絶対的に一つとなり、絶対的に共に暮らさなければなりません。

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人は、自分がうれしいときは父母、兄弟、親戚を訪ね、一緒に楽しもうとします。うれしいというのは幸福だということです。幸福は永遠のものであり、永遠のものは心情です。宇宙の中心は父母と子女です。すなわち、父母と「私」です。神様と「私」だというのです。神様は父であり、私は息子です。人生の究極的目的は、父を訪ね、切り離すことのできない関係を結び、喜びを感じることです。

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人間にとって最高の願いとは何でしょうか。「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である」(コリントI一三・一三)という言葉は、本当に良いみ言です。しかし、これに対する完全な内容を知らずにいます。皆さんは確実に知らなければなりません。善のものは、宇宙が保護して育成します。自由と解放と平和が宿っています。そこに精誠が共にあるため、引力が生じるのです。

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人間は、何を目的としなければならないのでしょうか。個人を目的とするより、家庭を目的とするより、団体を目的とするより、国家を目的とするより、世界を目的とするより、天地を目的とするより、神様を中心として、神様と人間が合わさった目的に向かって進まなければならないのです。それでは、どの目的が最後に残るのでしょうか。個人を中心とするものは流れていき、家庭を中心とするものも流れていき、自分の団体を中心とするものも流れていき、国を中心とするものも流れていき、世界を中心とするものも流れていくのです。しかし、最後まで残ることのできる一つの目的は、神様と人間が合同で追求する目的です。そのような目的だけが、人類歴史の最後まで残ることができるのです。

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皆さんの心が最後に安着できる終着点とはどこでしょうか。神様を探して自分のものにしたとしても、そこに皆さんの心は安息しようとしないのです。皆さんの心の最後の終着点は、神様を占領し、神様の愛を占領する場です。ですから、皆さんが神様の愛を占領することができなければ、万事がむなしいのです。それでは、人生の最後の目的とは何でしょうか。天の中心たるその方に出会うことが問題ではありません。その方と一緒に暮らさなければなりません。その方とどんな場所で会い、その方とどんな場所で暮らすかが問題です。その方と中心の場所で会い、その方と中心の場所で暮らそうというのですが、その中心の場所とは、神様の愛の位置なのです。そのため人類の良心が指向する最高の目標は、天運に従って神様と一致し、神様の愛を自分のものにしようということです。

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「私」という人間を見るとき、個人として生きて死にたい人はいません。それぞれ異なる顔をしていますが、世界的な人、世界的に注目を浴びる人になりたいと思うのは、人間の欲望です。それは人間であれば、誰もが行くべき道です。誰もが従う道です。それが正常な欲望をもった人です。人間が最後に到達したい所は、最高であられる方の愛の対象になる位置です。その最高の方が、人間の父であると同時に、神様なのです。

三大祝福と真の愛の完成体

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神様は、人間の先祖アダムとエバを造られ、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」(創世記一:二八)という三大祝福を下さいました。第一の祝福である「生めよ」というのは、人間が成長して神様を中心に完成した人格者になりなさいという意味でした。第二の祝福は、完成した男女が真の夫婦となり、子女を生んで真の父母の道理を果たしながら、理想家庭を築きなさいということでした。第三の祝福は、人間が神様から許された環境の中で、不便や不足のない地上天国の環境を所有しなさいということでした。真の愛の本体であられる神様は、愛の対象体であり、子女として造った人間が真の愛の完成体となり、その次に真の愛による夫婦の理想を完成して、天国の環境をもつことを願ったのです。

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人間の第一の願いは個性完成、すなわち個人が堕落したため、復活した一つの個体を中心として新たに生まれることです。第二の願いは相対完成、生まれたその人が祝福を受けることです。第三は善の子女を繁殖することです。いくら良く、うれしい日があったとしても、自分にとって直接的に良い日とは、自分がこの地に生まれた日、自分の相対を決定する日、そして、夫婦の間に新しい子女が生まれる日です。ですから、このような日をもつことができなかった人は、不幸な人です。神様も同じです。神様にとって最もうれしい日は、アダムが生まれた日です。この日は、実体世界の神様として出発する最初の日だからです。すなわち、宇宙的な神様の価値として生まれる実体的な最初の出発が、アダムから始まるからです。

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天国へはどのように行くのでしょうか。天国は神様がいらっしゃる所なので、神様と共に暮らせる資格をもった人になってこそ行ける所です。その資格とは、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、万物を主管せよ」という祝福を完成することです。愛する夫婦が子女を連れて、一緒に行けてこそ天国なのです。

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皆さんの子女は天国の民です。永遠の世界の民になるのです。子女をどれほど多く生んだかということが、皆さんが向こうの国で誇れる基準になります。それが最も誇らしい、最高に貴い財産になるのです。信仰の子女をたくさんつくることが、天の国に行って皆さんの所有になるのです。カイン側の子女とアベル側の自分の子女が一つになれば、堕落世界を復帰する理想基準が広がります。その二つが一つになることにより、拡張が始まるのです。それでアダムは、息子として完成し、次には兄として完成し、夫として完成しなければなりません。エバは、娘として完成し、次に妹として完成し、妻として完成しなければなりません。これがきちんと準備されているのです。アダムもエバも、出発して、もうこれ以上行く所がありません。さらに延長しようにも、延長することができないのです。じっと見てみると、男性も女性も相対を探していくようになっています。ですから、絶対的に、結婚をしなければならないというのです。

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神様は、人間を創造して祝福しながら、「万物を主管せよ」と言われました。「地に満ちるほどふえよ」と言われました。人間がこのみ言をすべて成し遂げて完成すれば、神様はその完成した人間を自ら主管しようとされました。これが創造の基準でした。ところが、人間は、この基準を今まで完成できませんでした。ですから、私たちは地を主管できない者たちであり、真の愛の世界において繁殖できない者たちであり、真の神様の愛を受けることのできない者たちです。これが私たちの悲しみです。このような圏内にいるため、私たちはサタンの餌食となっています。このような人類を、天は再び起こして地を主管させなければならず、善の功績を積んで、悪の絡まった堕落人類のすべてを清算してしまい、彼らを再び和合させて天の血族にしなければならないのです。これが人間の目指していく歴史的な目的であり、人類が心で憧れ、願う基準です。