男性は神様のプラスの性稟の、女性は神様のマイナスの性稟を身代わりした実体対象です。創造理念は、両性の中和体としていらっしゃる神様の性相を二性に分立したのちに、再び神様の本性相に似た姿に合性一体化します。一人の男性と一人の女性は、各々神様の一性に似て現れました。したがって、これらの一男一女の結合は、神様のプラスの性稟とマイナスの性稟が一つとなることです。すなわち、神様に似た中和体となるのです。ですから、二人、すなわち夫婦は、神様の全体を表象する結合体です。男性は神様のプラスの性稟を身代わりすることによって真の父の分身となり、女性は神様のマイナスの性稟を身代わりすることによって真の母の分身になります。彼らは各々神様の代身者でもあるのです。
第3節 真の父母であられる神様
宇宙の中心は父子の関係
私たち人類の父が神様です。私たちは神様の息子、娘です。神様が第一世ならば私たちは第二世の神様です。一世の神様がプラスであり、二世の神様がマイナスです。ブラスとマイナスが自動的に一つになるのが創造原理です。
天地の中心と宇宙の根本とは何ですか。先生が神秘的な境地に入って、神様に祈ってみると、父と息子、娘の関係、すなわち父子の関係だとおっしゃいました。分からない人たちは、肉親の父母、息子、娘との関係だと思うかもしれませんが、神様と人間の関係を意味するのです。
神様と人間は父子の開係ですが、どのようにしてそのような関係が結ばれたのでしょうか。皆さんが神秘的な境地に入って祈るとき、「人間は被造世界の中心ですが、この宇宙の中心は何ですか」と尋ねると、「父子の関係だ」という答えを得るでしょう。宇宙の中心について一言で結論を下せば、父子の関係だというのです。人々は父子関係というものを、普通に考える自分の父母、すなわち人倫道徳を中心とした父子の関係のことだと思っていますが、そうではありません。それを立体的な立場で見れば、神様と人間は、父子関係の情を中心として一つになっています。その位置が宇宙の中心なのです。
愛を中心として見てみるとき、「私」は母の愛の実であり、父の愛の実です。神様の愛の実です。縦的な面では神様の愛の実であり、横的な面では父母の愛の実です。これを受け継いだのが私なので、父母は私に背くことができません。なぜなら、永遠にその愛に従って一つになり、永遠にその愛の中で生きたいからです。ですから、父母は、堕落したとしても、その息子、娘と永遠に暮らしたいと思うのです。
神様御自身も心と体をもっていますが、それが主体と対象の関係で絶対的に一つになっています。一つになっているので神様が安息できるのです。神様は、永遠に心と体が一つになった立場にいらっしゃいます。真の愛を中心として一つになっています。そして、そのように一つになった対象の存在を必要とするので、人間を造りました。父子の関係は血統的関係です。父母の要素を息子、娘がすべて受け継ぎます。父母の性相と形状を、主体と対象の関係と同じように受け継ぐのです。父母と同じように、プラスとマイナスの要素を子女たちは受け継ぐのです。それ以外には受け継ぐものがありません。神様の愛で一体になり、すべての骨格が一体になり、神様が一つになるのと同じように、心と体が一つになるところから相手が必要になります。そのような立場において、男性は女性が必要であり、女性は男性が必要であり、家庭が必要であり、子女が必要です。
心の立場を代表する父が神様であり、体の立場を代表する父が、堕落していない真の愛を中心とした人類の始祖です。統一教会では、歴史時代には分からなかったこの事実を突き止め、これに代わって対応する名称として使う言葉が「真の父母」です。ですから、横的な真の父母の立場が、本来の創造した理想観から見た神様の息子、娘の立場でした。アダムとエバの立場だったというのです。
神様は、愛の神様です。愛の神様が人間を本当に愛する位置はどこでしょうか。人間が求める最高の位置です。神様はその位置を愛さなければならない立場にいらっしゃるのです。人情と天情が結合するところは、神様と人間が父子関係を結ぶところです。宇宙の根本は、父子の関係です。その父子関係とは、天地を創造した絶対的な神様と、堕落していない本然の人間との関係です。人類が到達すべき本然の価値の位置は、神様が父であり、人間は子女だという位置です。
宇宙の根本は何でしょうか。始まりは愛であり、結果は父と息子です。神様は、愛を中心として父子関係を結ぶために宇宙を造りました。ですから、宇宙の根本も父子関係です。皆さんは宇宙の根本を中心として連結されています。したがって、皆さんも父になり、息子、娘にならなければなりません。
宇宙の根本は、正に父子関係です。私たちの本心が行く道は、千万人に尋ねても、神様を自分のものにし、神様の愛を占領するために行く道だと答えるでしょう。息子が十人いるとしても、息子たち一人一人に対する父母の愛には差がありません。万民が心と行動を一致させて神様を父と呼ぶようになる時、かわいそうな父から切なる愛が流れ出るというのです。父母の心情を経て、骨髄からにじみ出る愛が子女に宿るとき、ここが正に人間がとどまる最高の幸福の基点であり、人間の心の本郷です。
