天聖経訓読室

第1節 霊界と天国

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万有の創造主であられる神様は、全人類の真の父母です。ある特定の宗教や特定の人種、あるいは特定の地域の人々だけのためにいらっしゃる、制限された概念の父母ではありません。その名称を「ヤハウェ」と言ってもよく、「アッラー」、あるいは何かほかの名前でもよいのです。重要なことは、神様は、確実に存在され、万人の真の父母として、今も生きて創造のみ業を継続していらっしゃるという事実です。御自身が太初に立てられた天理原則に従って宇宙万象を経綸され、歴史を摂理しておられるのです。

実存する霊界

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人間には、心と体があり、心の上位には霊人体があり、その霊人体が入っていって暮らす霊界にはもちろん、肉身が暮らしている現実世界のどこにでも神様がいらっしゃいます。そして、人間は、真の愛を通して神様と完全に一つになるとき、完全な人になるのです。このような観点から、完全な人とは、たとえ小さな個体の姿であったとしても、全体歴史を代表した存在であり、また未来のすべての関係を代表した存在なので、天宙的な価値を備えているのです。

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私たちが本当に人間の天宙的な価値を知れば、生きていくにおいて、心を先に立てて従っていく人生を生きていかなければならないことが明確になるでしょう。それで皆様の良心は、皆様のすべての言行はもちろん、考えまでも感知し、知っているのです。師よりも先に知り、父母よりも先に知り、神様よりも先に知るのです。したがって、永遠の師である良心の命令に絶対服従して生きさえすれば、皆様の永生は絶対に保障されるのです。神様の創造がそのようになっています。

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人間の構造を見てみると、神様は、本来人間を二重構造で創造されたことが分かります。有形世界である現象世界の縮小体として肉身を創造され、無形世界の代表であり、主人として立てるために霊人体を創造されました。したがって、人間は、地上界で百年くらい生きて肉身の働きが終われば、自然に、そして自動的に無形世界である霊界に入っていくようになっているのです。このように霊界は、肉身を土台として生きている私たちの目では見ることができないだけであって、自動的で必然的な地上生活の延長なのです。神様が創造してくださった、人間の永遠の本郷です。

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霊界は、厳然として存在します。妄想の世界でもなく、想像の世界でもありません。これは、人間の選択権の外にあるのです。良いからといって行き、嫌だからといって行かなくてもよい、そのような世界ではありません。神様が永遠不変の方であられるように、御自身が創造された霊界も永遠不変なのです。私たちが地上界で、肉身をもって現象世界と様々な関係を結んで暮らすのと同じように、霊界でも人間は、霊人体をもって霊界のすべての現象と密接な関係を維持して生きていかなければならない宿命的な存在なのです。

霊人体と肉身の関係

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人間の霊人体と肉身の関係について見てみるとき、より重要なのは、肉身ではなく霊人体です。肉身は百年くらい生きて死を迎えますが、霊人体は、時間と空間を超越して永生します。いくら地上界で良い服を着て、良い物を食べ、裕福に暮らす人も、結局、死を迎えるようになるのではないですか。したがって、皆様の人生は、霊的な基準と肉的な基準をよく調和させ、霊肉が一つになった完成実体を形成してから逝かなければなりません。現象世界であり有限世界である地上界の人生で、肉身を土台として霊人体を完成させなければならない宿命的な責任があるということです。しかし、霊人体の完成が自動的にやって来るのではありません。必ず真の愛の実践を通して、体と心が完全一体になった人生の土台の上で、初めて完熟した霊人体が結果として実っていくのです。

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秋になって、倉庫に入っていくよく熟した果物になるためには、春と夏という過程を経ながら、自然界が提供してくれる栄養素と、主人の細やかな世話が絶対に必要です。無精で見識のない主人に出遭った果樹園の果物は、様々な疾病と悪天候に悩まされ、熟すこともできないまま落果したり、虫に食われた果物として分類されたりしてしまうでしょう。果物は果物ですが、すべて同じ果物ではありません。すべての果物が市場に出して売れる完成品になることはできないのです。

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木の上で完熟した果物は、自動的に主人の倉庫に入っていきます。同じように、人間の霊人体は、木と同じ立場にある地上界の人生で完成してこそ、自動的に無形世界である霊界の天国に入っていくのです。言い換えれば、人間は、肉身をもって暮らす地上界の人生で、完熟した人生、すなわちこの地に天国を形成し、楽しく暮らしてから逝ってこそ、自動的に天上天国に入城するようになるのです。

