祝福は、人間だけのためのものではありません。また、天地だけのためのものでもありません。神様は、御自身の内的な心情の基盤から、すべてを投入して祝福されました。その祝福がそのまま成し遂げられていたならば、この世界、この天地は、勝利の栄光に満ちあふれていたでしょう。そのような世界の中で、神様の心情的なすべての内容を完備した表示体である人間が、神様の喜べる家庭的基盤をつくり、そこで天的な聖業を人間的な聖業として受け入れ、永遠無窮の幸福の福地を建設するようになさったのです。これが神様の理想であり、願いでした。
第1節 祝福式
祝福の意義と価値
祝福家庭が、どれほど価値あるものかを知らなければなりません。祝福とは、個人を完成し、善を完成し、子女を繁殖するためのものです。個人完成、相対完成、その次は善の繁殖です。それが人間にとって核心的で、根本的な要件です。
アダムとエバが堕落しなかったならば、彼らの縦的、横的愛の理想の焦点、すなわち和合の一体的角度を合わせて一つになる場が形成されたでしょう。その場が、人類の真の先祖の愛の設定とともに真の生命の起源が設定され、真の血統の起源が設定される所です。これは、人間だけではありません。人間の心に神様が入ってきて、外的な神様と内的な神様が一つになる結婚式になるのです。それが堕落していない本然の結婚式です。これは、宗教世界において革命的な言葉です。
祝福とは何でしょうか。男性が東だとすれば、女性は西だと言えますが、東と西が平衡の取れた線上で、中心点を中心にして一つに結束するのです。一つに結束させるその力は何でしょうか。愛です。愛によって一つにさせるために、男性と女性を造ったのです。そのため、男性と女性が成熟したあとには、必ず互いに一つになれる道を訪ねてくるのですが、それが中央点です。その中央点に神様が縦的に臨むことができるのです。水平線の中で、縦的な九〇度を中心として、三六〇度の中央に連結される位置で神様の愛を中心とすれば、男性と女性が一つになれるのです。神様の愛を中心として一つになったならば、人間始祖は神様の体になります。アダムとエバは何者でしょうか。実体をまとった神様の体になるのです。それで、コリント人への第一の手紙に、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」(三・16)とあるのです。私たちの体は神様の聖殿です。堕落した人間が聖殿になれるのであれば、堕落していない本然のアダムとエバは、もちろん自然に神様が臨在できる人間世界の本聖殿になったでしょう。
神様は、プラスとマイナスの二性性相としていらっしゃいます。神様のプラスを分立させたのが男性のアダムであり、マイナスを分立させたのが女性のエバです。そして、アダムとエバを合わせた結実体が子女です。このように、神様を中心として一代、二代、三代が形成されるのです。この三代の中で問題が起こったのが何代かといえば、二代目のアダムとエバの代です。アダムとエバが神様の愛を中心として一つになれませんでした。もし、アダムとエバが神様の愛を中心として一つになっていたならば、神様が臨める関係が決定されるので、子女にも神様と関係を結べる愛の基準が連結されていたでしょう。それを祝福と言うのです。
負債を清算してくれる福の仕組みが祝福でした。歴史時代に初めて、祝福を中心としてすべて清算したというのです。破産者になることを条件として、清算したのと同じです。死ぬしかないところを、それを条件としてすべて清算したのです。統一教会の祝福を、有史以来の良いと言われるものをすべて一度に積んだものよりも貴いものとして、真の父母を通して出会った愛と生命、そして血統を、どんなものとも取り替えられない、貴いものとして、感じなければなりません。そのため、皆さんの体とすべてのもの、財産を売ってでも、一緒に投入しなければなりません。
統一教会の祝福は、神様の生命と神様の愛と神様の理想の無形の体が、実体で顕現するためのものです。神様の生命と愛と理想を連結させるためのものが祝福です。ですから、神様はどこで喜ばれるのでしょうか。祝福の場で喜ばれます。それによって神様の生命が躍動し、愛が躍動し、理想が躍動するのです。
約婚式と聖酒式
祝福約婚式のとき、先生が手を載せて祝祷するのは、アダム家庭で分かれたエバの代わりに世界の女性をアダム家庭に立て、条件的な血縁関係を結ぶためです。それが血統転換です。世界のすべての女性たちは、お母様を中心として、先生を兄として侍らなければならず、夫のように侍らなければならず、父のように侍らなければなりません。