人は自分に似たものを好みます。理想世界は神様に似なければなりません。神様は天地を創造するとき、どのように造ったでしょうか。創世記第一章二十七節に、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」とあります。神様のかたちに、男性と女性を創造したというのです。ですから、人間は神様に似ているのです。私たちが自分に似たものを好むのを見ると、結局、神様も私たちが神様に似ているので私たちを好むというのです。ですから神様は、天地万物を造っておき、神様に似たそれらを見ながら喜ぶのです。
神様は絶対的なお方であり、全知全能のお方です。そのような神様は誰に似たのでしょうか。私たちがそのお方の形状どおりに造られたので、神様は私たち人間に似ています。神様は人格的な神様です。ですから、神様は人間に似ているのです。人間を神様のかたちに造ったとあるので、父である神様は息子と似ているに違いありません。神様は人間に似ているのですが、どのように似ているのでしょうか。女性に似ていて、男性に似ているというのです。
「私」は誰に似ているのでしょうか。神様に似ているのです。神様を中心として見れば、私は神様に似ていて、私を中心として見れば、神様が私に似ています。言い換えれば、父を中心として見れば息子が父に似ているのですが、息子を中心として見れば父が息子に似ているというのです。神様は私たちに似ていて、私たちは神様に似ているというのです。私たちの欲は誰の欲に似ているのですか。神様の欲に似ています。神様の欲に似ているので、その欲は最高のものをもとうとするのです。神様は最高のお方であり、絶対者なので、取るに足らないものを保持しようとするのではなく、最高のものを保持しようとします。それが私たちの心です。
神様は全知全能で、遍在し、永遠のお方ですが、私たちはどこが似なければならないのでしょうか。私たちが神様に似ているとすれば、どのようにならなければならないのでしょうか。神様が永遠なら私たちも永遠でなければならず、神様が遍在するなら私たちも遍在しなければなりません。ですから、世界のどこにでも行って暮らしてみたいと思うのです。全知全能の力をもって全世界を一度に掌握して暮らしてみたいと思うのです。そのようにしたいと思うのは、神様に似ているということです。
神様と人間の関係を見てみるとき、神様が人間の父であり、人間が神様の息子、娘だとすれば、人間に対して「神様よりハンサムだ」と言っても、神様は気分が悪くありません。もし、気分が悪いとすれば、神様は堕落した人間より劣るというのです。ですから、愛が必要です。
真の父母であられる神様
神様は、縦的な真の父母です。真の愛を中心とした縦的な真の父母の立場に立っているお方が創造主、神様です。神様が縦的な愛の主人ならば、縦的な愛だけをもっていては一点にしかなりません。これをいかにして横的に展開させるのでしょうか。赤ん坊を生むのは、神様ではなく真の父母です。横的な真の愛の父母の立場に立った、そのお方が真の父母です。神様のみ前に、すなわち縦的な愛を中心とした真の父母のみ前に、九〇度の角度を備えた横的な愛をもったお方が真の父母なのです。ですから、皆さんは二人の父母の愛が必要です。お一人は創造主である父母であり、お一人は神様の対象として理想を描きながらお造りになった実体的な父母です。ですから、神様は心と同じ立場の父母であり、真の父母は体と同じ立場の父母です。
神様は縦的な父です。縦的な真の愛を中心とした父母です。そして、アダムとエバが成長し、成熟して神様のみ旨を成すようになったとすれば、これが横的な父母です。横的な立場の真の愛を中心とした父母の位置です。この縦的な神様と横的な真の父母が、愛を中心として十字に交差する点において九〇度で一つになるのです。
創造主は縦的な父であり、アダムとエバが堕落しないで完成したならば、横的な父母です。そして、愛を中心として一つになり、そこから子女が生まれていたならば、その子女は縦的な父母に似るとともに、横的な父母に似た真の父母の愛の化身体となるのです。そのように生まれた息子、娘は、神様の代身であり、真の父母の代身です。
神様は、真の愛を中心とした縦的な真の父母です。縦的な軸は一つです。その位置は一つしかありません。永遠不変です。神様は、真の愛を中心とした縦的な真の父母の立場にあるお方です。真の愛をもたなければ神様とは関係がありません。また、その縦的な真の愛を中心とした真の父母のみ前に、アダムとエバは真の愛を中心とした横的な父母です。真の愛を中心とした横的な父母の立場が真の父母の位置です。
愛を中心として見れば、神様は縦的な父であり、縦的な愛をもった真の父母です。縦的な生命を生んでくれる真の父母であり、縦的な血統を相続してくれる真の父母です。神様は、縦的な真の愛と縦的な真の生命と縦的な真の血統をつないでくれる縦的な父です。その縦的な父の実として結実したものが縦的な位置に立っている心です。その心は、縦的な「私」です。