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地上界で暮らす間、皆様の一挙手一投足は、天の公法を基準として、一つ残らず皆様の霊人体に記録されます。したがって、霊界に入っていく皆様の姿は、肉界での人生を一〇〇パーセント収録した霊人体の姿です。よく熟した善の人生だったのか、虫に食われ腐った悪の人生だったのかは、皆様の霊人体に赤裸々に現れるのです。神様が皆様の審判主ではなく、皆様自らが自分の審判官になるということです。このような途方もなく恐ろしい天理を知れば、どうしてあえて地上界の人生を、あらゆるサタンの誘惑に陥り、利己的で快楽ばかりを追い求める背徳の人生で終えることができるでしょうか。皆様の霊人体に傷を負わせ、傷跡をつけることは、命を懸けて慎まなければなりません。天国行きと地獄行きが、きょうこの時間、皆様の考えと言行によって決定されるという事実を、はっきりと肝に銘じてください。

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霊人体自体が真の愛の人生を主導し、実践できるのではありません。皆様の霊人体は、必ず体と心の円滑な授受作用によって展開する肉身の人生を土台とした、真の愛の人生を通してこそ成長し、完熟し、完成するのです。ところが、皆様の中で外なる人と内なる人が絶えず葛藤し、争っていることを否定できないでしょう。いつまでこの争いを続けるのですか。十年ですか。百年ですか。宇宙のすべての存在には、厳然とした秩序があります。神様は、私たち人間を、そのように不完全な状態で創造されたのではないというのです。外なる人である肉身の誘惑を果敢に振り切り、内なる人である良心の道に従って絶対「性」を完成し、人生の勝利を達成することが、人間である皆様の義務であり、責任だということを知らなければなりません。このような人生を生きる人には、天運が共にあり、霊人体を完成することもできるのです。

天国はどのような所か

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皆様、天国はどのような所で、地獄はどのような所だと思いますか。どのような人たちが入っていく所が天国でしょうか。間違いなく存在するとすれば、そこはどこにあるのですか。天の向こう側の銀河系の外ですか。でなければ、人間の想像力の所産ですか。人間ならば、誰でも一度は自問し、苦悶してみたことがある内容でしょう。

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天国はどのような所だと思いますか。一言で言えば、天国とは、神様の真の愛が満ちあふれ、真の愛が軸となって立てられた世界です。真の愛がすべての環境圏の形となり内容となっている世界です。人生の始まりと終わりが真の愛で一貫している世界です。誰もが真の愛によって生まれ、真の愛の中で生き、真の愛の懐に抱かれ、真の愛の軌道に沿って次の世界の霊界に移っていく人生を生きる人たちの世界です。したがって、その世界には、反目や嫉妬があり得ず、お互いがお互いのために生き合うことが自然な世界です。お金や名誉、あるいは権力が治める、そのような世界ではありません。一人の成功が全体を代表する成功になり、一人の喜びが全体のための喜びになり、一人が喜べば全体が共に喜ぶ、そのような世界なのです。

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天国は、真の愛の究気でいっぱいに満ちている世界です。真の愛を呼吸して暮らす世界です。いつでもどこでも生命が躍動する世界です。すべての構成員が、真の神様の血縁として関係を結んでいる世界です。全世界が私たちの体の細胞のように、不可分の関係で結ばれている所です。天国は、神様の本質的な愛である真の愛だけが治める世界です。したがって、神様も、真の愛のために存在されるのです。

人間堕落の結果

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今日、私たちが身を置いている現在の世界を見てください。極度の利己主義の罠にかかり、物質万能を叫び、価値観を喪失したまま、享楽と腐敗の沼にはまり込んでいます。アルコール中毒者がはびこり、麻薬中毒やフリーセックスでも満足せず、今では近親相姦という獣にも劣る蛮行を勝手気ままに行っても、堂々と顔を上げて生きているのです。そして、女王格の女性、祖母格の女性、母格の女性、妻格の女性、娘格の女性、このようにすべての段階の女性たちを蹂躙しながらも世の中を闊歩するという、「人面獣心」の人たちが氾濫する世の中になってしまいました。そのうえ、夫婦同士で、お互いの夫と妻を取り替えて楽しむスワッピングが猛威を振るう世の中になってしまいました。このような振る舞いこそ、人倫道徳破壊の極致であり、堕落行為の断末魔的姿にほかなりません。神様の創造理想世界の完成は、夢にも見ることができない地上地獄になってしまいました。

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人間のすべての問題は、私たちの始祖、アダムとエバの堕落にその根を置いています。長成期完成級にいたアダムとエバが、サタンの誘惑によって堕落してしまいました。時でない時に、性的に堕落してしまったのです。このように、男女間の不倫な性的結合が正に堕落になったので、数千、数万年を経てきながらも、人類がいまだにその堕落の血統権を抜け出すことができないまま、考えるだけでもおぞましい蛮行を継続しているのです。それは、神様の胸に釘を打ち込む逆賊行為です。

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人間は、男性も女性も独りでは片方の人間にすぎません。神様の創造がそのようになっています。それで神様は、愛の器官である生殖器の主人を、お互いに取り替えておいたのです。妻の生殖器の主人は夫であり、夫の生殖器の主人は妻だというのです。したがって、お互いにために生きる真の愛を中心として一つになってこそ、相対の主人の位置に立つことができるのです。言い換えれば、人間は、誰彼を問わず、結婚を通して主人の位置を確保するときに、片方の人間ではない、完全な人間になるのです。