神様を中心としてエデンの園で真の父母が現れたならば、その真の父母は、子孫万代まで、神様を身代わりして祝福を相続してあげるのです。神様を信じることにより、神様から真の父母がそれを受け継ぎ、真の父母から皆さんが受け継ぐのです。それで、先生がこの祝福をしてあげるのです。それを受け継ぐことにより、堕落圏ではない永遠の新しい勝利圏で生まれた息子、娘は、落ちていく息子、娘ではなく、上がっていく息子、娘なのです。
皆さんに祝福してあげる位置は、どのような位置でしょうか。蘇生、長成、完成の完成した位置にすぐに上がっていくのではありません。原理がそうです。長成期完成級で祝福してあげるのです。皆さんには七年路程が残っています。結婚前の七年路程、結婚後の七年路程、その次に家庭をもったあと、その家庭を中心として七年路程、三次七年の二十一年過程を経ていかなければなりません。それで、この三次七年の二十一年路程までには、国家基盤の上に私が上がるべきなのです。そこに上がれなければなりません。これから、その式をしなければなりません。約婚式があり、その次にエバ復帰式、その次にアダム復帰式です。それが心情復帰、血統転換式になります。
聖酒式は、新しい愛を中心として、神様の体を自分の体の中に投入する式です。体は一つしかないので、神様の愛を中心として取り替えるのです。これが聖酒式です。イエス様が、「またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、『これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい』。食事ののち、杯も同じ様にして言われた、『この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である』」(ルカ二二・一九―二〇)と語ったのと同じように、神様の実体を中心として新しい血統を受け継いでこそ、原罪が洗い清められるのです。その式を経なければ、祝福の場に出ていけません。聖酒式は、血統を転換する式なのです。
堕落によって汚された血統を継承したので、これを転換しなければなりません。これをしなければ原罪を脱ぐことができず、原罪を脱がなければ、真の子女として祝福を受けられる段階に上がっていけません。原理がそのようになっています。堕落によって生じた原罪を脱ぐ血統転換、すなわち血肉を交換する式が聖酒式です。
聖酒式をしたということは、真の父母の愛、真の父母の生命、真の父母の血統関係において祝福の血を受けたので、真の父母の血族になったことを意味します。死ぬような死地において先生が血を入れ、先生が血を注いだ人のようにしてあげるのが祝福です。聖酒を飲んでこそ、祝福してあげるのです。血を与えたのと同じです。聖酒式をする順序は、女性が先に聖酒を飲みます。祝福を受けるときは、女性が男性よりも先になります。聖酒の半分を、女性がまず飲むのです。
聖酒式は、蕩減復帰式です。聖酒式は天使長の立場でするのです。ですから、血統とすべてを捧げるのです。それが復帰する条件になります。ここでお母様を通じて、先生がするのです。皆さんも全く同じ立場です。聖酒式を挙行することにより、皆さんが父母の立場と同じ位置に復帰されていくというのです。聖酒は、女性が先に受け取ります。女性がまず先生に敬拝して聖酒を受け取り、半分だけ飲みます。その次に、男性が女性に敬拝しなければなりません。女性が半分飲むときには、男性は頭を下げているのです。このときは、女性が母の立場にいます。母の立場と同じです。そして、女性が半分を飲んで残った物を男性にあげ、男性が飲むことによって関係が結ばれます。それで、男性も対等な位置に行けるようになるのです。
天使長を通してエバが堕落したので、復帰歴史においては、エバがアダムを通して天のみ前に立ち、天使長を復帰しなければなりません。そのために行うのが聖酒式です。聖酒式をするとき、先生が女性に先に聖酒を与えますが、それは失ったエバを復帰する式なのです。聖酒式をすることによって霊的に一つとなり、心情的に一つとなり、肉的に一つになるのです。絶対的な内約です。