神様は縦的な父母であり、アダムとエバは横的な真の愛を中心とした父母です。この二つの父母が一つになり、その血統を受け継いで出てきた本来の堕落していない子孫にならなければならなかったのですが、エバが二十歳未満の未成熟な時にサタンとペアになりました。ですから、いくら信仰の篤かった人でも、地上で真の父母に侍ることができなかった人は、天国に行けません。そのような原理はないのです。それでは、堕落を越えた立場にいる真の父母とは、どのようなお方でしょうか。神様は縦的な真の愛の父母であり、成熟したアダムとエバは横的な真の愛の父母です。横的な父母だというのです。縦的父母と横的父母を何で一つにするのでしょうか。九〇度の角度の愛で爆発するのです。爆発してそこから息子、娘が生まれ、これが家庭、氏族、民族、国家、世界に広がれば、天の人になるのです。
王権を完成しなければならない神様
神様とはいったいどなたでしょうか。「神様は絶対者であり、創造主として神聖なお方であり、私たち人間は卑しいものだ」と言いますが、それは間違っているというのです。神様が絶対的に神聖なので、その方が理想的に造った物も聖なる物です。皆、荒野時代において契約の箱を中心として神殿を至聖所、聖所と言いましたが、人が造ったその至聖所と聖所は、神様が造ったアダムとエバ、堕落していない本性の至聖所、聖所の代わりになり得るでしょうか。その至聖所や聖所とは何でしょうか。将来、取り戻すことができ、復帰して理想的なアダムとエバとなるものを象徴的に複合させ、それを大きく、広く、高くして本聖殿、本至聖所のような実体を造るための過程的象徴体にすぎないのであって、それ自体が神聖なのではありません。堕落した人間が造った物も至聖所、聖所と言うのに、絶対的で神聖なその方がお造りになったアダムとエバは、どれほど神聖なものでしょうか。ですから、アダムとエバの心は至聖所と同じであり、アダムとエバの体は聖所と同じであり、その中に神様がいるのです。そのようになっていたならば、神様を中心として、アダムは神様の体になるのであり、エバも神様の体になるのです。神様の男性格の性稟に似ているのがアダムであり、女性格の性稟に似ているのがエバです。この二人の結婚式をすることが字宙の王権を立てる式です。それが愛の王権です。
アダムとエバは神様の体です。神様を中心として、未来においてアダムは王になり、エバは王妃になるのです。神様と一つの体です。ですから、正分合です。正から分かれるのは愛のためです。それでは、「絶対的な神様は、分けなくても思いどおりにできるのに、なぜ分けたのですか」と尋ねれば、何と答えられるでしょうか。分けておいた理由は、実体世界を造られた神様が無形のままでは実体世界を治めることができないからです。それで体が必要なのです。創造された目的が、神様も実体をまとって実体の父母になることです。その実体とは誰かというと、アダムとエバです。アダムとエバが完成すれば、神様はアダムとエバの心の中に入っていき、神様を中心とする王権を成し遂げるのです。
神様は、なぜ人を創造したのでしょうか。この宇宙は実体であるので、実体の主人であるアダムとエバを中心として管理、主導できる立場に立つためです。霊界において、神様は無形でいらっしゃるために治めることができないので、実体の体をまとうことによって、実体をもって地球星で生まれてくる自分の息子、娘となる子孫たちを治める王になるために、実体の人を造ったのです。その王の顔とは、誰の顔ですか。アダムの顔です。王をつくったので、王妃が必要です。エバがその王妃にならなければなりません。二人は地上の先祖であると同時に、天上世界の先祖になります。ですから、その父母が生きた生活的伝統を千年、万年受け継いで世界に連結すれば、王権は一つです。地上世界の王権であると同時に、天上世界の王権になるのです。
神様は無形です。霊界に行っても見えません。神様が愛を中心としてアダムを造ったのは、この被造世界が体をもっているからです。神様は体をもった父にならなければなりません。体をもった父になることで、見えない無形と見える有形が一つになるのです。それは宇宙が一つになることを象徴します。ですから、体をまとうためにアダムとエバを造ったというのです。アダムとエバは神様の形状に似た体をもった姿として現れるのです。そうして、アダムの姿とエバの姿が天の国の王座に上るようになり、その王と王妃の心の中に神様がいらっしゃることで、地上世界と無形世界を統治するというのです。神様の王国を造るのです。愛の王国です。
神様は王の中の王であり、父母の中の父母なので、アダムとエバは神様の真の愛を中心とした王子、王女です。しかし、堕落することによって、この王子、王女の位置を失ってしまいました。言い換えれば、アダムとエバは、長子権、父母権、王権を失ってしまったのです。