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人間の生殖器は、限りなく神聖な所です。生命の種を植える生命の王宮であり、愛の花を咲かせる愛の王宮であり、血統の実を結ぶ血統の王宮です。この絶対生殖器を中心として、絶対血統、絶対愛、絶対生命が創出されます。絶対和合、絶対統一、絶対解放、絶対安息が展開するのです。

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生殖器の主人の位置を求めて何をしようというのですか。その位置で神様の愛を占領しようというのです。神様は、三大愛の主体であられます。天宙の主人として、真の愛の師、真の愛の主人、真の愛の父母であられます。これが正に、真の三大主体思想です。このようなすべての教えと真理が、真のモデル的理想家庭の人生を中心として創出されるのであり、これを拡大すれば、社会と国家、そして世界と天宙までも、モデル的理想家庭の平和王国に変えることができるのです。

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堕落することによって、最初のアダムは、本然の真の血統を失ってしまいました。したがって、本然の夫婦になることができず、本然の家庭をつくることができませんでした。真の師、真の父母、真の王になるべきだったアダムは、サタンの血統を受け継いだ偽りの師、偽りの父母、偽りの王に転落してしまったのです。

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イエス様も、この地に降臨した目的が、ほかのところにあったのではなかったのです。第二アダムとして来られたイエス様が、もし十字架で命を失ってさえいなければ、イエス様も堕落とは関係のない本然の天の血統をもって最初のアダムの失敗を復帰し、人類の救世主として真の家庭を立て、人類の本郷である平和理想世界王国、すなわち地上天国をこの地上に創建していたでしょう。しかし、来られた主を理解し、侍ることができなかった弟子たちとユダヤ教の指導者たち、そしてイスラエルの国家指導者たちの不信が、イエス様の生涯を無念で悲惨な姿で終わらせてしまったのです。一つの血統も残せないまま、突然逝かなければならなかったイエス様の恨に満ちた心情を知る人が、どこにいましたか。二千年間キリスト教の歴史が流れてきましたが、イエス様の悲しい事情を想像だけでもしてみたキリスト教徒がいたでしょうか。再臨の約束だけを残したまま、跡形もなく、突然旅立たれたイエス様、その方の肉身は、既に土になってから久しいのですが、天がイエス様を通して成し遂げようとされたそのみ旨は、今、歴史の終末期を迎え、天の印を受けて顕現された真の父母様を通して完成しつつあります。

天国はまず家庭から

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今ではもう罪悪の蕩減復帰時代である先天時代が過ぎ去り、天法によって治める法治時代、すなわち後天開闢の時代が到来しました。真の父母様から祝福結婚を受けて血統転換を完成し、正午定着の人生、すなわち影のない人生を営みさえすれば、皆様は自動的に天国に入っていける、恩賜圏の時代に入ってきているのです。まずこの地上界で真の家庭を立て、天国生活をしてから人生を終えれば、そのまま天上の天国に連結され、永生を享受するようになるのです。したがって皆様は、今から家庭という枠組みの中で、神様を一番上の父母として侍り、全員が子女となり、共に暮らし、共に楽しむ血縁的生活によって、完成した父子関係を形成しなければなりません。神様と真の愛の相対圏を形成して暮らしなさいということです。

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宇宙最古の祖父とは誰でしょうか。人類の始祖アダムとエバも、神様を父と呼びます。だとすれば、彼らの子女たちは、神様を祖父と呼ばなければならないのでしょうか。しかし、彼らも父と呼ぶのです。なぜでしょうか。縦的な中心である神様の立場から見れば、すべての愛の相対は平等です。神様の愛を横的に広げて繁殖させ、生産されるその相対は、時空を超越し、誰彼を問わず平等の価値をもつようになります。すなわち、完成した愛の価値は平等だということです。

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天国は、先に地上界でつくられなければなりません。有形世界の天国が無形世界の天国を形成する前提条件になるということです。したがって天国は、銀河系の向こう側に隠れている空間の世界でもなく、人間の頭脳の中だけに存在する想像力の産物でもありません。皆様の真の愛の人生を通して、初めて創造される実体的な地上天国のことをいうのです。その基盤の上で肉界を抜け出れば、自動的に無形実体の天上天国に入っていくようになっています。地上界で天国生活をしてから逝ってこそ、天上でも天国生活ができるようになる、ということです。

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木の上でよく熟した果実であってこそ、倉庫の中でも最上の収穫品として分類されます。皆様の人生が、木の上で虫に食われた果実のような地獄行きの人生になってはいけない理由が、正にここにあります。結局、天国と地獄は、皆様が地上での人生を通して、自ら決定するということを忘れてはいけません。