聖酒は、何となく作られるのではありません。ただ、そのままできるのではないというのです。サタンと神様の立ち会いのもと、霊界にいる数多くの天使の立ち会いのもとに作られるのです。そこには、皆さんが知らない二十一種類の物質が入っています。万物世界と人間の復帰歴史の過程で形成される、すべての物質が入っているのです。聖酒を作るときは、霊界の霊人たちが来て、「どうか一杯だけ飲ませてほしい」と言います。聖酒を飲めば復帰されることを知っているからです。そのため、群れになって来て、しきりに「私たちにも恵みをくれないか」と言います。先生にはそれができることを知っているのです。しかし、先生は、霊界のための先生ではありません。地上のための先生です。ですから、「お前たちは待ちなさい!」と言って、苦労した皆さんにあげたのです。
聖酒には、父母の愛を象徴するものが入っています。その次に、血を象徴するものが入っていなければなりません。ですから、それを飲めば、父母の愛と一体になり、血と一体になるのです。このようなものが聖酒の内容です。聖酒は、地と海と空を象徴し、全体を象徴する物で作られた酒です。聖酒には、三種類の酒が入っています。それ以外に、すべての万物を象徴する物が入っています。これを飲むということは、霊的に生まれ、肉的に生まれることを意味します。この式がなければ、原罪を脱ぎ、血統を転換することができません。血統が転換されなければ、完成基準を通過して、神様の愛と一体になれません。ですから、聖酒式はそのすべてのものを蕩減する式なのです。
皆さんが祝福を受けるとき、血統転換式をしました。血統を転換するためには、聖酒がなければなりません。聖酒が出てくるためには、二十一種類の聖別された物質がなければなりません。それは、空中で実を結ぶ物と、地で実を結ぶ物と、地中で実を結ぶ物、その次には、鉱物世界、植物世界、動物世界で最も貴い物、このように二十一種類の聖別された物質で作られるのですが、そのすべての物がサタンの讒訴条件に引っ掛かってはいけません。そのように作って、七ヶ月間寝かせるのですが、そこに不祥事が起こってはいけません。それは、簡単に出てきた物ではないのです。
祝福式と蕩減捧式と三日行事
エデンにおいて、神様は、アダムとエバの結婚式をしてあげられませんでした。神様が結婚式をしてあげることができず、自分たちで勝手に結婚し、サタンの血統が連結されたのです。祝福式は、これを抜いてしまって、再び神様の血統につないであげる式です。そのため、神様を父として侍り、堕落のない解放の天上天国、私たちの本国で暮らせる国民証を伝授してあげる式が、この祝福式です。
約婚式をしたあとに聖酒式があり、その次に結婚式があります。この約婚式と聖酒式は、何かの前例に従って行う式ではありません。堕落したすべての内容をもう一度象徴的に再現させて、それを蕩減するために行う不可避的な行事です。アダムとエバは、どの段階で堕落したのでしょうか。約婚段階で堕落しました。すなわち、完成という目標を見つめて、成長する過程で堕落したということです。ですから、約婚の目的は結婚です。アダムとエバが約婚した立場で結婚を誤って堕落したので、その誤った結婚を否定し、神様を中心として新しく、正して越えていかなければなりません。これを否定するのも、適当に否定することはできないのです。堕落した内容と反対の内容をもたなければなりません。
聖水式は、祝福儀式です。聖水式は洗礼と同じです。イエス様は洗礼を受けましたが、聖婚式はできませんでした。結婚できずに逝ったのです。妻も子女もいません。家庭もありません。先生は、生命を懸けてこの日を取り戻してきたのです。
統一教会の祝福を受けた家庭は結婚式をしましたが、その結婚式は教会内における結婚です。国家内における結婚ではなく、世界内、天宙内における結婚でもありません。ですから、祝福も、教会の祝福と国の祝福がなければなりません。世界の祝福、天国に行って永遠の祝福式を経てこそ、本然の世界に帰れる道があるのです。統一教会の祝福を受けるとき、簡単に、便利に、先生の知らないところでこっそりと祝福を受けたとしても通じません。国家祝福を経なければなりません。そこには経歴がすべて出てきます。その次に、世界祝福を経なければなりません。そして、天上に行き、大入会式と共に入籍式を経て、十二支派の編成を終えたあと、神様を中心として真の父母があの世に行き、位置を定めて座ってこそ、万民も順番に位置について座るようになるのです。
父母から息子、娘が一人でも生まれれば、その家庭に四位基台が現れます。神様が六千年間、願ってきたすべての創造理想が成就される四位基台完成が展開します。四位基台が完成すれば、その場で神様が認定して、天国の民とし、天国の家庭としようということを約束する場が、統一教会が最も注視する祝福です。祝福は家庭です。天国は何の天国ですか。家庭天国です。家庭天国を成し遂げなければなりません。家庭天国を成し遂げられない人は、天上天国に入れません。
蕩減棒式とは何でしょうか。アダムとエバが腰を誤用して堕落したので、妻と夫が、「二度と堕落することはできない」として、もてる力を尽くして腰をたたくのが蕩減棒の行事です。二度とその腰を用いて、誤った行為をしないようにするのです。イスラエル民族も、誓いを立てるときは、もものつがいを指して誓いました。割礼をしたのです。息子が生まれれば、八日日に男性の生殖器の血を流しました。男性の生殖器が誤ったからです。種が誤ったので、新しい種にするために割礼という法があるのです。それは、すべて条件です。所有物を決定するための条件なのです。
タマルは、天の道をつなぐために、自分の生命を懸けました。そして、ヤコブは天使と命懸けで闘いました。もものつがいを打たれて折られても、一晩中、離しませんでした。もものつがいを打たれなければなりません。もものつがいを誤って用いたことが堕落です。ですから、統一教会では、結婚をしたあとに蕩減棒の儀式をするのです。蕩減棒の儀式とは、腰を打つことです。腰を誤って用いたというのです。三時代を代表した私たちの先祖が愛を誤ることによって絡まったので、これを清算しなければなりません。
蕩減捧とは何でしょうか。聖書を見れば、蕩減するために行う割礼というものがあります。アダム家庭において、愛によって壊れてしまったのですが、洗礼とは何でしょうか。それは、ノアのときのことを言うのです。既に汚された生殖器を蕩減したのです。ノアのときは水の審判をしました。洗ったというのです。洗ったのですが、未完成だったので、条件的に洗礼を受けました。汚されたことを蕩減し、汚された体を洗ったので、その次にヤコブのときに着地しなければなりません。愛の生活をしなければなりません。血統転換、所有権転換、心情圏転換です。選民は、血統をひっくり返して出発したのです。
統一教会の祝福を受けた家庭は、血統転換式をします。そして、蕩減棒行事と三日行事があります。そこには、サタンが入ってくることができません。それは、真の父母と神様の法によって天国の門を開き、解放を宣言して現れたものなので、長成期完成級で行使していたサタンは関係をもてません。それで、祝福を受けた家庭は、血統転換式をするのです。それを経なければなりません。
三日行事をしなければ、真の父母様の血統と何の関係もありません。垣根に入ってきて、見学者にしかなれないのです。三日行事を終えてこそ、礼服を着て残れるのであって、そうでなければ、餅をもらって食べ、宴の見物もしっかりとして、同僚と一緒に遊んだりしたとしても、分かれていくのです。一つになれません。分かれれば、永遠に分かれるのです。血統はこのように恐ろしいものです。
愛に関する話を今まで悪いものと思っていたのは、愛の器官が悪の宮殿になったからです。三大破壊の武器になりました。愛を破壊する宮殿になり、生命を破壊する宮殿になり、血統を破壊する宮殿になりました。このような三大破壊の宮殿になったというのです。天地のすべてのものを暗黒世界にする宮殿になったので、それが悪い言葉の中の悪い言葉であり、サンソリ(下品な言葉)の中のサンソリになったのです。本来、「サン」という言葉は、悪い言葉ではありません。「サンサン(双々、ペア)」とというときの「サン」です。それをサンソリと言うのです。サンソリは、二人が愛することを意味するので、悪い言葉ではありません。本来は神聖な言葉です。自分の先祖もここにぶら下がって生きてきたのです。数千万代の先祖がそれをつかんで生き、アダムとエバもそれをつかんで一つになって生きました。男性のものと女性のもの、先祖がすべてそこにぶら下がって生きたのです。男性のものには女性がぶら下がって生き、女性のものには男性がぶら下がって生きました。それにもかかわらず、それがどれほど貴いものかを知らなかったのです。女性のものは、男性の生命をコントロールする主体の中の主体です。
私たちの体を構造的に見ても、男性のそれと女性のそれが最も貴いので、一番安全地帯に置いたのです。そこが一番の安全地帯です。風が吹いてもそうであり、何かが襲撃してきても、そこは侵犯できません。女性はさらに侵犯を受けません。これは、サンソリ(下品な言葉)ではなく、神聖な言葉です。本来は、それを先祖から最も貴く思うべきだったのですが、これをサンソリと言うならば、今までの先祖がすべて悪かったということになります。アダムとエバの第一先祖まで悪かったということです。サン(卑しい)先祖だったので、サンソリになったのです。本来、真の愛を中心としていれば、先祖がそこに根を下ろし、育って神聖な木になったでしょう。そのようになっていれば良い言葉になり、良い言葉であれば、いい加減にできないのです。侍っていかなければなりません。ですから、愛する前に先祖に対して、「きょう、このような特定の日を下さり、ありがとうございます」と敬拝してから愛さなければなりません。それで、私たちは、三日行事をするとき、敬拝から始めるのです。それを略式で、代表でするのです。その次は自由です。その峠を越えたあとに愛するのは、自由にしなさいというのです。
今や祝福が可能なので、いくらでも祝福をするのです。一人も残さず、すべて祝福してあげなければなりません。先生が行く前に、霊界では祝福を受けていない人がいないようにしなければなりません。そのような祝福が今までなかったのですが、できるようになりました。地上世界でも天上世界でも、先生が行く前に祝福を受けた人でいっぱいにならなければならないのです。そのようにしなければ、今までアダムが蒔いておいた堕落のすべての血統が根絶されないというのです。
奉献式
私たちは、息子、娘を生めば、八日目に奉献式をします。それは中心数を意味します。中心数ですから、男性と女性が備えなければならず、祖父と祖母が備えなければなりません。三段階の四方を備えなければなりません。中心がなくては、三段階がありません。誰もが中心の位置で三段階になれるわけではないのです。
イエス様は、三年の公生涯期間が終わって亡くなりましたが、統一教会は地上天国の基盤を築いています。先生の子女の奉献式のとき、三大祭物の条件として三つの贈り物を分配し、わかめスープと御飯と牛乳をあげました。三年期間は、イエス様が成し遂げられなかった四位基台を成し遂げる期間です。イエス様がユダヤ教を収拾し、ローマを屈服させていたならば、十字架で亡くなることはなかったでしょう。先生は、第一次勝利を収めました。民をつくり、主権を立てようと、三女一男に褒美を与え、献納したのです。
けさ、「神の日」を祝う儀式を行いました。その前に何をしたかというと、奉献式をしました。今回、皆さんが最も愛し、心情的基盤となる妻を動員させたにもかかわらず、皆さんが反対したり、デモをしたりしなかったという事実は、この上なく光栄なことです。そのため、先生の家庭を中心として、全体が第一線で出会える家庭的な一致基台が連結される、勝利の基盤が整えられたという条件を備えるようになったのです。そのようにして、先生の家庭が初めて神様のみ前に奉献できる勝利的条件を立てられました。それで「神の日」を祝う式も行い、二階で先生の家庭の奉献式も行ったのです。そのため、先生の子女たちにも祝福してあげたのです。ところで、奉献をするにおいても、秩序を立てなければなりません。天の家庭の前に天使世界があったので、先生の家庭を奉献すると同時にイエス様の恨も解怨し、地上の願いも解いてあげなければならないのです。
先生は、個人的、家庭的に闘って、国家に対して出ていける基準になっていますが、皆さんは、まだその基準になっていません。皆さんは、国家基盤の上に立ったという資格、国家基盤の上に立った父母の資格、国家基盤の上に立った子女の資格、国家基盤の上に立った万物主管の資格を備えて、万物を主管しなければなりません。その次に、来られる主がその基準を中心として最後まで闘い、世界を代表した世界的父母の基準、子女の基準、万物の基準を立てておかなければなりません。今はそのために闘っていく過程にあります。そこに皆さんも同参しているのです。そして、国家的な式とともに、どのような式がなければならないのでしょうか。万物奉献式がなければならず、子女奉献式がなければなりません。逆さまになるのです。万物の奉献式、子女の奉献式、自分自身の奉献式、自分の家庭の奉献式がなければなりません。それをしなければ、皆さんが縦的歴史を完全に蕩減し、横的に蕩減して、勝利した祭物として、そのまま捧げることはできないのです。